2009年10月31日土曜日

米粒

年賀状の発売が始まると、
「今年も終わりかぁ」と思ってしまう。

とはいえ、
まだ2か月残っているのだが、
思ってしまった以上、
この気分は消すことはできない。

ということは、
1年のうち六分の一は、
「もう終わり」気分でいるわけだ。

人生60年だとすれば、
10年にもなる。


思えばぼいう人間は、
穴の空いた米袋みたいなものだ。

せっせと蓄えながら歩いてきたつもりが、
実はポロポロと、
その大半をこぼしてきた。


だからここらで、
落した米粒を拾い集めるという考えは、
決して悪いことではない。

例えば、
読みかけの本、
たいして聞いていないCD、
あまり使わなかった品、
着れなかった服。
途中で投げ出した考え。。。


少なくともこの一年分、
落してきた米粒を拾い集めてみよう。

定期購読の雑誌とTUTAYA以外は、
新しい本や映画はやめよう。

落した米粒はぼくの歩いた道筋でもある。
拾っていれば、
少なくとも出発点には帰り着くだろう。

チルチルミチルみたいに。

●きっとみんなもすでに忙しいのだ。元町に行ったが、だれにも相手にされなかった●「不毛地帯」を始めて見た。若い人には時代劇だろうな。

2009年10月30日金曜日

器用













「ロッキー」(ジョン・G・アヴィルドセン監督)をDVDで。

1976年の作品だから、
今30歳の人でも「生まれる前」の作品ということになる。

大学生の時に、
新宿の映画館で「1」と「2」を2本立てで観て以来だったけど、
あらためて本当に素晴らしい作品だと思った。

紛れもない名作だ。


記憶では、
有名なテーマ音楽の流れるトレーニングシーンや、
ラストの壮絶な試合の場面が強かったのだけど、
意外にロッキーという不器用な青年と、
内気なエイドリアンとのラブストーリーという側面が強いことに気づいた。


何をやっても上手くいかないということと、
これしか出来ないということは、
紙一重だけど決定的に違う。

子どものころは器用な人間に憧れた。
何をやらせても上手い「十特ナイフ」みたいな。

でも、
中年になった今魅かれるのは、
明らかに不器用な人の方だ。


確か映画では、

「I'm Nobody」っていう科白を「オレはろくでなし」って訳してた。

終わりのゴングが鳴ってもまだ立っていられたら、
ろくでなしじゃないって事を証明できるんだ


ロッキーは対戦前夜、
エイドリアンに言う。


中年になってもしびれる科白。
いや、
中年だからこそ余計にしびれるのかもしれない。

●チャンピオンのアポロやトレーナーのミッキーの科白が記憶より少ないのも意外。それだけ存在感のある演技だったということだろう●菊地雄星君、西武入り●竜王戦、渡辺竜王が2連勝●会う約束の人が風邪にかかって予定キャンセル。

2009年10月29日木曜日

同時

宿直勤務から夕方帰宅して、
母に「ロコモ」のことを教えてやろうとしたら、
母も同じ「クローズアップ現代」を見ていたらしく、
すでに知っていた。

なのに「ロコモ」という言葉が思い出せないらしい。


体より頭が先か。。。


母が釈明するには、
「ロコモ」の「ロ」が「くち」に見えて、
よく読み方が分からなかったとか。

「司会者が読んでいたやんか」と突っ込んだら、

「体操真似るのに精一杯やってん」と切り返された。


画面に映るロコモ防止体操を見ながら、
手足を上げたり下げてりしていたそうだ。

きっと全国多くの高齢者が、
昨晩のあの時間、
慌てて体を動かしていたのだろう。

画面を見ながら体を動かして、
なおかつ話の内容まで理解するのは、
そりゃ無理だっただろう。

御苦労さん。


今日の食卓には、
キウイとブドウとカキが並んでいた。

「果物を同時に三種類とると体にええねんで」

「テレビでやってた」

「これで長生きできるわ」


満足気な母。


この人、
100歳はかたいな。


●確かにこのパソコンでもロは「口」に見える●かくいうぼくも母の年齢を72と勘違いしていた。本当は71だって。あとひと月ほどのことだけど。まぁ女性の年齢のことだけに、しっかり訂正しておきます。

2009年10月28日水曜日

命名

「メタボ」は今や誰もが知っているけど、
「ロコモ」というのは、
今日のNHK「クローズアップ現代」で初めて聞いた。

「ロコモティブシンドローム」(運動器機能低下症候群)の略だそうで、
日本整形外科学会が2007年に提唱したのだという。

高齢化して運動機能が衰え、
将来的に寝たきりになる危険性が高い状態を指すらしい。

メタボが成人病予備軍なら、
ロコモは寝たきり予備軍というわけだ。


・片脚立ちで靴下がはけない
・家の中でつまずいたり滑ったりする
・階段を上るのに手すりが必要である
・横断歩道を青信号で渡りきれない
・15分くらい続けて歩けない


このうち1つでも当てはまれば、
ロコモの疑いがあるのだという。


ある程度の高齢者なら、
これ全員引っかかるんじゃないだろうか?

靴下なんかぼくでも怪しい。


普通に年齢を重ねて、
普通に弱っただけなのに、
「ロコモ」なんて命名されて、
まるでもう半分寝たきりになったかのように脅されているみたいだ。

子どもや孫に苦労はかけまいと、
必死に運動したり医者通いしたりする善良なお年寄りが、
これでまた増えるのだろう。

メタボに注意して、
ロコモに怯え、
そういうことを馬鹿にするつもりはないんだけど、
人間、
ポックリ死ぬために生まれてきたわけじゃないだろと、
思わず反論したくもなる。


何でもかんでも予備軍って、
そもそも人間は皆、
死人予備軍じゃあないか。

●城島が阪神入り。結構なことだけど、阪神ファンとうまくやっていけるのか、ジョー。

2009年10月27日火曜日

怪我

前十字靭帯断裂で昨季を棒に振った、
フィギュアスケートの高橋大輔。

選手生命にも関わりかねない大怪我から、
先のフィンランディア杯で復活優勝するまでの軌跡を、
NHK「スポーツ大陸」で見た。


リハビリに根を上げてコーチにも内緒で行方をくらましたそうで、
そのあたりが彼の人間臭さというか、
子どもっぽさというか、
いわゆる優等生ではない一面が垣間見えた。

何より、
リハビリを通して体の柔軟性が増し、
ジャンプやステップやスピン、
スケートの全ての質が向上したそうだ。

これぞ怪我の功名。

転んでもタダでは起きない。


人生の大怪我なら何度か経験があるぼくだけど、
さて、
功名はあったのかな?


