2011年5月7日土曜日

誤謬

マイGWも、
はや最終日。

とはいえ、
今日一日でやったことと言えば、
皮膚科に行ったことぐらい。

それがまた、
すごい人数待ちで、
薬を受け取るまでに3時間ぐらいかかった。

でもそのお陰で、
「大局観‐自分と闘って負けない心」(羽生善治著、角川oneテーマ21)が読めた。

著者が羽生名人ということで、
将棋の本と思われそうだが、
ほとんど羽生自身の人生観ともいうべきエッセーだ。

その中で「合成の誤謬」という、
耳慣れない言葉に出会った。

本から引用すれば、
誰もが正当なことをしているにも関わらず、社会全体で見た場合には、芳しくない状態を生み出している」ことだという。

たとえば「質素倹約」は美徳だけど、
すべての人が徹底すれば、
社会経済が回らなる、
みたいなこと。

なるほどなぁって思う。

個々人は正しい行いをしているわけで、
それがまずい結果の原因だといわれても、
なかなか納得できないだろう。

個々人はいわば一本の木なのであるから、
森が見えるわけもなく、
個々人に責任はない。

森を見渡す役割、
それが政治家なのだと思う。

あと、
チェスについての考察も面白い。

チェスには引き分けが多いそうだが、
そのほとんどは、
対局者双方の合意によるものなのだという。

決着をつける前に引き分けにしちゃうのだそうだ。

その合意ドローを羽生は「外交交渉とてもよく似ている」と指摘、
チェス圏の人々にとっては、平和とは交渉による合意によって一時的に戦争を止めている状態なのではないか」と述べる。

国のデフォルトは平和ではなく戦争であり、
平和は「交渉して(つまり努力して)戦争を止めている状態」という感覚は、
ぼくにはなかった。

たぶん日本の政治家にもないと思う。

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