2010年3月15日月曜日

媒体

先日週刊誌を読んでいたら、
新聞のことが「斜陽産業」と書かれてあった。

先日のNHKスペシャルでは、
アメリカの新聞社がバタバタと消えていく様子が、
悲しげに放送されていた。

引き金はリーマンショックなのであるが、
最大の原因はインターネットの普及、
そしてそれにともなう高校収入の大幅な落ち込みである。


本当に新聞がなくなる日が来るのだろうか?


多くの人が「イエス」と答えるだろう。

果たしてそうだろうか。


ラジオが普及して、
人々が無料で情報に接することができるようになった時、
「新聞の時代は終わりだ」と思った人は沢山いただろう。

テレビが普及したときは、
「これで新聞もラジオも映画も不必要だ」と、
多くの人が思ったに違いない。

でも、
新聞もラジオもテレビも映画も、
依然として生き残っている。

電話が生まれれば手紙や電報が。
メールが生まれれば郵便が。

新たな情報伝達媒体が生まれるたびに、
古い媒体は消滅すると予想されてきたが、
必ずしもそうではなかった。

それはなぜだろう。


写真が発明された時、
画家という職業はなくなると、
誰しもが思ったに違いない。

でも、
画家は依然として存在している。

写真は、
画家の仕事を奪ったのではなく、
画家の「見たままに描く」という義務から解放したのだ。

その結果、
画家は自由になった。


ネットは新聞やテレビやラジオから、
どんな義務を解放してくれるのだろう。


●山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」(新潮社)。面白かった●音感テスト、2度目の満点。
どんな自由をくれるのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...