人は社会的生活をする以上、
人によって管理される。
学校でも会社でも、
国でも世界でも同じ。
大小さまざまある社会には、
だから管理職という人種がいる。
校則や就業規則や法律や、
ルール通りに人が動いているかどうか、
管理するのが職業の人たちだ。
管理職がそのことだけ、
つまり人々がルール通り動くよう、
努力していれば問題はとりあえず少ないのだけれど、
やっかいなことに、
管理職は新たなルールを作ろうとする。
それは、
ただ人を管理しているだけでは、
その管理職がさらに上の管理職から評価されないから。
管理職は上の管理職に評価されたくて、
つまりもっと上の管理職に昇進したいから、
本当はいらないルールを、
なんやかんや理由をつけて作り出し、
守るよう人に強制する。
こうして、
どんな社会でも、
長年続いていれば、
自然とルールが増えていく。
社会を構成する人は、
入れ替わるけど、
ルールは残り、
人はルールにがんじがらめになっていく。
ぼくの認識は、
簡単にいえばそういうこと。
もちろん、
ルールだって無くなるものもある。
だから厳密には作られたルールが、
単純に累積していくわけではないけど、
基本的にはそういうことだ。
ルールはワインの瓶の中の澱のように、
社会の底にたまり、
瓶をブチ壊さない限り、
きれいになることはあり得ない。
ルールといっても、
校則や法律みたいなものばかりではない。
たとえば、
言葉だってルールだ。
人は言葉を覚えると、
その言葉によってしか考えられなくなる。
ぼくたちを縛るルールは、
実に幅広く存在している。
自分が何に縛られているのか、
たまには考えてみるのも悪くない。