彼の母校である中学校に石碑があって、
そこにはこう彫られていた。

夢をもつかぎり
努力するかぎり
夢は遠くない


なるほど。

●「許されざる者」(クリント・イーストウッド監督)をDVDで●のりピー初公判。介護の仕事に就きたいそうだ。ほー。

2009年10月26日月曜日

爆弾

ブルーレイで「スピード」(ヤン・デ・ボン監督)を観た。

言わずと知れた、
キアヌ・リーブスの出世作で、
冒頭のエレベーターのシーンは、
久し振りに見てもワクワクさせられる。

ただ改めて思うに、
この映画、
「SPEED」より「BOMB(爆弾)」の方が相応しいのではなかろうか?

それほど「爆弾」が映画のカギになっている。


今朝(25日)の読売新聞一面の「地球を読む」で、
ポール・ケネディは次のように書いている。

ノーベル平和賞には、大きな皮肉がつきまとっている。創設者アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトの発明と製造で富を築いた人物だからである。これは例えば、水爆の発明者が、環境保護の推進に賞を出すようなものである。


まさにその通り。

そういう意味で、
オバマ大統領は、
この皮肉な賞という「ダイナマイト」を、
体に巻きつけられてしまった。

最近、
米国内での人気にかげりが見えているそうだが、
早く解体しないと、
木端微塵になってしまいそうで、
心配だ。

2009年10月25日日曜日

終戦













楽天と日ハム双方の選手に胴上げされる野村監督。

実にいいシーンだ。

74歳にして現役。
輝ける高齢者の星を、
楽天はあろうことか見限った。

いろいろと事情はあるのだろうが、
この場面には、
選手たちの自発的な思いがこもっている。


野村監督は常々、
「胴上げで失敗して落ちて死んだら本望」
みたいに言ってるけど、
たぶんそれは本音だ。

勝って胴上げされるに越したことはないが、
負けてのこの胴上げに、
野村監督は感無量だったに違いない。

どんな組織でも、
ボンクラ幹部には、
現場の真実は分からないのだ。


これほど野球を愛し、
奥深さを知り、
生涯を捧げた人をぼくは知らない。

時に悪態をつく、
憎たらしいジジイなのだけど、
根底にある野球への衰えぬ情熱が、
若い選手を引きつけるのだろう。


いつかどこかで、
また監督をやって欲しいと、
切に思う。

●ということで日本シリーズはG対ハムに。様々な話題に彩られた今季のプロ野球も大詰めだ。

2009年10月24日土曜日

時計

 寺山修司の詩文集「思いださないで」のなかに、時計の一節がある。<時計の針が/前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります…>。思えば人は、前後どちらにも針の動く時計を携えて人生を歩いている。

 つらい出来事は「後ろにすすむ」針に託し、身は「前にすすむ」針に託す。振り向けば、耐えられそうになかった悲しみもいつしか歳月の彼方に霞んでいる。針の動かない、壊れた時計をもつ人はどうすればいいのだろう。



今朝(22日)の読売新聞「編集手帳」の冒頭だ。


この後、
27年前に娘を殺されたとして容疑者を誘拐したフランス人の父親の話になり、
最後をこう締めくくる。


 誘拐も犯罪であり、父親の執念を称揚するつもりはない。ないが、47歳の人が74歳になるまで胸に抱いてきた「壊れた時計」には切ないものがある。


「壊れた時計」はつらいけど、
「壊したい時計」ってのもある。


ゲット・バック・イン・ラブ
(作詞・作曲:山下達郎)

誰もいない風の道を見つめていた朝のことを思い出して
僕らはまた、ここで出会った
薄明かりのガラス窓にいつか落ちた雨のひとすじが浮かんでいる
全てがみな、移り変わって行っても

Get back in love again もう一度僕を信じて
思い出にしたくない、あなたを……

止まらないで、過ぎた日々に残してきた悲しみの数を数えないで
あなたはまだひとりきりじゃないから

Get back in love again もう一度僕を愛して
思い出は欲しくない、あなたを取り戻したい

遠ざかる記憶でさえ奪えないものがある

Get back in love again もう一度僕を信じて
思い出にしたくない、あなたを取り戻したい
Get back in love again もう一度僕を愛して
思い出は欲しくない、あなたを…取り戻したい



1988年のこの曲が大好きだった。
当時ぼくは就職試験の勉強真っ最中。

にしても、
未練アリアリのこの歌詞。
大人の今なら「少しは前向けよ!」って突っ込みたくなる(笑)

