2010年1月31日日曜日

後味

「告白」(湊かなえ著、双葉社)を買ってしまったのは、
映画化されるという話を聞いたことに加え、
「陰日向に咲く」が予想外に面白かったことがあったと思う。

これまでずっと避けてきたのに、
つい手を伸ばしてしまった。


一言で、
救いようのない暗い内容だった。

第一章、
中学校の女性教師が終業式で生徒に語る、
モノローグに近い内容はショッキングで、
そのインパクトで最後まで一気に読んだけど、、、


著者は登場人物のすべてについて、
詳細な人物造型をしてから書くそうだ。

この小説のような教師や生徒や親が、
今や当たり前だとは思えないけど、
ある部分の本質を突いているのだろう。

今の教育の抱える「負」の部分を寄せ集め、
ミステリー風味を加えた、
という感じ。


とにかく後味が悪い。

後味が悪いことは必ずしも悪い事というわけじゃない。

映画「ノー・カントリー」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。
本なら「決壊」。

どれも後味は悪かった。
そんな悪い後味の記憶は妙に残る。


決して作っていて楽しくはないであろう、
そういう救いのない作品が創作され、
鑑賞されるということは、
一体どういうことなのだろう?

現実から目をそらすな、
ということなのだろうか、、、


●いずれにせよ本屋大賞はもう信じない●「ライ麦畑でつかまえて」もあんまり後味がよくなかったような、、、

2010年1月30日土曜日

更新

運転免許の更新に行った。

昨年12月から出来たのだけど、
ズルズル引き延ばしているうちに、
期限の今月末が迫ってきた。

土曜日は伊丹にある更新センターがお休みで、
日曜日はぼくが仕事。
今日がリミットだった。


前回の更新時も同じようにドタバタだった。

3年前の今頃のぼくは、
人生で最大の危機、
文字通り「生きるか死ぬか」状態で、
免許の更新のことなど頭からスッカリ抜け落ちていた。

気が付いたら夏になっていて、
そうなると明石の運転免許試験場まで行かねばならい。

でも悪い事は重なるもので、
ぼくは体を壊して入院を余儀なくされ、
明日入院というピンポイントの一日、
電車に揺られ明石まで行った。


つまり伊丹のセンターに行くのは6年ぶりになる。

免許証はいつの間にかICチップ内蔵になっていた。
専用の機械にかけて暗証番号を入れると、
本籍と顔写真がモニターに映し出される仕組みだ。

偽造防止のためだという。

平日の午後のセンターはすいていて、
手続きはスイスイ進む。
レーシックのお陰で、
裸眼での視力検査も何とかパス。
免許証から初めて「眼鏡等」の文字が消えた。


それにしても、
3年なんてあっという間だな。

瀬戸際にならないと動かない性格は相変わらずだし。

ぼくの中身は実際のところ、
3年前から一度も更新されていのかもしれない。

そう思いながら、
出来あがった免許の写真を見た。


そこだけは、
確実に3年分更新されていた(ノД`)・゜・。

●という訳で元町には少ししか滞在できず、ペンギンさんに約束のブツを渡し損ねた。次に会う時は必ず!

2010年1月29日金曜日

未知

「THIS IS IT」を観ていて、
歌やダンスと同じぐらいに感銘を受けた言葉があった。

映画の終盤、
マイケルがダンサーやスタッフに語りかける場面だ。

輪になったメンバーをに向かって、
彼はこう言う。

信じて突き進もう。
全力でやってほしい。
忍耐と理解を持って。
これは素晴らしい冒険だ。
何も心配はない。
ファンの望みは日常を忘れる体験だ。
未知の領域へ連れていこう。
未体験の才能を見せよう。
全力を尽くそう。


彼の実生活や人間性は、
メディアに様々、
もう嫌というほど溢れかえっているけれど、
この言葉に嘘はないということは、
映画を観ればわかる。

彼はエンターテナーとして、
観客を意識してこう言っているのであるが、
恐らくこの言葉は人生にも通じる。


人が生きる喜びは様々あろうが、
自分の中の新しい才能に気付く時も、
間違いなくその一つだろう。

出来なかったことが出来るようになる。

そのワクワクした興奮は、
間違いなく人生の醍醐味だ。
そのために忍耐と理解をもって、
全力を尽くして突き進む。


生きるということは、
未だ知らない自分を知る、
素晴らしい冒険だ。

そう信じよう。

自分に慣れてしまわぬうちに。

自分に飽きてしまう前に。

●ジェフ・ベックのチケット到着( ̄ー ̄)

2010年1月28日木曜日

手際

いつも髪を切ってくれるS君は、
とても手際がよいので感心する。

流行り言葉で言えば「草食系」ということになるのだろうが、
とにかく人当たりが柔らかい。
こちらの勝手な話題に対して謙虚に、
柔らかく自分の感想を付け加える。

決して不快感を与えない。

だからぼくは彼と話をするのが楽しみだ。
ぼくとは正反対の「誠実さ」と感じる。


椅子に座って、
ほんの10分ほど世間話をしているだけなのに、
いつのまにか終わっている。

欲を言えばもうちょっと野心を持てれば、
将来きっと一流になれるだろう。
とりあえずでもS君の素直さには毎度変わらない。

10分といってもその間、
S君彼は何度か別の用事で中座し、
ハサミを入れているのは正味数分ではなかろうか?


余りに早業すぎて、
もっと話がしたいといつも思う。

昔の床屋みたいに、
小一時間もチマチマ切っていたのに比べると、
まるで魔法のようだ。

ちゃんと切ったのだろうかと思ってしまうほどだ。


実際、
鏡を見てもそんなに短くなった気がしない。
もちろんそれはぼくのリクエストであって、
「ショートにしたい」と言えば、
ちゃんとそうしてくれるだろう。

要はそれほどに自然な仕上がりだということ。

店を出て、
頭に風を感じ、
手で髪を触り、
さらに風呂に入って洗髪すれば、
確かに髪の量が減っていることを実感する。

さりげない手際の良さに感じ入る瞬間である。


そのS君、
ぼくの去年のライブのスケジュールをネットで見つけたと言っていた。

たった1度の武庫之荘でのライブ。

でもなんで?


