しばらく前に録画しておいたんだけど、
とっても重そうで見てなかった、
Nスペ「百万回の永訣」。
再発ガンに向き合うノンフィクション作家柳原和子さんの、
3年半にわたる記録だ。
やすらかに死にたい。
あわよくば生きたい。
この番組を象徴する言葉だ。
何度も折れそうになる心を隠さず、
それでも頑張って、
自分の病状と向き合い、
医師と意見をたたかわせ、
納得できる治療だけを受ける。
もう、
ただただ感服。
セカンドオピニオンはおろか、
一度ついた主治医に最期まで「言いなり」だった、
亡き親父とは大違いだ。
柳原さんがとにかくすごいと思うのは、
医師と患者は上下関係ではなく、
同じ病と戦う同志だとみていた点だ。
共に戦い、
共に泣き、
共に喜ぶ。
今ではどうなのかしらないが、
親父を見てきた印象では、
これはなかなかできることではない。
患者にとって医師は、
生殺与奪の全権を預けた「神」のごとき存在。
それが親父の患者道だった。
一方彼女は、
そうした治療のさなかも、
取材し、
執筆し、
珠玉のドキュメントの対象として生きた。
手を尽くして得た「生」を、
精いっぱい彼女なりに有意義に使いきった。
その過程で見えてきたのは、
医師もまた人間であるという、
ごく当たり前のことだ。
臓器が違えば、
同じガンでも、
専門外の医師にはたちどころに分からなくなる。
外科手術、
放射線治療、
薬物治療、、、
これもまた専門の壁があって、
同じ「医師」と名乗っていても素人同然。
患者の視点から医療の問題点を、
くっきりあぶりだした。
医師が己の限界を素直に認め、
権威ばらず、
患者の声に耳を傾ける。
それが、
あるべき医療だと訴える。
もっともぼくは、
親父の患者道が間違っていたとは言わない。
どういう患者であるか、
それを決める権利は患者にある。
親父のもひとつの患者道。
柳原さんのもひとつの患者道。
ぼくならどうだろう。
きっと医師にぺこぺこ頭下げて、
検査結果に一喜一憂して、
わけのわからない民間療法にすがり、
果ては寺や教会や神社や、
考え付くすべてのものに祈り、
何の根拠もない奇跡を信じ、
力尽きてしまうのだろう。
親父に近いというか、
それ以下だ。
柳原さんのことを、
ジャーナリストの特権みたいに言う意見もあるようだが、
とんでもない間違いだと思う。
この番組を、
生前の親父に見せたかったな。
●2008年3月永眠。合掌。