2010年5月22日土曜日
意匠
校舎の案内板があった。
「212」と示された場所が、
最初にあてがわれた教室だった。
黒板に向かって左側、
廊下のある側面の中ほどに、
太い梁が突き出していた。
出べそのような配置から、
いつのまにか「でっぱり教室」と呼ばれた。
北側に面していて、
日当たりの悪いこのスペースは、
本来は物置か何かで、
たまたま何かの理由で教室に代用された。
だから、
ぼくらがここにいたのは、
4月のひと月間だけで、
5月からは対面の「201」に移ったのだが、
同窓会ではなぜかこの「でっぱり教室」が話題になる。
すべてがここから始まったからだ。
今回の同窓会で「もといち」の起源を明らかにすることは、
ぼくの秘かな期待だったのだが、
結局はっきりしたことは分からなかった。
というか、
この話題に対するみんなの反応は、
思いのほか鈍かった。
食いつきが悪いというやつ。
とはいうものの、
ひとつ重要な手掛かりは得られた。
それは、
「もといち」という意匠は、
すでに高校3年生の時に使われていた、
という複数の証言だ。
なるほど。
「もといち」は「元1組」の変化だと考えるのは自然だ。
たとえば、
卒業後だったら、
元2年1組から「にのいち」に変化した可能性が高い。
3年生だから「元」=「2年」だったのではないか。
さらに驚いたのは、
3年生の時にぼくらは、
「もといち」同窓会をやったというのだ。
在学中の同窓会(!)
クラス替えになった時って、
最初は前のクラスで一緒だった連中が固まっていて、
それが少しずつ溶けて、
次第に新しいクラスとして渾然一体になっていくものだ。
が、
「もといち」のメンバーの多くは、
3年生の新しいクラスになっても、
そして卒業後もずっと、
「もといち」という意匠を放さなかった。
でも、
3年生の新しいクラスの人間にすれば、
決して気持ちのいいものではなかっただろうと、
今にすれば思う。
かき混ぜても混ざり切らない、
噛んでも噛んでも噛み切れない、
塗っても塗っても塗りつぶせない、、、
忌々しい意匠だったかもしれない。
今回の同窓会の最中、
「アサヒのスーパードライは世界で一番美味い」と言ったヤツがいた。
無条件で肯定できる、
そういうものが沢山ある方が、
多分、
沢山幸せな人生なのだと思う。
●もう1週間が過ぎた。早いもんだ。とりあえず同窓会シリーズはこれで終わり●伝言をふたつ受け取った。ひとつは予想外。もうひとつは予想内。
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