でも「遠ざかる記憶でさえ奪えないもの」って部分は、
今でも共感する。

時間や形の具体性は薄れても、
その時感じた「想い」の手触りみたいなものは、
胸の奥にずっと残る。

2009年10月23日金曜日

存続

建設中の「「第二東京タワー」(スカイツリー)が610メートルの高さになるという。

現在の東京タワーの2倍近い高さだ。

その建設中の模様はネットで見られるのだが、
見ているうちに、
これが完成した暁には、
東京タワーはどうなるのだろうかと、
ふと心配になった。

もっと早くに気づくべきだったのだけど、
あまりにもあの塔がある景色、
いや日本に慣れていて、
なくなる可能性なんて考えられなかったのだ。


東京タワーは言うまでもなく電波塔であり、
スカイツリーが完成すれば、
その役目は終える。

収入の大半が失われるわけで、
観光名所というだけで存続させることが可能とは思えない。


第一、
あそこは東京の超一等地である。
経済的な側面から言えば、
取り壊して再開発するのが流れだろう。

パリのエッフェル塔のように、
東京の象徴、
文化遺産として残す可能性はある。

もち取り壊すことになれば、
大反対運動が起きるだろう。
もちろんぼくも反対だ。

何といっても、
あれはぼくが生まれた時からあり、
紛れもなく東京の象徴であった。

しかし果たしてそれがうまくいくだろうか。

経済成長一辺倒の時代。
高度成長の証としての郷愁が、
その波を押し戻せるだろうか。


実に不安になった。


●楽天2敗目。ハムに王手がかかった。野村監督の悲痛な表情が痛々しい。奇跡の4連勝は起きるだろうか。

2009年10月22日木曜日

気味












「クララー」

「ペーター」


日産「ノート」のCMが流れるたびに、
72歳になる母が笑う。

確かに何か笑えるんだナ。


クリエイターの文原聡という人が手掛けてるらしいけど、
このおかしみは何だろう。

母は「可愛い」という。


可愛いというより、
ちょっと不気味が入った、
「ブキカワ」って感じか。

口の表現が特徴的だ。
腹話術人形を連想させる。

そういえば、
あの腹話術人形もどこか「不気味」が入ってる。


でも何でそう感じるのだろう?


低燃費少女「ハイジ」って、
別にひねってないし。。。

どうにも不思議なのだが、
でもやっぱり笑ってしまうからには、
どこかのツボを突かれているのだろう。

ちなみに、
声優はハイジが友近だって。


CMは笑えるけど、
それでこの車の売れ行きが上がるとは、
ちょっと考えられん。

君はどう思う?

●セ、パCS第2ステージ開幕。いやぁ、ハム凄い。サヨナラ満塁ホームランとはね。たぶん楽天はこの敗戦から立ち直れまい。パは終わった気がする。

2009年10月21日水曜日

本能

梅田の阪急百貨店の近くに、
通勤途中にたまに利用する通路があって、
その入り口には天井からビラが吊り下げられている。

その先が、
ちょうど頭に当たるかどうかという、
実に微妙な高さに垂れ下がっていて、
ぼくはいつも咄嗟に頭を屈めて通ってしまう。


でも本当は普通に背を伸ばして通っても、
十分余裕があるのではあるまいか?

もしそうなら他人に、

「あの人、自分がそんなに背が高いと思っているのかしら」

などと思われていやしないかと、
少し気になっていた。


そこで今日は普通に背筋を伸ばして通ってみた。

すると、
ビラの紙先がフッと、
刷毛で掃いたように頭をかすめた。

ほんとに微妙に頭に「当たった」わけだ。


ぼくは、
「やっぱりな」と思うより、
その微妙な高さを自動的に「当たる」と判断している、
ぼくの本能に感心してしまった。


ぼくの体は、
ぼくなんかよりよほど注意深く、
ぼくのことを危険から守ってくれているようだ。

なんか安心した(笑)

2009年10月20日火曜日

鏡像

鏡に映った自分を見て、
人は「これはぼくだ」と思う。

人は自分を常に省みて、
次の自分の行いを決めていくのだけれど、
鏡で自分の背中を見ることはできない。













ルネ・マグリットの「不許複製」を見て、
そんな当たり前なことを改めて思う。

自分を省みているだけでは、
人はきっと自分を客観視できないのだ。


だから人が本や映画や、
あるいは助言や忠告や、
診断や採点や、
その他「自分以外」のあらゆるものを欲するのは、
「自分は何者か」を知るためだ。

他者はすべて、
自分を映す鏡だ。


先日、
他人の愚かな失敗談を聞く会に参加した。

次々に披露される、
笑えるほど悲しい話を、
ただ黙って真摯に聞いた。

あなたがたの話はぼくを写す鏡だ。

そうだ。
あなたはぼくだ。

そう思いながら、
静かに聞いた。

2009年10月19日月曜日

大輝

所用で岡山市へ行ったついでに、
20年前、
社会人になりたてのぼくが、
初めて住んだ場所を訪ねた。

タクシーに乗って「清輝橋まで」とだけ告げ、
見覚えのある交差点で降りて、
あとは歩いた。

確かこのあたりと思ったら、
案の定、
3階建てのマンションがあった。

想像以上に古びているが、
まだちゃんと建っている。


と思ったら、
マンション名が違うではないか。

近くにあった備前焼のお店で、
「コーポ大輝ってあります?」
と尋ねると、
「まだもう少し南じゃが」と、
懐かしい岡山弁で教えてくれた。

清輝橋にあるから「大輝」

言われた通り200メートルほど歩くと、
さっきのよりさらに古びた「コーポ大輝」が、
なんとかあった。











ぼくが住んだのは、
2階の左のベランダの方の202号室。
たった1年だったけど。

でも今は、
ポストに表札は全然ないし、
なんか人の気配がしない。

202号室の前まで行ってみたが、
古くなったという以上に、
こんなに小さかったっけと、
建物の低さや階段の狭さに驚いた。


学生下宿から移ったぼくには、
それは名前通り大きく輝いて見えたのだが。

良い記憶は、
どんどん美化されていくものらしい。


どうせなら、
自画像を持って来ればよかったと、
その時になって思った。

中学生のぼくの自画像が、
社会人になって住んだマンションの前にある写真を撮れたのに。

自画像の『ぼく』は、
マンションに住む「ぼく」も今のぼくも知らない。
マンションにいた「ぼく」は、
自画像に描かれた『ぼく』のことは知っているが、
今のぼくは知らない。

ましてや自画像を描いていたころの(『ぼく』)は、
そんな写真を将来のぼくが撮ろうと考えるなど、
知るはずもない。


過去はどんどん消去されるのか。

「今」に上塗りされて、
隠れて見えなくなっていくだけなのか。


20年の間にはいろんなことがあった。

ぼくにも、
コーポ大輝にも。

ぼくもコーポ大輝のように、
輝きはすっかり薄れてしまったのだろうか。


元々輝いてなどいなかったのか!

