2011年10月31日月曜日

完走

第一回大阪マラソンが開かれ、
3万人がなにわ路を走った。

3万人がフルマラソンを走ると、
合計ざっと120万キロ。

地球を30周するエネルギー。

わけのわからん換算だけど、
とにかくすごいイベントではある。

報道によると、
完走率は96パーセントとか。

これはぼくの予想を遥かに超えていた。

確かに制限時間は7時間だから、
早足レベルでも到達できる距離だけど、
ぼくなら早足ですら7時間も続けられない。

しかし、
今回が特別なわけではなく、
東京マラソンも同じぐらいだというから、
驚いているこちらが変なのだろう。

ぼくがもし大阪マラソンに申し込んでいたら、
何だかんだ理由を付けて練習を先延ばしにし、
1週間ぐらい前になって、
とりあえずウォーキングをちょこっとしただけで参加して、
あっさりリタイアしただろう。

それにしても、
フルマラソン7時間で完走というのは、
たぶん富士山登頂と同じ程度に難しいんだろう。

どっちも未体験だから当てずっぽうだけど、
つまり、
素人でも頑張れば達成可能だけれど、
思っているよりはずっと厳しくて、
甘く見ると痛い目にあう。

それぐらいではなかろうか。

頑張りの程度と達成感の、
絶妙な費用対効果。

富士山登山と同様、
今マラソンが熱いのは、
そのあたりにあるんだなぁと、
一人で勝手に納得する。

2011年10月30日日曜日

再現

秋本番ということで、
今日は一日、
スポーツイベント目白押し。

ナビスコ杯にプロ野球CS、
ゴルフやフィギュア。

スポーツはいいねぇ。

あすは大阪マラソンあるし。

でも、
この秋はそう浮かれてばかりいられない。

野田どじょう首相、
TPP交渉参加の意向だそうである。

決して深く語れる訳ではないが、
これって農業のみならず、
工業や労働に、
医療やサービスまで、
包括的に含んだ自由化協定でしょ。

昔、
日米構造協議ってのが、
国民のあんまり知らない間にしらっと決められ、
その後、
日本はアメリカの様々な要求を飲まされた苦い経験がある。

TPPって要するにこの構造協議の二番煎じというか、
拡大強化エスプレッソ仕立てって気がする。

つまり日本が日本の将来に資するためというより、
アメリカの将来に日本が資するためってこと。

「バスに乗り遅れるな」っていう雰囲気は、
実に危険である。

にしてもさすがどじょう首相。

アメリカにも財務省にもたてつかず、
物腰低く穏やかに、
いろいろ考えているそうで、
実はあんまり何にも考えず、
「国民を乗せたバスの運転手」なんて言いながら、
シートベルト締めて安全運転で、
ぼくらを奈落の底へ連れて行ってくれそうだ。

でもどじょうが悪いんじゃない。

どじょうを首相にしたぼくらが悪い。

スポーツもいいけど、
この秋、
みんなでちょっとTPPって調べてみないかい。

キーワードは「TPP 住友化学 モンサント」あたりから。

http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w

●そんなスポーツ観戦のため、チョコパを食べそびれた、、、


2011年10月29日土曜日

夢想

ある朝起きて、
庭で全裸の男が死んでいたら、
それは大変迷惑な話だが、
その男が時代のスターだったら、
もっと大変だろう。

1992年4月25日、
東京都足立区の民家で、
現実に起きた話だ。

尾崎豊、
享年26歳。

その民家の一室はやがてファンに開放され、
「尾崎ハウス」として聖地になった。

だがその「尾崎ハウス」が先頃取り壊されたそうだ。

家が老朽化したからだというが、
ここのところ、
訪れるファンがめっきり減ったのも、
理由だという。

彼の歌や生き様が、
イマドキの若者にはサッパリ受けないのだと、
最近知った。

尾崎はぼくと同年代だから、
ぼくは彼の歌が好きだったし、
不良ではなかったけど、
盗んだバイクで夜の街を走り回ったり、
校舎の窓ガラスを割ったりする、
その心情は理解できた。

そして、
そのような若者特有の心象風景は、
古今問わず共通するのだとも思っていた。

だけどイマドキの子には、
通用しないらしい。

時代は移ろっていくのだと、
気づかされた次第。

ぼくは大学紛争の時代のことは知らないけど、
時代の熱さみたいなものは想像できる。

そういう意味で、
60年代から80年代までの30年間ぐらいの時期を、
成人してから経験している年代と、
バブル崩壊後の年代とでは、
何か決定的な違いがあるように思う。

なんだかんだ言って、
60〜80年代の人って、
右肩上がり志向というのがどこか染み付いていて、
頭ではわかっていても、
東京オリンピックを開けば、
また日本は活気づくとか夢に見、
ノーベル賞や金メダルを日本人がとれば、
世界の相場以上に大騒ぎしてしまう。

そんな60〜80年代気質の、
象徴のひとつが「尾崎ハウス」だったのではあるまいか。

だから、
この国が右肩上がり志向ではない方向に、
本当に舵を切ることができるのは、
ぼくらの世代では駄目で、
きっと、
「バブルを知らない」90年代生まれ以降の人が、
社会で実権を握る、
2030年前後ぐらいからが本当の勝負ではなかろうか。

あと20年ほどあるわけだが、
その頃には随分と日本も世界も、
想像もつかないほど様変わりしていることだろう。

案外、
尾崎豊が再評価されていたりなんかして。

これも夢想か。







2011年10月28日金曜日

手順

先日のNHK「プロフェッショナル」は、
料理家の栗原はるみ。

なんだかプロフェッショナルという言葉と、
ちょっと違うんじゃないの、
ネタに詰まったか?

なんて思いながら見たのだが、
結論から言うと、
彼女はまさしくプロフェッショナルだった。

というのも、
ぼくが考えるプロフェッショナルの条件はただ一つ。

「期待に応え続ける人」だ。

4000種類ものレシピを考え、
2200万部もの料理本を売った彼女は、
そういう意味で紛れもなくプロだ。

しかしこの番組で気づかされたのは、
普段何気に見ている料理のレシピの難しいこと。

彼女が自分に課しているハードルは、
「初めて料理する人でも美味しくできる」ということだそうだが、
このハードルはとてつもなく高い。

大さじ小さじの量の問題はもとより、
火加減にしても「強火」ったて様々だろう。

読者の家庭にあるコンロの種類は様々だし、
強火はとりあえずそのコンロの最大限の火力だとしても、
「中火」ってなったら千差万別ではないか?

