2010年5月31日月曜日

謝礼

ぼくが寝ている間に、
姉から電話があった。

前回の「龍馬伝」を見逃したという。

武市半平太が連行される回だ。


偶然ラジオで、
「あの場面は泣けた」と聞いたらしく、
そうなると見逃したことが悔しくてならず、
ぼくが録画してないか、
問い合わせてきたのだ。


ご生憎、
ぼくはあのドラマに関しては、
見たら消すことにしているので、
もう残ってない。

そこで、
NHKオンデマンドがあることを電話で教えてあげた。


しばらくして、
「会員登録がうまくいかない」とSOSの電話。

「なら、うちにくれば」と誘うと、
二つ返事で飛んできた。

よっぽど見たかったんだな。

2階のぼくの部屋を明け渡し、
1階で待っていると、
目を泣き腫らして階段を下りてきて、
「ありがとう」と帰って行った。

バームクーヘンを一個置いて。











お役に立てて幸いです。

●岡田J。1得点、2自殺点。1点挙げてから、徐々に本気になったイングランドをある程度防いだのは立派だったと思う。さて俊輔の命運は、、、

2010年5月30日日曜日

雲泥











青色の街燈は防犯効果が高いとか。

深夜、
外に出ると、
街燈と、
月と、
わが家の防犯灯が、
煌々と照っていた。


中学生の時、
エレキターを買ってもらって、
興奮しながら音を出すと、

ボ~ン

ピ~ン

みたいな、
味もそっけもない音しか出なかった。

ロックのレコードみたいな、
歪んだ迫力のあるカッコいい音は、
どうやったら出るのだろう。

それが、
エフェクターの効果だということを知ったのは、
随分たってからだった。

今にして思えば間抜けな話だけど、
本当の話。


写真にしても、
スライドフィルムとPLフィルター、
たったそれだけで、
プロみたいな写真が撮れるとわかっのは、
社会人になってから。

ずっと疑問だったぼくは、
あまりの劇的結果に、
びっくりするやら、
拍子抜けするやら。


要するに、
知ってるのと知らないのとでは雲泥の差という技術がある。

いわゆる「プロの技」。


もちろん、
最終的には本質が問われるのだけど、
最初の「おー」みたいな感動が、
大げさに言えば、
その人の一生を左右することだってある。


今の時代は情報が氾濫しすぎて、
その「おー」が、
昔以上に見えないのかもしれない。

2010年5月29日土曜日

初恋

5月15日付けで載けった花の写真。

何の花か尋ねておいたら、
今日返答があった。

もらったメモが手元にある。
忠実に転記しよう。

アオイ科

ゼニアオイ(銭葵)

「鴨の子を たらいに飼ふや 銭葵」正岡子規

花言葉:初恋、恩恵
    温和、温厚、柔和
    母性愛、古風な美人


素晴らしい。

念のため確認してみたけどビンゴ。


確定するには、
結構苦労したらしい。

あの日の写真は花が小さいからね。

で、
もう少し花が大きくなって撮った別カット。













これならもっと早く分かった?


銭葵は夏の季語なんですな。
7月12日は「銭葵の日」なんだって。

にしても、
銭葵って呼び名、
だれが最初につけたんだろう。

昔の中国の五銖銭という硬貨と、
花の大きさが似ているから、
なんて説が散見されるけど、
これぐらいの大きさの花、
ほかにいくらでもあるだろうに。

最近、
そんなことばかり気にしてる。


花言葉ってのも不思議だ。

ヨーロッパ原産らしいから、
古代ギリシャまで遡るのかもしれない。

でも、
「古風な美人」っていうのは、
いかにも日本的。


初恋かぁ、、、

確かにこの花弁の色は、
清々しい感じがする。


ぼくの初恋ねぇ。

清々しく振られたよなぁ、、、


●調べてくれて本当にありがとう。ついでに子規の句の意味も調べてください(笑)

