なんだか昨日は、
勢いにまかせてずいぶん、
過激なことを書いたような気がして、
読み返してみたら案外まともだった。
表現力はともかく、
言わんとしたことは言えている。
若い人には特に今の日本で起きていることは、
決して忘れないでいて欲しい。
将来、
この国がどうなろうとも、
必ず3.11がその分岐点だったと、
振り返るはずだ。
正義感が強い子どもなら、
きっとすでに気づいていると思うけど、
大人のやる事は無茶苦茶だ。
たとえば、
こんなに地震が多くて、
世界唯一の被爆国である日本に、
なんで原発なんか作るの?
こんな素朴で当たり前の疑問にも、
大人は納得のいく答えはくれないだろう。
だからこれから書くことだって、
君は信じてはくれまい。
しかしあえていえば、
ぼくらは原子力の平和利用は可能だと信じていた。
日本の技術力は高く、
チェルノブイリのような無様で悲劇的な事故は、
絶対に起きないと信じていた。
何度も「信じる」と書いたけど、
それは今思えば、
そういう空気を吸って生きていただけかもしれない。
ちょうど、
この前の戦争の時に、
ぼくの祖父母の世代が、
日本はアメリカに勝てると信じていた、
という感覚に近いんだろう。
今思えば笑っちゃうような話だけど、
竹やりで戦争に勝てると、
本気で思っていたのだ!
きっと日本人の中には、
絶対に負けると理解していた人もいただろう。
でもそういう声は小さく、
また仮にそう声をあげても、
「非国民」とののしられるのがオチだった。
それは昔話だけど、
今でも充分通用する。
試しに学校給食で、
福島産の野菜を使うのは反対だと言ったら、
どうなるか?
福島を差別するな!
きっとそう言われるだろう。
しかし、
放射能汚染されているかもしれない野菜を、
我慢して食べることは、
果たして福島の人たちへの思いやりだろうか?
国が大丈夫だと言っている?
それじゃ竹やりの人たちと、
ちっとも変わらないんだよ。
やっぱり大人のいう事は信じられないか。
君が大人になった時、
どうか思い出して欲しい。
3.11は日本の分岐点だったと。
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