2011年10月16日日曜日

姑息

大事故の発生時に、
大丈夫だと思いたくなる、
「正常性バイアス」について先日書いた。

ぼくにあてはめると、
福島原発事故が起きた時、
ぼくはまさにバイアスの虜になっていた。

そんなぼくの目を覚ましてくれたのが、
原子炉建屋の爆発だった。

気を失っている人のほっぺたを引っぱたく掌のように、
あの映像はぼくを我に帰らせてくれた。

政府や東電やNHKの言うことが、
怪しいぞと思うようになったのも、
あの爆発がきっかけだったように思う。

なのにNHKは、
あの原子炉建屋爆発の映像を、
リアルタイムでは流さなかった。

だから、
というわけではないけど、
この国の多くの人は、
原発事故に関してはいまだに、
正常性バイアスの中にいるように思う。

チェルノブイリを遥かに超える大事故だと、
頭ではわかっていても、
無根拠に「でも私は大丈夫」だと思う。

客観的に見れば、
実に異常な光景だけど、
それが正常性バイアスの怖さだ。

同じ情報を受け取っても、
受け取り側の心の状態では、
それは○にも●にもなる。

事故後半年を経過して、
政府や東電は少しずつ、
当時のデータを公開し始めているが、
やり方が実に姑息だ。

情報の海に小出しにされるそれらのデータは、
あっという間に薄められ、
もはや正常性バイアスを壊すほどのインパクトはない。

原発で何が起きたのか。

まき散らされた放射性物質の種類や総量は。

そして何より、
現在原発で何が起きているのか。

海に汚染水を垂れ流して知らんぷりしているように、
HPの奥の奥の、
探し出すのが難しい隅っこに、
素人では一目でわからないようなデータを羅列して、
「公開」したことにしておいて、
一方では何の根拠もなく、
原発を再稼働しようとやっきになり、
冬の電力需要は夏よりヤバいと騒ぎ立てる。

福島産の農産物を忌避する人は、
あたかも非国民のように扱われ、
放射能汚染されている食品も、
みんなで食べれば怖くないといわんばかりの、
この前の戦争時と同じような状態が起きている。

最初から国が知っている限りの情報を、
正しく迅速に公開していれば、
ぼくもこれほどひねくれた人間にはならなかっただろう。

この前の戦争の時、
どうして国民があんな無謀な戦争を容認したのか。
勝てると信じたのか。

そしてまた、
反省もなく、
同じ罠に落ちるのか。

それが日本人なのか。



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