2009年8月31日月曜日

民意

二大政党制の実現を念頭において、
小選挙区制が導入されたのは1996年。
民主党が結党されたのは、
それから2年後のことだ。
11年かけて、
ついに衆議院第一党となった。

しかし、
感慨がさほど湧かないのは、
これで日本が2大政党時代を迎えるとは、
とても思えないからだろう。


「小沢チルドレン」ともいうべき若い候補が、
民主党の候補であるという、
ただそれだけの理由で易々と当選していく様は、
4年前の小泉チルドレンの時と同じである。

「小沢」にしても「小泉」にしても、
チルドレンは所詮子ども。
議員としての能力、
見識は全く未知数である。


これほど多くの政治の素人が、
いきなり代議士になるのは、
一種異様に映る。
民主党は霞が関改革を掲げているが、
こうした「政治素人」を大量に抱えた政党に、
果たしてそんな力があるのだろうか。

何せ相手は鉄壁の官僚組織。
急ごしらえの大部隊で歯が立つ相手とは、
とても思えない。

あっさり返り討ちに遭い、
次の総選挙で、
今回の自民のような憂き目にあう可能性は、
十二分に予想される。


本物の2大政党時代が来るとしても、
あと数回の総選挙、
つまりあと10年はかかるだろう。

●にしても小沢一郎という人は、どうしても総理になれぬ男よ。

2009年8月30日日曜日

終焉

日本にいて、
ごく普通に仕事しているのに、
総選挙の熱気を全く実感できないまま、
ついに投票日となった。

もちろん、
新聞では連日選挙報道はされていたけど、
のりピーの覚せい剤事件やら、
水害やら、
世界水泳の世界戦ラッシュやら、
世界陸上のボルトやら、
巨人の優勝マジック点灯やら、
選挙以外のことでわーっとなっているうちに、
この日を迎えてしまった感じだ。


歴史的な日といっても、
結果は大方の予想通りになるだろうし、
ひょっとしたら民主が圧倒的に勝利して、
自民党が解党的打撃を受ける可能性もある。

そうなれば結局2大政党にはならず、
いずれ壊滅した自民の残りかすを民主が吸収して、
再び自民党(いや今度は民主自由党)ができるだけ、
なんていう事もあり得る。


とはいえ、
やはり歴史的な一日には違いない。

自民であろうと民主であろうと、
アメリカ一国主義の時代を終えた世界の中で、
日本が自分でその立ち位置を決めざるを得ない、
その始まりの日だからだ。

そういう意味で、
日本の戦後は今日終わる。

自民党的なるものは、
良くも悪くも日本及び「日本人」を体現していた訳で、
ぼくらは今日、
自分たち自身でそれを終わらせる。


外の風はもう肌寒い。

●ぼくとしては、幸福実現党の議席だけが興味の的だ●「ハプニング」(M・ナイト・シャマナン監督)をDVDで。とても不気味かつ面白い作品だったけど、何か学生の卒業作品みたい。つまり低予算みえみえということ。映画館でこれを見せられたら、少し悲しかっただろう。でも「地球が静止する日」よりは千倍まし●24時間テレビを見たら、初めて見る女性がマラソンを走っている。こんなことは初めてだ。この女性は誰?

2009年8月29日土曜日

近代

「1Q84」の書評(感想?)が面白かったので、
佐々木敦の「ニッポンの思想」(講談社現代新書)を読んでみた。

80年代以降の本当に主だった思想家の流れを、
著者なりに読み解いた本だ。

○浅田彰
◎中沢新一
○蓮見重彦
○柄谷公人
△福田和也
△大塚英志
◎宮台真司
△東浩紀

以上7人なのだけど、
◎以外の5人の本は読んだことがない。
○は名前だけはよく存じ上げている方で、
△は失礼ながらほとんど知らなかった。

浅田彰の有名な「構造と力」は、
1983年発刊だそうだ。
ぼくが大学に入った年だ。

確かにこの種の本としては異常に売れて、
「ニューアカ(ニューアカデミズム)」ブームの、
火付け役になった本なのに、
ぼくはついに読まなかった。
たぶん立ち読みして、
とても手に負えないと思ったのだと思う。

「ポストモダン」なんて言葉も、
聞いたことはあるけど、
それが具体的に何なのかは、
最近まで知らなかった。

大学生以後の日本で、
このような思想の流れがあったなんて、
ほとんど知らないでここまで来た。

ポストモダン=近代以後ということは、
つまり現代ということではないらしい。

ぼくは現代人ではなく、
依然、
近代人ということだ。

2009年8月28日金曜日

終夏

小学6年生の時、
井上陽水の「青空、ひとりきり」のレコードを買った。

楽しいことなら、なんでもやりたい
笑える場所なら、どこへでも行く
悲しい人とは、会いたくもない
涙の言葉で、濡れたくはない
青空 あの日の青空 ひとりきり

何かを大切にしていたいけど
体でもないし 心でもない
きらめくような おもいででもない
ましてや我が身の 明日でもない
浮雲 ぽっかり 浮雲 ひとりきり

ひとりで見るのが はかない夢なら
ふたりで見るのは たいくつテレビ
星屑 夜空は星屑 ひとりきり


メロディーがカッコイイのが一番だったけど、
独特な言葉づかいの歌詞にも魅かれた。

意味があるようなないような、
人を煙に巻くような詞は、
それでいて強烈な印象を残し、
それは井上陽水という人自身に対する、
ぼくの印象でもある。


NHK教育で彼のデビュー40周年を記念した番組が、
何と55分枠で4夜連続という「破格の扱い」で放映された。

陽水も還暦なのである。

まだ全部は見ていないのだけど、
やっぱりこの人は、
つかみどころがないというか、
真意を悟らせない。

肝心なところははぐらかし、
奇術師のように焦点を巧みにずらす。

時代の流れには無関心なようでいて、
たまに繰り出すパンチは、
重く鋭い。

トリッキーで危険な印象は尚顕在だ。


明らかにミュージシャンなのに、
文化人という方が相応しいと、
そんな風に思えるのも、
不思議なことだ。

そういえば、
「夏の終わりのハーモニー」という歌があったっけ。

●「最後のニュース」は本当に傑作だと思う●久々に元町へ行った。

2009年8月27日木曜日

安心

緊急地震速報が誤って流れたことに、
「しっかりしてもらわないと困る」みたいに、
市井の人が言っているのをテレビで見て、
あるいは、
謝罪会見をする気象庁の人を見て、
何か変だと思った。

地震を予測するなんてことは、
恐らく天気を予測するより遥かに難しいはずで、
気象庁はそれに挑戦しているのだ。

それを一度間違ったぐらいで苦言を呈し、
また頭を下げなきゃならないなら、
そんな挑戦はやめてしまえばいいのだ。

誤報結構じゃないか。



「おかしなことは何も起こりません」
という期待が「安心」で、
「いろいろあっても大丈夫です」
という期待が「信頼」だと、
社会学者のニコラス・ルーマンが言ったそうだ。

