大事故の発生時に、
大丈夫だと思いたくなる、
「正常性バイアス」について先日書いた。
ぼくにあてはめると、
福島原発事故が起きた時、
ぼくはまさにバイアスの虜になっていた。
そんなぼくの目を覚ましてくれたのが、
原子炉建屋の爆発だった。
気を失っている人のほっぺたを引っぱたく掌のように、
あの映像はぼくを我に帰らせてくれた。
政府や東電やNHKの言うことが、
怪しいぞと思うようになったのも、
あの爆発がきっかけだったように思う。
なのにNHKは、
あの原子炉建屋爆発の映像を、
リアルタイムでは流さなかった。
だから、
というわけではないけど、
この国の多くの人は、
原発事故に関してはいまだに、
正常性バイアスの中にいるように思う。
チェルノブイリを遥かに超える大事故だと、
頭ではわかっていても、
無根拠に「でも私は大丈夫」だと思う。
客観的に見れば、
実に異常な光景だけど、
それが正常性バイアスの怖さだ。
同じ情報を受け取っても、
受け取り側の心の状態では、
それは○にも●にもなる。
事故後半年を経過して、
政府や東電は少しずつ、
当時のデータを公開し始めているが、
やり方が実に姑息だ。
情報の海に小出しにされるそれらのデータは、
あっという間に薄められ、
もはや正常性バイアスを壊すほどのインパクトはない。
原発で何が起きたのか。
まき散らされた放射性物質の種類や総量は。
そして何より、
現在原発で何が起きているのか。
海に汚染水を垂れ流して知らんぷりしているように、
HPの奥の奥の、
探し出すのが難しい隅っこに、
素人では一目でわからないようなデータを羅列して、
「公開」したことにしておいて、
一方では何の根拠もなく、
原発を再稼働しようとやっきになり、
冬の電力需要は夏よりヤバいと騒ぎ立てる。
福島産の農産物を忌避する人は、
あたかも非国民のように扱われ、
放射能汚染されている食品も、
みんなで食べれば怖くないといわんばかりの、
この前の戦争時と同じような状態が起きている。
最初から国が知っている限りの情報を、
正しく迅速に公開していれば、
ぼくもこれほどひねくれた人間にはならなかっただろう。
この前の戦争の時、
どうして国民があんな無謀な戦争を容認したのか。
勝てると信じたのか。
そしてまた、
反省もなく、
同じ罠に落ちるのか。
それが日本人なのか。