笑っていいとも!
が始まったのは1982年10月4日とか。
そのころぼくは予備校生で、
かなり大変だったはず。
当時見た記憶はないな。
で、
翌春には一応大学生になり、
上京して一人暮らしを始めた。
でも、
しばらく下宿にはテレビがなかった。
テレビを月賦で買ったのは、
その年の秋だったと記憶している。
最初に見たのは大相撲だった。
ちょうど世の中は、
バブル景気を駆け上がることで、
フジテレビの軽チャー路線とか、
糸井重里のおいしい生活とか、
なんだか日本中が浮かれ気分な時に、
6年間も東京に住んでいたわけだ。
ぼくも似合いもしないのに、
一応彼女を連れて原宿のカフェバーに行った記憶がある。
新宿アルタ前には行ったことはあったけど、
スタジオ観覧しようなどという気持ちにはならなかった。
同じころに始まった朝まで生テレビは、
友人と二人で一度だけ見に行ったことがある。
いいともは、
テレホンショッキングは本当に、
その日のゲストがアポ無しで翌日の友だちに電話をかける趣向で、
つながらなかったり、
つながってもダメだったり、
ハプニングがあって、
それも楽しみだった記憶がある。
データでは、
第一回のゲストは桜田順子だった。
確かタモリは最終回のゲストは、
吉永小百合だと、
始まった当初から言ってたので、
たぶん来年3月に終る時のゲストは、
吉永小百合になるのだろう。
いいとも青年隊というのもあって、
羽賀研二らが初代だったんじゃないか?
月日は流れ、
いつのまにかいいともを見ることもなくなり、
かれこれ10年以上は過ぎたと思う。
友だちの輪、
も、
ゲストが電話もなくなったことすら知らなかった。
たまたま知ったんだけど、
橋下徹・大阪市長もかつてレギュラーだったとか。
知らん知らん。
とにかく、
明石家さんまが金曜日のレギュラーを降りるころまでは、
割に見てたかもしれない。
32年の生番組はすごいの一言だけど、
こうなると、
いいともより6年も前の1976年にスタートした、
徹子の部屋が録画とはいえ続いていることの方が、
もっとすごいような気がして来た。
先日、
あまちゃんがテレホンショッキングに出たのを見たけど、
タモリは完全に何話していいかわからない状態だったよな。
思えばタモリって本当に不思議な人だ。
テレビに出た当初は、
海賊がつけるような眼帯をしてたんだよね。
それがサングラスになって、、、
スター誕生の司会もしてたっけ、、、
吉永小百合の最終回だけは、
絶対に見ようと思う。