2010年5月28日金曜日

作品

言うまでもないことだけど、
このブログに載っけているぼくが撮った写真は、
100%何らかの手を加えている。

フィルムの写真だった時代なら、
フィルターやら暗室作業やら、
プロでないとできなかった技が、
デジカメになっていとも簡単に素人でもできるようになった。















見なれた元町の商店街の眺めも、
ちょっといじればこうなる。


であるから、
元の写真がうまく撮れているか、
というか、
「うまい写真」という概念そのものが、
従来と大きく異なってくる。

シャッタースピードとか、
絞り値とか、
フィルムの種類とか、
これまで相当に重要だった事柄はずっと後退。

「何を、どのアングルで」が決定的に重要になる。

ブレとかピントなんかも、
あんまり関係ない。


つまり、
「気分」が写し取られているのが最善ということになる。

「気分」といっても2種類ある。

撮った時の気分と、
それに手を加える時の気分だ。

二つの気分が組み合わさって、
その日その時の一枚が出来あがる。

ささやかではあるが、
これでも一生に2度と出来ぬ作品だ。

●写真が暗いからといって気分が暗いわけではない。念のため●そして今日も見なれた景色を眺めに行く。

2010年5月27日木曜日

手垢











お金は汚い物だと聞かされても、
こどものころのぼくは、
意味がよく分からなかった。

いまは文字通り、
お金は汚いものだと想像できる。

何十年もの間、
ありとあらゆる人の、
手から手へ渡ってきた物が、
汚くなくて何だろう。

潔癖症のある人は、
電車のつり革さえ持てない、
という話を聞いたことがあるけど、
お金はどうだろうか。


手垢にまみれた硬貨の製造年が、
自分の生まれ年だと気付き、
よくもまぁ長い間、
こいつも生き延びてきたもんだ、
妙に愛おしく思えることがある。

でもそのお金にもし記憶があって、
それをのぞき見たら、
きっと即座にぶっ倒れるだろう。


お金が汚いという意味と同じで、
言葉も汚い。

言葉には実体はないけれど、
やっぱり、
ありとあらゆる人が使ってきたのだから、
手垢にまみれた汚いものだ。

汚い言葉だけでじゃなく、
きれいな言葉だって汚い。

にもかかわらず人間は、
その言葉を使って生きるしかない。


潔癖症の人だって、
それは同じだろう。

2010年5月26日水曜日

頭角

「それまでの自分の完全否定」

そう本田圭佑は言った。


きょうのNHK「スポーツ大陸」のひとコマ。

2年前、
オランダのクラブに移籍した彼が、
日本代表として注目されるようになったのは、
この半年ほどの間。

番組はその半年に密着していた。

彼はオランダのクラブではすでに、
確固たる地位を築いていて、
「カイザー(皇帝)」とまで呼ばれていた。

2年前に彼が完全否定したものとは何で、
ゼロから作り上げようとしているものは何か。

番組を見て、
ある程度わかった気がした。


簡単に言えば、
パスをきれいにつないでゴールするのではなく、
どんなポジションのプレーヤーでも、
シュートできるときには打つということだ。

「あと一本パスをつないで」

という日本的サッカーは、
世界レベルでは「遅い」というわけだ。


彼の言っている事はとてもよく理解できたし、
それを彼が実践していることも、
先日の韓国戦などから伝わってきた。

ハイリスク・ハイリターン

そういうサッカーを志向し、
生き方もそう改めたのだ。


しかし、
それは日本的サッカーの完全否定でもある。

問題なのは、
そういう彼が今、
日本代表の中心選手となることである。

この4年かけて、
中村俊輔を中心としたチームへと、
ようやくまとまりかけてきた日本代表にとって、
今の彼の存在はまさに「爆弾」だ。

「積み上げてきたものが消えてきている」

中村の韓国戦後の言葉は、
「本田ショック」を端的に表していると思う。


本田は野心的で努力家で魅力的な選手だ。

でも、
W杯本番までに彼を中心としたチームに作り変えるには、
あまりにも時間がなさすぎる。

彼自身だって2年かけてたどり着いたのだ。


もう少し、
本田が頭角を現す時期が早ければなぁ。

きっと今度のW杯は、
中心が中村か本田か、
どっちつかずのまま共倒れになりそうだ。


しかし、
たとえ結果W杯が惨敗に終わろうとも、
日本サッカーの将来のためには、
必要な過程なのかもしれない。

劇的進化を遂げる時に、
たまたまW杯本番の時期が当たってしまったと。

そういう目で見れば、
案外W杯も楽しめそうだと思った。

●いまさら進退伺いする岡田監督は論外だけど。

2010年5月25日火曜日

性根

宿直勤務から帰宅して、
少し仮眠したあと夕食を食べ、
前日録画していたビデオを見た。

NHK「FIFA ワールドカップ 第1回 リオネル・メッシ 黄金の足で輝け」

今や世界1のサッカープレーヤーといわれるメッシでさえ、
母国アルゼンチンの代表で結果を残せないと、
「極刑に値する」
「すべてはメッシのせい」
と叩かれる。

サッカーとは、
かくも恐ろしきスポーツ。

でもメッシはこう言う。

「それも含めてサッカーだ」


そのあとで、
日韓戦を見た。

惨敗。

それ以上の言葉が思い浮かばないほど、
酷い負け方だったと思う。

ど素人の感想だけど、
このチーム、
今や完全に機能不全に陥ってしまったようだ。

韓国は宿敵だと、
日本は思っているかもしれないが、
むこうさんは、
もはや肩慣らし程度にしか感じてないだろう。

途中から「テーハミング」の声がやたら耳についた。


ため息もでない感じで、
試合中に撮ったビデオに移る。

NHKクローズアップ現代
「ハイチのマザーテレサ 83歳日本人女医の挑戦」

これはよかった。

30年の月日を捧げて、
ハイチから結核を撲滅しようと頑張ったのに、
大地震で全て無になったばかりか、
状況は30年前より悪化したと語る須藤昭子さん。

絶望的状況で、
どうして頑張れるのかと問う司会者に、
須藤さんは躊躇なく答えた。


「仕事に引退はありますが、生き方に引退はありません」


要は、
性根が据わってるかどうか、
なんだな。

●どうする岡田J?

2010年5月24日月曜日

脱力

W杯開幕までもうひと月ないというのに、
日本列島は一向に盛り上がらない。

結果はともかく、
4年前や8年前は、
もっと国中が熱病に冒されたようだったと思う。

それに比べれば、
今の日本は「平熱」か、
それ以下だろう。


ぼくはそのことを不思議だとは思わない。
それには二つ理由がある。

ひとつには、
日本人のサッカー眼が肥えてきたということ。

テクニック、
スピード、
フィジカル、
タクティクス、、、

歴代の日本代表よりはよいが、
世界レベルにはほど遠いということを、
大方の日本人がなんとなく分かってきたのだ。

だから、
マスコミや電通が躍起になって笛を吹いても、
熱狂的なファン以外は踊る気にならない。

南アへの観戦ツアーがさっぱり売れていないらしいが、
それも現地の治安の問題ではないと思う。

唯一期待がかけられているのが本田選手であるが、
それも彼の「実力」というより、
「未知数」という点においてであろう。

仮に彼が破格のプレーヤーだとしても、
彼一人の力で劇的にチームレベルが上がはずもない。


そして二つ目の理由は、
ひとつ目と関連するのだが、
岡田監督が掲げた「ベスト4」という目標にある。

日韓大会で韓国が成し遂げた快挙に追いつきたいのだろうが、
今や本気で達成できると信じているのは彼だけだろう。

いや、
目標を高く掲げるのは悪いことではない。

しかし彼の「ベスト4」発言がいけないのは、
本大会がどんどん近づいてきて、
いよいよ無理だなと誰の眼にも明らかになっても、
一向に修正しようしない点だ。

念仏のように唱えていればかなうと思っているかのようだ。

もはや国民は、
「本気かよー」と馬鹿にするでも、
「なめるな」と怒るでもなく、
ただただ「ふーん」とスルーしてしまうだけだ。



鳩山首相が普天間基地の移設先を「辺野古」と表明した。

二人をダブらせるのは失礼だろうか。

「ハトる」

「オカダる」


日本列島に漂う脱力感が不快だ。


●今日は韓国戦だ。

2010年5月23日日曜日

人形














とある薬局に無造作に置かれた老婆人形。

極端に上がった口角、
真っ青な目と、
どぎついアイシャドー。

上品といえばいえなくもない顔立ちだけど、
ピンクのドレスがとっても不似合い。

無造作に結いあげられたブロンドヘアも、
不気味さを増強している。

宮崎アニメに出てきそうだ。


薬局にはいかにも不釣り合いな人形、、、

以前から気になっていて、
先日とうとう我慢できず、
カメラを取り出し無断で撮影した。

その直後、
背後から大きな甲高い声。


「よろしかったらお持ち帰りください」


てっきり怒られると思ったぼくは、
安心するやら拍子抜けするやら。

何でも、
薬局を訪れた人の「置き土産」だそうで、
捨てるに捨てられないのだとか。

てっきり、
あなたの好みかと思っていましたが、、、


とすれば、
この人形は一体何だ?