米にしたって、
銘柄も違えば炊飯器も違うし、
炊きたてか冷えているかでも全く異なるだろう。

現に、
番組で紹介していたタルトタタンっていうデザートにしても、
使うリンゴは紅玉じゃないと駄目だったし。

思えば料理のレシピっていうのは、
たとえば自転車の乗り方を文章にするような、
要するに本質的に不可能な作業だと思う。

99パーセントまでは文章化できても、
残りの1パーセントは無理で、
しかもその1パーセントにこそ、
物事の本質があるはずだ。

そう考えた時、
彼女のレシピがかくも大きな支持を得ている理由が見えてくる。

きっと彼女のレシピは、
自転車にたとえるなら補助輪のようなものなのだろう。

書いてある通りに作ったら、
とりあえず美味しいものが出来て、
「料理って楽しい」っていう気分になれるに違いない。

つまり、
補助輪付きとはいえ、
文章で自転車に乗せてしまうのだから、
やっぱりプロフェッショナルなのだよと、
納得した次第。

今度彼女の本を買って、
母に押し付けよう。

2011年10月27日木曜日

合点

ふだんはちっとも見ないのに、
「禁煙」の文字につられて録画した、
NHK「ためしてガッテン」。

1.3倍速で見たのだけど、
結構おもしろかったので、
頭の整理の意味ですこし紹介。

金魚の実験が秀逸。

白黒半々に色分けした水槽に金魚を入れると、
習性として全部の金魚が黒い方に集まる。

そこで、
水槽に仕切りをつけて、
強制的に白い方に金魚を寄せ、
そこに薄いニコチンをたらす。

そして改めて、
白黒に分けた真水の水槽に入れるとあら不思議。

金魚は全部白い方に集まった。

ニコチンの快楽は金魚の自然の習性まで変えるという話。

ニコチンは、
アセチルコリンという脳の神経伝達物質に似ており、
さらにドーパミンという快楽物質を脳内に発生させるそうな。

煙草を常用していると、
脳本来のアセチルコリンの生産が減り、
ニコチンに頼るようになっている。

ただこれは禁煙をして数週間もすれば、
本来のアセチルコリンの生産が復活するという。

であるから、
最近の禁煙補助薬を利用すれば、
高い確率で禁煙できるはずなのだが、
一度禁煙成功しても、
1年もすればまた再喫煙していしまう人も多いとか。

これは、
ニコチンとアセチルコリンの関係だけでは、
説明がつかない。

で、
再び金魚実験。

エサを使って金魚に輪くぐりを教えるというもの。

輪をくぐれば、
エサがもらえる。

これを教え込まれた金魚は、
一生、
輪を入れただけでエサがなくても輪をくぐるそうだ。

金魚の中では、
輪くぐり=エサであり、
この関係が一度刷り込まれると、
二度と消せないという仕組み。

一度禁煙しても、
再度喫煙してしまうのは、
喫煙と、
その人の人生の満足とが分かちがたく結びついているから、
といえるようだ。

逆に言えば、
その人は煙草なしでは満足を得られない人間になってしまった。

そしてそれは2度とリセットできない。

では、
禁煙を長続きさせるにはどうすればいいのか。

番組では確か、
禁煙状態で一つでも多くの満足、
喜びを体験することだというふうに説明していた。

新たな満足体験で、
古い体験を塗りつぶせというわけだ。

なぁ~るほど。

科学的にはそういうことなのね。

合点した。

●ついでに。今すぐなら10万円、しばらく待てば15万円が必ずもらえます。あなたにとっての「しばらく」はどれぐらいの時間ですか?番組内で出された質問。銀行の利率などを考えれば、10年だって平気で待てるはずなのだが、あなたはどうですか?●今週は土曜日に住吉に参ります。


2011年10月26日水曜日

謹呈

仕事を終え、
会社の外に出ると、

「さぶっ」

何やこの寒さ。

出勤の時もまぁ、
あたたかいとはいわないまでも、
20度ぐらいはあったはずだが、
未明の大阪は10度ぐらいじゃないかしらん。

確か今日は、
昼間の関東地方がめっちゃ暑くて、
30度ぐらいあって、
かき氷が売れてますってニュースでやってたから、
昼間東京にいて、
夜大阪に帰ってきた人は、
約20度の気温差を味わったはずだ。

女心と秋の空というが、
北と南ならいざしらず、
東と西でこんなに違うとはね。

そうといえば、
関東の知人から「入院した」と連絡があった。

元気なんだけど安静にしてなきゃならんので、
ヒマつぶしの本を送ってくれという。

なかなか難しい注文だ。

面白くても短いとすぐ読み終わるだろうし、
長くても難解だと途中で投げ出すだろう。

面白くて長い。

この条件を満たすのは、
と考え、
さっと頭に浮かんだのが「1Q84」。

見舞いに行けない代わりに、
3巻セットをAmazonから病室へ発注しておいた。

読書家ではないから、
たぶん読んでないはず。

原稿用紙2000枚分、
しっかり堪能してください。

早く読み終え、
早く退院してください。

2011年10月25日火曜日

世話

親が子どもを一人前に育てるのは、
動物の世界で共通している。

だが逆に、
子どもが年老いた親の面倒をみる動物は、
人間しかいないように思う。

たとえば、
足腰が弱った老ライオンに、
子ライオンがせっせと獲物を届ける、
みたいな話は聞いたことも見たこともない。

あらかじめ断わっておくけど、
何もそれが変だと言いたいのではない。

逆に人間を、
「親の面倒を子どもがみる動物」と定義してもいいだろう。

いい感じだね。

でもなぜ、
あまたの動物の中で人間だけが、
子どもが親の面倒をみるのであろうか?

非常にドライな言い方をすれば、
親には子どもを産んだ以上、
育てる責任がある。

種の保存という観点からも、
そこははずせない。

子どもから見た場合、
育ててもらった恩ということになるかもしれないが、
じゃあ人間以外の動物は恩知らずということなのだろうか?

また、
こんな風にも考えられる。

普通一人前になるまで20年そこそこだとして、
親が平均寿命まで生きると仮定すると、
20年をはるかに超える期間、
親の面倒をみなければならない。

世話になる期間より、
世話をする期間が圧倒的に長い。
これはちと変ではないか?

