
「もといち」としてぼくらが過ごした教室は、
2階の一番端に今もあった。
教室を出てすぐ左手は行き止まり。
で、
こんなレリーフ、
当時からあったっけ。
複数の同級生は「あった」と答えたが、
ぼくにはほとんど記憶にない。
壁面いっぱいの大きさで、
コンクリート製。
相当な存在感。
ほぼ1年間連日眺め、
少なくとも視界には入っていたはずなのに、
ぼくの頭からはスッポリと抜け落ちていた。
表面をパンパンと手で叩いてみた。
ヒンヤリとした重厚さが伝わってくる。
一体だれが、
どうやって作ったのだろうか。
ところで、
今日docomoから請求書が来ていた。
継続利用期間は14年8ケ月とある。
ということは、
阪神大震災のあった年の秋に、
ぼくは携帯を初めて持ったのだ。
あの災害で、
携帯電話のありがたさを思い知らされたのだろう。
震災から15年。
もといちの30年は震災前と後で、
ほぼ半分に区切られることになる。
あれを機に居場所がわからなくなった人が増えた気がする。
まったく何となくだけど。
そう考えれば、
レリーフが今も無傷でここにあることは、
実は結構すごいことなのかもしれない。
●実際、当時学校にあった多くの物が、移動したり消滅したりしていたのだ。
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