小林秀雄の講演に、
こんな一節がある。
諸君は文章なんて考えがあれば書けると思っているだろう。
んなのはバットを持てばホームランが打てると思うのと同じだ。
実にわかりやすいたとえじゃないか。
ホームランというのは、
毎日、
何百回という素振りを欠かさず、
いろんな投手と対戦して、
その上でやっと、
それでもたまに打てる程度の、
質の高いバッティング技術だ。
自分なりの考えを持つということは、
もちろん大切なことだけど、
それは単にバットを持っているに過ぎないという。
いい文章を書くためには、
何回も何回も書いて書いて書いて、
書きまくるしことでしか得られない技が必要なのだ。
これは文章に限らない。
いい歌手になりたければ、
歌いまくらなければならないし、
いい医者になりたければ、
診察しまくらなければならない。
同じような意味だけど、
「量は質に転化する」という言葉も好きだ。
何事も、
一定量を超えないと絶対に得られない、
ある種の技術の質みたいなものがあると思う。
たぶん、
これは天才にも当てはまるのではないか。
たとえ神童であったとしても、
やっぱりある程度のまとまった量をこなさないと、
本当に質の高い作品や仕事はできないと思う。
それはつまり、
ある年齢にならねばわからぬ心境というものにも通じるだろう。
30歳には50歳の心境は絶対にわからない。
などと勢いで偉そうに書いてしまいましたが、
ぼくだって、
そう思いながら毎日素振りしている一人です。
頑張りましょう。