思うに、
人間は長生きになりすぎたのではあるまいか。

またまた釈明するけど、
長生きすることは結構なことです。

でもきっと、
度が過ぎつつあるんじゃないですかな。

少子高齢化がますます進んで、
年金支給開始年齢が80歳ぐらいになったら、
「何で若い世代が年寄りの面倒見なきゃいけんねぇんだよ」って、
本気で言いだす人が出てきそうな、
そんな気がする。

だから今のうちから、
しっかり理論武装しましょ。

なんで子どもは親の面倒をみなければならないのか。

●そしてぼくには、世話になる子どももいない。おーまいがっと。

2011年10月24日月曜日

名言

TBS日曜劇場「南極大陸」。

今日が2回目だった。

キムタクが主演だから、
というのではなく、
綾瀬はるかが出ているから、
初回も見たけど、
彼女、
あんまり出番ないね。

それはともかく。

キムタク演じる主演の倉持という人が、
南極観測の実現に奔走しながら、
自分の登山隊で死者を出した「過去」が問題視され、
隊員から漏れるという1話のくだりがなかなかねぇ、、、

結局は、
彼の活躍が認められて、
晴れて隊員に選ばれるのだが、
これって実話なの?

だとしたら、
当時(昭和30年代)って、
まだまだいい時代だったんだなぁ。

初代の南極観測船は「宗谷」っている船で、
その改造を担当したのが、
戦艦「大和」の設計者だそうで、
キムタクと戦艦大和ってだけで、
ちょっと笑えるんだが、
彼にはやはりヒーロー役が似合う。

当時は、
敗戦後まだ10年ほどしかたってなくて、
南極観測ってだけで、
日本中が沸きたったんだな。

おれたちは戦争には負けたけど、
こんなことだって出来る。

そういう心意気が、
日本の高度成長を支えたのは事実だろう。

この第一次越冬隊長を務めた西堀栄三郎って人、
なかなか名言の宝庫だ。

「チャンスは逃すな。まず決断せよ。石橋をたたくのは、それからである」

「人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。向上心があれば、飽きることがない」

いやぁ、
いいこと言うねぇ。

こういう名言があっても、
なおだらだらしてしまう僕にぴったしの、
究極の言葉を見つけた。

「いつかは死ぬんだと思いだす。失うものがあると思う罠にはまるのを避けるには、それが一番。みんな無一文さ」

byスティーブ・ジョブズ。

これが一番効く。





2011年10月23日日曜日

管理

人は社会的生活をする以上、
人によって管理される。

学校でも会社でも、
国でも世界でも同じ。

大小さまざまある社会には、
だから管理職という人種がいる。

校則や就業規則や法律や、
ルール通りに人が動いているかどうか、
管理するのが職業の人たちだ。

管理職がそのことだけ、
つまり人々がルール通り動くよう、
努力していれば問題はとりあえず少ないのだけれど、
やっかいなことに、
管理職は新たなルールを作ろうとする。

それは、
ただ人を管理しているだけでは、
その管理職がさらに上の管理職から評価されないから。

管理職は上の管理職に評価されたくて、
つまりもっと上の管理職に昇進したいから、
本当はいらないルールを、
なんやかんや理由をつけて作り出し、
守るよう人に強制する。

こうして、
どんな社会でも、
長年続いていれば、
自然とルールが増えていく。

社会を構成する人は、
入れ替わるけど、
ルールは残り、
人はルールにがんじがらめになっていく。

ぼくの認識は、
簡単にいえばそういうこと。

もちろん、
ルールだって無くなるものもある。

だから厳密には作られたルールが、
単純に累積していくわけではないけど、
基本的にはそういうことだ。

ルールはワインの瓶の中の澱のように、
社会の底にたまり、
瓶をブチ壊さない限り、
きれいになることはあり得ない。

ルールといっても、
校則や法律みたいなものばかりではない。

たとえば、
言葉だってルールだ。

人は言葉を覚えると、
その言葉によってしか考えられなくなる。

ぼくたちを縛るルールは、
実に幅広く存在している。

自分が何に縛られているのか、
たまには考えてみるのも悪くない。


2011年10月22日土曜日

施錠

タクシー帰りをして家に入ろうとしたら、
ドアが開かない。

玄関ドアには上下2つの鍵があって、
ぼくが帰る日は上の鍵だけかけてある。

んなこと書いていいのかとも思うが、
今日はなぜか上下とも施錠されている。

ぼくは下の鍵は持っていない。

もちろん、
母はとっくの昔に夢の中だ。

とはいえ背に腹はかえられん。

母の携帯に電話する。

んが。

すぐに留守電モードになるではないか。

かくなればと、
自宅にかけてみる。

ドア越しに電話が鳴っているのは聞こえるが、
母が起きる気配はなし。

これって、
シ・メ・ダ・シ?

少し焦りが入ったぼくは、
勝手口がひょっとして鍵が開いているのではと、
そちらへ行ってみたが、
母の戸締りは万全だ。

締め忘れはない。

それは普段なら結構なことだが、
今日のぼくにはとても困ったことだ。

理由はともかく、
自分の家なのに入れないという感覚は、
なかなか虚しい。

何度か母の携帯や自宅にかけ、
無駄だと思いながらドアをどんどんしてみた。

すると、、、

家の中の明かりが灯った。

やれやれである。
寝ぼけ顔の母がドアを開けた。

「あんた何してんの」

母はぼくが会社に泊まると勘違いしていたらしい。
カレンダーにもそう書いてある。

いやいや、
よかったよ。

単なる勘違いで。

でもこれからは、
下の鍵も携帯しようっと。

2011年10月21日金曜日

安打

プロ野球広島の白浜という野手が、
プロ入り8年目で初ヒットを放ち、
しかもそれがサヨナラ安打になった。

いい話だなぁ。

下積みの苦労が最高の形で報われた。
消化試合とはいえ、
喜びもひとしおだっただろう。

だが白浜選手、
実はまだ25歳なんだとさ。

ちょっと目まいがした。

まだ子どもじゃないか。

高卒でプロ入りして8年だと、
確かに25歳はあり得る。

プロ入り初ヒットといっても、
当然それは1軍での話。
2軍ではそれなりに活躍していたのだろう。

でなきゃ、
いかに25歳とはいえ、
8年間も「ただ飯」を食わしてくれるほど、
プロは甘くない。

その白浜選手、
ヒーローインタビューで、
「これで満足せず頑張ります」と。

当たり前だろ。

これで満足していいはずないじゃないか。

スタートラインに立っただけじゃないか。

最初は、
じんわり感動していたのが、
最後にはなぜかそう突っ込んでいたのは、
もちろん、
ぼくの年齢のせいです。

白浜選手が悪いのではありません。

彼にとっては今日がたぶん、
彼の人生で一番の日だったのでしょう。

それにしても、
25歳かぁ。。。

2011年10月20日木曜日

土俵

電子版Forsightを読んでいたら、
依田加代子という科学ジャーナリストが、
日本の安全管理は欧米より30年遅れていると指摘している。

だから福島原発のような事故が起きたのだ、
と言いたいわけだが、
こういう主張は正しいとしても危険だ。

なぜならば、
こういう議論の土俵に乗ることはつまり、
「安全管理を欧米並みにすれば原発はOK」という、
原発推進の立場を知らず知らず表明していることになるからだ。

