2011年10月18日火曜日

変革

ぼくが生まれ育った時代、
つまり子どものころは、
日本はいわゆる「巨人、大鵬、卵焼き」の時代だった。

幼いころ、
ぼくは日本の総理大臣はずっと佐藤栄作だと思っていたし、
プロ野球は巨人が日本一になるのが当たり前だと信じていた。

敗戦の傷は癒えつつあり、
経済は右肩上がり。
冷戦やベトナム戦争はあったけど、
資本主義や民主主義は、
少なくともぼくのまわりでは空気のように当たり前だった。

大学生のころがバブル景気の真っ盛りで、
ちょうど就職のころがピークだった。

社会人になって数年したころ、
バブルははじけ、
その後の「失われた20年」とやらの時代が訪れる。

それでも資本主義や民主主義は、
相変わらず空気のような自明の、
つまり「あって当たり前」のものであったことには、
変わりがなかった。

「なかった」と今書いたけど、
今日一番言いたいのは、
「なかった」のではなく「気がしていた」だけだということだ。

この20年、
日本という島国だけを見てみても、
阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、
とどめの東日本大震災と福島原発事故があった。

外国に目を転じても、
天安門事件やらソ連崩壊、
そして9.11があった。

ぼくの半生をそのまた前半と後半に分けると、
後半には本当にすさまじく色んなことがあった。

そしてもはや、
資本主義や民主主義さえ、
当たり前ではないのではないかと、
真剣に考えるようになった。

人間社会を動かす二つの巨大なシステムが、
現代人にもたらしたものは一体何だろう。

その一つの答えが、
福島原発事故だととらえるならば、
ここはひとつ、
じっくり考えなおしてみて、
後半生に向かうのも「あり」なんじゃないか。

いや、
ぼくがそう考えようが考えまいが、
世界は変わる時、
変わらねばならない時を迎えている。



遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...