ひょっとしてと思い、
リカちゃん人形をウィキってみたら、
リカちゃんに「ミレーヌ・ミラモンド」という、
フランス人のおばあさんがいることが判明した。

これはかなり有力。


しかし資料写真がないので断定はできない。

案外レア物かも。

ならもらっとけばよかったかな。


いやいや、
やっぱりあの人形にはあの薬局が、
ぼく的には一番似合ってる。

●情報提供お待ちしてます。

2010年5月22日土曜日

意匠
















校舎の案内板があった。

「212」と示された場所が、
最初にあてがわれた教室だった。

黒板に向かって左側、
廊下のある側面の中ほどに、
太い梁が突き出していた。

出べそのような配置から、
いつのまにか「でっぱり教室」と呼ばれた。


北側に面していて、
日当たりの悪いこのスペースは、
本来は物置か何かで、
たまたま何かの理由で教室に代用された。

だから、
ぼくらがここにいたのは、
4月のひと月間だけで、
5月からは対面の「201」に移ったのだが、
同窓会ではなぜかこの「でっぱり教室」が話題になる。


すべてがここから始まったからだ。


今回の同窓会で「もといち」の起源を明らかにすることは、
ぼくの秘かな期待だったのだが、
結局はっきりしたことは分からなかった。


というか、
この話題に対するみんなの反応は、
思いのほか鈍かった。

食いつきが悪いというやつ。


とはいうものの、
ひとつ重要な手掛かりは得られた。

それは、
「もといち」という意匠は、
すでに高校3年生の時に使われていた、
という複数の証言だ。


なるほど。

「もといち」は「元1組」の変化だと考えるのは自然だ。

たとえば、
卒業後だったら、
元2年1組から「にのいち」に変化した可能性が高い。

3年生だから「元」=「2年」だったのではないか。


さらに驚いたのは、
3年生の時にぼくらは、
「もといち」同窓会をやったというのだ。

在学中の同窓会(!)


クラス替えになった時って、
最初は前のクラスで一緒だった連中が固まっていて、
それが少しずつ溶けて、
次第に新しいクラスとして渾然一体になっていくものだ。

が、
「もといち」のメンバーの多くは、
3年生の新しいクラスになっても、
そして卒業後もずっと、
「もといち」という意匠を放さなかった。


でも、
3年生の新しいクラスの人間にすれば、
決して気持ちのいいものではなかっただろうと、
今にすれば思う。

かき混ぜても混ざり切らない、
噛んでも噛んでも噛み切れない、
塗っても塗っても塗りつぶせない、、、


忌々しい意匠だったかもしれない。


今回の同窓会の最中、
「アサヒのスーパードライは世界で一番美味い」と言ったヤツがいた。


無条件で肯定できる、
そういうものが沢山ある方が、
多分、
沢山幸せな人生なのだと思う。


●もう1週間が過ぎた。早いもんだ。とりあえず同窓会シリーズはこれで終わり●伝言をふたつ受け取った。ひとつは予想外。もうひとつは予想内。

2010年5月21日金曜日

不動




















「もといち」としてぼくらが過ごした教室は、
2階の一番端に今もあった。

教室を出てすぐ左手は行き止まり。

で、
こんなレリーフ、
当時からあったっけ。


複数の同級生は「あった」と答えたが、
ぼくにはほとんど記憶にない。

壁面いっぱいの大きさで、
コンクリート製。

相当な存在感。


ほぼ1年間連日眺め、
少なくとも視界には入っていたはずなのに、
ぼくの頭からはスッポリと抜け落ちていた。


表面をパンパンと手で叩いてみた。

ヒンヤリとした重厚さが伝わってくる。

一体だれが、
どうやって作ったのだろうか。



ところで、
今日docomoから請求書が来ていた。

継続利用期間は14年8ケ月とある。

ということは、
阪神大震災のあった年の秋に、
ぼくは携帯を初めて持ったのだ。

あの災害で、
携帯電話のありがたさを思い知らされたのだろう。



震災から15年。

もといちの30年は震災前と後で、
ほぼ半分に区切られることになる。

あれを機に居場所がわからなくなった人が増えた気がする。

まったく何となくだけど。

そう考えれば、
レリーフが今も無傷でここにあることは、
実は結構すごいことなのかもしれない。


●実際、当時学校にあった多くの物が、移動したり消滅したりしていたのだ。

2010年5月20日木曜日

縁起
















会社帰りに紀伊国屋に寄ろうとしたら、
途中で宝くじ売り場が目に入った。

そういえば、
買ったもののチェックしてないくじが、
バックに入れっぱなしになっていたっけ。

ちょうどいい機会なので、
調べてもらった。


年末ジャンボとグリーンジャンボが10枚ずつ、
計20枚。

封も切らずに出てきた。

600円は本を買う足しにしよう。


イヤホンで音楽を聴きながら待っていると、
目の前の表示板が「3300円」と点った。

生まれてこのかた、
籤運には見はなされていると思ってたから、
本当はものすごく嬉しかったのだけど、
あんまり嬉しそうな顔をしたらみっともないと、
平静を装い受け取った。