●吉備津彦神社でおみくじを引いたら「凶」。「待ち人来たらず」(泣)●それから大阪に戻って堀江のカフェでライブをワンステージ。「こんにちは」と美人に声をかけられ、誰かわからずにいたら、ピアノの弾き語りをしている浅利見有さんだった。一度しかお会いしたことがないのに、よく覚えていてくれたものだとびっくり●そのカフェの場所を忘れ、交番で尋ねたら「住所がわからないと無理」と言われた。「交番にもパソコンがあればいいですね」と言うと苦笑いされた。

2009年10月18日日曜日

意外

加藤和彦が死んだと聞いて咄嗟に頭に浮かんだのは、

「帰ってきたヨッパライ」

「あの素晴らしい愛をもう一度」

「サディスティック・ミカ・バンド」

坂崎幸之助とのデュオ「和幸」

ぐらいか。


「自殺」というイメージとは程遠い人だった。

戦後の貧しい日本で、
いち早く洋楽に接してエッセンスを紹介。

ボンボン育ちの品の良さ。
お洒落で才知に富み、
おしゃれで隙がなく悠々自適。
人生を如才なく楽しむ。

そんなイメージだった。

というか、
そんなイメージしかなかった。

亡くなった場所が軽井沢のホテルというのが、
唯一イメージと合致した。


「帰ってきたヨッパライ」は子どものころの大ヒットだ。

酔っ払って車にはねられた男が、
天国で浮かれて、
怒った神様にこの世に送り返されるというコミカルソング。

「オラは死んじまっただ~」

何度歌っただろう。


ぼくの人生はまさしくこの歌のような感じで、
でも何とか生きている。

でも、
加藤和彦はもう帰ってこない。

享年62歳。

あの素晴らしい愛をもう一度
(北山修作詞、加藤和彦作曲)

命かけてと 誓った日から
素敵な思い出 残して来たのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度

赤とんぼの歌を 歌った空は
何にも変わって いないけれど
あの時 ずっと夕焼けを
追いかけて行った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度

広い荒野に ポツンと居るよで
涙が知らずに 溢れてくるのさ
あの時 風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度


何か強烈な喪失感が襲ったのだろうか。

人生まで先取りしてしまったのか。

●今日は早寝をすることにした。

2009年10月17日土曜日

週刊

新聞を開くと「週刊松本清張創刊」と大きな広告。

毎号一作品を取り上げ、あらゆる角度から徹底検証!

とある。

こんなものを出版するのは、
もちろんデアゴスティーニ。

ちょっと調べてみたら、
すでに50タイトルほどが出版されていて、
大きく2つに分類できる。

ひとつは、
「週刊安土城をつくる」とか「週刊蒸気機関車C62をつくる」とか、
毎号部品を少しずつ添付して、
全部買うと模型が完成するというパターン。

もうひとつは、
「週刊ウルトラマン」や「週刊刑事コロンボ」など、
シリーズものの百科事典パターンがある。

どちらも創刊号は定価の半額ぐらいと、
極端に安いのが特徴だ。


もちろんこういう売り方が悪いわけではなく、
むしろ「よく考え付く」と感心している。

でも、
創刊号はよく見かけるけど、
最終号は見たことがない。

日本中のあちこちに、
作りかけの安土城やC62や、
フェラーリや零戦があるのではないかと、
余計な想像をしてしまう。


にしても「松本清張」ときたか。

「パチンコ加山雄三」並みに面白い。

生誕100年と、
一応理由はあるのだが、
最初「週刊新潮」の駄洒落かと思った。

多作な作家だから、
売れ行きさえ良ければネタには困るまい。


次は誰が「週刊」されるのだろう。

「週刊男はつらいよ」なんていかがだろう。


●デアゴスティーニの本社はイタリアにあって、1959年にかの「東方見聞録」を分冊にして売り出したという歴史があるそうだ。驚いた。

2009年10月16日金曜日

加齢

サザエさん一家は年をとらない。

ぼくが20歳の時もカツオは小学5年生だったし、
いまでも5年生のままだ。

時代の移り変わりに合わせて、
社会情勢や風俗の描写は微妙に変化しているが、
磯野家の電話はいまだに黒電話で車はなく、
当然パソコンもない。


読売新聞朝刊の4コマ漫画「コボちゃん」(植田まさし作)も、
基本的にはそういうはそういうものだと思っていた。

ところが先日、
連載27年目にして大変化が起きた。

コボちゃんの母が妊娠したのだ。

つまり遠からずコボちゃんには弟か妹ができ、
兄になるわけだ。


妊娠して生まれるまでには、
確実に10か月ほどの「時間」が流れる。

そうなると、
5歳児の設定のコボちゃんは、
生まれるころには6歳になって小学生になるのだろうか。

5歳児のまま弟や妹が生まれることになれば、
それも一大事だ。

子どもに突っ込まれても説明できない。

2005年にも、
コボちゃんの叔父が結婚するという変化があったけど、
それは登場人物が一人増えるという意味だけともいえた。

今回のはその比ではない。
止まっていた時計が27年目にして動きだすのだ。


島耕作は課長からついに社長に上り詰めたけど、
コボちゃんもこれを機に、
小学生から社会人まで、
実際の年月に合わせて成長していけば、
それはそれで画期的かもしれないけれど。。。


●ところで「コボ」の由来は、ウィキペディアによると、香川の方言「こぼさん(末っ子)」からきているという。

2009年10月15日木曜日

試食

昼間はとても暖かかったのに、
夕方突然、
冷たい雨が降り出した。

ぼくはその時JR甲子園口駅前にいて、
雨宿りを兼ねて近くのモスバーガーに飛び込んだ。











ちょうどいい機会だ。

今日こそは綺麗に食べてやる。


早速上のパンをはずして食べ始めた。

なるほどパンがない分、
全体の厚みが減っているので、
意外に食べやすい。

歯に直接当たるトマトのヒンヤリ感も、
いい感じかも。


とはいえ、
やはりバーガーが減っていくにつれ、
紙袋の奥の方まで口を突っ込まねばならないことに変わりはなく、
鼻のてっぺんにまでソースがついた。

でも、
「ベチャベチャ」の元凶だった残りのソースは、
最初にどけたパンでお行儀よくいただけ、
確かに、
紙ナプキンの使用量は格段に減った。

何と3枚で済んだではないか‼

完璧とはいかなかったが、
我ながら見事な試食。


最後に袋を折りたたみ、
「どうだ」と言わんばかりに、
颯爽と店を出た。


●ぼくの直前に並んだ、とっても太った男性が、2060円分のバーガーやら飲み物をテイクアウトした。何の根拠もないのに、絶対一人で食べるんだと思った●その後、TUTAYAに何気に寄ると「グラン・トリノ」がもう並んでいたので、つい借りた。改めて見直してみて、ラストの方で、時間の辻褄がちょっと合わないような気がしたが、やっぱり牧師の説教のあたりで泣いた●久しぶりにペンギンさんにお会いした。この前していたマスクもとれ、一段と元気そうだった。

