2011年1月7日金曜日

比較

おそらく多くの人に共通する感覚だと思うけど、
小さいころって、
「自分はひょっとして天才かもしれない」って、
無根拠な自信を持っていた。

それは本当に無根拠で、
何を努力しているわけでもなんでもなく、
ただ、
伝記小説なんかを読んで、
自分もそういう「星の下」に生まれているんじゃないか、
なんて、
ただの空想をしていたわけだ。

空想以外なにもしないんだから、
当然の帰結として、
何の才能も発揮されることはなく、
誰かに認められるわけでもなく、
気が付けば人生を優に折り返してしまった。

今になってみれば、
天賦の才などぼくには何もないことがよくわかる。

その悔し紛れというわけでもないが、
ぼくは天才というものに、
もはや憧れを抱かない。

モーツアルトは凄いけど、
モーツアルトになりたいわけじゃない。

イチローを見ていると飽きないけれど、
自分がイチローになりたいとは思わない。

彼らは「鑑賞」の対象であって、
ぼくがなりたいのは、
ただただ、
「ぼくがなりたい」ぼくだけだ。

「自分以外のだれかになりたい。けどなれない」、
というのと、
「自分以外のだれにもなりたくない」というのは、
決定的に違う。

嫉妬は醜い。

ぼくは何歳になってもぼくでしかあり得ない。

だから才能があろうがなかろうが、
他人から見たらみっともない人生を歩もうが、
唯一無二のこの自分を生きることが、
やっぱり一番楽しいと思う昨今である。

●とはいえ、だれかを尊敬したり、真似をしたりするのがアリなのは言うまでもない。

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