経緯はこういうことらしい。

昨日予約の電話をぼくがした後、
電話を受けた女性スタッフとS君との間で、
ぼくの事が話題になったという。

そこで「たはしろ」と「ジャズ」かなんかで検索してみたらしい。


S君「歌は英語で歌われるんですか」。

ぼく「ジャズだったらそうだね」。

S君「女性スタッフが発音が綺麗と言ってましたよ」。

ぼく「????????????」

だって、
予約の電話でしゃべった英語は、
「カット」と「シャンプー」しかないんだもの(笑)


何はともあれ、
ぼくという人間がどこかで話題になり、
わざわざネットで検索してくれたということは、
ただそれだけでありがたいことです。

S君に「よかったら今度ブログ見てみてよ」と伝えた。

見てくれてるかなぁ、、、

いつになったら、
次にライブの日程が決まるかなぁ、、、

●宿直明けだったもので、美容院で洗髪の最中、一瞬だけ寝てしまった●「THIS IS IT」到着。ちょっとだけ観るつもりが、またしても釘付け状態になってしまった。「Earth Song」で映る森と少女の映像で、アバターを思い出した。

2010年1月27日水曜日

分人

「タイタニック」が1年半かけて築いた興行収入記録を、
「アバター」がたった39日で抜いた。

13年間、
どれほどのヒット作でも決して破れなかった記録が、
こんなにあっさり塗り替えられたことに驚く。

シネコン全盛の今と1997年当時とでは、
上映映画館の数がそもそも違うのだろうけど、
それにしてもキャメロン監督は一人別次元を行く。

ただ、
アバターがそこまで名作だったのかは疑問だ。
ぼくはタイタニックはDVDを持っていて、
年に1度ぐらいは観て涙するのだが、
アバターはそうはならないだろう。


ところで、
今日27日から、
英国滞在暦に関する献血制限が緩和されるという。

何のこっちゃと思いながら読んでいると、
これまで、
1980年から1996年までに1泊でも英国に滞在した人は、
献血をできなかったということを知った。

狂牛病の予防のためだったというが、
そんなことちっとも知らなかった。

緩和されることより制限があったことの方が驚きだ。


日本赤十字社の広告には次のようなコピーが載っている。

人間を救うのは、人間だ

決して神様ではないわけだ。


「DAWN(ドーン)」(平野啓一郎著、講談社)。

地球の近未来小説で、
その中に「分人」という概念が出てくる。

といっても難しいものではなく、
人は職場や家庭や趣味の世界や、
様々な場面で様々な顔を持つ。

その1つ1つの顔を「分人」と表現しているのだ。
「ドーン」の近未来では、
誰もが幾つもの「分人」を所有しているのが当然のこととして描かれる。

人類初の有人火星探査に参加した、
主人公の日本人「明日人」は、
2年以上にわたるミッションの間に過酷な体験をし、
ついには薬物依存になって地球に帰還する、、、

終盤、
立ち直りつつある明日人は、
自分の体験をブログに掲載する文章を書き記す。
それを読み返しながら彼は思う。

 役に立つから生きていていいのではない、生きているから人の役に立ちたいのだとハリスは言った。明日人は、その言葉の意味を改めて考えた。
 これまで書いてきた物語の辛く苦しかった一つ一つの場面が、やがては明るい結末へと回収される伏線に過ぎないものとなるためには、何が続いて、何が変わらなければならないというのだろう?世界中を顰蹙(ひんしゅく)させたこの主人公は、どうすれば、これからまた人々に受け容れられる存在になるのだろうか?傷つけてしまった人と、犯してしまった過ちに対して、今後主人公がどう生きてゆけば、人はまた彼を愛するようになるのだろうか?……(中略)誰に対して何をする主人公であれば、この物語は明るく、愛らしい結末へと向かっていくのだろうか?どうすれば、彼自身が、この書きかけの物語の主人公を愛することが出来るのだろうか?


ここで胸が詰まった。

2010年1月26日火曜日

初物

渋江光晴。

彼も昨日の友人「ドン・ホセ」と同じく、
仕事をしながら音楽に賭けている一人だ。

昨春、
転勤で故郷の山形に帰ってしまったのだが、
今日、
久々に大阪で演奏した。

しかも、
斎藤栞さんという美人シンガーを引き連れて。


ということで、
大阪・ロイヤル・ホースへ行った。

老舗中の老舗でありながら、
ぼくはここは初めて。
どうも最近初物づいている。

俗に「語るように歌え、歌うように演奏を」というが、
渋江さんのドラムは歌っていると思う。
こういうドラムをたたける人はそう多くない。

そして斎藤さんの歌もまた、
老舗の重厚さに負けぬ、
堂々たるもの。

山形の風雪に耐える、
粘り強い歌だった。


嬉しいことは重なる。

ピアニストの押領司由紀さんから、
お誘いメールが入り、
三宮のアルフィーへ向かった。

ここも初めてのお店。
元木美穂さんというシンガーのお店ということで、
彼女が歌っていたのだが、
これがまた目茶目茶よかった。

まさに「語るように歌う」手本だと思った。


それぞれ頑張っているミュージシャンが、
ぼくのことをおぼえていてくれて、
誘ってくれる。

そのことが嬉しい。

そしてお呼びに応えられるのは、
きっとぼく自身の調子が、
上向きだからだろう。

これから少しずつ暖かくなって、
ぼくの歌も芽吹けばよいのにと思う。

2010年1月25日月曜日

観劇

奈良って前に行ったのいつだっけ?

それほどぼくには「遠い」奈良に出かけたのは、
友人が出演するオペラを観劇するためだった。

大阪で環状線に乗り換え、
鶴橋で近鉄にまた乗り換え、
それは多少面倒だったけど、
時間にしたら1時間。

こんなに近かったっけ?
というほどあっけなく「学園前駅」に着いた。


会場は駅からすぐの、
学園前ホール。
浪速オペラ協会による「カルメン」だ。

プロとアマが共演するという形で、
友人は準主役(たぶん)のドン・ホセ。

彼は高校生の時からの友人で、
家庭を持ち仕事をする一方、
オペラやオーケストラにのめり込んでいる。
ぼくの周囲では、
最も理想的な生き方をしている。


しかし実を言うと、
ぼくはオペラを観たことがない。

「カルメン」という超有名な演目でさえ、
曲は分かるけどストーリーはよく知らない。

でも分かりやすいナレーションと、
何といっても日本語訳だったお陰で、
それなりにスジはわかった。

ぼくは初めてのオペラに興味津津。
持参したオペラグラスを手放せなかった。

演奏はピアノとシンセだけで、
セットもないんだけど、
衣装やメイクは豪華で、
十分ゴージャスだった。

友人は歌に演技に、
ほとんど出ずっぱり。

練習のほどがしのばれる。

休憩をはさんで2時間半。

最後には花束を出演者に渡す「花束コーナー」なんて、
いかにも「浪速」的な盛り上げもあって、
めでたく終了。

これはカーテンコールの場面。











会場を後にする時、
ドン・ホセの衣装とメイクのままの友人が、
見送りのため出入り口に立っていて、
握手した。

全力を出しつくした彼は輝いていて、
ただただ羨ましかった。


ぼくもいい加減にライブを計画しないと!