欧米の安全管理がそんなに優秀なら、
なぜ金融危機が世界を揺るがしているのか。

日本はご指摘のように遅れているかもしれない。

でも欧米だって、
そんなに優れているわけでもない。

そこを忘れないことが肝心だ。

だれもが生きている限り、
死のリスクを負っている。

毎日、
自転車に乗って駅まで行き、
電車で大阪まで出て、
会社まで地下街を歩いて出勤する。

そのデイリーワークの中にだって、
考えてみれば至る所に「死」のリスクは潜んでいる。

車にはねられるかもしれないし、
電車が脱線するかもしれない。
頭上からビルの看板が落ちてこないとも限らない。
気のふれた男が包丁で刺してくるかもしれない。

でも、
そんなこといちいち考えていたら、
一歩も外出できないし、
また家の中にいたって大地震がくれば、
命の保証はない。

話がそれたけど、
言いたいのは、
人が生きている限り様々な「死」のリスクを背負わないといけないわけだが、
原発事故のリスクは、
あえて背負う必要がないということである。

福島原発事故でそのことに気づけば、
これまでの日本の安全管理がひどいとかいう議論は、
もはや意味がないということがわかるだろう。

事故確率がゼロにならない以上、
原発の増設は認めてはならないし、
迅速かつ速やかに、
運転中の原発も止めるべきだ。

原発に関する限り、
安全管理の技術的な議論には乗らない。

相手の土俵に上がってはいけない。

●木曜日は元町寄って会社にゴー。

2011年10月19日水曜日

輪廻

なんだか昨日は、
勢いにまかせてずいぶん、
過激なことを書いたような気がして、
読み返してみたら案外まともだった。

表現力はともかく、
言わんとしたことは言えている。

若い人には特に今の日本で起きていることは、
決して忘れないでいて欲しい。

将来、
この国がどうなろうとも、
必ず3.11がその分岐点だったと、
振り返るはずだ。

正義感が強い子どもなら、
きっとすでに気づいていると思うけど、
大人のやる事は無茶苦茶だ。

たとえば、
こんなに地震が多くて、
世界唯一の被爆国である日本に、
なんで原発なんか作るの?

こんな素朴で当たり前の疑問にも、
大人は納得のいく答えはくれないだろう。

だからこれから書くことだって、
君は信じてはくれまい。

しかしあえていえば、
ぼくらは原子力の平和利用は可能だと信じていた。

日本の技術力は高く、
チェルノブイリのような無様で悲劇的な事故は、
絶対に起きないと信じていた。

何度も「信じる」と書いたけど、
それは今思えば、
そういう空気を吸って生きていただけかもしれない。

ちょうど、
この前の戦争の時に、
ぼくの祖父母の世代が、
日本はアメリカに勝てると信じていた、
という感覚に近いんだろう。

今思えば笑っちゃうような話だけど、
竹やりで戦争に勝てると、
本気で思っていたのだ!

きっと日本人の中には、
絶対に負けると理解していた人もいただろう。

でもそういう声は小さく、
また仮にそう声をあげても、
「非国民」とののしられるのがオチだった。

それは昔話だけど、
今でも充分通用する。
試しに学校給食で、
福島産の野菜を使うのは反対だと言ったら、
どうなるか?

福島を差別するな!

きっとそう言われるだろう。

しかし、
放射能汚染されているかもしれない野菜を、
我慢して食べることは、
果たして福島の人たちへの思いやりだろうか?

国が大丈夫だと言っている?

それじゃ竹やりの人たちと、
ちっとも変わらないんだよ。

やっぱり大人のいう事は信じられないか。

君が大人になった時、
どうか思い出して欲しい。

3.11は日本の分岐点だったと。

2011年10月18日火曜日

変革

ぼくが生まれ育った時代、
つまり子どものころは、
日本はいわゆる「巨人、大鵬、卵焼き」の時代だった。

幼いころ、
ぼくは日本の総理大臣はずっと佐藤栄作だと思っていたし、
プロ野球は巨人が日本一になるのが当たり前だと信じていた。

敗戦の傷は癒えつつあり、
経済は右肩上がり。
冷戦やベトナム戦争はあったけど、
資本主義や民主主義は、
少なくともぼくのまわりでは空気のように当たり前だった。

大学生のころがバブル景気の真っ盛りで、
ちょうど就職のころがピークだった。

社会人になって数年したころ、
バブルははじけ、
その後の「失われた20年」とやらの時代が訪れる。

それでも資本主義や民主主義は、
相変わらず空気のような自明の、
つまり「あって当たり前」のものであったことには、
変わりがなかった。

「なかった」と今書いたけど、
今日一番言いたいのは、
「なかった」のではなく「気がしていた」だけだということだ。

この20年、
日本という島国だけを見てみても、
阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、
とどめの東日本大震災と福島原発事故があった。

外国に目を転じても、
天安門事件やらソ連崩壊、
そして9.11があった。

ぼくの半生をそのまた前半と後半に分けると、
後半には本当にすさまじく色んなことがあった。

そしてもはや、
資本主義や民主主義さえ、
当たり前ではないのではないかと、
真剣に考えるようになった。

人間社会を動かす二つの巨大なシステムが、
現代人にもたらしたものは一体何だろう。

その一つの答えが、
福島原発事故だととらえるならば、
ここはひとつ、
じっくり考えなおしてみて、
後半生に向かうのも「あり」なんじゃないか。

いや、
ぼくがそう考えようが考えまいが、
世界は変わる時、
変わらねばならない時を迎えている。



2011年10月17日月曜日

質量

毎日寝る時に聞いている、
小林秀雄の講演に、
こんな一節がある。

諸君は文章なんて考えがあれば書けると思っているだろう。
んなのはバットを持てばホームランが打てると思うのと同じだ。

実にわかりやすいたとえじゃないか。

ホームランというのは、
毎日、
何百回という素振りを欠かさず、
いろんな投手と対戦して、
その上でやっと、
それでもたまに打てる程度の、
質の高いバッティング技術だ。