「日本の難題」(宮台真司著)に書いてあるのを読み、
「なるほど」と膝をたたいた。


政治家は「安心」を連呼する。
もちろん「安心」であるに越したことはないが、
そんな訳にはいかないことをぼくらは知っている。

彼らが「安心」と叫べば叫ぶほど、
それは欺瞞にしか聞こえず、
かえってぼくらは「不安」を募らせる。

だから監視カメラや、
地震速報や、
セコムなんてのに、
過度に頼ってしてしまうし、
誤報一つで怒ってしまう。



この国の陥っている問題は、
「安心」以前、
つまり、
(必ず起きるはずの)怖いことが起きても、
助けてくれないという国への不信だ。

その信頼を取り戻すところから始めない限り、
「安心」の連呼はむなしい。

地震に遭っても、
リストラに遭っても、
年をとっても、
この国は大丈夫ですと、
言いきれる包容力がある政治家は、
果たしているのだろうか。


●安心と信頼の違いは、昨日書いた映画「ゆれる」にも通ずるテーマだ●天満「じゃず家」塩本彰(Gt)押領司由紀(P)田代泰之(B)北岡進(Dr)ライブへ。塩本さんは、セッションでいつもお世話になっているのだけど、ライブは初めて。これぞ信頼の演奏‼

2009年8月26日水曜日

信頼

何気なく途中から見始めたテレビの映画に、
いつの間にか引き込まれ、
つい最後まで、
ということがよくある。

借りてきたDVDを、
結局見ないまま返却したり、
映画館まで足を運んで落胆したりすることが少なくないだけに、
不思議でしょうがなかったが、
最近TUTAYADISCASで半強制的に月4本見るようになり、
なんとなくその理由が分かってきた。

「期待」と「時間」がポイント。

期待するということは、
もうその時点で力が入っているということ。
映画館はもとよりレンタルでも、
しっかり最初から最後まで観ようと、
力が入る。

その点、
たまたまつけたテレビの映画は、
はなから期待はない訳だし、
時間的にも元々途中からなのだし、
つまらなければいつスイッチを切ってもいい。

DISCASのシステムにもテレビ映画的な面があって、
とりあえず予約しておいたDVDが、
結構ランダムに送られてくるから、
あまり何も考えずにパソコンで少しずつ見る。
分からなくなれば、
後から見返すこともできる。

おまけに、
返却期限というのが基本的にない。
今借りている2枚を送り返さないと、
次が送られてこない仕組みだからだ。


と、
これだけ前ふりをして、
「ディア・ドクター」の西川美和監督による、
前作「ゆれる」が本題だ。

この監督は、
人間心理の複雑さをあぶり出すのが巧みだという評価だが、
本作においてもその一端がうかがえる。

心底は疑っているのに、
疑っていないと信じる。
なぜなら兄弟だから。

兄弟は、
親や配偶者や子供と置き換えてもいい。

もちろん、
こんな「信頼」は本当の「信頼」ではないわけで、
その欺瞞性が、
ある事件をきっかけにして露わになる。


とてもよく出来た作品だと思うけど、
「映画」というものの特性を考えると、
傑作とは言い難い。

なぜなら、
たぶん繰り返し見ないと、
この作品の意図がつかめないからだ。
他のブログの感想にもあったけど、
「後出しじゃんけん」的要素が多く、
「じゃああれは一体何だったの」という疑問が、
一回見ただけでは解消されないのだ。

だから、
普通映画館で一回しか観ない(最近は観れない)客には、
極めて不親切だと言える。

力の入った客が、
とり合えず一回観て分かるというのが、
「映画」への信頼ではないのか。
繰り返すほどに深みが増すというのは歓迎だけど、
一回見ただけでは分からないというのは、
少なくとも商業映画としては失格ではなかろうか。

だから批評家には高い評価でも、
観客には低調というような、
評価の齟齬が生じるのだと思う。


「映画」の一番の醍醐味かつ難しさは、
その一回性にこそあるのだと思う。
その縛りをなしにするなら、
さぞや難解かつ深みのある面白い映画は作れるだろうが、
そんな映画を映画館で見たいだろうか?

一回で分かるけど凡庸な作品と、
繰り返し見ないと意味が分からない作品。

「映画」を名乗れるのはどちらだろう。

●無論、映画慣れしている人の方が一回見ただけでも理解度は高いはずで、そのへん難しいけど。それでも「ゆれる」は、一回では論理的に分からない(分かる人は相当記憶力がよくて再構成能力が高い)。意図的か否か、そのように出来ている。

2009年8月25日火曜日

聖地

中京大中京が6点リードしていた8回、
家を出たぼくは会社について驚いた。

9回2死ランナーなしから5点。
こういうことがあるから、
高校野球は人気が衰えないのだ。

今夏の甲子園には全く無関心だったので、
見逃した悔しさは感じなかったけど、
生中継で見ていた人や、
ましてや球場にいた両校の応援団は、
文字通り手に汗握っただろう。


こういう興奮は野球ならではで、
同じ興奮でも、
決してサッカーでは生まれない類のものだ。

野球は、
力と技と精神力というものを、
非常に分かりやすい形で凝縮して現前化してみせてくれる。

それは筋書きのない小説の、
ページを一枚一枚めくるようなものだが、
「甲子園書店」の小説にはハズレは少ない。
端的に良い意味で期待を裏切るのだ。
国民的行事が現象する中、
今や箱根駅伝と双璧をなす、
日本における最強ブランドではなかろうか。

見逃して悔しくないのは、
きっと来年もドラマが待っているという、
信頼にほかならない。


ウィンブルドンとかオーガスタとか、
世界的なスポーツの聖地に比べれば、
甲子園はローカルな聖地ではある。

でも、
その聖地が家の近所にあるというのは、
やはり少し誇らしい。
(阪神ファンではないけど)


ところで、
リニューアルした甲子園では今、
外周に敷き詰めるレンガに名前を入れる人を募集している。
レンガ1個20100円。
限定3万個。


6億円の商売魂につられるのは癪だ。
でもかなり魅力的ではある。
ただ、
10年限定というのがさびしいし。

でも10年後の自分のために、
一口乗ってみるかな?

いろんな思いを仮託して聖地に名を刻む。

俗なる自分と葛藤中である。


●最近、あまりまともな書き込みをしていないような気がする。夏バテだろうか。深く潜っていた海から海面近くに浮き上がってきた感じ。また深く潜らねば。どこまでも深く。

2009年8月24日月曜日

霞目

世界陸上は最終日になって、
日本人2人の活躍に沸いた。

女子マラソン尾崎好美「銀」
男子やり投げ村上幸史「銅」

個人種目での日本人メダルはゼロなのではと言っていた、
舌の根も乾かぬうちに。


あらためて2人の過去の成績を見て、
どうしてメダルの期待をかけなかったのかと、
我ながら呆れる。

尾崎は去年の東京国際マラソンで優勝しているし、
村上は日本選手権10連覇の偉業を成し遂げている。

2人は突如現れた彗星なんかではなく、
すでに立派な太陽であった。

いわゆる「有名どころ」にばかり過大評価し、
どちらかというと地味な選手に、
国際舞台でスポットライトが当たって初めて気付く。
そんな自分が情けない。

特に村上は、
予選を2位で通過した投てきを見ていたにもかかわらず、
「どうせ決勝では駄目だろう」と、
そこまで過小評価していたのである。


地道といえば、
女子ボクシングミニマム級王者の、
多田悦子が初防衛に成功した。

同級7位のタイの選手に判定勝ちしたのだが、
本人は納得していないようで、

「ブサイクな試合してもうた」

と反省しきりだったという。


ストイックに求道する選手たちを、
もっと等身大で見なければと、
霞んだ目をこすった。

●やっぱり高校野球とともに夏は終わる気配が濃厚だ●朝日新聞の書評欄で磯﨑憲一郎の「終の住処」「世紀の発見」が紹介されていた。鴻巣友季子氏によるこの一文は、言い得て妙であると思った。