●観劇は「感激」にかかってます。念のため、、、

2010年1月24日日曜日

歌詞

最近の歌はほとんど、
曲が先に出来て、
詞は後から付けられるようだけど、
小田和正もまた同じだと、
NHK「ソングライターズ」で言っていた。

彼の大ヒット曲、
「ラブストーリーは突然に」について、
彼自身が面白いことを言っていた。

あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らは いつまでも 見知らぬ二人のまま


出来あがった曲に言葉をあてはめて、
結果こうなったのだけど、
あまりに当たり前のこと過ぎるように、
当時の彼は思ったらしく、
そんなんでいいのだろうか悩んだという。

でも、
今になって、
これでよかったと思うと。

いかにも理系出身の彼らしい話だ。


確かに理屈では当たり前の歌詞だ。

しかしこの部分、
メロディーとともに歌われた時、
歌い手、
あるいは聞き手であるぼくらは、
その歌詞とともに自らのこれまでの出会い、
そしてそれにまつわる様々な思いでが一挙に去来し、
あるいは意識しなくてもそうした心の感触を味わう。

そこんところが、
詞だけでも、
曲だけでもなく、
二つが一体となった「歌」の持つ力の一つだろう。


もうひとつ言えるのは、
出来あがった歌は、
作り手のものではあるけれど、
同時に聞き手のものでもあるということ。

聞き手の思いが歌に乗っかって、
初めて歌は歌たりえる。

そんなことを再認識した。


「言葉にできない」

終わる筈の無い愛が途絶えた いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる

ひとりでは生きてゆけなくて
また誰かを 愛している
こころ 哀しくて 言葉にできない

LaLaLa LaLaLa…
言葉にできない

せつない嘘をついては いいわけをいいわけをのみこんで
果たせぬ あの頃の夢は もう消えた

誰のせいでもない
自分が ちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない

LaLaLa LaLaLa…
言葉にできない

あなたに会えて ほんんとうに良かった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない

LaLaLa LaLaLa…
言葉にできない


名曲ですね。

2010年1月23日土曜日

読者

このブログを始めたのは2008年6月8日。

「はじめました」というタイトルである。


だがその8か月ほど前の、
2007年10月7日から、
このブログの前身となるものを始めていた。

今は閉鎖してしまって僕以外はだれも見れないけど、
ぼくのブログの本当の意味での第1回の、
記念すべきタイトルは、

「正義感の適量」

ぼくはこんなことを書いていた。


 大阪のコンビニ店員が万引きした少年に刺し殺された。店外まで追いかけ取り押さえようとした勇気には頭がさがる。でも、命を懸けるほどのことはなかった。ナイフで逆襲されるとは思わなかったのだろうが、いまどきのことだ。切れた少年は何をするかわからない。犯人の少年も予想外に手ごわい店員に恐怖を感じたのだろう。正義感を出し惜しみせよというわけでもないが、適量はあるように思う。


超真面目(笑)


でも懐かしい。

このころは、
ブログを始めたことなど誰にも知らせてなかった。

一言で「瓶詰めの手紙」。

糸電話に向かって喋っているけど、
その糸の先がどうなっているのかわからないような、
そんな気持ちだった。


今ではその糸の先が何人かに届いていることを知っているし、
そのうちの何人からは感想を聞かせてもらうことができる。

見返りなど何も求めてはいないが、
やはり直接の手ごたえがあるというのは、
嬉しいものだ。

その熱心な読者の人を意識して、
小細工というか、
「わかる人にはわかる」ネタを書くこともある。


一方で、
未来の読者を漠然と想像することもある。

ネットというものが存在し、
ぼくが閉鎖しない限り、
このブログは半永久的に地球上に公開され続けるわけで、
100年後、
いや1000年後にだって、
たまたま何かを検索しているうちに、
弾みでこの文章を読む人がいるかもしれない。

そんなに壮大に構えなくても、
「はじめました」と書いている時のぼくにとって、
今これを書いているぼくは「未来の読者」だ。


そしてXXXX年に読んでくれているあなた。

「はじめまして」

ぼくはもう地球にいないけど、
読んでくれてありがとう。

こんな男が昔いたのです。


●ペンギンさんに約束していたブツを忘れてしまった。笑顔で「いいよいいよ」と言ってくれたが、目は「次忘れたら校庭10周」と言っていた(嘘)

2010年1月22日金曜日

共生

美術館や作品展に行った経験はあるが、
「画廊」というものはこれまで縁がなかった。

ぼくにもそんな「初」があったのだと思いながら、
三宮・島田ギャラリーに行った。

石井一男氏の個展を見るためだ。


平日の午後。
強い風が吹く中、
ハンター坂を登っていくと、
ほどなく左手にギャラリーが見えた。

中に入ると、
印刷物でしか見たことがなかった石井氏の作品が、
十数点並んでいた。

数人のお客さんがいて、
そこに石井氏本人もいた。


作品をしばらく眺めた後、
少しお話をさせていただく。

本やTVで抱いたイメージそのまんま、
と言えば失礼かもしれないが、
「奇蹟の画家」に書かれているように、
良い意味で意外性のない人だった。

それは、
昔から親しい人のような、
穏やかな安心感に近しいものだった。

もはや「有名人」になって、
画廊の人から「先生」と呼ばれていた。
これから周囲の環境は嫌でも変わるし、
何より氏を見る人の方が変わってしまうだろう。

でも「これからも清貧を貫いて」などとは思わなかった。


この機会を逃してはならぬと思い、
「女神」の作品を持ってもらって一枚。













フジテレビ「不毛地帯」を観ていたら、
お坊さんがこんなことを言っていた。

仏教の根本は共生(ともいき)の精神だと思う。自分のためだけの生き方ではなく、自分の生き方が人に感銘を与え、人に幸せをもたらせる、自他共に生きる共生の心が存在しなければならない。したがって、自分の執着、執念に動けば、自分を縛すると同時に相手をも縛することになり、共生の世界を失い、修羅の世界に没してしまうことになる。


●個展の絵はすでにほとんどが売約済になっていた。東京・小平の松明堂ギャラリーでも24日まで個展が開かれているという●髪を切ろうと美容院に電話したら、今日まで社員旅行中とのこと。その代わりといっては何だが、保健所で用事を一件済ませた●奥さんを亡くした友から連絡があった。彼は頑張っていた。尊敬する。

2010年1月21日木曜日

粗末

バウムクーヘンを日本で初めて焼いたドイツ人。

先日観たNHK「歴史秘話ヒストリア」は、
なかなか掘り出し物的に面白かった。

記憶ではこんな話。

ドイツ人のユーハイムさんは、
子どものころからの夢だった菓子職人になり、
「ひと山当てる」ために中国に渡る。
      ↓
上海で店を出し成功するのだが、
第一次大戦が勃発し、
戦後捕虜として日本に送られる。
      ↓
見合い結婚した妻とも生き別れ状態になるが、
数年たって釈放され再会を果たす。
      ↓
広島でのドイツ博覧会でバウムクーヘンを紹介し、
大好評(ちなみにこの博覧会が開かれたのは今の原爆ドーム)。
      ↓ 
その後、
横浜で店を構え成功するが、
関東大震災で家財を失う。
      ↓
在日外国人の人脈で神戸に避難し、
そこでも店を構え、
またまた大成功するが、
第二次大戦の空襲でまたも家財を失う。


このドイツ人の名前は「ユーハイム」。
そう、
ユーハイムという会社を作ったのは、
ユーハイムさんの弟子だった。


波乱万丈この上ない展開で、
事実は小説よりも、、、という実話に驚いた。


この話だけでは強引と思われるだろうが、
昔の人の方が大胆というか、
思い切った生き方をしているように思えることが多い。

もちろん、
昔だって保守的に生きた人が大半で、
今でも大胆に生きてる人はいる。

しかしぼくが思うに、
戦争が身近だった時代の人は、
命を粗末にしなかった、
とは言えないだろうか。

戦争や疫病など理不尽な理由で、
人がいとも容易く死んでしまう。
そういう現実に日々接しているからこそ、
平凡であれ突飛であれ、
とにかく生きている今の命を大事にしていたように思える。


