先日週刊誌を読んでいたら、
新聞のことが「斜陽産業」と書かれてあった。
先日のNHKスペシャルでは、
アメリカの新聞社がバタバタと消えていく様子が、
悲しげに放送されていた。
引き金はリーマンショックなのであるが、
最大の原因はインターネットの普及、
そしてそれにともなう高校収入の大幅な落ち込みである。
本当に新聞がなくなる日が来るのだろうか?
多くの人が「イエス」と答えるだろう。
果たしてそうだろうか。
ラジオが普及して、
人々が無料で情報に接することができるようになった時、
「新聞の時代は終わりだ」と思った人は沢山いただろう。
テレビが普及したときは、
「これで新聞もラジオも映画も不必要だ」と、
多くの人が思ったに違いない。
でも、
新聞もラジオもテレビも映画も、
依然として生き残っている。
電話が生まれれば手紙や電報が。
メールが生まれれば郵便が。
新たな情報伝達媒体が生まれるたびに、
古い媒体は消滅すると予想されてきたが、
必ずしもそうではなかった。
それはなぜだろう。
写真が発明された時、
画家という職業はなくなると、
誰しもが思ったに違いない。
でも、
画家は依然として存在している。
写真は、
画家の仕事を奪ったのではなく、
画家の「見たままに描く」という義務から解放したのだ。
その結果、
画家は自由になった。
ネットは新聞やテレビやラジオから、
どんな義務を解放してくれるのだろう。
●山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」(新潮社)。面白かった●音感テスト、2度目の満点。
どんな自由をくれるのだろう。
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