ある朝起きて、
庭で全裸の男が死んでいたら、
それは大変迷惑な話だが、
その男が時代のスターだったら、
もっと大変だろう。
1992年4月25日、
東京都足立区の民家で、
現実に起きた話だ。
尾崎豊、
享年26歳。
その民家の一室はやがてファンに開放され、
「尾崎ハウス」として聖地になった。
だがその「尾崎ハウス」が先頃取り壊されたそうだ。
家が老朽化したからだというが、
ここのところ、
訪れるファンがめっきり減ったのも、
理由だという。
彼の歌や生き様が、
イマドキの若者にはサッパリ受けないのだと、
最近知った。
尾崎はぼくと同年代だから、
ぼくは彼の歌が好きだったし、
不良ではなかったけど、
盗んだバイクで夜の街を走り回ったり、
校舎の窓ガラスを割ったりする、
その心情は理解できた。
そして、
そのような若者特有の心象風景は、
古今問わず共通するのだとも思っていた。
だけどイマドキの子には、
通用しないらしい。
時代は移ろっていくのだと、
気づかされた次第。
ぼくは大学紛争の時代のことは知らないけど、
時代の熱さみたいなものは想像できる。
そういう意味で、
60年代から80年代までの30年間ぐらいの時期を、
成人してから経験している年代と、
バブル崩壊後の年代とでは、
何か決定的な違いがあるように思う。
なんだかんだ言って、
60〜80年代の人って、
右肩上がり志向というのがどこか染み付いていて、
頭ではわかっていても、
東京オリンピックを開けば、
また日本は活気づくとか夢に見、
ノーベル賞や金メダルを日本人がとれば、
世界の相場以上に大騒ぎしてしまう。
そんな60〜80年代気質の、
象徴のひとつが「尾崎ハウス」だったのではあるまいか。
だから、
この国が右肩上がり志向ではない方向に、
本当に舵を切ることができるのは、
ぼくらの世代では駄目で、
きっと、
「バブルを知らない」90年代生まれ以降の人が、
社会で実権を握る、
2030年前後ぐらいからが本当の勝負ではなかろうか。
あと20年ほどあるわけだが、
その頃には随分と日本も世界も、
想像もつかないほど様変わりしていることだろう。
案外、
尾崎豊が再評価されていたりなんかして。
これも夢想か。