インフルエンザに怯え、
将来の年金を不安がり、
健康方に群がり、
サプリメントを飲みまくり、
ただ無事に、
ただ無難に、
生き続けることが手段ではなく目的化してしまっては、
それは逆の意味で命を粗末にしているのではないか。

ぼくたちの身近でも、
例えば阪神大震災をきっかけとして、
あるいは身近な人の死をきっかけとして、
行き方の舵を大きく切る人がいる。

命の有難さは、
身近な死によって痛感させられる。


同級生の奥さんが亡くなった。
同級生が亡くなった。

そんな話を立て続けに聞いた。

言葉を失い、
首をうなだれる。















命を粗末にしてはいけない。


●修理に出していたイヤホンが、無償で新品に交換されて帰ってきた。嬉しいといえば嬉しいけど、愛着もあったので少し残念でもある。交換すりゃ済むってもんでもなかろう。

2010年1月20日水曜日

再生

長年使ってきたステレオが、
どうも寿命らしい。

随分前からDVDの再生が出来なくなり、
CDも怪しくなって、
ついにラジオまでぶつぶつ途切れるようになった。

今時これを修理に出せば、
新品が買えるほどの料金がとられると思う。


そこで親父が以前使っていたコンポの再登場だ。


亡くなってから、
押入れにしまい込まれたままになっていた。
それを引っ張り出し、
スピーカー以外の本体を取り換えると、
ちゃんと動いてくれるじゃないか。

DVDの再生機能はないのだけれど、
CDもFMもいい音で鳴ってくれる。
こういうことがあるから、
物って捨てられないんだよな。

さらにこのコンポ、
カセットテープが再生できる。

今時カセットかよって感じだが、
これが案外活躍するかもしれない。

主に中高生の時に録音したテープが、
今も手元に何十本もあるからだ。

昔バンドをしていた時のものも、
探せばきっとあるはずだ。

そのうち聞いてみようと、
少しワクワクしている。


母親に聞くと、
実は廃品回収行き寸前だったそうだ。

思わぬ再生に、
コンポも心なしか張り切っているように見える。

しばらくお世話になるよ。


●天満「じゃず家」セッションへ久し振りに。毎度のことながら、これが今の実力だと、半分落ち込み、半分納得した。

2010年1月19日火曜日

指向

「コード・ブルー2」の2回目を半分見た。

実は先週の初回、
ちゃんと録画予約して確認までしたはずなのに、
できてなかった(泣)。

ということで久々に見る山下智久、
なんか病気じゃないのっていうほどに、
印象が変わっている。

新垣結衣も、
両耳から垂らしていた髪がなくなって、
別人みたいだ。


それはともかく、
「本当の自分」という台詞が頻繁に出てきて気になった。

脳にちょっと異変が起きただけで、
記憶がなくなったり、
性格が変わってしまったりするのだから、
「本当の自分」なんてあるわけないと思う。

あるとすればそれは、
「本当の自分」を探そうとする指向だ。

画家の石井一男氏が行っているのも、
言い換えれば永遠の自分探し。

ただそのベクトルは、
人並み外れて強い。

言い換えれば究極のナルシスト。

悪い意味じゃなく。












例えば今日この風景に反応して、
こういう感じに加工したのは、
今日の(厳密には今の)ぼくで、
そういう意味でこれは自画像と言える。

だがここに「意味」や「テーマ」はない。


ところで。

NHKプロフェッショナルで浅川智恵子という、
IBMの研究者を取り上げていた。

彼女は十代で視力を失った。

一番感銘を受けたのは、
目が見えなくなった彼女が、
「私にでもできること」を探したのではなく、
「私にしかできないこと」を探したということだ。

「でも」と「しか」の違い。

この指向の違いは大きい。


 そもそも《わたし》は森川に会いたいのだろうか。《わたし》にとって重要なのは、「森川に会いたい」という気持ちであり、気持ちが森川の方に向いているという「指向性」そのものの方ではないか。(群像2月号、古谷利裕「わたしは知りたかった」)。

ぼくが求めているのは、
「森川」なのか、
「会いたいという気持ち」なのか。


●「あきらめなければ、道はひらける」。浅川さんのお言葉である●サカナクション「アルクアラウンド」。カッコいい♪

2010年1月18日月曜日

等身

石井一男氏、
いきなり「情熱大陸」に出ていてびっくり。

ていうか、
ぼくのアンテナが錆びているだけかもしれないが。

「奇蹟の画家」でも石井氏の寡黙さというか、
口下手ぶりは書かれているが、
番組中、
ほとんどまとまって意味のある言葉を喋っていないところが凄い。


言葉ってどんなに饒舌を尽くしても、
結局心のすべては表現しきれない。

そういう意味では、
すべての言葉は偽りだ。

恐らく石井氏は言葉のそういう性質を直感していて、
だから絵で自分を表現しているのだろう。

何かのテーマを描くというのではなく、
散歩しながら風景を愛でるように、
毎日毎日、
絵筆を黙々と動かしながら、
氏は自分の中を散歩して、
見えた景色を投射しているのだろう。

キョウノワタシハナニモノカ

画家の描くものはすべからく自画像だと思うけど、
氏にとっては特にそうであって、
女神像を何千枚描いても、
氏にとってはすべて違うものなのだし、
特段、
他に題材を見つける必要もないのだろう。

そういう作業を何十年と繰り返しているからこそ、
氏は常に等身大でいられるに違いない。

自分を等身大で見つめ続けること。
それはすごく難しいことだ。


いずれにせよ、
氏の作品に魅かれるということは、
氏そのものに魅かれるということであり、
それは自分の中に、
氏と通じるものがあると感じるからに他ならない。

●なぜか氏にあったことがあるような気がした●氏の作品は1点数万円するらしいが、部屋の棚には未完の作品が恐らく数千枚あった。盗難とかなきゃいいけどと余計な心配●「フリークス」(トッド・ブラウニング監督)をDVDで。強烈。

2010年1月17日日曜日

落葉












今年の賀状に使った写真だ。
会社の前の公園は毎年12月、
このように見事なイチョウの葉で覆われる。

昨年末、
あんまりきれいだったから撮った中から選んだ。


ここに

Remember

という文字と、
次の文章を載せた。


忘れてしまいたいこと。
忘れてはならないこと。
忘れてしまったこと。
忘れたくないこと。
忘れられないこと。

過去を大切に。
今はもっと大切に。


特に深く考えた文章じゃない。
写真を見ていたら勝手に手が動いた。

秋から冬にかけて降り積もる落ち葉は、
次々に層をなして、
やがて土に還る。

この10年ほど、
毎年そういう光景を見てきた。


ぼくの体験や記憶も、
この落ち葉のように降り積もり、
やがて土に還る。

その養分を吸った木は、
翌年また葉を茂らせ、
落ち葉は土に還る。

毎年降り積もった落ち葉の記憶は、
人の心からは消えても、
土や木は覚えている。


本当に美しいのは、
その年の落ち葉そのものじゃなくて、
同じ営みが繰り返されることだ。


●「善き人のためのソナタ」(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督)をDVDで。昨年はベルリンの壁崩壊20周年で、関連ドキュメントをいくつか見ていたから、実にタイミングがよかった●住吉のジャンカラに行き、パフェを食べた。