自分なりの考えを持つということは、
もちろん大切なことだけど、
それは単にバットを持っているに過ぎないという。

いい文章を書くためには、
何回も何回も書いて書いて書いて、
書きまくるしことでしか得られない技が必要なのだ。

これは文章に限らない。

いい歌手になりたければ、
歌いまくらなければならないし、
いい医者になりたければ、
診察しまくらなければならない。

同じような意味だけど、
「量は質に転化する」という言葉も好きだ。

何事も、
一定量を超えないと絶対に得られない、
ある種の技術の質みたいなものがあると思う。

たぶん、
これは天才にも当てはまるのではないか。

たとえ神童であったとしても、
やっぱりある程度のまとまった量をこなさないと、
本当に質の高い作品や仕事はできないと思う。

それはつまり、
ある年齢にならねばわからぬ心境というものにも通じるだろう。

30歳には50歳の心境は絶対にわからない。

などと勢いで偉そうに書いてしまいましたが、
ぼくだって、
そう思いながら毎日素振りしている一人です。

頑張りましょう。

2011年10月16日日曜日

姑息

大事故の発生時に、
大丈夫だと思いたくなる、
「正常性バイアス」について先日書いた。

ぼくにあてはめると、
福島原発事故が起きた時、
ぼくはまさにバイアスの虜になっていた。

そんなぼくの目を覚ましてくれたのが、
原子炉建屋の爆発だった。

気を失っている人のほっぺたを引っぱたく掌のように、
あの映像はぼくを我に帰らせてくれた。

政府や東電やNHKの言うことが、
怪しいぞと思うようになったのも、
あの爆発がきっかけだったように思う。

なのにNHKは、
あの原子炉建屋爆発の映像を、
リアルタイムでは流さなかった。

だから、
というわけではないけど、
この国の多くの人は、
原発事故に関してはいまだに、
正常性バイアスの中にいるように思う。

チェルノブイリを遥かに超える大事故だと、
頭ではわかっていても、
無根拠に「でも私は大丈夫」だと思う。

客観的に見れば、
実に異常な光景だけど、
それが正常性バイアスの怖さだ。

同じ情報を受け取っても、
受け取り側の心の状態では、
それは○にも●にもなる。

事故後半年を経過して、
政府や東電は少しずつ、
当時のデータを公開し始めているが、
やり方が実に姑息だ。

情報の海に小出しにされるそれらのデータは、
あっという間に薄められ、
もはや正常性バイアスを壊すほどのインパクトはない。

原発で何が起きたのか。

まき散らされた放射性物質の種類や総量は。

そして何より、
現在原発で何が起きているのか。

海に汚染水を垂れ流して知らんぷりしているように、
HPの奥の奥の、
探し出すのが難しい隅っこに、
素人では一目でわからないようなデータを羅列して、
「公開」したことにしておいて、
一方では何の根拠もなく、
原発を再稼働しようとやっきになり、
冬の電力需要は夏よりヤバいと騒ぎ立てる。

福島産の農産物を忌避する人は、
あたかも非国民のように扱われ、
放射能汚染されている食品も、
みんなで食べれば怖くないといわんばかりの、
この前の戦争時と同じような状態が起きている。

最初から国が知っている限りの情報を、
正しく迅速に公開していれば、
ぼくもこれほどひねくれた人間にはならなかっただろう。

この前の戦争の時、
どうして国民があんな無謀な戦争を容認したのか。
勝てると信じたのか。

そしてまた、
反省もなく、
同じ罠に落ちるのか。

それが日本人なのか。



2011年10月15日土曜日

分岐

人生「たられば」を言い出したらキリがないけど、
自分の半生を振り返ると、
あそこでああしてたら、、、
と、
明確に分かる、
人生の分岐点がいくつかある事に気づく。

きょうペンギンさんと話していて思ったんだけど。

例えば、
あの日新聞の書評欄を読んでいなければ、
大学入試であの字を間違えなければ、
あのマンションの壁があと2センチ高ければ、
他にもいくつかあるけど、
これらの一つでも実際と異なっていたら、
今のぼくは、
まったく違う人生を生きていたと断言していい。

唐突にマンションの壁って言われても、
わからないとはおもいますが。

一大決心とか、
全財産をかけてとか、
そんな大それたもんじゃなく、
日常のホンのささいな選択の方が、
あとあと考えると、
人生を揺るがすものなのかもしれない。

そして当然のことながら、
そのささいな、
でも人生を変える分岐点は、
事後にしかわからない。

だから一気に結論なんだけど、
迷わず進めと言いたい。

どんなに迷って選んだ道だって、
気づかない分岐点で、
どんなゴールに運ばれるのかわからないのである。

だから、
その時自分がしたい事をする。

それ以外、
自分の人生を生きる術はないのだよ、
きっと。

何よりも、
どれほど無数の分岐を経たところで、
最後は死ぬと、
結末だけはハッキリしているのだから。

ぼくにとって幸いなのは、
どんなにしんどい半生であっても、
今のところ、
ほとんど後悔していない点だ。

他人の目にはどう見えているかは知らないけれど、
ぼくは満足だ。

2011年10月14日金曜日

安定

起きて階下に行くと、
姉が来ていた。

「そうそうアイフォンにかえへんの?」

姉ん家は、
4人全員がauユーザーなのだ。

しかし姉は、
「いいや」とつれない返事。

「だって電話とメールしかせえへんもん」

「そりゃあんたはそうかもしれへんけど、娘二人はどないやねん」

「あぁ●ちゃん(妹)はアンドロイドにしたみたいやけど」

すると横から母が、

「アンドロイドって何や」

すかさず突っ込んできたが無視。

「もったいないなぁ、家族でテレビ電話できんねんで、アプリもいっぱいあるし、、、」

色々言葉を並べてみても、
糠に釘。

時流に乗らぬこと山のごとし。

車だって確か20年ほど買い替えていないし。

あんたらはサザエさん一家か!

しかし、
この時代、
そのスタンスを貫くとは、
なかなか大したもんだ。

超安定志向の姉に、
超不安定志向の弟。

何で同じ親から、
これほど違う子どもが生まれるかねぇ。。。

●それでは金曜日、仕事前に元町に寄りますわ(笑)


2011年10月13日木曜日

名医

帰宅してテレビをつけたら、
「ドクター・ハウス」をやっていた。

いつのまにか、
地上波で放送していたんだぁ。

病気の真相を突き止めるためには、
手段を選ばないハウスを見ていて、
名医の条件って何だろうと思う。

どんな難病でも治す医者。

答えは簡単?

とはいえ、
末期がんのように、
現代医学では絶対に助からない場合もある。

そういう場合、
余命1年の患者を2年生かす医者が、
名医なのか?

先日見た「百万回の永訣」に出てきた医師のように、
患者の立場に立って、
共に病気と戦う医者がいいのか?

