いやぁ、
昨晩はどうしてもできなかったのに、
今日はすんなり投稿できる。
ホント、
コンピューターってやつはわからん。
それはともかく。
子役についてあれからも考えた。
演ずるという行為を、
「役になり切る」ということに限定するならば、
子どもの方が簡単かもしれない。
なぜなら、
子どもは「自己」が未完成であり、
「他人」になることが、
大人ほど難しくないと想像されるからだ。
子どもが絵本を読んで、
主人公になりきる感覚というか。
「誰にでも(何にでも)」なれるという点では、
流行りのiPS細胞に似ているかもしれない。
そういう意味で、
子役が成長して「自己」を形成してしまうと、
天然の「演技力」は衰えてしまうだろう。
対して、
大人の俳優の場合はどうか。
所作とか声の抑揚とか、
テクニカルなものはもちろんあるだろうが、
やはり「成り切る」という部分は核心だろう。
であるならば、
一流の俳優というのは、
心のどこかをiPS化、
つまり初期化できることが必要なのではないか。
たとえば「憑依型」と称される大竹しのぶは、
一瞬にして心を初期化してるとしか思えない。
だから大竹しのぶは、
「子役と動物にはかなわない」とは思っていないはずだ。
まったくの想像だけど。
で、
話を元に戻して、
パーフェクト・ワールドの名子役T・Jローサー君。
ホントかわいい。
映画が製作されたのが1993年。
それから18年たって。
25歳のイケメン俳優になりまして。
面影はあるけど、
演技力はどうなったかな?
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