年末から読み始めた「冷血」(高村薫著、毎日新聞社)を、
年をまたいで読み終えた。
2002年12月、
ネットで知り合った30代男二人が、
歯科医一家4人を殺害するという、
陰惨な事件が題材だ。
もうこれだけで、
2000年暮れの世田谷一家殺害事件を想像する。
小説は、
まず一家4人の暮らしが長女の視点で描かれ、
次いで後に彼女らを惨殺する二人のことを描く。
そこで場面は警察に飛び、
事件発生の一報から犯人逮捕までと、
判決に至るまでを淡々と綴る。
この小説の本題は動機だ。
社会の底辺で生き、
それなりに警察の厄介になったことはあるものの、
凶悪犯罪は犯してこなかった二人が、
なぜかくも残忍な犯行に至ったか。
実際の事件でも、
マスコミは犯人の動機を知りたがる。
往々にしてそれは「心の闇」と表現されるけど。
でもこれが分からない。
金銭目的で空き巣に入ったが、
意に反して家人が在宅で気づかれ、
殺してしまおうと思い鉄棒でめった打ちにした。
捜査する側はそう言わせたいのだけれど、
当の二人にそういう明確な意識はなく、
ただ「何となく」を繰り返す。
何となく出会い、
何となく行動をともにし、
何となくその家を選んで、
何となく忍び込んだら人がいて、
何となくムカついたから殴った。
ふざけているようで、
実は一番本当の感情に出会い、
当惑する警察。
今ひとことでは上手く表現できないな。
第三者は動機を合理的な言葉に置き換えて、
事件を納得しようとするのだけれど、
これほど難しいものだとは。
時代が2002年に設定されているのは、
裁判員裁判以前にしたかったという意味合いがあるのだろう。
ぼくが裁判員になる確立が何%あるのか知らないが、
辛いなぁと正直思った。
にしても、
上下巻計600ページを費やして、
これほど執拗に茫漠たる事件の描写ができる、
高村薫って何者なんだ?
それを読んだぼくも何者なんだ?