その金で今売り出し中のサマージャンボを買ったら、
案外当たるんじゃないか。

大きいのが当たる前に小さいのがまず来るって話、
どっかで聞いたことあるし、、、

そんなことを考えながら、
売り場の前で少しもじもじ。

でも、
すでにジャンボは10枚買ってある。

やっぱり紀伊国屋で使おう。

明日の3億円より今日の3000円だ。


すると、
紀伊国屋が何と定休日。

これで心は決まった。

お導きに違いない。

ささやかな籤運がぼくに微笑んでいるのだ。

女神の機嫌を損ねぬうちに、
あわてて宝くじ売り場に戻り、
さっき受け取った1000円札3枚を差し出した。

窓口の女神が、
少し笑っていた。


●写真は母校のグラウンドです。映っている人物は、ぼくらの花輪君です。縁起者です。

2010年5月19日水曜日

適合
















額縁に並んだ方々は、
母校の歴代の校長だ。

高校生活3年間で、
校長と話した経験は、
恐らく一度もない。

同じ学校にいながら、
ついぞ関わり合いになることのなかった、
学校の最高責任者、、、


ところで、
高校2年生の時の担任は、
その後別の高校で校長になった。

一国一城の主であるから、
さぞ気持ちよかったのかと思いきや、
教師生活で一番充実していたのは、
教頭の時だったという。


意外だった。

教頭といえば典型的な中間管理職。

現場と管理職との橋渡しだ。

上からにらまれ、
下から疎んじられ、
最も割が合わないポストだと思ってた。

校長になるための、
通過儀礼みたいなものだと。


しかし担任によると、
学校運営という点では、
教頭が一番やりがいがあったという。

きっと現場感覚を失わない管理職だったのだろう。


ちょっと持ち上げすぎた。


これはぼくの近年の持論だけど、
組織は生命体のようなもので、
自己保身の免疫システムを持つ。

組織になじまない「異物」は、
そもそも進入が許されないし、
仮に間違って取り込まれても早晩排除される。

特に「脳細胞」にあたる管理職ともなれば、
「異物」では絶対になれない。

組織に適合する者だけが選ばれるし、
「異物」である者には、
適合するよう変化することが求められる。


それは、
組織が生命体である以上、
そういうことが「自然」だと思えるようになった。

そうではない組織はいずれ崩壊するだろう。

サラリーマンとして20年生きた観察結果だ。


いずれにせよ校長になった方々は、
方法は様々なれど、
どうにかして組織に適合したということ。

額縁はその適合証明だ。

2010年5月18日火曜日

鬱蒼















鬱蒼と茂る木々。

母校のコンクリートの校舎は、
30年分傷んだけれど、
樹木は、
30年分成長したわけだ。


いやぁすごいなぁと、
自然の生命力に感激しながらも、
渡り廊下からの景色には、
ちょっと笑った。


森みたい。


この季節、
若葉の勢いもあって、
4階建ての校舎を覆い隠さんばかりの勢いだ。

たぶん、
「緑豊か」というより、
「伸び放題」という方が似合う。

街中の公園の木々が、
「治安」という名の下にどんどん切り倒されるご時世に、
なんて貴重な光景だろう。

きっとここの生徒たちも、
伸び伸び育っているに違いない。


とはいえ、
どうして手入れをしないのかが気になって、
学校のHPを見ると、
近く校舎の耐震補強工事が始まるらしい。

それと何か関係があるのだろうか。

あの木々は、
工事開始とともに、
切り倒されてしまう運命なのだろうか、、、


ぼくらが見上げ、
ぼくらを見守ったあの木々を守れ。

なんて、
自然保護活動家のようなことは言わない。

でも、
もしこの光景がなくなるのであれば、
今のうちに必見だ。


●ボーリングのつけが回ってきた。足や肩が痛い。

2010年5月17日月曜日

階段
















「もといち30周年記念同窓会」の途中の車中、
吉田松陰が過激な男だったという話をしていた時だ。

高校2年生のぼくは、
30歳までは生きないと宣言していたと、
そのころ好きだった同級生に聞かされた。


「20歳代好きなことをして、30歳までに死ぬねん」


そうか、
そうだったか。


ぼくは20歳ぐらいの頃、
ほとんど暴力的無根拠に、
「人間は50歳ぐらいで終わりや」と思っていた。

だけど、
16歳のぼくは、
人間は30歳で終わりだと思っていたわけだ。


あんなおっさんにだけはなりたくない。

自分がおっさんになっている姿なんて想像したくもない。



そういう当時のぼくからしてみれば、
今のぼくなど、
「裏切り者」以外の何ものでもないだろう。

スマン。

随分予定が狂ってしまった。


ただ、
いささか言いわけをさせてもらえば、
例えば作家の保坂和志は『「三十歳まで生きるな』と思っていた(草思社)」で、
まえがきにこう書いている。


「考える」ことにとって大事なこととして、「やりそこなった」経験というものがある。「やりそこなった」という思いを忘れないかぎり、人は生きることに対してあの頃(誰にも覚えがあるはずのあの頃)と同じ真剣さを持っていることができる。あの頃を忘れたり、あの頃の外に立っていたりしたら、生きることは自分自身のものでなく、どこにでもいる人たちの模倣になってしまう。


こんな他人の書いたものを持ち出してみても、
16歳のぼくはきっと納得しないだろうけど。


母校の校舎内を見学していた時、
別の同級生が、
「こっからよく下を見たなぁ」と言った。

階段から下を覗き込んだ景色は、
ぼくにも見おぼえがあった。

16歳のぼくが見下ろした、
長方形の渦巻きの先の暗闇。

あのころ暗闇でしかなかった40歳代になったぼくは昨日、
同じ場所に立って同じ渦巻きを見て、
やっぱりその先に、
まだ暗闇があるのを感じられたのだ。


●「もといち30周年記念同窓会」2日目はボーリング大会の後、三田屋で昼食。疲れたけど、充実していた。幹事さんごくろうさまでした。みなさんまた会いましょう●しばらく今回の旅の写真を続けようと思う。

2010年5月16日日曜日

場所

今しがた宴は終了した(と思う)。

高校2年生の時の30年周年記念同窓会で、
ぼくは今有馬温泉におり、
そこの屋上に設えられた、
ラウンジのような場所で一人、
この文章を打っている。

30周年とはいえ、
集まった顔ぶれの9割は、
年に1度くらいの頻度で会っているのだが、
中には、
ん十年ぶりの人もいる。

当時の写真やら文集やらを持ち寄って、
これ以上ないほどの内輪ネタで盛り上がって、
世界的には何の意味もないんだけれど、
ぼくらには特別すぎる一日だった。


母校での担任の授業も、
まぁ成功して、
学校内を巡回した。

30年の時をおいて、
変わった部分や記憶違いだったことなんかが、
確認できて、
それは30年たったぼく自身にも重なり、
単に懐かしいというのを遥かに超えた、
物凄く貴重な経験だった。


かつて過ごした場所を再訪するという行為の、
意味がそこにはある。
それを今言葉にするのは難しい。

ただ一つ言えるのは、
そうした場所がとりあえず存在してくれている、
ありがたさということ。

そこで今はぼくのこどものような年齢の、
若い人達がそこで学んでいるという事実が、
30年という月日を感じさせる。

今は彼らの学校だけど、
かつてぼくらもそのようにしてここに存在した。

たかがコンクリートの建物だけど、
そこには多くの人の生きた記憶が、
絶対に宿っていると感じられた。

これを有意義といわずして、
何と言うだろう。

●明日はボーリング大会。さすがに寝よう。

2010年5月15日土曜日

発色



















このブログの、
写真を楽しみにしてくれている、
貴重な読者さんがいることを知りました。

5月はぼくが一年で一番好きな月です。


今年の5月は暑くなったり寒くなったり、
日ごとに気温が変わって、
少しいつもの5月とは違うような気もしますが、
葉や花が美しく発色しているのを見ると、
「やっぱり5月だなぁ」って感じます。

