2010年7月31日土曜日

肉親





マーブル模様のスーパーボール。

幼稚園のころだったか。
近所のおもちゃ屋に売ってたこれが、
欲しくて欲しくて、
でも小遣いはなくて、
ついに万引きした。

店にはバレなかったけど、
やましさから家に持って帰ることもできず、
帰り途の用水路に捨てた。

その様子を、
一本道のはるか遠くで、
井戸端会議中だった母が見ていた。

その時点で、
具体的なことは分からなかったはずだが、
母は何かを察知したのだろう。
問い詰められたぼくはすべてを白状した。

母は即座に会社の父に電話。
帰宅した父は鬼のような形相で、
ぼくの尻を思いっきり叩き、
庭の木に縛り付け、
「蚊に食われて死んでしまえ」と言った。

幼いぼくが震え上がったのは当然のこと。

しばらくして母がひもをほどき、
家に入れてくれたものの、
あの時の衝撃は今でも強烈だ。


不始末や悪行を、
子どもは隠しても、
親は知っている。

いや知らなくても、
何か感じるのである。

辛いこと、
苦しいこと、
恥ずかしいこと、、、

親に言わずに済ませていることも、
いつかは親にはばれる。

たとえ生きている時は隠し通せても、
死ねばすべてばれる。
それが肉親というものだ。


ぼくがここ数年受けてきた様々な報いも、
つまりは、
すべて今は亡き親父に、
あの時と同じように、
尻を叩かれているということなのだ。

●泣いても叫んでもあと1日。当日は笑いますけどね。

2010年7月30日金曜日

保水

喉の渇きをいやすのに何がいいか調べていたら、
「ケーコーホスイエキ」に出会った。













大塚製薬の経口保水液「OS‐1」。

会社近くのドラッグストアでも売ってた。


一口飲んで思った。

「ポカリスエットじゃん」。

そう、
ポカリ味だったのである。

ただし、
1980年発売当初の。


最初にポカリを飲んだ時の、
「なまぁ~っ」とした口当たりは今も憶えている。

そしてそれ以上に印象的だったのが、
いくら飲んでも、
胃に届く前に消滅してしまうような、
不思議な感触。

まさに水が体にしみ込んだ。


でも、
年々そのような驚きは薄れていた。

ぼくが慣れたためだと思っていたが、
「OS‐1」を飲んではっきりわかった。

ぼくが慣れたのではなく、
ポカリの方が変化していたのだ。
きっとそうに違いない。


んなわけで、
久し振りの「ポカリ的ショック」に感動すら覚えたが、
その後すぐにトイレに行きたくなった。

まるでミルク飲み人形(笑)

どうやらぼくの体には水分は足りているようだ。


でもマジに今夏は熱中症がヤバい。

熱中症の怖さは、
当人は体の変調に気が付かないこと。

それで死んじゃうんだなぁ。

どうかそうなる前に、
「OS‐1」を!

●ちなみに大塚製薬の回し者ではありません●今日「天使」を見た。本当に見たんだって(笑)●さぁ、一区切りついた。あとは1日に向けまっしぐらだ●業務連絡。元町ハ土曜10時。以上。

2010年7月29日木曜日

語源

「ガッツポーズ」の由来がガッツ石松だと、
意外な事実を知ったのは、
比較的最近のこと。

確かネットだったと思う。

フトした疑問でも、
ネットで検索してみれば、
ほとんど間違いなく、
同じような疑問を持った人がぼく以前にいて、
ちゃんと質問と答えが用意されている。

とりあえず便利といえば、
めっちゃ便利であるが、、、


今日の巨人対中日戦で、
巨人の坂本が延長11回、
サヨナラホームランを放った。

サヨナラ勝ち。
サヨナラ負け。

この「サヨナラ」の由来は?

早速調べてみました。

でもこれが分からない。
調べ方が足りないのかもしれないけど、
何でもたちどころに教えてくれるネットでさえ、
今回ばかりは歯切れが悪い。

もちろん、
同じ質問をしている人は過去にも複数いた。

でも、
いずれの質問にも、
明快な答えは返されてなかった。


「サヨナラ」が「さようなら」の意味なのは、
言わずもがな。

「さようなら」の語源が「左様なら」、
つまり今でいう「んじゃ、そういうことで」みたいな、
別れ際の挨拶だということも、
ちゃんと載っている。

でも、
サヨナラ試合の語源にはたどり着かない。

雰囲気はわかる。
ウィキペディアにだってこう書かれている。

勝利チームの攻撃で試合が終わることから、「さようなら」を略して「サヨナラ」と呼ばれる。

何かいまひとつ釈然としない。

そもそも、
だれが最初に「サヨナラ勝ち~(負け~)」と言ったのか。
それは謎のままだ。

第一、
なんでさようならを略すとカタカナなの?

