2011年5月11日水曜日

面影

いやぁ、
昨晩はどうしてもできなかったのに、
今日はすんなり投稿できる。

ホント、
コンピューターってやつはわからん。

それはともかく。

子役についてあれからも考えた。

演ずるという行為を、
「役になり切る」ということに限定するならば、
子どもの方が簡単かもしれない。

なぜなら、
子どもは「自己」が未完成であり、
「他人」になることが、
大人ほど難しくないと想像されるからだ。

子どもが絵本を読んで、
主人公になりきる感覚というか。

「誰にでも(何にでも)」なれるという点では、
流行りのiPS細胞に似ているかもしれない。

そういう意味で、
子役が成長して「自己」を形成してしまうと、
天然の「演技力」は衰えてしまうだろう。

対して、
大人の俳優の場合はどうか。

所作とか声の抑揚とか、
テクニカルなものはもちろんあるだろうが、
やはり「成り切る」という部分は核心だろう。

であるならば、
一流の俳優というのは、
心のどこかをiPS化、
つまり初期化できることが必要なのではないか。

たとえば「憑依型」と称される大竹しのぶは、
一瞬にして心を初期化してるとしか思えない。

だから大竹しのぶは、
「子役と動物にはかなわない」とは思っていないはずだ。

まったくの想像だけど。

で、
話を元に戻して、
パーフェクト・ワールドの名子役T・Jローサー君。












ホントかわいい。

映画が製作されたのが1993年。

それから18年たって。
















25歳のイケメン俳優になりまして。

面影はあるけど、
演技力はどうなったかな?

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