たとえば、
冷酷無比、
触診もせず患者と世間話もしないけど、
圧倒的に腕のいい医者と、
とっても人情味があって労を惜しまないけれど、
腕は落ちる医者とだったら、
どちらに命を委ねるだろう?

そもそも、
余命宣告とは医師にとっては敗北宣言だ。

嘘をつきたくない気持ちはわかるけど、
最初から負けを認めている医者と、
いい闘病なんてできないような気もする。

嘘でも最初は「治してみせます」って言って、
患者が次第に悟ったころに、
「申し訳ないけど私には治せません」って謝るのがいいのか?

いやはや、
一日の終わりに考えるには、
この問題は難しすぎた。



2011年10月12日水曜日

歌詞

最近取り組んでいる歌があって、
それはすでに何百(何千?)と聞いているし、
口に出して歌ってもいるのだけれど、
いまだに歌詞が覚えられない。

ぼくの歌詞の憶え方は、
とにかく書くことなんだけど、
今回の歌は、
決して長い歌詞ではないし、
そのうち適当な英語もどきでも、
口をついて出てくるだろうと、
高をくくっていたが甘かった。

憶えようと努力しないと憶えられない!

これって老化?

そういえば、
ちょっと前に、
いやというほど歌っていた歌を、
久し振りに歌うことになって、
まぁ大丈夫だろうとマイクを握ったものの、
あれれ、
全然歌詞が飛んじゃってて、
あわてて歌詞カードを見て歌うはめに、
なんてことも、
最近はあるような、、、

だから、
久しく歌っていない歌は、
ますます歌わなくなって、
忘却の彼方へ押しやられていく。

セッションだと、
そう何曲も歌えるわけではないので、
つい、
慣れ親しんだ安全パイに行ってしまうのだけど、
それもよくないかもしれない。

本当にこの年齢になると、
何事も意識的に行わないと、
無意識のぼくが、
安全な方へ無難な領域へと、
勝手に運んで行こうとする。

だから記憶力の減退というよりは、
加齢にともなう安定志向が原因だと思うのだ。

自分で自分を叱咤激励し、
まだしばらく頑張ってもらわねば。

頼むぞ、
おれ。

2011年10月11日火曜日

征服

映画館で観逃した「スカイラインー征服ー」をDVDで。

巨大宇宙船がある日突然、
地球にやって来るという設定は、
先日見た「第9地区」にそっくり。

どちらも宇宙人はグロテスクなんだけど、
「スカイライン」の方がより「凶暴(?)」。

お子様は見ない方がいい。

宇宙のどこかから、

はるばる地球までやってくるからには、
観光ではなく、
地球を侵略するためだということは、
想像できる。

「猿の惑星」でもそうだけど、
人間以外の生き物からみれば、
人間ほど残虐な存在はないわけで、
地球人から見た宇宙人が、
残虐に見えるのはむしろ自然かもしれない。

でも、

手先があれほど不器用そうな宇宙人が、
宇宙船やら兵器やら、
すごい科学機器を作れるのか、
そこんとこは未だに腑に落ちない。

しかし、
それにしたって鳥から見れば、
飛べない人間は不器用に映るだろうし、
イルカから見れば人間は泳ぎが下手だろう。

人間が高等で、
宇宙人はもっと高等で、
友好的関係が築けるなんて考えは、
幼稚過ぎるんだろうなぁ。

しっかし「スカイライン」、
期待していた割にはあまりにチープ。
その点、
似てはいてもアイデアの優秀さで、
「第9地区」の方がまだましだった。

2011年10月10日月曜日

設定

澤選手、
頑張って宣伝してますね。

先日、
ひどいこと書いちゃったし、
お詫びの意味も込め、
観てきました。

子どものころ観た最初の作品は、
宇宙飛行士がタイムスリップして、
未来の地球に着いたら、
人間と猿の立場が逆転してたって設定だった。

結局、
その飛行士は元の時代に戻るんだけど、
その時、
未来から猿の赤ん坊も連れてきて、
大騒ぎの末に、
サーカスに預けるって設定だったとおもう。

この猿の赤ん坊が最初に発する言葉は、
「ママ」だった。

で、
最新作は、
それとはまったく無関係で、
今時のバイオな話。

アルツハイマーの特効薬を、
チンパンジーで実験してたら、
一頭がすんごく賢くなって、、、

あとは映画をご覧ください。

CGタップリで、
見ごたえはまぁまぁ、
いや、
とっても面白かったです。

澤選手のように、
泣きはしなかったけど。

バイオで変化するっていう設定は、
確かにありそうな話だけど、
未来に行くっていう、
初代の荒唐無稽な発想も、
今となってはあり得る様な気もするとこが面白い。

ちなみに、
最新作の猿が、
最初に話す言葉は、
「ノー」。

世界中で「ノー」を叫ぶ若者が増えている、
現代を象徴しているのかもね。

そういう意味ではSFというより、
もうちょっと生々しいかな?

ぼくもオススメします!

2011年10月9日日曜日

徹底

死んだジョブズは、
生前、
スタンフォード大で、
有名なスピーチを行った。

その締めくくりは、
「馬鹿であり続けよ」だったと、
今日の天声人語。

「自分のハートと直感に従う勇気を持ちなさい」

これもそのスピーチからだ。

こんな格好いいこと、
言うだけならだれにだってできる。

ジョブズがすごかったのは、
有言実行だったからであり、
多分彼が世界の若者に影響を与えたのは、
彼が成功者だったからではなく、
理想を説き、
かつ実行した大人だったからだと思う。

お前の思うとおり生きていいんだよ。

じゃなきゃ生きてる意味ないだろ?

大人だからわかるけど、
これほど過酷な人生はない。

引かれたレールの上を進む人生のほうが、
意味があろうがなかろうが、
とにかく楽なのは確かだ。

自分にも、
他人にも厳しく。

例え親兄弟に嫌われても、
絶対曲げない意志。

貧しさや、
将来への不安に屈することのない、
鋼の心。

それがなければ、
彼に憧れることはできても、
彼のような人生は歩めない。

2011年10月8日土曜日

法則

年を重ねるにつれ、
1年が短く感じられるのは、
10歳の子にとっての1年は、
その子の人生の10分の1であるのに対し、
50歳の大人にとっては50分の1だからではないか、
というようなことを、
以前に書いたことがある。

これって実は、
「ジャネーの法則」といって、
19世紀から知られているんだってことに、
つい最近気付いた。

自分の発明(発見?)と思っていたのに、
間抜けな話。

ざっくり、
今のぼくの10年が、
5歳の子どもの1年に相当するというわけ。

道理で子どもの成長は早いもんだ。

これはつまり、
心の中に時間の物差しができるということなんだろうけど、
であるならば、
どうにかしてその物差しを「初期化」できないかしらん?