2010年1月16日土曜日

奇蹟













石井一男という画家を知ったのは、
去年読んだ毎日新聞の記事だった。

新開地の長屋の二階に一人住まいし、
バイトで食いつなぎながら、
細々と女神像を描き続けている、、、

そんな内容だったと思う。

地蔵のような顔の絵と、
清貧な暮らしぶりに感銘を受けた。


その石井氏をとりあげた、
「奇蹟の画家」(後藤正治著、講談社)という本を知ったのは、
立ち読みした週刊文春の書評コーナーだった。

いや正確には、
その本の存在は前から知っていたのだが、
その「奇蹟の画家」が「あの」新聞記事の画家であることに、
その時初めて気付いた。

さらに驚きだったのは、
無名だった石井氏を「発掘」したのが、
海文堂という書店の前社長だったということ。

そう、
元町に行くと決まって立ち寄る、
お気に入りの書店だ。

感銘を受けた画家と、
行きつけの書店とが、
一つの書評で結びついたのだ。


海文堂という書店は、
一見普通の本屋に見えるのだが、
意外に硬派な本が揃えられている。
神戸に関する本も多い。

二階に上がる階段の踊り場には、
巨大な船の舵輪が飾られていて、
絵画の個展も度々開かれている。

ただの書店ではない。
きっ一家言ある店主に違いないとは思っていたが、
「あの」画家とそんな関係だったとは。


今日早速、
その海文堂で買って半分ほど読んだ。

石井氏と海文堂の出会いから、
氏の絵画に魅せられた人たちが、
数珠つなぎのように紹介されていく。

ぼくの頭の中で滞っていたものが、
一気に流れ始めたような、
そんな感じ。

石井氏という画家の存在もさることながら、
ぼくには絵画が取り持つ人間関係もまた、
奇蹟的に思える。


●ペンギンさんと今年初めての対面。やっと今年が始まった感じがした。

2010年1月15日金曜日

複雑

昨日のブログを公開し忘れていることに、
今気付いた。

心配してくれた人なんて、
若干名だと思うけど、
スミマセン。


ここからが本題。


卓球の斎藤清選手が、
全日本卓球で前人未到の101勝を飾った。

この人は47歳で、
28年がかりの大記録。
この日の相手は高校生だったというから、
まさに息子と対戦しているようなものだ。

頑張るおじさんに拍手なんだけど、
彼の写真を見て、
少々複雑な気持ちになった。

だって、
どうみても小太りのおじさんなんだもの。

たまたまぼくが見た写真がそういう映りなのだけど、
「あぁ47歳ってこんな感じなんだ」と、
現実を突きつけられたいるようで、
少々辛い。

その一方、
「小太りのおじさん」にしか見えない斎藤選手は、
ぼくなんかよりはるかに運動能力があるわけで、
そういう意味で二重に複雑な気分になった。


今日、
実年齢を書く方のジャンカラに行った。

時間がなかったので30分だけだったのに、
受付の女の子はパフェを勧めてくる。

当然断ったんだけど、
帰りの支払いの時に驚いた。

何と70円。

フリードリンクなのに、
平日の昼間でメール会員だと、
そういうことになるわけだ。

そりゃパフェも勧めたくなるよな。

これもデフレの一面かな。

そりゃ安いのは助かるけど、
こんなに安すぎると逆に、
「この国大丈夫か」といささか不安になる。

複雑だね。

●今日は頑張って早起きして元町に行こうと思う●ハイチがとんでもないことになっている。時期が時期だけに、身につまされる。

2010年1月14日木曜日

面影

「フレンズ」を初めて聞いた時、
ボーカルNOKKOの声が、
アニメの声優みたいだと思った。

レベッカの全盛期はちょうど、
ぼくの大学時代とクロスしていて、
とても印象が強い。

社会人になって、
いつの間に解散し、
ソロ活動していたはずのNOKKOの歌も、
すっかり街から消えてしまった。


NHK「SONGS」を観た。

10年も歌手活動を休んでいたそうだ。

歌うのが嫌になっていたらしい。

その間に再婚し子どもを産んで、
充実した暮らしを送っていたのだろう。

本人は今歌うのが楽しいと言っていた。


彼女はぼくと同い年。

そんな風に感じて、
活動を再開したことは素直に嬉しい。

でも、
随分昔と歌い方が変わってしまって、
ぼくにはそれが少し残念だ。

上手く歌わなくたって、
あの声であのハイテンションで歌う彼女は、
とっても格好よかった。

でもその面影を求めるのは、
たぶん筋違いだ。


「フレンズ」は衝撃的だったけど、
僕が一番好きなレベッカの曲は「MOON」。


壊してしまうのは 一瞬でできるから
大切に生きてと 彼女は泣いた

MOON あなたは知ってるの
MOON あなたは何もかも
初めて歩いた日のことも


何か泣けたんだよなぁ。

2010年1月13日水曜日

情熱

「ROOKIES」の佐藤隆太を見ていると、
「教師びんびん物語」の俊ちゃんを思い出す。

夢にときめけ 明日にきらめけ

こんな台詞を思いっきり言える。
それがサマになる。

そんな日本人は佐藤隆太と(かつての)俊ちゃん、
そして松岡修造ぐらいではないか。

もはや絶滅危惧種といってもいい、
そんな熱血人間に、
なぜか心打たれ、
涙する自分がいる。


自分が自分であることに、
何の疑いもためらいもなく、
心と体が見事すこしのブレもない。

そういうことが若さなのだとしたら、
ぼくはとっくに若くはないなぁ。


たとえば、
磯﨑憲一郎と平野啓一郎。

ぼくとも年代の近い二人の作家について考察した、
「内なる他者の言葉」(永岡杜人、群像2月号)の末尾、

他者から到来し、他者性を隠してしまった内なる他者の言葉でしか世界も「私」も象(かたど)ることはできない人間の在りよう

などという一文にもまた、
ぼくは深く心動かされる。


話は飛ぶけど、
反捕鯨団体の活動って、
どうしてあんなに過激なのだろう。

先日のシー・シェパードの体当たりなんて、
ほとんど命懸けではないか。










捕鯨船に体当たりするこのSFちっくな船の、
上に見えるのは人だろ?

