ぼくが生まれ育った時代、
つまり子どものころは、
日本はいわゆる「巨人、大鵬、卵焼き」の時代だった。
幼いころ、
ぼくは日本の総理大臣はずっと佐藤栄作だと思っていたし、
プロ野球は巨人が日本一になるのが当たり前だと信じていた。
敗戦の傷は癒えつつあり、
経済は右肩上がり。
冷戦やベトナム戦争はあったけど、
資本主義や民主主義は、
少なくともぼくのまわりでは空気のように当たり前だった。
大学生のころがバブル景気の真っ盛りで、
ちょうど就職のころがピークだった。
社会人になって数年したころ、
バブルははじけ、
その後の「失われた20年」とやらの時代が訪れる。
それでも資本主義や民主主義は、
相変わらず空気のような自明の、
つまり「あって当たり前」のものであったことには、
変わりがなかった。
「なかった」と今書いたけど、
今日一番言いたいのは、
「なかった」のではなく「気がしていた」だけだということだ。
この20年、
日本という島国だけを見てみても、
阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、
とどめの東日本大震災と福島原発事故があった。
外国に目を転じても、
天安門事件やらソ連崩壊、
そして9.11があった。
ぼくの半生をそのまた前半と後半に分けると、
後半には本当にすさまじく色んなことがあった。
そしてもはや、
資本主義や民主主義さえ、
当たり前ではないのではないかと、
真剣に考えるようになった。
人間社会を動かす二つの巨大なシステムが、
現代人にもたらしたものは一体何だろう。
その一つの答えが、
福島原発事故だととらえるならば、
ここはひとつ、
じっくり考えなおしてみて、
後半生に向かうのも「あり」なんじゃないか。
いや、
ぼくがそう考えようが考えまいが、
世界は変わる時、
変わらねばならない時を迎えている。