何気に寄った駅前の本屋で、
「永遠のとなり」(白石一文著、文春文庫)を買って読んだ。
部下の自殺をきっかけにうつ病に罹り、会社を辞め妻子とも別れ、何もかもを捨てて故郷・博多に戻った青野精一郎。肺がんを発病し、死の恐怖から逃れようとするかのように、結婚と離婚をくりかえす津田敦。48歳となった、小学校以来の親友ふたり。やるせない人生を共に助け合いながら歩んでいく感動の再生物語。
裏表紙の紹介文。
あまりにリアルな内容で、
怖い気もしたけど、
ひどく共感できた。
物語の中盤、
青野が自らの人生を振り返る場面がある。
私は、私という人間のことが本当に嫌いだったのである。
そう気づいた瞬間、何だそうだったのか、とすべてが了解できる気がした。
四十七年間もの長きにわたって嫌いな人間と一緒に生きてくれば、誰だって心に陰鬱な陰りを生じさせてしまうのはむしろ、当然ではないか。
(中略)
たしかに、私という人間は、いつもいま現在の自分から逃げているところがあった。生き延びること、前進するということはそれまでの自分を捨て去り、常に新しい自分に為り変わっていくことだと信じていた。そうした考え方は一見前向きのようにも見えるが、実はその反対だ。為り変わるとは、結局、それ以前の自分を全否定することに他ならない。過去の自分は現在の自分よりも駄目でつまらないものだと規定して生きてきたのだ。(P141~142)
なるほどなぁと思う。
というぼく自身、
自分の人生を振り返って、
「生き散らかしてきた」と、
最近よく思う。
前進するということは必ずしも成熟を意味しない。
むしろ、
何事も熟成させることなく、
とっかえひっかえ場当たり的に、
目新しいものに飛びついてきただけなのかもしれない。
ぼくは鬱病にもガンにもなってはいないけど、
40歳を超え、
人生の折り返し点を迎えた男性は、
大なり小なりそんな感じを持つのではなかろうか。
物語は最後、
再生への余韻を残して終わる。
ぼくの人生も雑音だらけだった。
せめて最後の余韻はきれいに。
今更ながらの願いかな。
●気合いを入れず買ったものが案外よかったりする、典型的な例●関西地方では現在「古畑任三郎(第3シーズン)」を再放送中。録画を見たら、岡八郎が出ていて驚いた。関東の人は知らないだろうけど。
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