そうすれば、
また子どものころのように、
長い長い1年を有意義に過ごせるのに、
なんて調子よく考える。

でもきっと、
もしそれが可能になって、
子どものころのような、
「常時全開モード」で運転したら、
きっとこの体すぐ壊れちゃいそう(笑)。

子どものころの生き方って、
しらみつぶし的というか、
手当たりしだいというか、
無駄も多いけど労力を厭わない。

大人になると「経験」ってやつで、
何か事にあたる前に、
選択肢をあらかじめ取捨選択する。

それが「成長」ってやつだろうが、
成長によって有益なものまで捨ててしまっている、
なんてこともあるかもかもしれない。

いやむしろ、
大人になって無意識に捨ててしまっている物事の方にこそ、
本当に大切なものがあるかもしれないなんて、
考える秋の夜長(夜明け?)



2011年10月7日金曜日

絶後
















ジョブズが死んだ。

稀代のカリスマ経営者。

アップルの最終便に、
ようやく間に合ったようなぼくが言うのも何だけど、
「時代が終わった」と感じる。

ずっと無謀で

彼の生きざまは、
その座右の銘通り、
挑戦の繰り返しだった。

最大の「敵」はウィンドウズだったと思う。

世界のパソコンの共通言語に、
徒手空拳、
独自の言語でけんかを挑み続けた。

巨ゾウにアリが襲いかかるようなものだった。


結局ゾウは倒せなかったけど、
ipodにiphoneにipadと、
革新的な製品を生み出し続け、
新たなライフスタイルを世界に広めた。

何より、
その妥協なき品質に驚かされる。

特別な部品を発明したわけではないのに、
アップルが生んだ製品は、
使うことが快感だった。

何かが出来ればいいというレベルではなく、
気持ちよくできなければ意味がないという、
そういう思想に裏打ちされた製品群は、
他の追随を許さなかった。

それは本当に魔法のようで、
ジョブズは魔法使いだった。

彼の死の、
ぼくの中での感触は、
ジョン・レノンが死んだ時のそれに近い。

ワンアンドオンリー。

空前絶後。

アップルという会社こそが、
彼の生み出した最後の「製品」だとしても、
魔法使いを失ったアップルが、
これからもずっと、
これまでと同じように魅力的な製品を生み出せるとは、
残念ながらとても思えない。

レノンの魂は受け継がれたけど、
レノンの新曲が聞けないのと同じ意味で、
ジョブズによる新製品はもう出ない。

世界は一人の天才を、
永遠に失った。

http://www.youtube.com/watch?v=c2pPvaI0uoI

●三ノ宮・グレート・ブルーのセッションへ。2日続けて同じ店に行くなんて、なんて珍しい●金曜日といえば、、、元町ですね!


2011年10月6日木曜日

女王

たなかりかさんのライブを聞きに、
三宮グレートブルーへ。

さっき調べてみたら、
ぼくは彼女のファンなのに、
ライブは2年以上行ってなかった!

その間、
彼女のは2枚目のメジャーアルバムを出し、
大阪のビルボードでのライブも成功させた。

果たして、
その進化は予想以上だった。

まず、
ステージでのたたずまい。
それだけで絵になる花がある。

看板の歌唱力に磨きがかかったのはいうまでもなく、
ステージングっていうのか、
マイクの使い方、
身ぶり、
あらゆる意味で無駄がそぎ落とされている。

言い方を変えれば、
すべての動きに意味がある。

そう、
改めて強調するけど、
プロの行動には、
すべて理由がある。

些細な何気ない、
素人が見逃しそうな、
ちょっとした仕草にまで、
実はわけがあり、
それは美点を強調するものであり、
あるいは欠点を隠すものである。

その意味の連なりを、
さりげなく自然に、
つまり洗練させて行えるのが、
プロなのだと納得。

それにしても、
彼女の人気はすごい。
今日も50席ほどの店が満杯。

客層はスーツ姿のサラリーマンが多かったかな。

おじさんのハートを鷲掴み。

関西ジャズの女王と呼ぶにふさわしい。

2011年10月5日水曜日

患者

しばらく前に録画しておいたんだけど、
とっても重そうで見てなかった、
Nスペ「百万回の永訣」。

再発ガンに向き合うノンフィクション作家柳原和子さんの、
3年半にわたる記録だ。

やすらかに死にたい。


あわよくば生きたい。

この番組を象徴する言葉だ。

何度も折れそうになる心を隠さず、
それでも頑張って、
自分の病状と向き合い、
医師と意見をたたかわせ、
納得できる治療だけを受ける。

もう、
ただただ感服。

セカンドオピニオンはおろか、
一度ついた主治医に最期まで「言いなり」だった、
亡き親父とは大違いだ。

柳原さんがとにかくすごいと思うのは、
医師と患者は上下関係ではなく、
同じ病と戦う同志だとみていた点だ。

共に戦い、
共に泣き、
共に喜ぶ。

今ではどうなのかしらないが、
親父を見てきた印象では、
これはなかなかできることではない。

患者にとって医師は、
生殺与奪の全権を預けた「神」のごとき存在。

それが親父の患者道だった。

一方彼女は、
そうした治療のさなかも、
取材し、
執筆し、
珠玉のドキュメントの対象として生きた。

手を尽くして得た「生」を、
精いっぱい彼女なりに有意義に使いきった。

その過程で見えてきたのは、
医師もまた人間であるという、
ごく当たり前のことだ。

臓器が違えば、
同じガンでも、
専門外の医師にはたちどころに分からなくなる。

外科手術、
放射線治療、
薬物治療、、、

これもまた専門の壁があって、
同じ「医師」と名乗っていても素人同然。

患者の視点から医療の問題点を、
くっきりあぶりだした。

医師が己の限界を素直に認め、
権威ばらず、
患者の声に耳を傾ける。

それが、
あるべき医療だと訴える。

もっともぼくは、
親父の患者道が間違っていたとは言わない。

どういう患者であるか、
それを決める権利は患者にある。
親父のもひとつの患者道。
柳原さんのもひとつの患者道。

ぼくならどうだろう。

きっと医師にぺこぺこ頭下げて、
検査結果に一喜一憂して、
わけのわからない民間療法にすがり、
果ては寺や教会や神社や、
考え付くすべてのものに祈り、
何の根拠もない奇跡を信じ、
力尽きてしまうのだろう。