会社近くの公園で、
名前は知らないけど、
薄紫色のきれいな花が咲いていたので、
一枚撮りました。

いつもより、
大きめで掲載してみました。
名前知っていたら教えてください。


あなたの周りでも、
きれいな花が咲き、
緑があふれていることでしょう。


今日も素敵な一日でありますように。

●写真をクリックしてみてください。画面いっぱいになります。

2010年5月14日金曜日

便乗

昔一緒の仕事をした先輩と、
帰宅のタクシーで相乗りした。

4年ぶりのことだ。

その先輩の家は、
前にぼくが住んでいた場所の近所にあって、
新居披露に招かれたこともある。

久し振りにそのあたりを通った。


慣れ親しんだ場所の数々。

あの公園には長年飼った金魚を埋めた。

このマンションには、
今だれが住んでいるのだろう。

馴染みだった居酒屋はまだやっているのかな。

この辺からタクシーに乗って甲子園に行ったっけ。

あそこに住んでいた彼女は、
今はもう30歳代なかばか、、、。


今の家から自転車で10分ほどのところなのに、
川ひとつ隔てただけですっかり行かなくなってしまった。

たった4年だから、
そんなに変わるはずもないのだけれど、
変わっていないがゆえに、
逆に異世界に迷い込んだような気になって、
先輩と積もる話をしながらも、
ついキョロキョロしてしまった。

ひょっとしたら、
まだここにはあのころのぼくが住んでいて、
あのころと同じような暮らしをしているんじゃないか、
みたいな感覚にとらわれた。

それはつまり、
それほどにぼくの方が、
あの頃とは全く違った生き方をしているということでもある。

それでもぼくは別人になったわけではない。

その頃の記憶を蓄えたまま、
新しい日々を営んでいる。

人生はきっとそんなもんだ。

数年でこれほど劇的に変わる人生も、
今となっては良い思い出と、
昇華できたのかもしれない。


さて便乗といえば、
あの人に送る荷物に同梱するものはないかと、
尋ねられていたんだっけ。

便乗させる物は用意できなかったけど、
伝えて欲しい言葉ならある。

何も変わらぬ気持ちを添えて、
夜が明けたら託そう。

●この文章が意味不明ということは重々承知している。でも書かずにはいれなかった。それを書けるのは、世界でぼく一人しかいない●そういえば「あいのり」っていう番組もあったな。こればまた、思い出が多すぎて、思い出すのも切ない、、、

2010年5月13日木曜日

臨場

テレビ朝日系「臨場」が面白い。

警察の検視官が主役のドラマで、
昨年第1シリーズが放映されたらしいが、
それは全然知らずに今の第2シリーズを見ている。

横山秀夫の原作も読んでないので、
どれぐらい原作に忠実なのかもわからないのだが、
とにかく脚本が秀逸だと思う。

いささかご都合主義的で、
ベタと言えなくもないんだけど、
人間のドロドロした、
通り一遍の言葉では表現できないような部分を、
検視官という職業を通じてあぶりだす。


昔、
「死体は語る」という本があったと思うけど、
死体や、
死体のある状況というものが、
これほど雄弁に語るものだと、
感心させられる。

主役の内野聖陽が、
ぼくと同じ年齢の検視官を演じていて、
そのいささか過剰にも思える演技が、
地味で暗くてダサい話を、
グイグイと引っ張っている。


第5話「カウントダウン」は、
独居老人の孤独死を題材にしていた。

ダイイング・メッセージというか、
死を選ぶことで伝えたかった、
おじいさんの思いが切なかった。


だれにでも人生の中には、
その人なりに一番輝いていた時期がある。

孤独に死んでいく人はみな、
そういう記憶を反芻しながら、
生きているのだろうか。

誰とも分かち合うことのできない思い出を、
たったひとりで抱えたまま、
永遠の眠りにつく日を待つのだろうか。


ぼくなんか、
この年でさえ時々、
昔味わった様々な感触が不意に去来し、
落涙しそうになることがある。

古いワインの底に溜まった澱のような、
淡いけど、
確かに存在する喜怒哀楽の感触。

そういうのに気付くことが、
多くなってきた。

これって、
お先短い予兆か?