2009年8月23日日曜日

記録

幼稚園児のころ、
雑種の白い子犬を飼い始めた。
近所の人からもらったはずで「カピー」と名づけた。
名前の由来は忘れた。

カピーは、
子犬の時は本当に可愛らしかったのだが、
大人になると手がつけられない乱暴者になり、
ペット用の鎖では平気で引きちぎられるので、
工事現場なんかで使う正真正銘の鎖で散歩させていた。

ある日、
家の前でぼくが鎖を握っていたら、
カピーは突然猛ダッシュし始め、
ぼくは鎖を握ったまま横倒しになってズルズルと、
家の前の道(当時は舗装されていなかった)を10㍍ほど引きずられた。

たまたま両親がそばにいたので、
暴れん坊カピーはすぐに取り押さえられたが、
ぼくは体のあちこちを擦りむいて大泣き。
でも内心、
鎖を手放さなかった自分が少し誇らしかった。


泣きべそをかくぼくをなだめる母と、
馬鹿力のカピーが映ったその時の写真がアルバムに残っている。
撮ったのは亡父だ。

その時たまたま父がカメラを持っていたのか、
哀れなぼくの姿を記録しとこうと、
急いで家から取ってきたのか知らないが、
わが子の「悲劇」の最中の冷静さに感心する。

まるでタマちゃんのお父さんみたいだ。


100年ほど前のフランスに、
アルベルト・カーンという大富豪がいて、
カメラマンを雇って世界中に派遣し、
膨大な数のカラー写真と映像を撮らせた。

そのドキュメントをBS1でやっている。
「奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界」を見ていると、
二つの大戦を挟んだたかが100年の間に、
どれほど多くの民族や習慣が失われたのかに呆然となる。














これはベトナムの写真なのだが、
そう、
彼が撮らせた多くは、
原初期のカラー写真なのである。
モノクロと違う生々しさが圧倒的だ。


失われゆくものを記録しておくことは、
ただそれだけで価値がある。
とにかく記録されていないことには、
あったことすら認識できない。

そういう意味でぼくは、
あの阪神大震災の時に、
もっと写真やビデオを撮っておくべきだったと反省している。

ファインダーをのぞくと、
人間はかなり厚かましくなれるものだが、
あの時ばかりは、
カメラを向けることをためらった。

ぼくは明らかに間違っていた。
どれだけ不謹慎であろうと、
あの時こそ厚かましくなるべきだった。


と同時に、
泣きべそをかくぼくを撮った親父に、
今では感謝するのである。

●写真はhttp://www.albertkahn.co.uk/index.htmlより●世界陸上。マラソンで日本が団体銅だとか。マラソンの団体というものの意味をどう捉えればいいのか、よくわからないけど、ひょっとすると今大会、日本の唯一のメダルになるかもしれない●久しぶりに住吉でチョコレートパフェを食べた。満足‼

2009年8月22日土曜日

脳始

心臓移植を受けた元FBI心理分析官が、
連続殺人の謎に挑むという、
「ブラッド・ワーク」(クリント・イーストウッド監督)をDVDで観た。

推理サスペンスなのでネタばれは避けるけど、
移植された心臓が誰のものだったのかという「興味」は、
この映画の主人公に限らないだろう。


臓器移植の普及と「脳死」は今や切り離せない。
何をもって人の死とするのか。
その線引きは人為的なもので、
たとえ心臓が停止したって、
その人の全細胞が死滅したわけではない。
死んでも髪や爪は伸びる。

古代エジプト人が、
埋葬してなお蘇りを信じたのは、
実はまっとうな心理なのかもしれない。


「世界は分けてもわからない」(福岡伸一著、講談社現代新書)では、
脳死に対して「脳始」という概念を紹介している。

受精卵が脳波を出すまで分化するのに、
30週ぐらいかかるのだそうだ。
脳死を人の死、
つまり人間でないとするならば、
受精後30週未満の脳始以前もまた、
人間ではないという考え方も成り立つ。

脳死が臓器移植と切り離せないように、
脳始が医療と切り離せない時代が、
決してこないとは言えないのである。


脳死の発生率は大人で1%とも言われるけど、
脳始はすべての人が経験するのだ。



●ちょっとした予定の狂いで、今週は元町に行けそうにない。残念だなぁ(笑)

2009年8月21日金曜日

係留

「レワニワ」という4文字を読んで、
とりあえず「レバニラ」を想起したのだけど、
「ポケットの中のレワニワ」(伊井直行著、講談社)を読んだら、
全く関係ないことがわかった。

それが何かはともかく、
この小説は単純にいうなら、
「アガタ」というワーキングプワの青年と、
「ティアン」というベトナム難民の女性とのラブストーリーだ。
「レワニワ」は、
二人を繋ぐキーワードになっている。


もうひとつ、
この小説のキーワードを挙げるなら、
それは「難民」だろう。

世の中の流動性が増して人間関係が希薄になり、
ボート・ピープルでなくたって、
多くの人が自分を係留できる場所が確保できなくなっている。

ネットカフェで寝泊まりするほででなくても、
会社にも、
学校にも、
隣近所にも、
ひょっとしたら家族の中にも係留場所がない、
精神的難民が日本の至る所にいるのだろう。

「自分探し」というけれど、
それはつまり、
「自分でなければならない理由探し」なのだと思う。


アガタとティアンが、
実は小学校の同級生だという設定は、
「1Q84」と似ていて興味深い。

かつて同じ教室で学んだという、
ただそれだけの事実。
それは取り換えようのない事実であり、
そこには確かに自分を係留させることができるだろう。


ふと考えると、
「レワニワ」と1Q84の「空気さなぎ」は、
「自分でなければならない理由」の暗喩かもしれない。
1Q84の過剰なほどの装飾をはぎとると、
ポケットの中のレワニワになるのかも。

しかも著者は春樹と同世代。
文体は若々しく文章も読みやすい。
一気に上下巻を読んだ。

2009年8月20日木曜日

麒麟

ボルトが走っている姿はキリンに似ている。
常々そう思っていたので調べてみたら、
キリンは時速50キロほどで走ることができるらしい。

先日の100メートルでのボルトの時速を計算した人がいて、
それによると、
60~80メートルの区間での彼は、
時速44.72 キロで走ったという。

本物のキリンの方がやや早いわけだが、
キリンは瞬発力に欠けるので、
100メートル走ならボルトが勝つかもしれない。

今読んでいる「ポケットの中のレワニワ」(伊井直行著、講談社)に、
道路信号機のランプを、
キリンに舐めさせて掃除するというエピソードが出てきて、
調べてみた次第。


ところで「麒麟」は想像上の動物。
初めて中国にやってきた時には、
「実在する麒麟」として珍重されたという。
今では「長頸鹿」と書くらしい。

そういう意味ではボルトは、
キリンより麒麟だな。

2009年8月19日水曜日

人事

ぼくは人事に関心がない。
それは組織人としてかなり大きな欠点だ。
なぜなら人事は、
組織が何を思考しているのかを知る、
最大のメッセージだからだ。


組織にとって人は細胞のようなもの。
だからまず、
組織人として一番基礎的な条件は、
組織にとって好ましい振る舞いができるということ。
それは逆説的には、
いつでも取り換え可能であるということだ。

「余人をもって代えがたい」というのは、
組織にとって基本的に不要であるばかりか、
害になることもある。
なぜなら、
その人がいなくなった途端、
組織が機能不全に陥るからだ。