●楽譜が、、、歌詞が、、、(汗)

2010年7月28日水曜日

別嬪

「トイレの花子さん」ならぬ、
「トイレの神様」がロングヒットの兆し。

そういえば、
FMでちょっと前によく流れていたな。

先日の「情熱大陸」で作者の植村花菜を取り上げていて、
へぇこんな女性だったのかと、
少々驚いた。


トイレをきれいにしておくと、
別嬪さんになれると、
祖母に教えられた少女時代から、
その祖母が亡くなるまでをつづった、
ほとんど私小説の世界。

ぼくは実にほのぼのした、
祖母と孫娘の交流の話と受け止めていたけど、
実際はもうちょっと複雑な家庭環境が背景にあったようだ。


それにしても、
9分52秒だって!

実に長尺だ。

ぼくらの世代だと、
さだまさしの「関白宣言」を思い出す。

あれで確か7分ぐらいだった。

1979年、
その年末の紅白歌合戦で、
フルコーラス歌わせるか否か、
そんなことが社会の話題になった時代だ。


にしても「別嬪」とはまた懐かしい言葉。

この歌のヒットのキモは、
「別嬪」という言葉と、
植村花菜本人の容姿だ。









トイレの神様、
御利益ありそうですな。

●果たして今年の紅白で全部歌えるだろうか?

2010年7月27日火曜日

土台

映画の粗筋を読んでも、
その映画を「観た」とは誰も言わない。

バタフライの泳ぎ方を読んだだけで、
実際に泳げるなどと信じている人は、
きっと笑われるだろう。


そんな簡単な道理なのに、
人は新聞やテレビの報道を見聞きしただけで、
世の中の事象を分かったと錯覚する。

それらはすべて、
小説の粗筋と何ら変わらない。


小林秀雄は講演で、
「分かりやすく読んではいけない」と力説する。

論文も詩歌も、
読み方は同じだと。

読み込んで読み込んで、
その文章を書いた人の人となりが透けて見えるほどになって、
ようやく文章は分かるのだと。


でも実際の世の中の出来事を、
そんなに深く知ることは、
時間的にどだい無理なのであって、
だから人はテレビで外国の風景を眺めて、
その絶景をわが目で見たような気になって我慢する。

もちろん大概の事はそういうことで仕方がないのだけど、
やっぱり人生の中で何かひとつでいいから、
詩歌を味わうように知る世界を持っていたい。


それがぼくの場合は歌であるはずなのだけど、
登りたい山を富士山に設定している今は、
まだ一合目にすら達していないことに気づく。

残された人生の時間や、
自分の足腰の具合を鑑みるに、
目標を近所の甲山ぐらいに変更した方が、
身のためなのかもしれないなぁって思いもわいてくる。


あれも、
これも、
それも、
どれも。

何でもかんでもしたいと、
貪欲に願える季節は過ぎた。

人生の土台作りは終わり、
あとは今ある土台の上に作れる物を、
見極める時なのだ。

身の丈にあった物事を、
身の丈にあったやりかたで慈しむ生き方をしている人が、
一番かっこいいと思える、
そんな年頃。

ぼくという土台の上に、
東京タワーは建てられない。

いわんやスカイツリーをや。


●なんて言いながら、身の丈に合わぬ曲を選ぶのであった。

2010年7月26日月曜日

直射

髪を切った。

ようやく。
やっと。

2週間ほど前から、
切りたくて切りたくて、
うずうずしている間にハプニングが続出で、
切るのも髪も伸び伸びになっていた。

その間に、
うだるように暑くなり、
いよいよ切りたい願望はピークに達していた。

美容院に着いた時は、
どんな髪型でもいいから、
とにかく切ってくれーっていう気分だった。


その美容院でアシスタントの女の子が、
元気がよくて、
よく喋る子だった。


あたしの部屋クーラーないんですよぉ。
で、
タンクトップと高校の時の体操パンツはいて寝てるんですけど、
朝起きたら汗かいてますね、やっぱり。
扇風機はガンガンかけてるんですけどぉ、、、