2010年5月12日水曜日

比較

連休前に修理に出したウォークマンが戻ってきた。

修理代金9179円。

まぁ、
落として液晶を割ったのはぼくだから、
仕方ないんだけど。


でも、
ソニーは少し損をしたかもしれない。

修理に出している間に、
ぼくはついにipodnanoに手を出したのだ。

無駄遣いだと思われるかもしれないけど、
音楽と本にしかお金を使わないのだから、
これぐらいの贅沢は許してくれるだろう。


実際に使ってみてわかったのは、
ウォークマンとipodは、
どちらも携帯音楽プレーヤーで、
機能も似ているのだけれど、
明らかに違うということだ。

それは、
音質とか操作性とかもさることながら、
設計思想というか、
商品の位置づけというか、
そういったものだ。


これは説明すると長くなるし、
たぶん理解してもらえないから割愛するけど、
そういったことがわかっただけでも、
ipodを買った値打ちはあった。


具体的な比較でいうと、
音質と電池のもち以外は圧倒的にipodが優勢だ。

その他、

・簡易なビデオ撮影機能があること。

・早送りがスライディングホイールでできること。

この2点がぼくにとっては非常に魅力的だ。

音質といっても、
イヤホン次第で全然変わる。

ところが、
ウォークマンは専用のイヤホンでないと、
ご自慢のノイズ・キャンセリング機能が使えない。

これはかなり致命的だ。


だから迷う余地はないのだけれど、
いまだウォークマンを捨てきれないのは、
「ウォークマン」という言葉自体に、
いかばかりかの思い入れがあるからに他ならない。

そんなことで逡巡したって、
SONYに感謝されることもないんだけれど。


にしても、
音楽再生機なのにウォークマン(歩人)と名づけたのかと思う。

ミュージックマン(音人)と考えるのが普通だろうに。


いまだ未練を捨てきれず、
そんなことを考えている。

2010年5月11日火曜日

上司

本日の登場人物はABCDの四人。

Aが一番偉くて、
順に下っ端になり、
末端はD。


今日のDの仕事を上司のBがほめた。

年に一回あるかどうかの珍事だ。

Dは自分ではさほど良い出来だとは思わなかったが、
ほめられて嫌な気はしない。


ところがほどなく、
そのDの仕事をAが気に入らないと言いだした。

Dはそんなものほっとけと思っていた。

所詮Aの気まぐれだと。


ところが、
Dの直属の上司にあたるCは違った。

何もしようとしないDにかわって、
Aがこんな事を言っていると、
Bに相談したのだ。

Bは、
Aがそう言うなら仕方ないと折れた。

とはいえ、
DはAの言う通りに直す訳にはいかないと考えた。

そうすればきっと、
Bは苦々しく思うと読んだのだ。

結局DはAB双方の意向を汲みいれ、
奇妙な折衷案をひねり出した。


このケース、
ABどっちが正しいとか間違いとかじゃなく、
要するに「好き嫌い」の範疇だった。

船頭多くて何とやら。

Dは一体だれのために仕事をしているのやらと、
ため息をついた、、、


こんなことはサラリーマンなら日常茶飯事なのであるが、
思うにABCDいずれも、
悪意があったわけではない。

そこがこの話のポイントだ。

いつも言っていることだが、
良かれと思っている人たちが出す結論が、
最善とは限らないということだ。


●さてDは誰でしょう(笑)●W杯メンバー23人。稲本より中村俊が年上だったとは、ちと意外●ヤワラちゃん参院選出馬へ。「議員でも金」か。

2010年5月10日月曜日

白化

「てぃだかんかん」(李闘士男監督)観ました。

珊瑚の養殖に賭けた夫と、
それを支えた夫婦の実話を、
岡村隆史と松雪泰子が演じた話題作。

とはいえ、
日曜日の昼間で、
100席足らずの座席が、
半分も埋まってなかったから、
興行的にはちょっと、、、かもしれない。


白化した珊瑚って、
一見きれいなんだよなぁ。










でも本当は「仮死」状態。
このまま放置すれば、
ほどなく本当に死んで黒くなっていく。


それで映画の話だけど、
実話の映画化という意味で、
よく出来た作品だった。

「欠陥商品」と母親とまで言われる男が、
故郷に戻ってたどり着いた夢が珊瑚の養殖だった、、、


漁協や学会や役所など、
周囲は最初まるで無理解。

でも仕方ないんだな。

この男のそれまでの人生に、
まるで説得力がないんだから。

それでも夫を支え続けた妻は偉い。


「てぃだかんかん」の「てぃだ」は「太陽」の意味。
つまり「かんかん照り」っていう意味の沖縄方言で、
“幸せの象徴”を意味するんだそうだ。

関西弁に訳すと、
どう言えば一番しっくりくるのかなぁ。

何の憂いもない、
心が晴れ渡った状態。

うーん、
情けないことに思い浮かばん。


ダイビングは少しかじったことあるけど、
海中で「無重力状態」になって、
仰向けになってたゆたってる感じ。

水面に差し込む太陽光が乱反射して揺らぐ白と青。

あれはいいもんだ。


●武庫之荘・Mクアトロのセッションへ。仔細は日を改めて●珊瑚の写真はネットから拝借しました●白化現象は映画では人災と言っていたが、本当のところはどうなんでしょうねぇ。

2010年5月9日日曜日

珠玉

映画「てぃだかんかん」を観る前に、
山下達郎の主題歌が気に入った。

最近の若者の歌は全体的に、
歌詞が長い傾向にあるけど、
これは王道というかシンプル。

一つ間違えば陳腐になりそうな単語を紡いで、
聞く(読む)者の心に様々な景色を描く。


「希望と言う名の光」

この世でたったひとつの
命を削りながら
歩き続けるあなたは
自由という名の風

底知れぬ闇の中から
かすかな光のきざし
探し続ける姿は
勇気という名の船

だからどうぞ泣かないで
こんな古ぼけた言葉でも
魂で繰り返せば
あなたのため祈りを刻める

眠れない夜のために
子守歌があるように
傷ついた心には
愛という名の絆を

A Rey Of Hope For You
A Rey Of Hope For Me
A Rey Of Hope For Life
For Everyone

運命に負けないで
たった一度だけの人生を
何度でも起き上がって
立ち向かえる
力を送ろう

どうぞ忘れないで
移ろう時代(とき)の中から
あなたを照らし続ける
希望という名の光を
あなたを照らす光を
希望と言う名の光を

A Rey Of Hope For You
A Rey Of Hope For Me
A Rey Of Hope For Life
For Everyone...



この詞を、
達郎節のバラードで歌われた日にゃ、、、

嫌でも、
希望を持とうって気になる(笑)

●ということで今日は観に行ってきます。

2010年5月8日土曜日

改訂

支払いをしようとレジの前に立っていたら、
ぼくのバックが置き引きされそうになり、
振り返ったら、
下手人はペンギンだった。

GWを挟んで、
おおかた二週間ぶりにお目にかかった。

やぁやぁ久し振りということで、
それからしばし語り合った。


そこで、
マイケル・ジャクソンの新しい映画が公開される、
という話を教えられた。

調べてみたら、
『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』という題で、
来月25日から日本で先行ロードショーされるとのことで、
ちょうど今日、
予告編が公開された。

YouTubeに早速アップされているのを見ると、
バースデーケーキを顔にぶつけられるマイケルが映っていた。

撮影したのは元マネージャーということで、
どうも書き込みを読む限り、
色々と訳ありな人物でもありそう。

いずれにせよ、
ぼくはマイケルの歌やダンスは見たいけど、
素顔はそんなに見たいとは思わない。

でもやっぱり見るんだろうなぁ。

流行りモノに弱いし。


しかし「素顔」と一口に言っても、
人は年齢や場所によって、
驚くほど多様な捉えられかたをするものだ。

ある一人の人でも、
100人いれば、
100通りのその人がいる。

たとえばぼく自身を例にとっても、
優しいと思ってくれている人もいれば、
憎いと思っている人もいるだろう。

人によって、
変なオッサンであり、
突拍子もない事をする変人であり、
キザなニイチャンであり、
社交的であり、
閉鎖的であり、
素直であり、
ひねくれ者であり、
気前のいい人であり、
ケチな人であり、
デブであり、
ガリガリであり、
短気であり、
呑気であり、、、、

際限ないほどの顔を、
ぼくは他人に見せてきたし、
現在進行形でもそうなのだと思う。

そのどれもが「ぼくの顔」であって、
というより、
他人の記憶に残ったそれだけが「ぼくの顔」であって、
逆に、
「ハイこれです」って差し出せる、
本当の意味での素顔なんて、
どこにもないのかもしれない。