動物保護運動は様々あるけど、
どうして鯨だけこんなに過激になれるのだろう。

単なる文化や宗教の問題とはとても思えないし、
「反捕鯨は金になる」という論理も納得できない。

第一金になるからって命までかけないでしょ。

ひょっとして、
本当に鯨はSOSを出していて、
それを感じ取れる人がいるのではと、
思ってみたりする。


●「ROOKIES卒業」を借りて見たもので●俊ちゃんのドラマ名、間違ってたので直しました。

2010年1月12日火曜日

声帯

歌っている時の声帯の映像が、
YouTubeにあることを知った。

イラストや写真で見たことはあったけど、
実際に発声している、
「動く」状態を見るのは初めて。

ちっちゃな2本の「ひだ」が、
微細に震えてるのがわかる。

低い声では「ひだ」は短く、
高い時には長く。

しかしその差はほんの少し。

そんな微妙な違いで声の高低が決まり、
ましてや音程や音色を操っているのかと、
不思議な気がする。


映像を見た今では、
自分が歌っているときに、
声帯がどのようになっているか具体的に想像できる。

と同時に、
あんなにはかない「ひだ」を、
これまで随分酷使してきたなぁ、
これまでよく頑張ってくれた、
今後はもう少しいたわってやるよと、
反省を込めて思った。


それにしてもあの映像、
内視鏡で撮影しているのだろうけど、
よくあんなものを喉に突っ込まれて歌えたもんだ。

胃カメラ体験を思い出して、
ウッときた。

2010年1月11日月曜日

大器

「龍馬伝」第2回を見る。

40歳の福山雅治が、
青年時代(恐らく20歳代)の坂本龍馬を演じて、
全く違和感がないことに驚く。

それは演技力というより、
単純に彼が若々しい(ということだろう)。

その福山君も、
高知弁には相当苦労していると、
NHKのホームページで知った。

一方、
高知出身の広末涼子は、
いわば「ネイティブ」。
このアドバンテージは大きい。


社会人になって最初に赴任した岡山で、
最初に驚いたのは方言だった。

確かファミレスで食事していた時、
背後の席から女の子の声で、

「○○じゃろ~」

「○○が~」

という話声が聞こえてきて、
こっちだって関西弁で言えたもんじゃないのだが、
正直「汚い言葉やなぁ」と思ったものだ。

ところが3年も住むとすっかり馴染んで、
女の子の「が~」が可愛らしく思えてきて、
こっちも自然と岡山弁をしゃべっていたが、
ネイティブが聞けば、
きっとぎこちなかったに違いない。


龍馬伝に話を戻すと、
どうも映像の感じが映画っぽいなと思っていたら、
「プログレッシブカメラ」という最新機種を使っているという。

技術的なことは難しくてよくわからないけど、
要するにビデオではなくフィルムカメラっぽい映像が撮れるらしい。

さらに小型カメラを同時に数台使っているようで、
カット割りやアングルに凝っていることは、
素人目にもわかる。

そうしたことが相まって、
ストーリー云々以前に、
映像がすでにドラマチックだ。


NHKの底力。


ところで。

第2回のタイトルは「大器晩成?」。

この熟語の出典は老子で、
「大方無隅、大器晩成」というらしい。

忠実に解釈すれば、

無限に大きい四角形は四隅がなく、無限に大きい器は出来上がらない

という意味で、
将来性に期待するような使われ方は、
後のことらしい。


史実によれば、
龍馬が江戸に出たのは18歳ごろのこと。

31歳で暗殺されるまでわずか10年余り。

龍馬は大器になる途上だった。

2010年1月10日日曜日

合点

先日時間つぶしのつもりで本屋に入り、
たまたま目にとまったのが、

「陰日向に咲く」(劇団ひとり著、幻冬舎文庫)だった。

ベストセラー街道まっしぐらの時、
あえて無視をきめこんだのだけど、
もう文庫になってるんだ。

そう思って奥付を見ると、
去年の8月に初版が出て、
もう9版になっている。

著者が週刊文春に連載しているエッセーが面白いから、
そろそろ読んでみるかと買ってみたら、
予想通り面白かった。

元々が200ページぐらいの薄い本なのに、
5編の短編で構成されているなんて、
全然知らなかった。

平均で一話40ページだから、
ほとんどショートショートの世界。

ある話での脇役が、
次の話では主役になって、
その脇役が次に主役になって、
さらに最初の話の主役が脇役で出てくるみたいな、

オムニバスというより、
全編スピンオフ。

笑える話、
ほろりとくる場面。

主人公に自分を重ね、
時に応援したくなる。

巻末の解説を実父が書いているというのが、
笑わせてくれる。


話はちょっと変わるが、
「最近気付いたことは何ですか」と尋ねられ、
「自分が根性なしということ」と答えた。

でも実はちょっと違う。

やっぱりこう答えるべきだった。

「中途半端が一番いかん」と。

人間何がいかんといって、
中途半端ほどいかんものはない。

それが最近ぼくが一番強く気付いたことだ。


でもね、
実際の話、
中途半端じゃない生き方なんて、
なかなかできません。

「陰日向に咲く」の主人公たちと同じ。

なるほど、
ベストセラーには訳があった。


NHKトップランナーで、
華道家の前野博紀という人を知る。
30歳で脱サラして、
花屋でバイトを始めたという。

「ノックし続けていれば『うるさい』とドアを開けてくれるかもしれない」

そんなことを言っていた。


中途半端ではない生き方とは、
そういうもんだなと一人合点した。


●元町に行ったがペンギンさんはお休み中で。住吉でジャンカラに行って、パフェを食べて帰った。

2010年1月9日土曜日

絢香

絢香についてぼくは過去に2度、
このブログで触れている。

1度目は2008年7月9日付けで、
NHK「SONGS」を見た感想。

「とても心地よい声だ。ただ、20歳のやる気に、ちょっとついて行けない自分を感じた。」

と記している。

まぁ、正直そう思ったのだろう。

2度目は2009年10月8日付けだから、
ごく最近のことだ。

そこでは致命的な勘違いを披露している。

「バセドー病で今年から無期限活動停止していたらしいけど、この時期にテレビに出るぐらいなら『無期限』は少し大袈裟だったかも。ま、病状がよくなったのならそれに越したことはないのだが。少し雰囲気が変わったなと思った。歌は相変わらず上手いと思う。」

「活動休止」を「停止」と書いたのはご愛嬌だが、
すでに休止明けだと思っていたのだから、
穴があったら、、、の気分。

昨夜のNHK「歌い続けるために〜絢香・22才のラストステージ〜」を見て、
ちょうどよい機会なので訂正します。


折角の歌唱力と運に恵まれ、
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに、
「休止」せねばならない心境はいかばかりか。

でも、
辛い辛い思いをして歌い続けていれば、
歌うことが嫌いになってしまったかもしれないし。

まだ22歳(!)
今年大卒の学生と同じ年齢じゃないか。

そういえば、
彼女の活動期間も2006年から2009年。
ちょうど4年だ。

とりあえず、
絢香(大学生編)が終わったというところか。

5年でも10年でも20年でも、
もっと色んな人生経験を積み、
歌唱力もさらに磨いて、
絢香(社会人編)の歌声を聴かせて欲しい。


大丈夫。
老後の楽しみとして予約しておくよ(笑)


