2011年10月23日日曜日

管理

人は社会的生活をする以上、
人によって管理される。

学校でも会社でも、
国でも世界でも同じ。

大小さまざまある社会には、
だから管理職という人種がいる。

校則や就業規則や法律や、
ルール通りに人が動いているかどうか、
管理するのが職業の人たちだ。

管理職がそのことだけ、
つまり人々がルール通り動くよう、
努力していれば問題はとりあえず少ないのだけれど、
やっかいなことに、
管理職は新たなルールを作ろうとする。

それは、
ただ人を管理しているだけでは、
その管理職がさらに上の管理職から評価されないから。

管理職は上の管理職に評価されたくて、
つまりもっと上の管理職に昇進したいから、
本当はいらないルールを、
なんやかんや理由をつけて作り出し、
守るよう人に強制する。

こうして、
どんな社会でも、
長年続いていれば、
自然とルールが増えていく。

社会を構成する人は、
入れ替わるけど、
ルールは残り、
人はルールにがんじがらめになっていく。

ぼくの認識は、
簡単にいえばそういうこと。

もちろん、
ルールだって無くなるものもある。

だから厳密には作られたルールが、
単純に累積していくわけではないけど、
基本的にはそういうことだ。

ルールはワインの瓶の中の澱のように、
社会の底にたまり、
瓶をブチ壊さない限り、
きれいになることはあり得ない。

ルールといっても、
校則や法律みたいなものばかりではない。

たとえば、
言葉だってルールだ。

人は言葉を覚えると、
その言葉によってしか考えられなくなる。

ぼくたちを縛るルールは、
実に幅広く存在している。

自分が何に縛られているのか、
たまには考えてみるのも悪くない。


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