だから、
突出した個性によって支えられた組織というのは、
一見華々しいけど、
組織としては不完全ということになる。

同じ細胞でも、
爪の細胞よりは、
脳の細胞になりたいと思うのは人情かもしれない。
でも、
組織の細胞という意味では、
どちらでも実は大差はない。


一方で組織というものは、
現状認識や将来予測を常に行っており、
しかるべき場所にしかるべき細胞=人材を蓄えている。

多からず少なからず。
たえず流動させながら。
時代の変化に対応して生き残れるように。
一見脈絡を欠く人事にも、
それ相応の意味がある(ことが多い)。

組織はそれ自体が生き物のようなものだ。
もし人事が心底脈絡を欠くなら、
その組織は健康体とはいえまい。

●ボルトは200メートルでもまるでジョギングしているように走る。マラソンに出たら1時間30分ぐらいであっさりゴールしたりして。

2009年8月18日火曜日

深化

「ワー」っという歓声で目が覚めると、
テレビにボルトが映っていた。

9秒58は確かに驚異的な記録だ。
その瞬間を見逃したのはしかし、
それほど残念ではなかった。

あの北京での「欽ちゃん走り」ゴール以来、
彼が本気で走りきればそうなるだろう、
みたいな予感は十分あった。

だから今回の走りは、
あの北京で起きたことが、
紛れもない事実だったことを、
世界が再確認したということだ。


マスコミでは、
ゲイやパウエルという好敵手がいたからこその記録、
みたいな言い方をしているけど、
ぼくの印象では、
彼は完全に次元が違う。

恐らく彼は人類の進化そのものだ。

「人間がこんなに速く走れることが分かった。残念ながらオレじゃなかったが」

破れたゲイの言葉は全くの本音だろう。

40年かかって0秒26しか縮められなかった記録が、
わずか1年で0秒11。

進歩より進化という意味で、
たぶん、
人類が月に行ったことより凄い。



ところで、
先日のBS1のスポーツ大陸で、
岩崎恭子を取り上げていた。

14歳の彼女がバルセロナ五輪で、
200メートル平泳ぎ金に輝いたのは、
16年前のこと。
世界が仰天した。

「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

今でも鮮明に覚えている科白だ。

番組は、
彼女があの当時、
どれほど急速に進歩したか、
そして、
その後の低迷と復活のドラマを、
本人の追想を交えて紹介していて、
ぼくは思わず涙線が緩んだ。

一時は日本代表からも外された彼女が、
再びアトランタ五輪に出場し、
10位に終わるまでのドラマ。

順位は下がっても、
彼女はその4年で、
人間として深化したのだ。

たとえ世界は仰天しなくても。

●今夜はイシンバエワに付き合うのかなぁ。

2009年8月17日月曜日

質種

質屋というのは、
金を返せなければ質種が流されるだけだから、
いわゆる「借金地獄」に陥る心配がない。

学生時代、
ちょっと高価な万年筆を何度か質入れした。
月末になると、
それで数千円を手に食いつなぎ、
金が入ると引き出す。
結局、
最後には万年筆は流れてしまったのだが、
今となっては懐かしい思い出だ。


実は学生時代に50万円借金したことがある。
就職試験までの半年間、
バイトをすべて辞め、
その金で食いつなぎ、
すべての時間を勉強に充てた。

そのかいもあって、
何とか就職して借金も1年ぐらいで完済した。
危ない橋だったと思うけど、
それも今では良い語り草だ。


借金はそれが最初で最後。
家も車も手放したから、
ローンという名の借金もない。
葬式代ぐらいの貯金もあるから、
今死んでも、
金の面で見れば人生はチャラだ。

しかし、
金じゃない人生の負債は相当に抱え込んだままだ。
どうしても返さなければ気が済まない、
心の負債があるからこそ、
生きているようなものだとも言える。

この身が質種のような気分だ。

万年筆の二の舞は避けたい。

質流れはご免だ。

2009年8月16日日曜日

天命

石川遼が何と、
全米オープン予選を通過した。
昨日、
「予選落ち確実」と書いた不明を恥じる。

石川は2日目を終わって4オーバー。
予選通過ラインは3オーバーになるだろうと、
大方の予想は一致していた。

それが、
石川の後の選手のスコアが思ったほど伸びず、
通過ラインが4オーバーに下がったのだ。
大会最年少の予選通過であり、
日本人としても、
メジャー最年少の快挙だ。


石川はスタートのパー3で、
ワンオンしながら何と4パット。
素人のようなスタートを切りながら、
何とか持ちこたえ、
上がり3ホールでも攻めて一つのバーディーを奪った。
結果的にはこの執念が生きた。


人事を尽くして天命を待つ。


言うのは簡単だけど、
可能性がある限り、
いや、
たとえ可能性ゼロでも集中力を切らさないことは、
ベテランでも難しいことだし、
それだけで尊敬に値する。


それプラス、
運を引き寄せるサムシングを、
彼に感じざるを得ない。

大きな扉を次々に開けていく、
そのサムシングは、
天賦のものだろうか。


●3日目は、4オーバーとスコアを落とし71位タイ。それでも十分。あのミケルソンでさえ同じ8オーバーなのだから●世界陸上開幕。織田裕二&中井美穂コンビは7大会目になるそうだ。12年。もうあの暑苦しさも、気を持たせるセリフも慣れた(笑)。「もうすぐ決勝」から3時間は当たり前だもんな。

2009年8月15日土曜日

避難

兵庫・佐用町の豪雨で犠牲になった父子は、
ロープで互いに結ばれたまま見つかった。

父の手と息子の胴体。
死んでも離れなかった絆に、
胸がジンときた。


報道で見る限り、
父子が住んでいた町営住宅は二階建てで、
比較的新しそうだ。

背後に山が迫っている訳でもなく、
水位の最大値が1.8メートルだったというから、
もし外に出ずに、
2階に上がってじっとしていれば助かっただろう。


そんなことは結果論で、
夜間に家の周囲がどんどん水没してくれば、
逃げたくなるのも無理はない。
実際、
同じ町営住宅から、
同様の犠牲者が出ている。

ましてや、
避難場所の小学校は目と鼻の先。
しかもちょっと高台になっているから、
町営住宅からは、
「希望の城」のように見えただろう。


わが家の近所にも二級河川が流れている。
生まれてこのかた決壊したことはないが、
もしもの時は、
きっとこの辺りは水に浸かるだろう。

心構えをしておきたい。


●今日の読売新聞夕刊一面の記事だ。先日の朝日には、水没して立ち往生した車中から携帯で娘に電話した町役場の人の話も紹介されていた。まったくやりきれない●全米オープン、石川遼は予選落ち確実。世界陸上も始まるし、高校野球も真っ盛り。世の中スポーツ一色で、いよいよ総選挙感がない。

2009年8月14日金曜日

救命

「救命病棟24時」というドラマが、
4年ぶりに再開するというので、
初回を見てみた。

江口洋介演じる天才的な医者と、
松嶋奈々子演ずる女医の、
先輩後輩コンビが、
様々な困難を乗り超えるということになるのだろうが、
HPのサブタイトルに、

「医療を、救命せよ。」

とあるように、
今の日本の医療が置かれた危機的状況で、
どう主人公たちが奮闘するのかが見せどころのようだ。

初回を見た限り、
過労死寸前の救急医師たちや、
それに付随する患者のたらい回し、
医療過誤訴訟など、
すでによく知られている事柄が、
その通り描かれているだけで、
役者の顔ぶれや演技も含め、
「コード・ブルー」の時のような興奮は感じなかった。

唯一面白かったのが、
医局長をユースケサンタマリアが演じていること。
計算高いだけの口先男のようでいて、
実は腕も滅法たつという役回りで、
そのキャスティングだけには笑った。

