夜勤帰りのタクシーで。
昨秋にうちの部署に来た後輩と相乗りになった。
初めて(だと思う)。
その彼に「どうすれば仕事を早く覚えられるか」と尋ねられ、
しばしうなった後こう答えるしかなかった。
「言葉とかマニュアルで教えられるものは1割ぐらいしかないからなぁ」
とっさに口にした言葉は本音というより、
ぼくの願望に近い。
「この仕事はそういうものであって欲しい」と。
でも実際は逆で、
仕事の9割までは言葉やマニュアルで教えられるのかもしれない。
たとえそうであったとしても、
残る1割こそが「隠し味」であって欲しい。
「何でですか」と聞かれても、
「うーん何となく」としか答えられないような、
でも限りなく本質的な部分って間違いなくあると信じる。
一本の線のように説明できるものではなく、
網のようにブワっと広がる思考が。
でなきゃ12年も苦労してきた甲斐がないじゃないか。
いや待てよ。
最近は、
言葉やマニュアルで理解できるように、
仕事の方が変わってきているような気も、、、
これまでこだわってきた、
あるいはこだわるように教えられてきた種々の約束事が、
少しずつ取り払われ、
新人君でも何となく格好はつくように、
仕事の枠組みというか質というか、
要するにハードルが下げられてきている気がする。
それがユーザーにとって、
全く問題ないのなら良いのだが、
結局は出来あがった製品までも、
お手軽で薄っぺらなものに変化してきているとすれば、
看過できない。
これはつまり、
うちの新人君の悩みを超えて、
世の中の「合理化」というものに潜む問題ではあるまいか。
コンピューターに人の肩代わりをさせ、
リストラを進める企業。
契約社員やアルバイトを安値で雇い、
マニュアルを覚えさせて、
手軽に黒字を増やしてみたところで、
結局は製品やサービスの質は落ちているのでは、
本末転倒である。
お手軽に作られたものは、
外見は変わらなく感じられても、
絶対に何か重要なモノが抜け落ちているはずなのだ。
そのことに、
作り手もユーザーも気が付かないことが、
一番恐ろしい。
●最近の政治家の薄っぺらさにも通じるように思うのだが、、、
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