2009年10月14日水曜日

咄嗟

百円ライターのガスがほとんどなくなると、
何度カチカチやっても火がつかなくなる。

それでも他に代わりを持っていないと、
未練がましくカチカチカチカチやるのだが、
するとたまに「ポッ」とほのかに炎がつくことがある。

ところが、
カチカチカチカチ繰り返しているうちに、
条件反射的に次のカチに行ってしまい、
折角ついた炎が消えてしまうことがある。

せこい話だけど、
咄嗟のチャンスを逃したこういう時は、
地団太踏むほど悔しい。


若い時は何も考えなくても毎回「シュボッ」とつく炎だが、
この年になると、
チャンスとは、
そういう風に咄嗟にしか訪れない。

それに対応するには、
カチカチの惰性の中にも、
常に細心の注意を払っている必要がある。

年を重ねると、
確かに根気は続くのだが、
咄嗟の事態に対処しそこねる。


ところで、
百円ライターは日本では使い捨てだけど、
以前見たテレビでは、
フィリピンだったかどこかでは、
ちょっとした細工をしてガスを補充できるようにする商売があるとか。

日本では見たことはないけど、
着火石よりガスが早くなくなることがほとんどだから、
これはいいアイデアだと思った。


既にガスの補充を終え、
そのガスも残り少ないこの身。

石もすり減ってなくなれば、
もうお手上げの瀬戸際だ。

だからこそ、
チャンスは逃せない切実さは日ごとに増しているはずなのだが、
相変わらず咄嗟の炎を見逃してしまう。


それでも懲りず、
今日もガスが空になりかけのライターを、
カチカチやっている。


●天満「じゃず家」セッションに。今日もまた、惰性に流されてしまったようだ。バックの演奏が素晴らしかっただけに、よけいに情けない●そのセッションで、ベーシストであり、セッションのMCでもある渡辺春雄さんが、ぼくが歌い終わったあと、「たはしろさんでした」と咄嗟に言い、動揺したぼくは、躓いて前のテーブルの飲み物をこかしてしまった。セッションでは本名でエントリーしているからだ。でも何か嬉しかった●明日は久しぶりに元町に行こう。

2009年10月13日火曜日

還暦

矢沢永吉60歳。

ビリー・ジョエル60歳。

還暦二人の東京ドームライブを観た。

もちろんテレビで。


YAZAWAのステージは豪華絢爛。
ズラッと並んだハーレーや、
何百人いるの?というダンサー。

その中央でYAZAWAは歌ってマイクスタンドを振りまわし、
ドームを支配していた。

それにしても、
彼が年下に対しても敬語でしゃべるようになったのは、
いつのころからだろう。

実るほど首を垂れる稲穂かな

ビッグになるほど敬語でしゃべられると、
なんかコワイんだな。


対するビリーは一言で言えば自然体。

というかこの人、
主な活躍は1970年代後半から80年代前半にかけてで、
ステージでもこのころに発表した曲がほとんどだった。

調べてみると、
やっぱり彼は成功のあと公私ともに災難続きで、
最近では半引退状態だったようだ。

YAZAWAとは対照的に少数精鋭というか、
それでも10人ぐらいはステージにいたけど、
その面々がいくつもの楽器を使い分ける達者揃いで、
とても分厚いサウンドになっていた。


10年ほどの間にメガヒットを連発して、
それで今でも大御所感漂うビリー。

40年近く突っ走ってきて、
でも大ヒット曲はと言われれば、
ほとんどない(?)YAZAWA。

そもそも比べることに意味はない二人なのだが、
つい同じ日に見ただけに、
気持ちが還暦つながりに向いてしまった。


還暦のころにぼくは何をしているかな。

そんな空想が現実味を帯びる年齢になってしまった(泣)。


●「殺人の追憶」(ボン・ジュノ監督)。まぁ面白かった。韓国の軍政時代の庶民の暮らしぶりや警察って日本も韓国も似てるな(無理やり自白させる場面とか)と思った●今日は体育の日だったのか。ひどくよい天気らしかったが、ほとんど寝ていたので気付かなかった(泣)