その医局長が、
「最近、患者さんに『ありがとう』って言われたことありますか」
と医師や看護士に問いかけ、
みな押し黙ってしまうシーンがあった。
「モンスターペイシェント」なんていう言葉も出てきたし。

命懸けで命を救って、
お礼のひとつも言ってもらえないようなら、
確かにやりがいがないよな。

そういえば、
大きな病院で会計の時「○○様」と呼ばれて、
ひどく違和感を覚えたことがあるけど、
どこの病院も、
今や患者は「お客様」の時代なのかもしれない。



ところで、
かかりつけの病院から「残暑見舞い」が届いた。
「いつもありがとうございます」と、
手書きの一文まで添えて。

いえいえ、
お礼を言うのはこちらの方です。

いつも本当にありがとう。


●ちなみに主題歌はドリカム「その先へ」。そうそう、「ぐるりのこと」に主演していた木村多江が看護師や九で出ていた●本当に久しぶりに、天満「じゃず家」でSATOKO(Vo)押領司由紀(P)宗竹正浩(B)引田裕路(Dr)らのライブ。選曲が渋くて、自分の世界を持ったボーカルだった。

2009年8月13日木曜日

共感

本屋に行くといまだに店頭平積み状態の「1Q84」。
マスコミで取り上げられることはさすがに減ったが、
最近、
1、2巻の隣に、
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」(河出書房新社)、
が並んでいるのにお気づきだろうか。

他人がどう読もうと関係ないではないか、
と思いつつ、
やっぱり買ってしまたのだが、
なかなか面白かった。


・「リトル・ピープル」とは何者か
・「卵と壁」を超えて


という読書感想文のようなタイトルから、

・相対化される善悪
・「父」からの離脱の方位


なんていう、
何やら難し気なものまで、
33人の書評とひとつの対談が収められている。

短期間によくこれだけ様々な角度で読めて、
しかも書けるものだ。

肯定にせよ否定にせよ、
それだけの関心を集めたわけだ。



中でぼくが一番共感したのは、
「リトル・ピープルよりレワニワを」という、
佐々木敦氏の論考だった。

例えば、
本題とは関係ないが、
村上春樹を評したこのような一文。

実際のところあまり何も考えていない男が、無表情なまま彼女の悩みに耳を傾けていて、とりあえず話の継ぎ穂として「わかるよ」とだけ口にしたら、彼女はその寡黙な一言に隠された多くの想いを勝手に感じ取り、深く感動して彼のことがますます好きになってしまう、というような印象。


この評論家は1964年生まれなのだが、
やっぱり感性が似ているというか、
思考の仕方という意味で、
思わずうなづいた。

さらにしばらく後で、
こう断言する。

村上春樹が現在のごとき巨大な作家になっていったのは、このいわば「錯覚された共感」がエンジンである。

確かに、
村上春樹の文章は、
一見フレンドリーなようでいて、
実はすごい冷徹でリアリスティック、
あるいは病的なほどの警戒心があるように感じることがある。

これまでの作品はしかし、
その「内向き」なベクトルが魅力であった。
そのベクトルがオウムに向かった時に、
こういう反応(作品)になるのだなぁ、
というのが、
今のぼくの感想だ。



書かれている事は明晰で、
文章運びもストーリーも練られている。

登場人物たちはいずれも、
キャラクターは見事に造形されているが、
そこに「人間臭さ」みたいなものを感じないのである。

人の生死や痛みや、
セックスでさえ、
滅菌され消毒され、
現実味を失っているようにぼくには写る。



村上春樹は、
オウム事件の被害者と加害者の双方に取材して、
それぞれ一冊ずつのノンフィクションを書いた。

そして結局、
彼はオウム真理教側に、
より共感しちゃったのだと思う。



●ちなみに「レワニワ」とは、「ポケットの中のレワニワ」(伊井直行著、講談社)からとられている。著者はこちらの小説の方にずっと感動したのだそうだ●静岡の地震で唯一犠牲になった43歳の会社員。平積みにした数千冊の本の下敷きになったとは、想像できない!

2009年8月12日水曜日

変質

受精卵から始まる細胞の分化が不可逆的なように、
人間もまた人生を不可逆的に生きる。

昨日のあなたと今日のあなたは違うし、
1秒前のぼくと今のぼくは違う。

この文章を読んでいるあなたは、
今こうして書いている今のぼくの考えを、
つまりぼくの「過去」を読んでいる。
あなたが読んでいる時のぼくは、
この文章の中にはいない。

人生は一方通行で、
決してリセットすることはできない。

当たり前のことだ。



しかし、
芥川賞をとった磯崎憲一郎氏が次のように語るのは、
この自明なことをさらに深く捉えているように思う。



誤解を恐れず正直にいえば、「もう、芥川賞受賞以前ではないのだなあ」ということなのだ。無名時代に帰りたいとか、大きな賞を頂いてしまって本当にこれから小説家としてやっていけるのか?という不安な気持ちは自分でも拍子抜けするほど感じておらず、生活のペースも周囲の人たちとの接し方も、何ら変わるところはないのだが、しかし、つい半月程前の、芥川賞受賞以前の私というのは、私自身でありながらもはや私ではない、どう足掻(あが)いても触れることすらできない、遥(はる)かな遠い存在になってしまった。過去というのはどうしてこんなにも堅固で、悠然とそびえ立って、堂々としているのだろう。だが過去のこの遥かさ、侵しがたさこそが、私にとっては大きな希望なのだ。私の書く小説もまた、その希望の上に成り立っている。(asahi.com)



人生はやりなおせない。
だからこそ生きられるとはいえまいか。

もし過去をなかった事にできるとしたら、
過去がそのように不安定なものだとしたら、
恐らく人は怖くて前を向けないだろう。

たとえ暗闇であっても前を向いて歩ける(歩くしかない)ということは、
それはつまり勇気であり希望だ。

過去には戻れないという絶望が、
つまり勇気と希望の源泉なのである。



そしてそれとは別に、
磯崎氏にとって芥川賞がそうであるような、
人生の分節点みたいなものは確かにある。

それは、
考え方とか、
職業とか、
他人からの見られ方とか、
そういった表面的なものではなく、
その人の内面において、
決定的な変質をもたらす。



個体としては同じ人物であっても、
変質してしまった人間にとっては、
世界もまた変質する。

変質者(笑)は、
変質世界を、
勇気と希望だけを携えて歩く。



●豪雨に地震。何もない日って、あるわけはないけど、最近ありすぎ。

2009年8月11日火曜日

進路

人間の体は60兆個の細胞でできている。

でも、
それぞれの細胞は、
自分が形作っている体の全体像は知らない。

あくまで体の部分として与えられた役割を、
黙々とこなしているだけだ。



とはいうものの、
「世界は分けてももわからない」(福岡伸一著、講談社現代新書)を読むと、
そのあまりに精妙で見事な仕組みに驚かされる。

元は一個の受精卵が、
細胞分裂を繰り返す過程で、
少しずつ進路を割り振られ、
手足や臓器などに分化していく。

この流れは、
始めは大きな流れだったものが、
次第に枝分かれして、
細い水流になっていくような具合で、
決して源流にさかのぼることはできない。



ところがES細胞というやつは、
分化した細胞が何にでもなれる状態にリセットされている。
そこが「万能」といわれる所以だ。

しかし、
何にでもなれるということは、
一歩間違えれば「無目的」につながる。

事実、
ES細胞といえど、
TPOをわきまえないと、
その細胞は何にもることができず、
ただダラダラ分裂だけを繰り返すのだそうだ。

それはまるで、
幼稚園児を大学の授業に参加させるようなものだ。

肝心なのは、
ES細胞の進路を適切に決めてやること。
世界中の科学者がそれに取り組んでいる。

適切な進路を与えること、
見つけること。

その難しさは、
細胞も人間も全く同じなわけだ。



この本の白眉は、
細胞のガン化を突き止めようとする科学者の奮闘と、
その過程で起きた前代未聞のねつ造事件を紹介しているところだが、
ぼくにはその第8章を含め、
すべてが面白かった。