●3日連続で仕事をして疲れた(泣)。やっぱり正月ぼけだねぇ●ちょうど週末だし、ご無沙汰の元町や住吉に行って、気を引き締めなおそう。

2010年1月8日金曜日

一元

普段は文章を書いてからタイトルを決めるのだけど、
今日はタイトルが先に思い浮かんだ。

もちろん昨日の「元一」が念頭にあったのだけど、
元日生まれの身として、
元という文字は何か魅かれるものがある。

元々とか大元とか、
すべての始まりという意味だろう。

白元という会社があり、
元ちとせという歌手がいる。

人民元は今13円ぐらいだ。


話は変わるが、
民主党への陳情は小沢幹事長に一元化されているそうだ。

その方が何かとスッキリするのだろうが、
よい事ばかりではない。


さてここからが本題である。

会社で宿直の仕事をする時、
このブログは自分のパソコンで行っているのだが、
今年になって、
私用パソコンの業務使用禁止というお達しが出た。

セキュリティ上の理由だといい、
会社が貸与したパソコンに一元化するという。


このブログなどは完全な私用なので、
業務使用にはもとより当たらないのだけど、
何かこうして打っていても、
「社内」ということだけで、
やましい気がしてしまう。

本当に公私ともに、
年々肩身が狭いというか、
窮屈な世の中になっている気がする。


便利なはずが、
かえって窮屈というか。

平和なはずなのに不安というか。


こんな気分の根元は何だろう?


●でも毎日更新は絶対にやめないから。

2010年1月7日木曜日

元一

クラス替えの興奮というのは、
今思えば一種独特のものだった。

ぼくらのころは子どもが多かったから、
当然クラス数も多く、
壁に張り出されたクラス名簿を、
ひとつずつ見ていったものだ。

合格発表ではないから、
どこかに必ず自分の名前はあるのだけれど、
仲のよい奴と一緒になっているか、
その他の面子はどうか。
担任は誰か。

気になることだらけだった。


高校2年の時が、
何と言っても印象深い。

名簿をトランプに例えれば、
「絵札」がやたら多い感じ。

ゴージャスなんだけど、
ごちゃごちゃしてるというか。

一色即発か、
さもなくば四分五裂か。

要するに、
どう転ぶにしても、
ただでは済まないという予感だけがあった。

その2年1組は、
結果的に結束力の高いクラスとなり、
卒業後もほぼ毎年のように同窓会や、
さもなくば声を掛け合って何人かが集まっている。

そのメンバーは、
だれが名付けたか、
「もといち」と呼ばれるようになった。

漢字で書けば「元一」。


今年で何と30周年を迎える。

年内には記念の同窓会が開かれるはずだ。

そしてそれとは別に、
毎年2月1日を「もといちの日」と、
ほぼ勝手に制定した。

この日には毎年、
とにかくどこかに集合する。

日にちを固定して、
来れる人が来れる時間に集まる。

そういう日にしたい。


賀状にはすでに、
「何時からですか」とか
「その日は空けときます」など、
反応は上々のようだ。

今からその日が楽しみだ。

2010年1月6日水曜日

陰影

前夜床についてからも、
凄い風の音と雷鳴はやまなかった。

にもかかわらず、
朝起きると雪ではなく雨。

ホテルの窓から見えたのは、
雪景色ではなく、
前日の田畑のままだった。


横殴りの風と雨。

おまけにひどく寒い。

チェックアウトの時間が迫り、
もうそのまま帰ろうかと思ったけど、
電車まで時間があるということで、
東尋坊にだけ行くことにした。


身を縮ませて路線バスに乗る。

幸い雨はやんだけど、
風の強さと寒さは相変わらずだ。

低く垂れこめた雲。

岩に砕け散る波。

立っているだけで辛いけど、
東尋坊には確かにこういう情景が似合う。











ぼくは事あるごとに、
「福井はいいところ」だと言ってきて、
それは十数年前に3年余り住んだ実感だったはずなのだけど、
こういう厳しい面を見せつけられると、
一体どこが良かったんだろうと、
自分の発言に疑問がわいてきた。

大体北陸は、
一年の大半を雲が垂れこめている。
「陰鬱」という言葉がぴったりの風土だ。

東尋坊の帰りもそのことを考えていて、
晴れたときの嬉しさ、
爽やかさが格別だったのだと気付いた。

たまに晴れるからこそ有難い。
要はコントラストの問題。


何事も陰影が強いほど、
印象は強く刻まれるのだ。



●それってつまり住まなきゃ福井の本当の良さは分からないということだ●だから来年の正月旅行はもっと暖かいところにしようと決めた●でもお陰で正月ボケは脱せそうだ。

2010年1月5日火曜日

長閑

イギリスの人形劇「サンダーバード」が、
「雷鳥」という意味だと意識したのは、
JRの特急「雷鳥」が、
「サンダーバード」と呼び名を変えた時だった。

そのサンダーバードに乗って、
福井・芦原温泉にやって来た。

1月の北陸といえば、
当然雪景色を予想していたのだが、
ここは見事に積もっていない。

ホテル5階の部屋から見える景色は、
見晴らしは確かに良いのだが、
見えるのは刈り取られた田んぼばかり。

せめて雪が覆っていれば風情もあろうに、
5分とたたぬうちに飽きた。
あとはただ温泉につかり、
今年1年分と思えるほどのカニを食べた(もちろん冷凍だが)。


ほかにすることや行くところもなく、
すっかり時間を持て余している。

お供の母はとっくに夢の中だ。

世間は仕事始めで、
本格的に2010年がスタートしたというのに、
こんなに長閑にしていてよいのだろうかと、
普通なら少しは焦ってもよさそうなものだけど、
そんな感じにもならず、
どこか別世界の出来事みたいにテレビニュースを見ていた。


健康で仕事もあって、
それは十分喜ばしい。

しかしそれとは別次元で去年とほとんど変わらぬ自分に、
満足していいのだろうか、
あるいは苛立つべきなのか。
それすら分からない。

きっとこれが正月ボケなのだろう。


ここまで書いて、
雷鳥の英訳はGrouseであって、
決してサンダーバード(Thunderbird)ではないことが判明した。

サンダーバードというのは、
アメリカ先住民族に伝わる、
伝説上の鳥に由来しているのだという。

「雷」と「鳥」を英単語を置き換えただけと納得していただけに、
かなりな驚き。
少なくとも十数年はそう信じてきた。

でもそう言われてみれば、
人形劇の方の「サンダーバード」の意味が「雷鳥」というのも、
冷静に考えれば不思議な話だった。

何となく納得していて、
実は大違いって話、
一杯ありそうだ。



●外で雷が鳴っている。ひょっとしたら、朝起きたら一面銀世界なんてことになっていたりして。

2010年1月4日月曜日

得体

NHK好きのぼくだが、
大河ドラマはこれまであんまり興味がなかった。

にもかかわらず、
今年の「龍馬伝」第一回を見たのは、
主演が福山雅治であることが一番の要因だ。


福山の女性人気は今や、
キムタクを凌ぐ勢いらしいが、
ぼくの中ではこれまであまり注目に値する人ではなかった。

彼は演技も出来て自作の曲を歌い、
そのいくつかは大ヒットもしているのだけど、
どこかいつも「誰かに似ている」という印象がつきまとう。

歌で言えば「桜坂」はサザンっぽいし、
今流行ってる「はつ恋」の出だしは、
ハイファイセットの「フィーリング」にそっくり。

良くいえば本歌取り。
悪く言えばパクリ。
(アルバムとか聞いてないので、本当に失礼なんだけど)