そうやって元気よく喋る彼女見てると、
だんだんぼくは、
鏡に映る自分の目が細くなっていくのに気づいた。

ニヤけたのではない。

まぶしかったのだ。

彼女が全身から発している元気光が。


前に、
月の光は間接照明って聞いて、
あっなるほどと思ったことがある。

だから優しいんだ。

それに比べ太陽は自分が燃えて光を放ち、
世界を照らす。

太陽のごとき彼女と話した数分間は、
気分よかったけど、
サングラスが欲しいほどだった。

直射日光は、
今の身には少々キツイ(泣)。


帰る時、
彼女に「スポーツやってたでしょ」って聞いたら、
「えっ何でわかるんですかぁ、中、高とソフトボールやってました」
だって(笑)。

わかるよ。

その元気光見りゃ。

●楽譜ちゃんとしないといけないんだけど、これがまたぼくには大変な作業でして、、、でもこれを乗り切らないと、ライブはないから頑張る。

2010年7月25日日曜日

陽炎

真昼間の梅田界隈を歩いていると、
人や景色が陽炎のように、
ボーッとぼやけて見える。

泊まり勤務明けで、
自分の頭の中が陽炎状態なのかもしれないけど、
実際本当にそう見えるほど、
大阪の街中は暑い。

すれ違うどの人も、
体から「ったく」オーラが出ている。


そんなわけで、
今夏初めてヒロタのシューアイスを買った。

ちょうど通勤経路の途中に店があって、
帰宅する時に、
去年もよく買った。

抹茶とかチョコレートとか、
季節の果物とか、
2個ずつ5種類。

計1000円なり。


そういえば誰かさんは、
甘味禁止令だったっけ。

でも買ってしまったものは仕方ない。

家に着くと母が庭に水をまいていた。

ぼくは黙って冷凍庫にシューアイスを袋ごと入れ、
ちょっと自室で休憩。

再び階下に降りると、
ソファーに母がチンと座り、
目の前のテーブルにもう、
空のシューアイスの袋がひとつ。

目ざとい母よ。

オレより先かよぉ。

でも、
喜んでくれる人がいるから、
買いがいもあるというもの。


食べてくれる人がいる。

読んでくれる人がいる。

聞いてくれる人がいる。


それで充分幸せじゃないか。

そう思いながら風呂に入った。

2010年7月24日土曜日

保冷











外出には保冷剤が手放せない季節だ。

たまたま家の冷蔵庫にあったのが、
この「愛す倶楽部」。

何かの食材に入っていたであろう、
業務用商品のわりには、
駄洒落たネーミングが面白い。


2シーズン目となり、
袋がかなり傷んできた。

炎天下、
毎日のように人の首に巻かれるなど、
商品使用の完全な想定外であろうから、
仕方がない。


ひょっとして通販で買えないかと、
アマゾンで検索したが、
残念ながらヒットなし。

その代わりといっては何だが、
この商品は正しくは保冷剤ではなく蓄冷剤ということがわかった。


保冷と蓄冷の違いは微妙だが、
冷たさを「保つ」より「蓄わえる」方が、
より冷たそうに感じるのはぼくだけか?


どこにでも売っていそうで、
意外に手に入りにくい「愛す倶楽部」。

どうかこのひと夏、
ぼくの頭を冷やしておくれ。

●製造元は山口県下関の会社。いっそ直接電話して取り寄せようか●久しぶりに元町に行った。港町もやっぱり暑かった。

2010年7月23日金曜日

曜日

曜日を間違えていた。

珍しく早起きして、
さぁ支度してと思って何気なくカレンダーを見たら、
金曜日のはずが木曜日ではないか!

気合いで目覚めかけていた体が、
一気に脱力した。

ならば別の用事を、
と思ったが、
もう駄目。

あらためて少し寝たzzz


ところで、
曜日の順番はなぜ日月火水木金土なの?