親父に近いというか、
それ以下だ。

柳原さんのことを、
ジャーナリストの特権みたいに言う意見もあるようだが、
とんでもない間違いだと思う。

この番組を、
生前の親父に見せたかったな。

●2008年3月永眠。合掌。

2011年10月4日火曜日

年頃

仮設住宅に住むおじいさんが、
「不安です」と訴えていた。

テレビニュースのひとこま。

見たところ80歳は超えていそうだ。

持病もあるのかもしれない。

あるいはインタビュアーに、
「将来が不安でしょう」と、
誘導された可能性もある。

それにしても、
あの年齢になっても、
不安なんだなぁって思った。

すると別のニュースでは、
60歳は超えていそうな男性が、
がれきを片付けながら、
「苦しいのも人生のひとコマ」だと答えていた。

強がりだったかもしれない。

本当は不安ではりさけそうな心を、
そう言うことで励ましていたのかもしれない。

前者のおじいさんは身寄りがなく、
後者のおじいさんには、
子どもや孫がいっぱいいるのかもしれない。

いろいろなことが考えられるから、
どちらがいい悪いということはないのだけれど、
できればぼくは、
後者のおじいさんのように年をとりたいなと。

そんなことを考える年頃、、、

2011年10月3日月曜日

心理

今日のNスペ「巨大津波・水没した町」は秀逸だった。

先日見てきた宮城県名取市閖上地区。

700人もの犠牲者を出したこの海岸沿いの町で、
地震から津波が来るまでの1時間10分の間に、
人々がどう行動したかを、
時間を追って克明に検証していた。

地震発生から10分間、
人々の動きは緩慢だったという。

とんでもない揺れ。
建物は大きく壊れ、
液状化現象もすでに発生していた。
にもかかわらず町は静かだったという。

ある被災者は、
家の壁がステレオの折れた脚を直そうとしていた。

ひどい被害が出ているにもかかわらず、
多くの人が避難しようとしなかった、
こういう現象は、
「正常性バイアス」と呼ぶらしい。

危険な状況ではないと思い込む。

危険が迫っても避難したがらない。

それが人間だ。

一方で、
こうした異常事態に、
一人暮らしの高齢者を避難させようとした人も多くいた。

異常事態が起きた時、
自分の命を顧みず他人を救おうとする、
「愛他行動」が急激に増えるのだという。

今助けないとこの人は死んでしまう。
そう思った時、
自分の命はあまり考えず、
助けるという行動に集中する。

それも人間だ。

中には津波にいち早く気づき、
必死に危ないと呼びかけた人もいたが、
人々の動きは緩慢だった。

ここでまた、
もう一つの心理が生まれていた。

「同調バイアス」

とりあえず周囲と同じように動けば安心と勘違いする。
災害時に顕著になる心の動きだという。

そして津波が襲来する。

双子の娘と避難した主婦の話が生々しかった。

「ママ、お空汚いけどあれ何」

娘の言葉に振り返ると、
それが津波だった。

また娘が言う。

「ママ、今度は下からお家とか流れてきているよ」

主婦はふたりの娘の襟首をつかんで間一髪、
避難所の閖上中学校に飛び込む。

しかし階段は混雑していて、
仕方なく一階の廊下を突っ切り、
奥の扉をあけると、
両側から水が来ていた。

子供の手を握って母は「ごめんね」と言った。

ここまで逃げてきたけれど、
守れなかった。

そう思ったという。

3人はそれでも、
一階の音楽室に逃げ込み、
階段教室の上段でなんとか助かった。

正常性バイアス

愛他行動

同調バイアス

大災害時に人が陥りやすい罠。

助かった人は、
この罠にかからなかったか、
他人よりいち早く現実を知り、
罠から逃れた人たちだろう。

700人の犠牲者が遺してくれた、
貴重な教訓だ。

大切にしたい。







2011年10月2日日曜日

行動

泊まり明けで、
例によってフラフラだったのだが、
足が扇町公園に向かった。

WE ARE ONE

大震災のチャリティーライブが開かれていた。

とってもいい天気。
最高の音楽。

最前列のベンチに陣取り、
3時間近く、
3つのバンドの演奏を聞いた。

めっちゃ得した気分。

しかし、

聴衆はまばら、
せっかくの出店も、
気の毒なほど暇そうだった。

ぼくはそれから天満駅に向かい、
そこから住吉へ。

久しぶりのチョコパも食べて、
目一杯疲れて帰宅。

早く寝ればいいものを、
チャンネルが増えたBSを見ていたら、
結局いつもの時間になってしまった。

でも、
岩井俊二の震災後のドキュメントが見れたのは収穫。

このあいだ行った、
まさにそこを映していた。

ヤッパリ行っとくもんだ。

伝わってくるものが違う。

脱原発のムーブメントはどうなるのだろう。

ぼくは他人の給料が高いとか安いとか口に出すことほど、
下品なことはないとおもっているけど、
東電社員の給料を公務員並みに、
という意見には全面的に賛成。

新規原発反対。

老朽原発は暫時廃炉に。

この主張は揺るがない。

もしそれができないようなら、
この国はおしまいだと思う。

そして、
福島の子を救いたい。

でも手段が見つからない。

日本人による日本人のジェノサイド、
現在進行形である。

行動すべき時なのか。

マジに悩む。

どうすればいいのか。

誰か教えてくれ〜

このままでは、
途方もない子供が死んでしまう。

2011年10月1日土曜日

人選

新聞を読んでいたら、
映画の広告に目がとまった。

「猿の惑星 創世記」

ぼくは驚いた。

みなさんはいかがだろうか。

たったひとり、
澤穂稀の推薦文。

「猿の惑星」の裏にこんな深いドラマがあるなんて・・・。
一匹のチンパンジーがリーダーとして決意するまでの
心の葛藤にとても共感し、
気づいたら泣いていました。

何で澤なの?

コピーの文言。

すべては一匹の猿の
驚異的な進化から始まった!

確かに、
澤という一人のサッカー選手の、
驚異的な進化がなければ、
なでしこの世界一はなかっただろう。

リーダーの苦労に、
澤が涙したのもうなずける。

だから、
澤という人選は、
決して間違いじゃない。

そうなんだけど、
ぼくのようなひねくれ者には、
澤が猿に似ているという、
人々の潜在意識をかきたてようという、
悪意に満ちた計算があるように思えてならない。

実際こうして取り上げるのは、
まんまと計略にはまっているのだろう。

澤選手にもとっても失礼かもしれない。

せめて映画を観ておわびにしたい、
って、
余計に計略にはまりすぎの感。。。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...