バージョンアップといえば聞こえはいいが、
よくも悪くも人は日々改訂されていく。

しかし一つ言えるのは、
ぼくの最新バージョンを一番知っているのは、
目下ペンギンさんであるということだ。

●例えれば今のぼくはさしずめ「たはしろα版」か。なんでαか、お暇なら調べてみてください●ペンギンさんが映画「てぃだかんかん」を絶賛していた。じゃ観てみるかな。

2010年5月7日金曜日

退屈

昨日と変わらぬ今日があり、
明日もきっと今日とそんなに変わり映えしないだろう。

そんな風に日々暮らしながら、
いつのまにか季節は移ろい、
年齢を重ね、
人は大人になる。


そんな時代の退屈感を、
「終わらない日常」とか、
「失われた時代」とか、
様々に呼ぶ。

そりゃ明治維新とか太平洋戦争とか、
国を揺るがすような大事件はなかったかもしれないけれど、
ぼくらが生きてきた40年余りの間にだって、
かなり大きな出来事があった。


高度経済成長があって、
バブル景気になって、
それが崩壊した。

御巣鷹山のジャンボ墜落だって、
阪神大震災だって、
オウム真理教事件だって、
どれもみな超ド級の出来事だ。


世界に目を向けると、
戦争は至る所で現在進行形だし、
人類は月に立ったし、
東西冷戦は終わったし、
今世紀に入ってからは9.11があった。

そして忘れてはならないのが、
インターネットの普及だ。

おそらくこれは、
活版印刷の発明に匹敵する、
人類史に残る出来事だろう。


渦中にいるから気付かないけど、
とんでもなくエキサイティングな時代ではないか。

そしてこんな事件や技術革新は、
間違いなく今現在も進んでいて、
決して停滞することなどない。


好むと好まざるとにかかわらず、
時代は駆け足で走り続ける。

だからといって、
日々の暮らしを変える必要があるとは思わないけど、
世界はそういうものだという認識は、
常に持っておいた方がいい。


それから、
大事なことは、
同じ日々を暮らしているぼくたちも、
こうした変化と無縁では決していられない。

強制的に人間性そのものが、
日々変化させられているという自覚が必要だ。

●元町行きます。よろしく。

2010年5月6日木曜日

学習

「めざせ!ロック・ギタリスト」で、
ヨッちゃんの生徒である増田君は、
かなり苦戦している。

無理もない。

増田君は、
「ますだおかだ」という売れっ子漫才コンビの一人。

練習する時間が、
十分に持てないのだろう。


SMOKYを2カ月でマスターするという、
企画自体にかなり無理がある。

特にコードからソロ弾きになって、
ハードルが急に高くなったように思える。

デトロイトロックシティから、
一週間でもう、
ホテルカリフォルニアだからね。

ぼくもちょっとだけ経験あるんだけど、
ピックを上下させながら弾く、
オルタネイトっていうのがかなり厄介。

左手のコードだけでも精いっぱいなのに、
右手の難題まで抱え、
さらにスライドやらチョーキングやら、
目いっぱい詰め込まれ、
増田君、
最近ちょっと脳みそパンク気味。

わかる。

その気持ち。


先生は簡単そうに弾くのに、
自分は全くできない。

当たり前なんだけど、
自分の体なのに、
なんでこんなに思い通り動かないのかって、
イライラするもんだ。


体が物を覚えるのには、
絶対に必要な時間というものがあって、
それは練習時間の合計と同じではないんだと思う。

例えば毎日2時間50日練習したらマスターできることがあったとして、
2×50=100だから、
じゃあ毎日10時間やったら10日でできるのかというと、
そうではなくて、
やっぱり30日ぐらいはかかるんじゃないだろうか。

ここで本居宣長先生に登場してもらおう。

詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠(オコタ)りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇(イトマ)のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、されば才のともしきや、学ぶことの晩(オソ)きや、暇(イトマ)のなきやによりて、思ひくづをれて、止(ヤム)ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし(うひ山ぶみ)

才能のあるなし、
時間のあるなし、
年齢の遅さ、
そんなものは大したことではない。

とにかく続けなさいと。

さすが、
よい事をおっしゃる。

●このチャレンジが終わったら、増田君が先生になって、ヨッちゃんに漫才を教えたら面白いのに。

2010年5月5日水曜日

反故

2年ぶりに高槻ジャズストリートに行った。

初夏の陽気に誘われて。


このイベントは、
毎年5月3、4両日にわたり開かれ、
高槻市街地の約40会場でライブが終日行われる。

ぼくは今日しか行けなかったけど、
ライブ4つをはしごした。

2年前には満員で入れなかった小柳淳子さんの歌声や、
ぼくのライブでピアノを弾いてくれた赤松真理さんの演奏も聞けた。


パラダイス号と名付けられた巡回バスにも乗った。

会場周辺を無料で走っていて、
中では何とライブを行っていた。











左上のガイドさんみたいな人がボーカル。


2年前に来た時には、
「近くぼくも出演するぞ」と意気込んだのだが、
いまだ実現の兆しはない(泣)

理想と現実の違い。

でも、
街中がジャズに溢れるなかに半日いたら、
疲れたけど、
必ず実現させる勇気が出てきた。


そして、
帰宅してテレビをつけたら、
鳩山首相の沖縄訪問のニュース。

普天間基地の県外移設は、
個人の発言であって、
党の公約ではないのだそうだ。

だからなんなんだ。

これは、
理想と現実の違いでは済まされん。

よくよく勉強したら海兵隊の重要性がわかりましたって、
今更ふざけてんじゃねぇ。


こんな人物に、
というか民主党に、
というか政治家に、
たとえ一時期でも、
たとえ少しでも、
何がしかの期待をかけた不明を恥じる。


理想を実現するのは容易くない。

それはよく分かる。

でも、
こんなに簡単に反故にするなら、
それは理想ではなく、
ただの甘言だ。

政治家の言葉が、
羽毛のように軽い。

2010年5月4日火曜日

少数

昨日に引き続き、
「じぶん・この不思議な存在」から。


わたしが死ぬとき、その死ぬという経験をだれとも共有できないことは疑いないが、わたしは生きているときも、その経験をほんとうはだれとも共有できないのではないだろうか。その意味で、わたしは真の意味で、およそいかなる他者をももちえないのではないだろうか。


死ぬことが怖いことだと思ったのは、
たぶん小学生ぐらいの時だった。

今こうして考えている自分という意識が、
永遠にこの世からなくなるという恐怖。

たった一人で死なねばならなぬ恐怖。

それは、
ものすごい高いところから眼下をのぞいたような、
絶対に見てはいけないものを見てしまったような、
そんな気がしたことを覚えている。


でも最近思う。

今地球上で何十億人の人が生きていて、
そのだれもが死は怖いと思っているだろうが、
人類が始まってからこれまでに死んだ人の数は、
もう途方もない数字で、
それは今生きている人間の数とは比較にならぬぐらい大きい。

