所用で岡山市へ行ったついでに、
20年前、
社会人になりたてのぼくが、
初めて住んだ場所を訪ねた。
タクシーに乗って「清輝橋まで」とだけ告げ、
見覚えのある交差点で降りて、
あとは歩いた。
確かこのあたりと思ったら、
案の定、
3階建てのマンションがあった。
想像以上に古びているが、
まだちゃんと建っている。
と思ったら、
マンション名が違うではないか。
近くにあった備前焼のお店で、
「コーポ大輝ってあります?」
と尋ねると、
「まだもう少し南じゃが」と、
懐かしい岡山弁で教えてくれた。
清輝橋にあるから「大輝」
言われた通り200メートルほど歩くと、
さっきのよりさらに古びた「コーポ大輝」が、
なんとかあった。
ぼくが住んだのは、
2階の左のベランダの方の202号室。
たった1年だったけど。
でも今は、
ポストに表札は全然ないし、
なんか人の気配がしない。
202号室の前まで行ってみたが、
古くなったという以上に、
こんなに小さかったっけと、
建物の低さや階段の狭さに驚いた。
学生下宿から移ったぼくには、
それは名前通り大きく輝いて見えたのだが。
良い記憶は、
どんどん美化されていくものらしい。
どうせなら、
自画像を持って来ればよかったと、
その時になって思った。
中学生のぼくの自画像が、
社会人になって住んだマンションの前にある写真を撮れたのに。
自画像の『ぼく』は、
マンションに住む「ぼく」も今のぼくも知らない。
マンションにいた「ぼく」は、
自画像に描かれた『ぼく』のことは知っているが、
今のぼくは知らない。
ましてや自画像を描いていたころの(『ぼく』)は、
そんな写真を将来のぼくが撮ろうと考えるなど、
知るはずもない。
過去はどんどん消去されるのか。
「今」に上塗りされて、
隠れて見えなくなっていくだけなのか。
20年の間にはいろんなことがあった。
ぼくにも、
コーポ大輝にも。
ぼくもコーポ大輝のように、
輝きはすっかり薄れてしまったのだろうか。
元々輝いてなどいなかったのか!
●吉備津彦神社でおみくじを引いたら「凶」。「待ち人来たらず」(泣)●それから大阪に戻って堀江のカフェでライブをワンステージ。「こんにちは」と美人に声をかけられ、誰かわからずにいたら、ピアノの弾き語りをしている浅利見有さんだった。一度しかお会いしたことがないのに、よく覚えていてくれたものだとびっくり●そのカフェの場所を忘れ、交番で尋ねたら「住所がわからないと無理」と言われた。「交番にもパソコンがあればいいですね」と言うと苦笑いされた。
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