ギターやカメラの腕前もそこそこ。
何をやらせても、
それなりのクオリティーを出すものの、
これぞ福山雅治というオリジナリティーが希薄で、
そいういう意味では、
極めて「日本的」なスターだと言えるのかもしれない。

いやここまで長く一線にいる以上、
その「日本的」な剽窃の上手さ、
福山雅治の存在の仕方こそが、
彼のオリジナリティーと言えるのかもしれない。


実のところ、
ぼくは昔から、
声が彼と似ていると言われることが度々あり、
「誰それに似ている」というのは、
ぼくにとっては必ずしも褒め言葉ではないので、
そういう意味でも、
無意識のうちに彼を忌避してきたのかもしれない。

しかしそれは関心があるということの裏返しであることは、
言うまでもない。
だから「龍馬伝」も見てしまったのだ。


ところで、
はやりの「肉食系」「草食系」別でいえば、
女性にとって彼はどちらなのだろう?

その辺の曖昧さもまた、
彼の魅力なのだろう。

底が深いのか浅いのか。

得体の知れぬ人物という点で、
確かに坂本龍馬役に相応しいかもしれない。

●こんな不躾なことを書いていたら、きっと天罰が下るだろうなぁ(怖)

2010年1月3日日曜日

余裕

姉一家がやってきて恒例のトランプ大会となった。

ゲームは大貧民。

単純なルールだけど侮れない。


自分の手札によって戦略を練るのは当然だが、
大事なのは場に出された他人の札だ。

どの人が何の札を、
どういう順序で出したか。
あるいは次々に出され流されていく札が何か。

そういうことをちゃんと記憶していれば、
各人の手札の良し悪しや戦略が、
ある程度読める。

しかしそんなことはわかっていても、
ぼくなどは自分の手札に一喜一憂し、
戦略とは名ばかりの、
単なるあてのない勘に頼ってしまう。


さて、
紅白のYAZAWAを観た。

何万回と歌ったはずの「時間よ止まれで」で、
歌詞を間違いまくっていた。

きっと新人歌手みたいに緊張していたんだ。

YAZAWA、
ちょっと紅白舐めてたかもしれない。

怖いなぁ。

そして改めて、
紅組最後のドリカムを見た。

吉田美和も緊張していた。

でも素晴らしいステージだった。

少なくとも、
彼女は紅白を舐めてなかった。

「もう会えない人に歌えー」という叫びが、
心を揺さぶった。


本当の余裕なんて、
きっとだれにもないんだ。

みんな最大限の準備をして、
なけなしの勇気を振り絞って、
カツカツ先へ進んでいるんだ。

余裕だと思った時が、
楽勝だと高をくくった時が、
実は一番危険なんだろう。


好事魔多し。


●姪二人から誕生日プレゼントをもらった。叔父冥利。

2010年1月2日土曜日

涙籤

今年も寝正月を決め込むつもりが、
姉一家の買い物に付き合うことになった。

周囲に山と田畑しかない田舎道を、
姪の運転する車に乗って1時間ほど走ると、
突如巨大なショッピングセンターが現れた。

三田市にあるアウトレットモール。

そういえば前に、
テレビで紹介していた。

駐車場待ちをする車と、
すごい人。


いやぁ実に場違いな場所に、
場違いな男がいるなぁと笑そうになりながら、
建ち並ぶ店をのぞいているだけで意外に面白い。

結局、
だれよりも沢山の買い物をしていた。


車中、
「いきものがかり」のYELLの話になり、
そういえばあの歌詞何かに似ていると思ったら、

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束


そう、
薬師丸ひろ子が歌った「夢の途中」だと気付いた。


ところで、
今日の読売新聞のコラム「編集手帳」がいかしてた。

 年の瀬の商店街で親子連れとすれ違ったとき、小さな男の子が「ナミダクジ」と言った。手をひいたお母さんが「ア・ミ・ダ…」と笑った。(中略)そういう言葉はないが、無理に漢字をあてれば「涙籤」だろう。真ん中を選んだつもりが、予期せぬ横棒1本に邪魔されて端っこにたどり着いたり、逆に、思いもよらぬ幸運にめぐり合ったり、人の世の浮き沈みは涙籤かも知れない。
 あの人に出会わなければ、別の仕事を選んでいた。この町にいなかった。甘い酒の味を、あるいは苦い酒の味を、知らずにいた。誰しも過去を顧みれば、人生の曲がり角に「あの人」が立っている。年賀状という風習の成り立ちは不勉強で承知していないが、自分を今いる場所に連れてきてくれた“横棒たち”に再会する意味もあるのだろう。(後略)


思わずうなった。


人間だれしも死ぬまで夢の途中。

これからも多くの角を曲がり、
思いもよらぬ世界に導かれるに違いない。


残りの賀状をようやく投函。
名文に影響されて、
枚数が増えた。

●帰宅して年末ジャンボの当選番号をチェックしたが、想像通りまたも「涙籤」(泣)●バースデーカードを頂いた。心のこもった文面を読み、その時だけは年をとるのも悪くないと思った。

2010年1月1日金曜日

歌力

何の因果か2年連続大みそかの仕事。

だから紅白歌合戦は、
チラチラとしか見られなかった。

それでも何人かはちゃんと見て、
それぞれに印象深かった。


スーザン・ボイルさん。

あのyoutubeで見た時の感動が、
かけらほどもよみがえらない。

なぜだろう?

緊張していたということが最大の原因だと思う。
でもそれ以上に彼女、
上手く歌おうとしすぎていたんじゃなかろうか。

あのオーディションで世界的に有名になって、
たぶんいろんなレッスンを受けたのだろう。

テクニックが上達することは大切なことだけど、
歌にとってもっと大切なのは、
感情だということを、
再認識するとともに、
すんごい教訓だなって思った。


帰宅して近所の神社に行った。

昨年と同じように焚火はもう店じまい寸前で、
だけど炭の合間から見える赤々とした炎は、
マグマのようで、
あぁこんな情熱をいつまでも持ち続け、
歌い続けることが大切なのだと思った。











拝もうとポケットを探ったら、
出てきた小銭は31円。

31円分のお願いをした。


神社から戻り風呂に入り、
ビデオでもう一度紅白をざっくり見直した。

出場者表を片手に飛ばし飛ばしだったので、
YAZAWAは見逃してしまった。

また改めてお顔を拝見しよう。


その中で一番印象に残った歌詞を。

サヨナラは悲しい言葉じゃない
それぞれの夢へと僕らを繋ぐYELL
(いきものがかり「YELL」)

今年もよろしくお願いします。


●年賀状は出勤前に、主に遠隔地の人向けに数枚宛名を書いた。もちろん、アナタも含まれています。アナタですよ!●出社前に行ったコンビニで買い物したら、合計1234円。縁起がいいと勝手に思った●そうそう、またひとつ年をとった。忘れときゃよかった。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...