2011年10月28日金曜日

手順

先日のNHK「プロフェッショナル」は、
料理家の栗原はるみ。

なんだかプロフェッショナルという言葉と、
ちょっと違うんじゃないの、
ネタに詰まったか?

なんて思いながら見たのだが、
結論から言うと、
彼女はまさしくプロフェッショナルだった。

というのも、
ぼくが考えるプロフェッショナルの条件はただ一つ。

「期待に応え続ける人」だ。

4000種類ものレシピを考え、
2200万部もの料理本を売った彼女は、
そういう意味で紛れもなくプロだ。

しかしこの番組で気づかされたのは、
普段何気に見ている料理のレシピの難しいこと。

彼女が自分に課しているハードルは、
「初めて料理する人でも美味しくできる」ということだそうだが、
このハードルはとてつもなく高い。

大さじ小さじの量の問題はもとより、
火加減にしても「強火」ったて様々だろう。

読者の家庭にあるコンロの種類は様々だし、
強火はとりあえずそのコンロの最大限の火力だとしても、
「中火」ってなったら千差万別ではないか?

米にしたって、
銘柄も違えば炊飯器も違うし、
炊きたてか冷えているかでも全く異なるだろう。

現に、
番組で紹介していたタルトタタンっていうデザートにしても、
使うリンゴは紅玉じゃないと駄目だったし。

思えば料理のレシピっていうのは、
たとえば自転車の乗り方を文章にするような、
要するに本質的に不可能な作業だと思う。

99パーセントまでは文章化できても、
残りの1パーセントは無理で、
しかもその1パーセントにこそ、
物事の本質があるはずだ。

そう考えた時、
彼女のレシピがかくも大きな支持を得ている理由が見えてくる。

きっと彼女のレシピは、
自転車にたとえるなら補助輪のようなものなのだろう。

書いてある通りに作ったら、
とりあえず美味しいものが出来て、
「料理って楽しい」っていう気分になれるに違いない。

つまり、
補助輪付きとはいえ、
文章で自転車に乗せてしまうのだから、
やっぱりプロフェッショナルなのだよと、
納得した次第。

今度彼女の本を買って、
母に押し付けよう。

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