それはまた別の機会に。


●珍しく月曜日に元町に行ったら、珍しくだれとも会話することなく終わった。

2009年8月10日月曜日

婚活

皇太子夫婦の長女が、
初めて映画鑑賞したらしい。


「HACHI 約束の犬」(ラッセ・ハルストレム監督)


いまどき日本でもあまり語られない、
忠犬ハチ公の話を、
なんでハリウッドが映画化することになったのか、
よくわからないけど、
主演のリチャード・ギアが日本びいきだというのは、
どこかで聞いたことがある。

そういえば彼、
Shall We ダンス?のリメイクにも出ていたなぁ。



皇太子は独身の時、
結婚相手に求めるものは?と記者に尋ねられ、
確か「価値感が同じ人」と答えていた。

「ティファニーで沢山買い物をされるようではちょっと」と、
いうようなことを言っていたと思う。

苦労に苦労を重ね結婚した雅子妃と、
価値観が同じだったかどうか、
今となってはよくわからないけど。



シューカツ(就活)という言葉にようやく慣れてきたら、
今度は「婚活」である。

結婚したいのに出来ない若い男女が、
世間には溢れているという。
価値観が一致する人の見つけがたさは、
皇太子並み(以上?)になっているのだ。

そんな若者に「婚活のススメ」を説いているのが、
自称ジャーナリスト白河桃子という人だと、
今晩の情熱大陸で初めて知った。

妥協じゃなく許容

出会ったら恋愛に走れ


セミナーやお見合いパーティーに呼ばれた、
「先生」が語る言葉は熱い。



「自己責任」という言葉は、
最近世間の風あたりが強いけど、
ぼくは昔からこの言葉をよく使ってきたし、
今でも基本的な考え方は変わらない。

自分が下した決断(と思える)なら、
結果が悲惨であっても納得できる。

何より、
自分で決断できるということ自体が、
とてつもなく幸せなことではないか。
その幸せに比べれば、
結果など問題ではない。

逆に今の状況が、
自分で決断したものでなかったら、
それがたとえ世間的に「幸せ」と呼ばれるものであっても、
ぼくはそう感じないだろう。

そういう考えで生きてきたから、
今のような自分なのだし、
そのような自分を引き受けることもできる。



とはいえ、
他人の忠告は大切だ。
特に親身になってくれる人のものであれば尚更である。

でも鵜呑みはいけない。
前にも書いたけど、
どんな有益な忠告に思えても、
ちゃんと咀嚼してからでないと、
消化できない。



さて、
白河桃子さんは、
悩める若者を親身になって心配しているのか、
単に飯の種にしているだけなのか。

以下、
彼女の著書一覧(ウィキペディアより)。

噂の「おみー君」劇場―平成お見合い新事情(岡林みかん共著、マガジンハウス、2000年)
結婚したくてもできない男 結婚できてもしない女(サンマーク出版、2002年)
こんな男じゃ結婚できない!―噂の「おみー君」劇場(岡林みかん共著、光文社、2003年)
幸せをつかむ国際結婚のススメ 「運命のヒト」は海の向こうにいた(小澤裕子共著、日経BP社、2004年)
「婚活」時代(山田昌弘共著、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年)
「キャリモテ」の時代(日本経済新聞出版社、2008年)
跡取り娘の経営学(日経BP社、2008年)
結婚氷河期をのりきる本!(メディアファクトリー、2008年)

2009年

うまくいく!男の「婚活」戦略(PHP研究所)山田昌弘氏と共同監修
幸せになる!女の「婚活」バイブル(PHP研究所)山田昌弘氏と共同監修
あなたの娘や息子が結婚できない10の理由(PHP研究所)


●そのうち「一杯のかけそば」もハリウッド映画になるかも。

2009年8月9日日曜日

再見

色とりどりの光が、
頭上で炸裂する。
閃光に少し遅れ、
巨大な破裂音が腹の底に響く。

これを待っていたのだ。



なにわ淀川花火大会を見るのは2年ぶりだ。
2年前、
ぼくは入院中だった病院の10階の窓から、
この花火大会を眺めた。

いつかもう一度、
今度は真下から見てやると、
心に決めていた。
去年は仕事で行けなかった。
だから今年は休日願いを出した。



酒井法子や、
草彅剛や、
少し前だが小室哲哉。

逮捕された芸能人に寛容なのは、
人生の暗転というものを、
少しばかり体験したからかもしれない。

人生は自業自得や他力本願や一蓮托生のないまぜだ。
自分の力ではどうにもならぬことは確かにある。

そう思い知った時から、
他人の過ちを一刀両断できなくなってしまった。



念願の花火を頭上に仰ぎ見ながら、
しかし、
ぼくの心は晴れやかではなかった。

光の芸術を無邪気に楽しめる人間では、
すでにぼくはなくなっていた。

ぼくにとって花火は今や、
自分自身の成り立ちを写しだす走馬灯だ。
多くの失ったものを、
これでもかこれでもかと、
見せつけてくれる。

美しいけどはかなく残酷な芸術。

でもぼくにはそれが必要だ。
たぶんこれからもずっと。



ただただ阿呆のように口を開け、
夜空をあんぐり見上げているうちに、
1時間足らずのショーは終わった。

家路につく大勢の人の中を、
ぼくは無言で歩いた。


●「ほかにすることあるだろー」と、お叱りの声も聞こえてきそうだが、今日はこれが優先ということで●午前中、皮膚科に行ったら「22番目です」と言われた。お盆が近い。病院はどこも大忙しだ。

2009年8月8日土曜日

泥沼

「失踪したのりピー」が一夜にして、
「逃走した酒井容疑者」になった。

今度こそ、
本当に最悪の事態になるのでは、
とまたしても思ったが、
その後の報道を見ていると、
買い物や預金の引き出しをしていたそうで、
どうやら雲隠れする気はあったようだ。