つまり、
人類の圧倒的多数は死を経験していて、
していないのは、
まだ生きている圧倒的少数の我々だけだ。


ならば恐れることはないではないか。


この世に生まれ、
知らないうちに「わたし」もひとり滅びる。

その当たり前すぎる事実。

過去の人類すべてが経験済みの事実。


未経験というだけでそれを怖がっているのは、
予防注射の列で泣きじゃくる子どもみたいに、
だらしがないではないか。


●12時間ぐらい寝た。意地でもベッドから離れなかった。スッキリした。

2010年5月3日月曜日

他者

出勤途中のドトール。

GWだからか、
いつもと雰囲気が違う。

注文していると、
横を女性二人組が、
注文より先に、
席を確保しようと喫煙コーナーに行った。


ひょっとして、
席ないかも、、、

そんなことを思って、
アイスコーヒーを受け取ると、
ぼくは慌てて席探しに向かった。


よかった。

空いてる。


その時背後から声がした。

「お客さま~お釣りです~」

「!」


そうだ、
一万円渡したんだっけ。

かなり恥ずかしかった。


やっと席について、
読みかけの本を開くと、
こんな一節に出くわした。

 声はどこからかけられても、それがじぶんに向けられたものか別のひとに向けられたものか、たいていはわかる。


そうなんだよな。

背後から「お客様」と呼ぶ声が、
ぼくに向けられたものであることを、
ぼくはほとんど瞬間的に気付いた。

「視線」みたいに、
「声線」もあるのかもしれない。


ところで、
読みかけの本は、
「じぶん・この不思議な存在」(鷲田清一著、講談社現代新書)。

先日、
元町の海文堂で思いつきで買った。

間違いなくヒットだと思う。

「わたしはだれ?」を真正面から問う本書。

「声線」などと、
余計なことを言って誤解されては困るので、
もう一文引用しよう。

 他者への最後の通路をも失ったとき、そのときに、ともに途方にくれているひとの存在を、しかも通路を欠いたままはすかいに感じることで、かろうじておのが身をささえうるということがありうる。

●著者は哲学者で現阪大総長です●石川遼ツアー新記録「58」。やることがド派手。

2010年5月2日日曜日

名駅

坂本龍一の「音楽の学校」の録画を見ようとしたら、
前半が撮れてない。

なんで?

トップランナーがかぶってた。


そのトップランナーを見ると、
歌手「西野カナ」とある。

全然知らないと思ったが、
歌はよく知っていた。


あの歌も、
この歌も、
次々に耳慣れた曲が流れてくる。

FMで聞いた歌だ。


番組HPによると、

今、女子高生を中心に熱烈に支持されている西野カナ。ケータイチャートでは、100万ダウンロード超えをすでに4回も達成している。彼女の人気の秘密は、同世代の女性の共感を呼ぶ歌詞。「いっしょにいる意味」「気持ちの温度差」「遠恋」など、女の子にとってリアルなテーマがギュッと詰まっている。

なのだそうだ。


名古屋の現役女子大生だそうで、
見た目はメークもファッションも、
しゃべり方も、
確かにイマドキ女子大生そのもの。












実は「超」が付く有名人なわけだけど、
梅田ですれ違っても、
ぼくにはたぶん、
いや、
絶対にわからない自信がある。

ファンだっていう女子高生だって、
きっとわかんないよ。

こういうメイクの女の子、
梅田あたりに山ほどいるんだけど。。。

三重県出身って、
ぼくと同じじゃないか。


それにしても、
イマドキのヒットは、
CD何枚っていうほかに、
ダウンロード数という基準があるんだったな。

100万枚CDが売れるのと、
100万回のダウンロードとでは、
同じ「ミリオン」でも、
重みが全く違うように感じる。

あくまで感じだけど。


ところで「ダウンロード」って言葉、
PC時代に半ば日本語化してるけど、
和訳すれば「転送」。

でも絶対に「歌を転送した」とは言わないな。

そういえば、
西野カナは名古屋駅のことを「メイエキ」と呼んでいた。

MCの箭内道彦が言っていた。

「西野さんって、ファンの人に『私は西野さんに似ている』っていうより『カナやんって私に似てる』って思わせる人だ」

こういうレトリックは、
さすが広告屋さんだ。

●でも、どういう経緯でデビューしたのかとかについては何一つ聞いてくれなかった●写真はエネーチケーのHPから転送しました●パフェの美味しい季節です(笑)

2010年5月1日土曜日

応酬

ボクシング世界戦をテレビ観戦した。


WBCバンタム級王者の長谷川穂積が、
WBO同級王者のモンティエルを迎え撃つ、
注目の一戦だ。

防衛に成功すれば11連続となる長谷川。

減量も順調で、
絶好調と言われた。


しかし相手も強敵。

開始のゴングとともに、
リングを覆ったのは、
世界一流同士の駆け引き。

その一つ一つは素人には難しく、
あまりに素早くて理解がついていかないのだけど、
反射神経の限界を超えた応酬すごさは、
ビシビシ感じた。


一回を終えてコーナーに帰った長谷川は、

「強いわ」

と言ったように見えた。


同じリングに立ち、
3分間こぶしを交えた時点で、
両者とも相手の力量を認め合った。

そんな風に感じた。


長谷川優位で進んだ4回も残り10秒。

このラウンドも長谷川のもの、
のはずだった。

それが、
モンティエルの左フックが当たって、
すべてがひっくり返った。










長谷川の腰が沈んだかと思うと、
モンティエルは猛ラッシュをしかけ、
長谷川はあっという間にロープ際まで追いやられる。

長谷川はダウンすまいと、
必死で左手をロープに絡ませる。

モンティエルもまた、
長谷川にダウンをさすまいと、
下から下からパンチを繰り出す。

結果的に長谷川はメッタ打ちされ、
ついにレフリーが割って入った。

2分59秒、
TKO負け。

ほんの一瞬の気の緩みが命取りとなり、
長谷川は5年間守った王座から陥落した。


長谷川が早々にダウンしていれば。。。

レフリーがあと1秒待ってくれていれば。。。


ボクシングの迫力とスピードと、
緻密さと残酷さを知った。

ボクシングの魅力が詰まった試合だった。

これまで長谷川は本当に強いチャンピオンだと思っていた。

この一戦で、
その評価は下がるということはなく、
むしろ、
こんな世界で5年も世界一であり続けたすごさを知ったように思う。

長谷川は負けたけど強い。


いいものを見たと思った。


●写真はSANSPO.COMから借用しました。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...