2009年10月12日月曜日

大義

広島・長崎が2020年五輪招致に乗り出すそうだ。

大賛成だ。

財政や施設の面で大きな不安が指摘されるが、
何よりも彼らには「大義」がある。

核なき世界の実現に向けて、
唯一であり最後の被爆地で開催することは、
平和の祭典に相応しい。

半信半疑ではなく、
完全に信じて邁進してほしい。


東京資本の大マスコミは、
今のところ平静を装っているが、
「田舎都市に出来るもんか」と、
影で冷笑している様が透けて見えるようだ。

しかし、
能力も資金もあったのに、
唯一「大義」がなかった東京が、
2016年招致で惨敗したのは、
つい先日のことである。


地元が沸けば全国が沸き、
世界を動かせる。

どれほどの難題があっても、
その情熱が嘘でなければ、
必ず実現できる。


まずは国の後押しが不可欠だ。

「鳩」を「キャン」と鳴かせられるか。

それが第一関門だ。

2009年10月11日日曜日

欠点

バレリーナを目指していたけど、
背が高くなり過ぎたから断念した。

こういう話はよく聞くけど、
今日のNHKトップランナーに出ていた、
中村祥子さんの身長は175センチだという。

しかも彼女は、
ベルリン国立バレエ団のプリンシパル。
超一流である。












このバレエ団の芸術監督は、
ウラディミール・マラーホフという有名なバレエダンサーで、
彼曰く彼女は「プリンシパルになるために生まれてきた」そうだ。

彼女の優れている点を聞かれた彼は、
「彼女は自分の欠点を知っていて、プロにさえ見抜かせない」
と答えていた。

それをビデオで見た彼女は、
「ちゃんと分かっていてくれた」と感激の面持ち。
プロでも見抜けぬ欠点をマラーホフは見抜いていた訳だ。

雲の上の話。

一体彼女のどこが欠点なのかなど、
わかろうはずもないが、
他人に認められたいという「承認欲求」は人間の原点であり、
それは一流であっても変わらないのだと思った。

たとえそれが今でなくても、
いつかだれかが認めてくれる。

その希望がなければ、
誰も創作のために血や汗は流せないだろう。

●番組で身長のことを尋ねてくれると期待していたのに「いじめられないですか」などと聞く箭内道彦に少々がっかり。

2009年10月10日土曜日

画餅

リオ五輪で7人制ラグビーが正式競技になるそうだ。

「ラグビーといえば15人だろ」と突っ込みたくなる。

なんか11人制サッカーよりフットサルが先に選ばれたみたいだ。

何かを選べば同時に何かを除外しなければならない。

定員は決まってる。

それは分かるのだが、
やはりラグビーは「15人」だろ?


ノーベル平和賞にオバマ大統領。

これも釈然としない。

カーターやゴアなど、
最近、
アメリカ民主党の政治家が受賞することはあるけど、
にしても早すぎないか?

「画餅」(がべい)という言葉がある。

絵に描いた餅。


核なき世界の到来への期待を込めて、
ということなんだろうが、
ノーベル賞に世界政治を動かす力など、
ありはしない。

例えばスー・チーさんが受賞したからって、
ミャンマーがどうにかなったか?

アラファトに与えてパレスチナ問題が進展したか?

いずれも「NO」だ。

オバマは餅の絵は描いたけど、
まだだれも本物の餅は食べていない。


五輪開催地にしても、
ノーベル賞にしても、
その選択に意図を含ませるのが流行だ。

けど、
先取りし過ぎは、
はずれた時に格好悪い。

●肌寒いので、ちょっと厚めのベストを着て出勤したら、ちょっと暑過ぎた。先取りし過ぎは、はずれた時に格好悪い。

2009年10月9日金曜日

原液













最近愛聴している「花と水」。
サックスの菊地成孔とピアノの南博の即興演奏に、
かつてなく心癒される。

菊地成孔といえば、
彼と大谷能生の講義を収めた「東京大学のアルバートアイラー」は、
ぼくにとっての瞠目の書。

だけど彼のCDはこれが初めてだ。


その菊地氏が、
NHK「わたしが子どもだったころ」に出ていた。

この番組、
前に藤原紀香の分を見たことがあったけど、
今回は全然趣が違った。

実家の食堂の配達で、
界隈のストリップ劇場やサパークラブに行き、
そこで体験した大人の甘美で猥雑な世界が、
まるで映画のように再現されていた。

それも、
生まれてから大学までといった感じではなく、
小学校低学年のころの、
ほんの一時期をじっくり描いていて、
かなり異色。

よほど彼にとって決定的な原体験なのだろう。
彼は「香水を濃縮したような」と表現していた。

そして今の自分のサックスの音は、
その濃縮された体験を、
希釈して希釈して振りまいているようなものだと。

香水は希釈してあるからこそ良い香りで、
原液は決してそうではなく、
むしろ不快だという意味で。


音楽というか、
音というのは、
確かにそういうものかもしれない。

原液がよい香りなら、
そりゃ薄めてもよい香りはするだろう。
でも、
不快な原液を薄めて、
しかも人間と反応した時に、
とてつもなく官能的に化けることもある。


彼とぼくは同学年なのだけど、
当然のことながら住んでいた場所も環境も違う。

人間に原液というべき体験があるとして、
ぼくのそれは一体どんなもので、
それを希釈したぼくの歌は、
いかなる香りを放っているのだろう。

それよりも先に、
ぼくは人間として現役だろうか。

●ちなみに彼のお兄さんは作家の菊地秀行氏●台風一過。思った通り、関西は夜の間に駆け足で通りぬけて行ってくれた。用心して休みにした人はさぞ喜んだことだろうが、おかげ様で元町に行き損ねた●短パンにTシャツじゃ寒い。風邪にご用心。

2009年10月8日木曜日

台風

さっき外に出てみたら、
雨は降っていないけど、
確かに風は強かった。

まっすぐ歩けない、
というほどではなかったけど、
少しは体重を預けられそうなほどの強さはあって、
童心に返ってなんか嬉しくなった。


でも、
もしこんな時間にこんなところにいて、
看板やら何やらが飛んできて当たったら、
かなり恥ずかしいことになると思い、
すぐに家に入った。

家いる限り、
風の音と風圧を少し感じる程度で、
たぶんこれから寝てさめれば、
もう既に台風は通り過ぎた後ということになるだろう。


台風の気圧はかつては「ミリバール」と表現していたのだが、
いつから「ヘクトパスカル」になったのか調べたら、
平成4年からのことらしい。

ヘクトパスカルはミリバールの単なる言い換えに過ぎないのに、
国際基準に合わせるということで変更されたようだ。


どっちにしても肝心なのは数値であって、
子どものころは、
980ミリバールぐらいだと「まあまあだな」、
950ミリバールを下回ると「おっ、大きいのが来たな」と、
ワクワクの度合が変わった。

発生当初は920ミリバールぐらいあって、
「こりゃすごいや」と喜んでいても、
みるみる勢力が衰えて日本に上陸するころには、
たいがい980ミリバールぐらいになっていたように思う。

だから今回の台風18号は、
当時のぼくだったらかなり興奮するレベルだ。


そんな風にデッカイ台風を期待していたのは、
学校が休みになるということもさることながら、
大人が「伊勢湾台風は凄かった」とか、
「ジェーン台風の時は吹っ飛ばされた」などと話しているのを見聞きして、
なんかそういう「凄い体験」をしてみたかったからだと思う。

今ぼくが阪神大震災の話を子どもにしたら、
その子どもは同じように思うのではなかろうか。


●風はもうおさまってきた●絢香がNHK「SONNGS」に出ていた。バセドー病で今年から無期限活動停止していたらしいけど、この時期にテレビに出るぐらいなら「無期限」は少し大袈裟だったかも。ま、病状がよくなったのならそれに越したことはないのだが。少し雰囲気が変わったなと思った。歌は相変わらず上手いと思う。

