おそらく多くの人に共通する感覚だと思うけど、
小さいころって、
「自分はひょっとして天才かもしれない」って、
無根拠な自信を持っていた。
それは本当に無根拠で、
何を努力しているわけでもなんでもなく、
ただ、
伝記小説なんかを読んで、
自分もそういう「星の下」に生まれているんじゃないか、
なんて、
ただの空想をしていたわけだ。
空想以外なにもしないんだから、
当然の帰結として、
何の才能も発揮されることはなく、
誰かに認められるわけでもなく、
気が付けば人生を優に折り返してしまった。
今になってみれば、
天賦の才などぼくには何もないことがよくわかる。
その悔し紛れというわけでもないが、
ぼくは天才というものに、
もはや憧れを抱かない。
モーツアルトは凄いけど、
モーツアルトになりたいわけじゃない。
イチローを見ていると飽きないけれど、
自分がイチローになりたいとは思わない。
彼らは「鑑賞」の対象であって、
ぼくがなりたいのは、
ただただ、
「ぼくがなりたい」ぼくだけだ。
「自分以外のだれかになりたい。けどなれない」、
というのと、
「自分以外のだれにもなりたくない」というのは、
決定的に違う。
嫉妬は醜い。
ぼくは何歳になってもぼくでしかあり得ない。
だから才能があろうがなかろうが、
他人から見たらみっともない人生を歩もうが、
唯一無二のこの自分を生きることが、
やっぱり一番楽しいと思う昨今である。
●とはいえ、だれかを尊敬したり、真似をしたりするのがアリなのは言うまでもない。
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