やっぱり女性は、
ましてや母はたくましいということか。

いや、
彼女は今何をすべきか、
全く収拾できないでいるに違いない。

正常さを欠いた泥沼。

追い詰められた人間の心情は、
きっとそんなものだ。

何にせよ、
生きているのなら、
それでいい。
屋根があって冷房のきいた部屋で休んでいるなら。



もちろん容疑の段階だから、
万に一つ、
彼女が潔白という可能性はある。

しかし、
逮捕され、
世間のさらしものになり、
ひょっとしたら実刑となって、
芸能界から永久に消えたとしても、
生きてさえいれば、
それはそれでいいと思う。

すくなくとも、
そこからしか彼女の未来は始まらない。

とりあえず見つけ出して、
逮捕してあげるのが一番いい。
周囲のいらぬ助言から切り離すしか、
彼女は自分を取り戻せない。


それにしても、
ここ数日間の、
芸能界の慌ただしさったら、
一体何なんだろう。

悪名高い芸能レポーターが右往左往している様は、
かなり滑稽ではあるが、
少し可哀そうにもなる。
何せこんなことは、
芸能スキャンダルとして前代未聞だ。


御苦労なこった。


●夏の甲子園が始まる。いつの間にか真夏だ。

2009年8月7日金曜日

消息

酒井法子のような有名芸能人が、
人に知られずに母子心中など、
できるわけがないな、
と考えていたら、
大原麗子が遺体で見つかった。

自宅ベッドで、
死後2週間たっていたそうだ。
62歳。
紛れもない孤独死である。



サントリーレッドの一連のCMは、
かれこれもう四半世紀前の作品だが、
今もって真に傑作であると同時に、
彼女でなきゃ、
絶対に成り立たなかったと思う。

早速YouTubeにアップされていたのは、
1984年の「電話編」だった。



男とけんかした女(大原麗子)が、
和服を着て電話機を枕に寝ている。

男からの電話を待っているのだ。

そこへベルが鳴る。

女の口から咄嗟に出たのは、

「あら生きてたの」

という心にもない言葉。

受話器の向こうの相手は何も言わず、
ガチャンと切ってしまう。

再びあてどない電話待つ女。

そこへまたベルが鳴る。

そしてあの決めゼリフ。


すこし愛して、ながく愛して。


あの声、
あの表情。

世の男性は無条件降伏したものだ。
ぼくは東京の安下宿で、
酒の味をおぼえ始めたころだった。
レッドは飲まなかったけど。



女優として、
最大のヒットがCMというのは、
寂しい事かもしれないが、
たった30秒で人の心を虜にしたという意味では、
誰よりも大女優だったといえるかもしれない。



それにしても、
彼女の死を知って初めて聞く彼女の言葉が、
「あら生きてたの」とは!


●かのCM制作陣には監督市川昆、コピー糸井重里、音楽服部克久の名が並ぶ●ギラン・バレー症候群という難病を患っていたなんて全然知らなかった●のりピーの長男が都内で無事が確認された。ちなみに人の体内から薬物が完全に排出されるには、少なくとも3、4日はかかるという●裁判員裁判で初の判決。殺人罪で懲役15年。

2009年8月6日木曜日

失踪

酒井法子が失踪したというニュースを、
醒めた目で見ている人が意外に多いのに驚いた。
(あくまでぼくの周囲では)。

曰く、
マスコミから身を隠しただけなのに、
親族や事務所が騒ぎを大きくして、
こうなったら、
出てきたくても出てこれないじゃないか、
という意見だ。

「のりピー失踪」と聞いただけで「えーっ」と驚き、
途絶えていた携帯の電波が、
山梨県の山中で一時的に発信されたと聞いただけで、
最悪の事態を連想してしまったぼくは、
かなりお人好しかもしれないが、
一方でぼくは、
「海じゃないの?」とも思った。



やっぱり酒井法子といえば、
ドラマ「星の金貨」。
彼女が演じたろうあの少女は確か、
入水自殺をしようとしたはず。

「海じゃないの?」と思ったのは、
きっとその印象が強いせいだ。
まさにハマリ役だった。



確かにとても冷静に考えてみると、
旦那が覚せい剤所持で逮捕されたから、
母子心中を思い立つと考えるのは、
いささか突飛かもしれない。

ひょっとしたら、
事務所の人間がすべて仕組んでいるということも、
なくはなさそうだ。



でも、
心配になるのは何故だろう。

「碧いうさぎ」にこんな歌詞がある。


あとどれくらい 切なくなれば
あなたの声が 聴こえるかしら

なにげない言葉を瞳合わせて ただ静かに
交わせるだけでいい 他にはなんにもいらない

碧いうさぎ ずっと待ってる 独りきりで震えながら
淋しすぎて 死んでしまうわ 早く暖めて欲しい



どうしても、
ダブるんだよなぁ。

無事だといいけど。


●「星の金貨」を調べてみたら、やっぱりストーリーはそうだった。ちなみに放映は1995.4.12~1995.7.12。もう14年前か●高相祐一容疑者を「プロサーファーではない」と今頃やっきに否定する日本プロサーフィン連盟ってなんだかなぁ●裁判員裁判やら、クリントンの訪朝やら、押尾学容疑者の事件や、高校野球の組み合わせで日本は満杯。確か選挙なんだったなぁ。

2009年8月5日水曜日

大物

マイナスをプラスに変えるとか、
高く跳ぶには低くかがまねばならないとか、
言うのはたやすい、
行うのは難しい。



「プロの釣り師」という職業があって、
日本で女性初のプロ釣り師(プロアングラーというそうだ)児島玲子を、
先日の情熱大陸で紹介していた。

釣り具メーカーと契約して、
そこの道具を使い、
雑誌やテレビの企画で世界中を旅し、
釣果を紹介する。

一見うらやましい職業だけど、
実際は大変だ。

なにせ結果を出さねばならない。
テレビクルーを連れて行って丸一日坊主なら、
話にならない。
必ず、
それなりの魚を釣ってみせる。

プロ野球のバッターだって3割打てれば一流なのに。



200㌔近いカジキマグロを釣りあげ、
一躍有名になったという。
松方弘樹みたいなアレは、
「釣り」というより「漁」に思えるのだが、
でかいクロマグロと格闘している彼女の姿は、
本当に「全身全霊」っていう感じがした。

その彼女は、
元グラビアアイドルだそうで、
プロの釣り師になったのは二十歳を超えてから。
釣りを教えてくれたお兄さんをガンで亡くし、
今でもそれをバネにしているそうだ。



「SMAP×SMAP」に矢沢永吉が出演。

ツアーの最中、
スイートルームが手違いでツインになったことがあって、
それを伝えられた時の矢沢の返事というのが面白い。


「オレはいいけど、ヤザワはどうかな」


本人も言ってたけど、
伝説って尾ひれがつく。
でも、
そういうセリフを言ったのは事実だそうだ。

彼は、
知人に横領されて出来た35億円の負債を、
10数年かけて返済したという。



いやはや、
大物は、
釣るのも大変。

なるのも大変だ。


●アングラーとは、ギリシャ語のアングルが「曲がった」という意味で、釣り針も曲がっていることから来ているそうだ●YAZAWAと打ったら「YAZAWA」と変換され笑った。しかしこの人を見るたびに立川談志を思いだしてしまう●「アンネの日記」第二回。昼間は息を潜め、夜だけがくつろげる隠れ家生活。なら昼間寝ればいいのにと、不謹慎ながら思った●天満「じゃず家」セッション。久し振りで張り切っていたのだが、やっぱり「参加賞」。

2009年8月4日火曜日

切断

ブログや書籍で「○○日記」というタイトルは星の数ほどあるが、
他人に読まれることを前提としないで書かれた、
いわば正真正銘の日記としては、
「アンネの日記」ほど多くの人に読まれたものはあるまい。

ぼくは小学生の時に、
たぶん姉が読書感想文用に買ったのであろうやつを、
パラパラと読んだことしかない。



その時の第一印象は、
アンネ・フランクの写真が「可愛いい」と思ったのと、
本棚で隠された秘密の扉の奥にある、
「後ろの家」での暮らしへの憧れだった。

その次に残っている印象は、
1944年8月1日、
強制収容所に連行される3日前の最後の記述。

中身を覚えていないのは、
それまでの内容と大差なかったからだと思う。
本人が「これが最後」だと認識していないのだから当然だ。
しかし、
「それが最後」ということが分かって読むと、
その最後の日記は特別な意味を持ち始めた。

中身ではなく、
唐突に終わる日記の切断の感触。
上手く表現できないけど、
後ろから日本刀で首をいきなり切り落とされたら、
きっとそんな風に感じるのではなかろうか。



それから数十年後、
ぼくはアムステルダムで「憧れ」の本棚の前に立った。













その時の記憶は今も残るが、
日記の切断の感触は、
それとは全く違う、
独特の余韻を放つ。

自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。(1944年7月15日)

少女の信念を断ち切った刃よ!