2009年10月7日水曜日

一本

柔道は五輪種目なのになぜ剣道は違うのかと、
昔から不思議に思っていたが、
意外なことに、
当の全日本剣道連盟が反対しているのだそうだ。

諸説あるかもしれないが、
どうやら柔道のように、
日本の「お家芸」でなくなることを嫌っているようだ。


礼儀とか型とかを重んじる日本の「芸事」と、
ルールの範囲内で勝てばいいのだという「スポーツ」。

二つの概念が両立しないのは、
柔道をみれば確かに明らかだ。

柔道は東京五輪から正式種目になり、
注目度は剣道の比ではなくなったが、
「柔よく剛を制す」どころか、
世界の「パワー柔道」の前にひれ伏す格好になっている。


無論、
日本剣道連盟は国際化を否定しているわけではなく、
ちゃんと3年おきに世界剣道は開かれている。

その世界剣道の前回大会で、
日本は初めて団体で敗れ、
13連覇を逃した。

今年開かれた大会で、
何とか奪還したのだけれど、
韓国を筆頭とする「パワー剣道」は、
すでに日本の足元を脅かしている。


ところで、
全日本剣道連盟の「一本」の定義が面白い。

充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの

「残心」とはつまり、
「余韻」のようなものらしいけど、
ここらあたりがすでに、
剣道がスポーツではなく、
やはり「芸事」なのだと教えている。

●情熱大陸とスポーツ大陸を見て思った次第●ハムがパ優勝。

2009年10月6日火曜日

統計

生活楽しむ男性は脳卒中や心筋症のリスクが低い

こんな記事が今日の読売新聞夕刊に載っていた。
しかも1面に。

厚労省の研究班が12万人を、
12年がかりで追跡調査したのだというけど、
そんなの、
常識的に考えて当たり前ではなかろうか?

逆ならニュースだけど。


もしこの記事にポイントがあるとすれば、
それは「男性」という部分。

女性は生活を楽しんでいようがいまいが、
これらの病気にかかるリスクに差はなかったそうだ。

これを「女性は強い」と読むかどうかは、
人それぞれだろう。


そういえば先日、
少し太めの人の方が長生きするなんて統計も見たような。

ぼくは「メタボの逆襲」と呼んでいるのだけど、
最近「太めがいい」的な統計記事が多い。

ぼくなりの解釈では、
成人病にかかるリスクは適正な体型の人の方が低いのだけど、
いざかかってしまえば、
体力に余裕のある人の方が耐えられるという、
そいういうことではなかろうか。


統計記事というのは読み流すには面白いが、
解釈次第で結論を捻じ曲げやすいから、
結論を鵜呑みにするのは要注意だ。

ぼくが印象に残っているのは、
「寝室に豆電球をつけて寝させて育てた子どもは近眼になりやすい」という話。

確かに統計上は、
そういう状況で寝ていた子どもの近眼の割合は高かった。

でも実は、
そうやって寝させる「親」に近眼が多かったことがわかった。

つまり、
親がよく見えないから、
子どもの寝室にも明かりをつけていただけで、
近眼の子供が多かったのは、
単なる遺伝だったという話。


簡単なトリックに引っ掛からぬよう、
用心、
用心。

2009年10月5日月曜日

荒波

ゴルフは人生にたとえられる。

スコアを伸ばすのは一歩ずつだけど、
崩すのはいとも簡単だ。

人生もまた、
得るは難く、
失うは易い。


日本女子オープンを見ようとテレビをつけたら、
横峯さくらが18番ホールでパットを打つところだった。

それを入れてバーディーを奪わないと、
優勝はまず無理という状況。
カップまでの距離は4メートルほどだったか。

フックかスライスか。
慎重にラインを読んでから彼女が打った球は、
カップ目掛けて勢いよく転がり、
右へも左へも曲がらず、
真っ直ぐにカップを直撃した。


結果的に彼女は韓国の選手にプレーオフで敗れたのだが、
フックだろうがスライスだろうが関係ないといわんばかりのあのパットは、
彼女が「並」ではないことを如実に示している。

男子では石川遼が激戦を制して、
獲得賞金額を2年連続1億円の大台に乗せた。

確かにゴルフは人生に似ている。

荒波に耐えなければ、
失うは易く、
得るは難い。



「酩酊大臣」として有名になった中川昭一氏が、
自宅で急死した。

このスキャンダルで彼は財務大臣を引責辞任し、
先の総選挙では議席も失った。

死の理由は定かではないが、
荒波の中で人生を立て直す前に、
命まで失ってしまった。

彼の父親の中川一郎元農相が首吊り自殺したときのことは覚えている。

地盤ばかりか、
「非業の死」まで引き継いでしまった。

2009年10月4日日曜日

抽選

会社近くの「天下一品」で、
いつものチャーハン定食を食べて勘定をしに行くと、
福引抽選で「ピカピカバッジ」が当たった。













直径4センチの丸いバッジの周囲に、
赤色LEDが6個配置してある。

写真では全部灯っているように映っているけど、
実際には円を描くように、
素早く順番に点滅する。

光はかなり強力で、
数百メートル先からでもわかるだろう。


しばらく前から告知のビラが店内に貼ってあって、
実はすごく欲しいと思っていた。

だから当たったときは「ラッキー」と内心小躍りしたのだが、
副店長の可愛らしいおねえさんの前だけに、
「ありがとう」と何気ない風を装ってしまった。


昨年も同じ時期に抽選が当たって、
小さなハンドルを回すとLEDが灯る、
ミニ懐中電灯をもらった。

これもすごく欲しかったから嬉しくて、
暗いジャズ喫茶で本を読むのに重宝したのだけれど、
すぐに壊れてしまった。


今度のは、
電池交換もできる優れものだから、
長持ちするよう期待している。

胸の辺りにつければ、
まるでウルトラマンだ。

今度着けて歌ってみようかナ(笑)


