2011年10月19日水曜日

輪廻

なんだか昨日は、
勢いにまかせてずいぶん、
過激なことを書いたような気がして、
読み返してみたら案外まともだった。

表現力はともかく、
言わんとしたことは言えている。

若い人には特に今の日本で起きていることは、
決して忘れないでいて欲しい。

将来、
この国がどうなろうとも、
必ず3.11がその分岐点だったと、
振り返るはずだ。

正義感が強い子どもなら、
きっとすでに気づいていると思うけど、
大人のやる事は無茶苦茶だ。

たとえば、
こんなに地震が多くて、
世界唯一の被爆国である日本に、
なんで原発なんか作るの?

こんな素朴で当たり前の疑問にも、
大人は納得のいく答えはくれないだろう。

だからこれから書くことだって、
君は信じてはくれまい。

しかしあえていえば、
ぼくらは原子力の平和利用は可能だと信じていた。

日本の技術力は高く、
チェルノブイリのような無様で悲劇的な事故は、
絶対に起きないと信じていた。

何度も「信じる」と書いたけど、
それは今思えば、
そういう空気を吸って生きていただけかもしれない。

ちょうど、
この前の戦争の時に、
ぼくの祖父母の世代が、
日本はアメリカに勝てると信じていた、
という感覚に近いんだろう。

今思えば笑っちゃうような話だけど、
竹やりで戦争に勝てると、
本気で思っていたのだ!

きっと日本人の中には、
絶対に負けると理解していた人もいただろう。

でもそういう声は小さく、
また仮にそう声をあげても、
「非国民」とののしられるのがオチだった。

それは昔話だけど、
今でも充分通用する。
試しに学校給食で、
福島産の野菜を使うのは反対だと言ったら、
どうなるか?

福島を差別するな!

きっとそう言われるだろう。

しかし、
放射能汚染されているかもしれない野菜を、
我慢して食べることは、
果たして福島の人たちへの思いやりだろうか?

国が大丈夫だと言っている?

それじゃ竹やりの人たちと、
ちっとも変わらないんだよ。

やっぱり大人のいう事は信じられないか。

君が大人になった時、
どうか思い出して欲しい。

3.11は日本の分岐点だったと。

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