それぞれが星のことであるのは当然として、
週の始まりが何曜日かも別として、
要するに順番。

太陽と月は別格であるが、
あとの5個は惑星だ。

太陽からの順番だと水金火木土のはず。

地球が金と火の間に入るから少々ややこしいが、
ちょっと考えただけでは火水木金土にはならないような、、、

調べてみると、
この順番は古代バビロニアにまで遡るとのこと。

当時の人たちは、
地球から近い順に火水木金土と見えたそうだ。

そりゃ、
明るさも違うし、
ましてや当時は天動説だったわけで、
そう考えるのが自然、
というか当然だったのだ。


神話とか伝説には、
胡散臭い内容が多いけど、
それは今の時代の頭で考えるから。

当時の人は一生懸命考えて、
文字なんかもないから、
大切なことを口伝えしていたわけだ。

何千年も。


プラトンは、
文字など使っていると、
人間は馬鹿になると考えていたそうだ。

文字に記憶を預けて、
自分で憶えようとしなくなると。

便利な物が出来るのは非常にありがたいけど、
それに溺れていると、
人間ひとりひとりはどんどん馬鹿になっていくのかも。

そんな馬鹿が、
少なくともここに一人います。

●ということで、再度よろしくー。

2010年7月22日木曜日

自戒

久し振りに、
スーツを着て出社した。

もちろん、
昨日しでかしたミスのお詫びをするため。


真夏の日中、
ネクタイを締めながら、
屋外の暑さを想像すると、
色んな意味で身震いがした。

ところが意外なことに、
スーツでの行動は快適だった。

確かにネクタイは少々窮屈だったけど、
普段のGパンと違い、
スラックスが軽くて風通しがいい。

お陰で会社に向かう心が、
わずかばかり軽くなった。


ただただ頭を下げた。

厳しく叱責をいただいた。

「起きたことは仕方がない」という声もあった。

ある意味心に刺さる言葉だ。

仮にぼくが為替のディーラーで、
10億円の損益を出したなら、
頑張って10億円稼げば、
とりあえずそのミスは挽回できる。

でも今回のミスは、
直接挽回することはもうできない。

そういう意味で「仕方ない」だけなのだと自戒する。


以前のぼくだったら、
激しく落ち込んでいただろう。

もちろん今回もかなり凹んでいる。

でも以前のぼくと違うのは、
どんな大怪我でも、
癒えない傷はないということを、
身を持って知っているという事だ。


それでも必ず明日は来る。

●ということでペンギン様よろしく。

2010年7月21日水曜日

陥穽

「人は必ず間違える」

昨日そう書いたら、
今日仕事でミスった。

社会人生活20年。
仕事でのミスとしてはかなりでかい方だ。

震度5強ぐらい。


ぼくの仕事はそういう間違いがないように、
何重にもクロスチェックする仕組みになっている。

それによってこれまで何度も助けられてきた。

だけど今回は全てのチェックをすり抜けた。

どんなに予防線を張っていても、
落とし穴に落ちる時は落ちる。

間違いに自分で気づき、
被害を最小限に抑えられたことが、
せめてもの救いだ。


こんな時、
命にかかわる仕事じゃなくてよかったと、
つくづく思う。

医療や教育の現場の人は、
ひとつのミスが文字通り命取りになることがある。

それに比べれば、
ぼくにとっては痛恨のミスでも、
人が死ぬなんてことはない。

何本か会社にお怒りの電話があるぐらいだ。


もちろん責任は痛感してます。

でもせめて、
そういう考え方でもしないと、
身が持ちません、、、

2010年7月20日火曜日

訂正

まずは訂正から。

全英オープン優勝のウーストハウゼン、
初日は首位ではなかった。

ということで「完全優勝」というのも間違い。

ずっと見てたんだけどねぇ。

ま、
こんなブログでの間違い、
誰にも迷惑かけてないと思うけど、、、


考えてみれば、
気づいただけマシなのかもしれない。

問題なのは間違えることより、
間違いだと気付かないことの方だろう。

その間違いで他人に迷惑をかけていれば、
なおさら有害だ。


でも、
間違いって、
気づくより気づかないままの方が、
圧倒的に多いんだと思う。

そもそも、
間違いったって、
今回のような単純な事実誤認ならまだしも、
そもそも人生、
「はい間違いです」って言えない事ばかりだ。


明らかに間違いなら、
誰もその道は選ばないって。

だから付和雷同というか、
大勢が行く方に自分も行くという心理は、
しごく当然なのかもしれない。


民主主義の要諦は「多数決」ではなく、
「少数意見を尊重する」ということだ。



以前そう書いたことがあるけど、
その考えにはとにもかくにも、
「人間は必ず間違える」という真理が根底にある。

多数意見ったって所詮、
正解の分からない者同士の、
その場の勢いみたいな部分が大きいのではあるまいか。

だから、
日々前進しながらも、
間違えたのではないかと、
たまには後ろを振り返ることが大切だ。


思うに日本人は、
この「振り返る」という作業が、
とっても苦手なのだろう。

何事にも臆病なくせに、
結果については「終わったことだから」で済ませる。

だから何度でも、
同じ手口で騙される。

●昭和天皇の戦争責任問題も、結局うやむやだし●ちなみにウーストハウゼンという名前も、ほかにウェストヘーゼンと記すマスコミもある。

2010年7月19日月曜日

伏兵










135回全英オープンゴルフは、
ウーストハウゼンという、
全く無名の27歳の選手が優勝した。

しかも、
初日からずっとトップの「完全優勝」。

一体だれがこんな結果を予想しただろう。


最終日、
2位に4打差の15アンダーでスタートした時も、
絶対にこの選手は落ちてくると、
ちょっとでもゴルフを知っている人なら思ったはずだ。

なぜって?

