2009年10月19日月曜日

大輝

所用で岡山市へ行ったついでに、
20年前、
社会人になりたてのぼくが、
初めて住んだ場所を訪ねた。

タクシーに乗って「清輝橋まで」とだけ告げ、
見覚えのある交差点で降りて、
あとは歩いた。

確かこのあたりと思ったら、
案の定、
3階建てのマンションがあった。

想像以上に古びているが、
まだちゃんと建っている。


と思ったら、
マンション名が違うではないか。

近くにあった備前焼のお店で、
「コーポ大輝ってあります?」
と尋ねると、
「まだもう少し南じゃが」と、
懐かしい岡山弁で教えてくれた。

清輝橋にあるから「大輝」

言われた通り200メートルほど歩くと、
さっきのよりさらに古びた「コーポ大輝」が、
なんとかあった。











ぼくが住んだのは、
2階の左のベランダの方の202号室。
たった1年だったけど。

でも今は、
ポストに表札は全然ないし、
なんか人の気配がしない。

202号室の前まで行ってみたが、
古くなったという以上に、
こんなに小さかったっけと、
建物の低さや階段の狭さに驚いた。


学生下宿から移ったぼくには、
それは名前通り大きく輝いて見えたのだが。

良い記憶は、
どんどん美化されていくものらしい。


どうせなら、
自画像を持って来ればよかったと、
その時になって思った。

中学生のぼくの自画像が、
社会人になって住んだマンションの前にある写真を撮れたのに。

自画像の『ぼく』は、
マンションに住む「ぼく」も今のぼくも知らない。
マンションにいた「ぼく」は、
自画像に描かれた『ぼく』のことは知っているが、
今のぼくは知らない。

ましてや自画像を描いていたころの(『ぼく』)は、
そんな写真を将来のぼくが撮ろうと考えるなど、
知るはずもない。


過去はどんどん消去されるのか。

「今」に上塗りされて、
隠れて見えなくなっていくだけなのか。


20年の間にはいろんなことがあった。

ぼくにも、
コーポ大輝にも。

ぼくもコーポ大輝のように、
輝きはすっかり薄れてしまったのだろうか。


元々輝いてなどいなかったのか!

●吉備津彦神社でおみくじを引いたら「凶」。「待ち人来たらず」(泣)●それから大阪に戻って堀江のカフェでライブをワンステージ。「こんにちは」と美人に声をかけられ、誰かわからずにいたら、ピアノの弾き語りをしている浅利見有さんだった。一度しかお会いしたことがないのに、よく覚えていてくれたものだとびっくり●そのカフェの場所を忘れ、交番で尋ねたら「住所がわからないと無理」と言われた。「交番にもパソコンがあればいいですね」と言うと苦笑いされた。

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