2011年10月20日木曜日

土俵

電子版Forsightを読んでいたら、
依田加代子という科学ジャーナリストが、
日本の安全管理は欧米より30年遅れていると指摘している。

だから福島原発のような事故が起きたのだ、
と言いたいわけだが、
こういう主張は正しいとしても危険だ。

なぜならば、
こういう議論の土俵に乗ることはつまり、
「安全管理を欧米並みにすれば原発はOK」という、
原発推進の立場を知らず知らず表明していることになるからだ。

欧米の安全管理がそんなに優秀なら、
なぜ金融危機が世界を揺るがしているのか。

日本はご指摘のように遅れているかもしれない。

でも欧米だって、
そんなに優れているわけでもない。

そこを忘れないことが肝心だ。

だれもが生きている限り、
死のリスクを負っている。

毎日、
自転車に乗って駅まで行き、
電車で大阪まで出て、
会社まで地下街を歩いて出勤する。

そのデイリーワークの中にだって、
考えてみれば至る所に「死」のリスクは潜んでいる。

車にはねられるかもしれないし、
電車が脱線するかもしれない。
頭上からビルの看板が落ちてこないとも限らない。
気のふれた男が包丁で刺してくるかもしれない。

でも、
そんなこといちいち考えていたら、
一歩も外出できないし、
また家の中にいたって大地震がくれば、
命の保証はない。

話がそれたけど、
言いたいのは、
人が生きている限り様々な「死」のリスクを背負わないといけないわけだが、
原発事故のリスクは、
あえて背負う必要がないということである。

福島原発事故でそのことに気づけば、
これまでの日本の安全管理がひどいとかいう議論は、
もはや意味がないということがわかるだろう。

事故確率がゼロにならない以上、
原発の増設は認めてはならないし、
迅速かつ速やかに、
運転中の原発も止めるべきだ。

原発に関する限り、
安全管理の技術的な議論には乗らない。

相手の土俵に上がってはいけない。

●木曜日は元町寄って会社にゴー。

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