2011年10月29日土曜日

夢想

ある朝起きて、
庭で全裸の男が死んでいたら、
それは大変迷惑な話だが、
その男が時代のスターだったら、
もっと大変だろう。

1992年4月25日、
東京都足立区の民家で、
現実に起きた話だ。

尾崎豊、
享年26歳。

その民家の一室はやがてファンに開放され、
「尾崎ハウス」として聖地になった。

だがその「尾崎ハウス」が先頃取り壊されたそうだ。

家が老朽化したからだというが、
ここのところ、
訪れるファンがめっきり減ったのも、
理由だという。

彼の歌や生き様が、
イマドキの若者にはサッパリ受けないのだと、
最近知った。

尾崎はぼくと同年代だから、
ぼくは彼の歌が好きだったし、
不良ではなかったけど、
盗んだバイクで夜の街を走り回ったり、
校舎の窓ガラスを割ったりする、
その心情は理解できた。

そして、
そのような若者特有の心象風景は、
古今問わず共通するのだとも思っていた。

だけどイマドキの子には、
通用しないらしい。

時代は移ろっていくのだと、
気づかされた次第。

ぼくは大学紛争の時代のことは知らないけど、
時代の熱さみたいなものは想像できる。

そういう意味で、
60年代から80年代までの30年間ぐらいの時期を、
成人してから経験している年代と、
バブル崩壊後の年代とでは、
何か決定的な違いがあるように思う。

なんだかんだ言って、
60〜80年代の人って、
右肩上がり志向というのがどこか染み付いていて、
頭ではわかっていても、
東京オリンピックを開けば、
また日本は活気づくとか夢に見、
ノーベル賞や金メダルを日本人がとれば、
世界の相場以上に大騒ぎしてしまう。

そんな60〜80年代気質の、
象徴のひとつが「尾崎ハウス」だったのではあるまいか。

だから、
この国が右肩上がり志向ではない方向に、
本当に舵を切ることができるのは、
ぼくらの世代では駄目で、
きっと、
「バブルを知らない」90年代生まれ以降の人が、
社会で実権を握る、
2030年前後ぐらいからが本当の勝負ではなかろうか。

あと20年ほどあるわけだが、
その頃には随分と日本も世界も、
想像もつかないほど様変わりしていることだろう。

案外、
尾崎豊が再評価されていたりなんかして。

これも夢想か。







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