2010年5月21日金曜日

不動




















「もといち」としてぼくらが過ごした教室は、
2階の一番端に今もあった。

教室を出てすぐ左手は行き止まり。

で、
こんなレリーフ、
当時からあったっけ。


複数の同級生は「あった」と答えたが、
ぼくにはほとんど記憶にない。

壁面いっぱいの大きさで、
コンクリート製。

相当な存在感。


ほぼ1年間連日眺め、
少なくとも視界には入っていたはずなのに、
ぼくの頭からはスッポリと抜け落ちていた。


表面をパンパンと手で叩いてみた。

ヒンヤリとした重厚さが伝わってくる。

一体だれが、
どうやって作ったのだろうか。



ところで、
今日docomoから請求書が来ていた。

継続利用期間は14年8ケ月とある。

ということは、
阪神大震災のあった年の秋に、
ぼくは携帯を初めて持ったのだ。

あの災害で、
携帯電話のありがたさを思い知らされたのだろう。



震災から15年。

もといちの30年は震災前と後で、
ほぼ半分に区切られることになる。

あれを機に居場所がわからなくなった人が増えた気がする。

まったく何となくだけど。

そう考えれば、
レリーフが今も無傷でここにあることは、
実は結構すごいことなのかもしれない。


●実際、当時学校にあった多くの物が、移動したり消滅したりしていたのだ。

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