●楽天CS進出決定。

2009年10月3日土曜日

熱狂

「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)を観終え、
テレビに切り替えたら、
2016年五輪で、
日米が早々と落選してことを伝えていた。

マドリードとリオの一騎打ちになったけど、
日米に投票した人が最終的にどこを選ぶかといえば、
リオだと思う。

マドリードはたぶん、
サマランチ前IOC会長に華を持たせているだけで、
最終的には南米初の「リオ」で決まりだろ。


だって見たいじゃないか「リオ五輪」

サンバの熱狂のリズムの中で、
中南米やアフリカ大陸の選手が躍動する。
そんな様を。


五輪やサッカーW杯などの巨大イベントは、
開催国はもちろん世界史的な意味をもつ。

日米で開催すれば、
そりゃ「ちゃんと」やれると思う。

でも気分としては、
両国とももう近代史的には成長を終え、
すでに「高齢化」に差し掛かっている。

いまさら五輪って、
もういいや。

「お爺ちゃんはうちでテレビで見てるから、お前たちでやってくれ」

という感じ。


1964年に東京開催が決まった約半世紀前は、
世界は「日本なんかで大丈夫かいな」といぶかったに違いない。

でもそれを成功させようと国が一丸になり、
新幹線を走らせ、
高速道路を開通し、
街の整備も飛躍的に進んだ。

その意味でもリオは「南米初」という「大義名分」があり、
BRICsの時代を象徴する意味でもいいのではないか。


だいたい、
オバマ大統領がいくら素敵な演説をしても、
2016年に彼が大統領である保障は何もない。
鳩山総理が二酸化炭素の削減を言ってたけど、
それは五輪とは本質的な関係ではない。

逆に言えば、
アメリカには「オバマ」、
日本は「クリーン」という以外、
特に「売り」がなかった。


BRICsにネクスト11。

五輪が開かれるべき国はいくらでもある。

南米初、
アフリカ初、
中東初。。。

そういう国々で平和裏に開催されてこそ、
五輪の理念にかなう。




果たしてリオに決まった。


●ブラジルは2014年W杯とあわせ、世紀のお祭り騒ぎだ。こりゃ楽しみだ●先日お貸ししたCDが返却された。大変な好評で、すごい自信になった。でも、あっさりコピーできたそうで、そちらの方の自信は喪失した●「硫黄島…」は初めてブルー・レイディスクで観たけど、やっぱり画質はDVDを相当に上回る。

2009年10月2日金曜日

自作










斉藤和義のニューアルバム「月が昇れば」。

ぼくにしては珍しく、
レンタルではなく買ってしまったのは、
半分以上、
このジャケットに惚れたからだ。
巨大な月を背景にギターを抱える姿。
この色調子も構図も、
ぼくの心を一瞬でつかんだ。

タイトルがそうであるように、
12曲中、
歌詞に「月」が出てくる曲が4曲ある。


生意気だけど第一印象、
とっても完成度の高いアルバムだと思った。
歌詞はよく伝わるし、
サウンドもぼく好み。

曲調のバランスもとれていて、
「やぁ 無常」などヒット曲も入っている割に、
トータルアルバムとして成立している。

ジャケもそうだけど、
新趣向みたいなものは感じられない。
どちらかと言えば「ベタ」感じ。
けど、
彼の等身大がリアルが伝わる。

この人、
作詞作曲と歌はもとより、
大半の楽器を自分で演奏している。
先日見た情熱大陸で制作中だった「映画監督」もいいけど、
一番のお気に入りはこれだ。

ハローグッバイ

月が昇れば 君に会いたい
浮かれた時だけ やさしい世の中

上げて落して 飽きたら次へ
散らかしっぱなしで ホントが闇の中

ハローグッバイ ハローグッバイ
いつになったら 大人と呼べるの?

月が昇れば 君に会いたい
さびしい時だけ やさしいこの男

やぶれかぶれで たくさんのウソ
消えない記憶が こころの真ん中

ハローグッバイ ハローグッバイ
ひとつ選べず 大人と呼べるの?

敵や味方や 昔の傷や
君ならどうする 言葉が聞きたい
君ならどうする 顔見て聞きたい


「歌うたいのバラッド」のように、
じわんと来るナンバー。


スガシカオもそうだけど、
自分の作りたい歌を、
作りたいように作って、
それが支持されるなんて、
アーティスト冥利に尽きると思う。

なのにテレビで見ると、
どことなくつまんなそうな、
そんな飄々として媚びないところが、
この人の持ち味なのだろう。

2009年10月1日木曜日

無料

「タダより高いものはない」とはいうけれど、
高速道路無料化に反対する人が結構いるのには驚く。

「渋滞がひどくなる」という人。
「他の輸送業界が困る」という人。

どれも当事者にとっては切実かもしれないが、
きっとそのほかにも、
「タダは胡散臭い」と直感している人も多いのではないか。

車を手放した身としては、
宅配便の値段が安くなるぐらいしか影響はないので、
正直どっちでもいい。

たぶんその代わりに何かの税金が上がるだろうから、
そういう意味では反対だけど、
車を持っていた時にさんざん無料化を願っていただけに、
さすがにそれは言いにくい。


海外ではほとんどの高速道路がタダなのだから、
日本もそうすべきだという意見は昔からあった。

第一、
日本最初の東名高速が出来たときから、
通行料で建設費が償還できたら無料にするという、
そういう建前だったはずである。


それなのに今なぜ無料化が実現しようとしているのかといえば、
恐らく車の売れ行きが加速度的に悪くなっているからではないか。

若者の車離れは著しいし、
高齢化で免許を手放す人も増えるだろう。

車メーカーにとって、
先行き国内需要が増える見込みは全くないのである。

だからせめて高速無料化で歯止めをかけたい、
そのあたりが本音のように思える。

でなきゃ、
右手で二酸化炭素削減を掲げ、
左手で高速道路無料化を掲げることが矛盾しているくらい、
子どもでも分かる。


面白いことに、
車社会の典型であるアメリカで高速鉄道網計画が進んでいる。
ほかにも中国やインドやブラジルなど、
世界中で鉄道が見直されているのである。

自動車が馬車並みに古臭い移動手段になる日は、
もうそこまで迫っている。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...