●NHK教育で「アンネの日記」の5回連続ドラマが始まった。写真はウィキペディアから引用しました。

2009年8月3日月曜日

失敗

全英女子オープンの解説をしている戸張捷が、

「ゴルフというスポーツは、失敗からしか学べません」

と言っていた。

言うまでもなく、
これはゴルフに限ったことではない。

スポーツに限らず、
人生は、
もっと言えば、
人類は失敗からしか学べない。

さらにもっとちゃんと言えば、
きっと世の中には、
壮大な数の失敗と、
ごくごくわずかの成功(と呼ぶもの)があって、
すべての失敗から正しく学ぶことができるなら、
人はみな輝かしい人生を送り、
人類はもっと素晴らしい歴史を刻めたはずだ。

つまり、
唯一学べるはずの失敗の多く(きっとほとんど)は、
教訓にされることなく、
時の中に埋もれてきたのだ。



石川遼が今季国内ツアー2勝目を挙げた。
初日から4日目まで首位を譲らぬ完全V。
最終日、
最終ホールまで優勝争いをした、
ベテランのブレンダン・ジョーンズをして、
「日本で一番強い」と言わしめた。

恐るべき17歳の目覚しい成長の裏側に、
先のマスターズや全英オープンの、
苦い失敗があることは間違いない。



若さの魅力の一つは、
恐らく、
失敗をプラスに変える力だ。

失敗を認め是正するのは、
実にパワーのいる作業なのだ。

年寄りにはそのパワーがないが故に、
あれこれ理屈をつけては、
紛れもない失敗を失敗でないことにしてしまったり、
見て見ぬふりしてしまったりする。

多くの失敗が打ち捨てられるのは、
きっとこのせいだ。



人は必ず失敗する。

大事なのは、
その失敗に向き合う勇気であり、
その時、
失敗は失敗ではなくなり、
成功への糧に変わる。


全英女子、
宮里藍は惜しくも3位。
彼女はこの「失敗」から何を学ぶだろう。

2009年8月2日日曜日

混濁

「夜空ノムコウ」は、
SMAPの大ヒット曲だが、
作詞者のスガシカオも、
作曲者の川村結花も歌っている。

先日、
乳がんで亡くなった川村カオリのドキュメントを見て、
迂闊なことに、
ぼくは川村結花と混濁してしまって、
かってにしみじみしていた。

間違えられた人には失礼の極みなのだが、
思いだしてしまったものは仕方がない。


あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
夜空のむこうには 明日がもう待っている

誰かの声に気づき ぼくらは身をひそめた
公園のフェンス越しに 夜の風が吹いた

君が何か伝えようと にぎり返したその手は
ぼくの心のやわらかい場所を 今でもまだしめつける

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
マドをそっと開けてみる 冬の風のにおいがした
悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…
タメ息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた

歩き出すことさえも いちいちためらうくせに
つまらない常識など つぶせると思ってた

君に話した言葉は どれだけ残っているの?
ぼくの心のいちばん奥で から回りしつづける

あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…
雲のない星空が マドのむこうにつづいてる

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
夜空のむこうには もう明日が待っている



この歌を聞くと、
11年前、
六甲山の山道を車で走っていた時を思い出す。

カーラジオでこの曲が流れていた、
夜の湾曲した道のイメージ。
30歳代半ばだった当時のぼくは、
「つまらない常識など つぶせると思ってた」
の部分が印象的だった。


そのころのぼくに、
今のぼくは全く想像できなかった。

あのころ話した言葉は、
どれだけぼくに残っているの?

●ところで村上春樹はスガシカオ愛好家だ。「君が何か伝えようと にぎり返したその手は ぼくの心のやわらかい場所を 今でもまだしめつける」の部分は、1Q84の青豆と天吾を思わせる。そして、「あのころの未来」という部分も、著しく1Q84を連想させる一節だ。

2009年8月1日土曜日

胴元

競馬やパチンコ、
競輪に競艇。

博打には勝ち負けがつきものだが、
ひとつ確実なのは、
胴元は必ず勝つ(儲ける)ということだ。

場を設け、
ルールを決める。

そこに人が集いさえすれば、
個々の人々の勝ち負けより高次のレベルで、
胴元は必ず勝つ。

この鉄則は、
博打に限らない。

宝くじやロトだってそうだし、
もっと広く経済全般においても全く同じである。



「2011年 新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著、文春新書)は、
マスメディアにおける胴元の転換について書かれている。

それにしても、
「消滅」とは何とも刺激的だが、
本書において2011年という年は、
二重の意味を持つ。

一つは、
テレビの地デジ移行であり、
もう一つは、
アメリカで「新聞消滅元年」とされる2008年を基準に、
3年後の2011年には日本でも同様の事態が訪れるという意味である。



いずれも、
新たな胴元はネットだ。



地デジ化によって「放送と通信の融合」が進み、
テレビの概念そのものが劇的に変わることは、
本書を読まずとも予想できるところだったが、
「まねきTV」などの具体例はとても面白い。

さらに、
米国の新聞が、
どうして軒並み経営危機に至ったのかについての報告は、
知らないことが多かった。

例えば、
新聞において折込チラシの広告費は、
特に販売店の経営において非常に大きなウェイトを占めるが、
すでに日本において、
全国の折込チラシそのものの画像を、
ネットで閲覧できるサービス(http://www.shufoo.net/)あるとは驚きだ。

地域や商品を設定して検索すれば、
どの店が一番安いのかがたちどころに分かる。
それらの安売り品と冷蔵庫の中身を使った、
レシピを紹介するサイトにも連動しているという。

それだけでも凄いと思うが、
これは広告主にとってもメリットがある。
このチラシ画像は拡大することができるのだが、
閲覧した人が、
チラシのどこを拡大したかが把握できるのだ。
配りっぱなしよりは、
広告主として価値があるのは明らかだ。



末節な話で勝手に盛り上がってしまったが、
たかがチラシというなかれ。
広告は新聞社でもテレビ局でも、
経営において決定的に重要な要因である。

少なくともぼくたちは、
「チラシとテレビ欄のためだけに」新聞を取る必要はないわけだ。

テレビにしても新聞にしても、
優秀な取材力や番組制作力はある。
しかし、
これまで存在が圧倒的に優位だったのは、
そのコンテンツを流通させる「手段」をも所有する、
いわば「ニュースの胴元」であったからで、
その座をネットに明け渡すなら、
新聞社もテレビ局も、
ただのコンテンツメーカーに成り下がる。


新聞社やテレビ局が淘汰されるのは、
時代の趨勢なのかもしれないが、
何より本書が問いかけているのは、
そもそも、
ネットの時代に「マスメディア」は成立するのか、
という点だろう。

個人の生活形態や趣向が多様化し、
しかもそれにピンポイントで対応できる環境がが実現した今、
「国民的」ともいうべき共通の土俵はありえないというのが、
著者の立場である。



マスメディアのない世界は怖い。
しかし、
それは不可避であると断ずる著者の主張は、
とても説得力がある。

2011年にマスメディアは消滅しないだろう。
だが、
確かに「消滅元年」にはなるかもしれない。

●そして最後に笑うのはNHKか●ペンギンさんはちょっとやそっとでは動じない。大したものだと思った。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...