2010年3月30日火曜日

技術

昨日の「人体製造」ショックがまだ続いている。

切断した指が再生するなどということは、
本当に実用化されたらいいことだとは思う。


しかし臓器を豚に作らせるというのはどうだろう。
悪くなった臓器を、
その都度豚に作らせて取り換えて延命する。

その果てに待っているのはどういう事態だろう。

皮膚や骨や血液や臓器まで、
すべて交換しても、
最後、
脳だけは交換できないだろう。

技術的には可能でも、
それやっちゃったら、
もはやそれは本人ではあるまい。


つまりクローン人間と同じだ。

それとも、
記憶を移植する技術までできるのだろうか。

しかしそもそも、
意識=記憶ではあるまい。

記憶も含めた脳の変質こそが、
「私」なのだとすれば、
やはり脳の交換は、
「私」の消滅を意味するだろう。


それにしても、
クローン人間の現実味を考えた時、
「わたしを話さないで」(カズオ・イシグロ著)を思い出した。

クローン人間を「用意」しておけば、
いざというとき、
すべての臓器を簡単に「調達」できる。

しかしそのクローン人間にも、
「わたし」という意識がある訳で、
そっちの人権はどうなるのという議論が、
当然に起きてくる。

じゃあ、
クローン人間に意識を持たせなければいいということなら、
SF映画によく出てくるように、
培養カプセルの中で五感を遮断して生かしておけばいい、
そうすればクローン人間に「意識」は生まれまい。

そういう考えが必ず出てくる。


豚に臓器の話に戻すと、
この実験を進める科学者の言い分は一見もっともだった。

つまり、
今の世界では、
臓器が売買される商品になっているという現実だ。

このおぞましき事態を打開するには、
豚に作らせるのが合理的だというのである。


それにしても、
20歳の壮健なクローンに、
80歳の脳を移植する。

それってどういうこと?

さらに、
幹細胞から精子を作ることにも成功しているという。

ということは、
女性が自分の幹細胞から精子を作れるわけで、
男なしで女性が妊娠できるわけだ。


もう本当にわからない。

わからないうちに、
技術だけが先へ先へと進んでいく。

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