2011年10月17日月曜日

質量

毎日寝る時に聞いている、
小林秀雄の講演に、
こんな一節がある。

諸君は文章なんて考えがあれば書けると思っているだろう。
んなのはバットを持てばホームランが打てると思うのと同じだ。

実にわかりやすいたとえじゃないか。

ホームランというのは、
毎日、
何百回という素振りを欠かさず、
いろんな投手と対戦して、
その上でやっと、
それでもたまに打てる程度の、
質の高いバッティング技術だ。

自分なりの考えを持つということは、
もちろん大切なことだけど、
それは単にバットを持っているに過ぎないという。

いい文章を書くためには、
何回も何回も書いて書いて書いて、
書きまくるしことでしか得られない技が必要なのだ。

これは文章に限らない。

いい歌手になりたければ、
歌いまくらなければならないし、
いい医者になりたければ、
診察しまくらなければならない。

同じような意味だけど、
「量は質に転化する」という言葉も好きだ。

何事も、
一定量を超えないと絶対に得られない、
ある種の技術の質みたいなものがあると思う。

たぶん、
これは天才にも当てはまるのではないか。

たとえ神童であったとしても、
やっぱりある程度のまとまった量をこなさないと、
本当に質の高い作品や仕事はできないと思う。

それはつまり、
ある年齢にならねばわからぬ心境というものにも通じるだろう。

30歳には50歳の心境は絶対にわからない。

などと勢いで偉そうに書いてしまいましたが、
ぼくだって、
そう思いながら毎日素振りしている一人です。

頑張りましょう。

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