だって、
ゴルフはそういうもんなんだもん。

どんなに3日目まで快調な選手でも、
優勝の2文字が頭にちらついた途端、
人が変わったようにガタガタと崩れていく、
そんな光景が過去に一体何度あっただろう。

特にビッグタイトルならそうだ。

ちょうど競馬で、
大逃げした馬が、
第4コーナーを回ったあたりで、
結局後続に吸収されるように、
この選手もいずれ、
2位以下の選手の追い上げにあって、
優勝争いは団子状態になる。

はずだった。

でもならなかった。

ある意味一方的で味気ない展開。

でも、
誰も予想しなかった結果と言う意味では、
逆に劇的だったともいえる。


伏兵中の伏兵ウーストハウゼンだが、
あえて特筆すべきは、
彼が南アの選手だということ。

そしてキャディーが黒人だったということ。

この絵柄は複雑だった。

プレーヤーが南アの黒人で、
キャディーが白人だったら、
間違いなく劇的だったのに。

●写真はTHE OPENオフィシャルHPより。

2010年7月18日日曜日

変貌

一週間古い話だけど、
龍馬伝第2部が終了した。

幼馴染の岡田以蔵が処刑され、
武市半平太が切腹させられ、
それまで自分のなすべきことに悩んでいた龍馬が、
「日本を洗濯する」と思い定めた最後の場面。

岩崎弥太郎のナレーシションにグッと来た。

録画を見なおして、
書き起こしてみよう。

この時から龍馬は遥かな高みを見据え始めたがじゃ。

命の儚さを思い知り、
志の尊さを知り、
悲しみも、
別れも、
虚しさも、
悔しさも、
恐ろしさも、
人の情けも愚かしさも知り、
龍馬はこの時からあの坂本龍馬になって行ったがぜよ。


多くの男子諸君は、
ここで「これって俺じゃん」と思っただろう。

かくいうぼくもその一人。

自分が龍馬になったような気がした。

もちろんぼくには日本の洗濯はできない。
自分の衣類の洗濯すら母任せだ。

だからぼくの共感は、
ヤクザ映画を見た人が、
肩をいからせながら映画館を出てくるようなもんで、
そんな気になっただけかもしれない。


でも、
40年以上生きてきて、
それなりに色んな経験もし、
積もり積もった思いが沸点に達した時、
自分の何かが決定的に変質し、
人の世が、
それまでと全く違う景色に見える感じは、
きっと龍馬も同じであったと思うのである。

行動や外見として現れなくても、
やはりそれは個人的には、
変貌を遂げたと呼ばしてもらいたい。


●額の中の表彰状が3枚になりました。

2010年7月17日土曜日

我慢

とかくスポーツは人生にたとえられる。

サッカーしかり、
野球しかり。

でも、
やっぱり一番はまるのはゴルフだな。


特に今、
全英オープンが開かれている、
「聖地」セント・アンドリュースは、
その感じが強い。

タコつぼのようなバンカー、
クラブに絡みつく葦のようなラフ。
立ってられないほど強い風。

そんな自然条件の中を、
ゴルファーは一打一打、
勇気と忍耐を携えてショットを、
パットを打つ。


何年か前にこのコースで、
タイガーは4日間一度もバンカーにつかまらず、
優勝したというのだが、
そんなのは例外中の例外。

だれしもバンカーにラフに強風に、
苦しめられ、
苦しめられ、
苦しめられ、
苦しめられる。

まさしく人生だ。


ただ人生がゴルフより楽なのは、
他人と競い合うものではないこと。

何打あるいは何十打かかろうと、
コツコツ刻んでいけば、
必ずいつかボールはカップに入る。

反対に人生がゴルフより厳しいのは、
4日間72ホールでは終わらないこと。

何かに区切りがついても、
生きている限り、
次々に未経験の新しいホールが現れ、
またティーショットから始めなければならない。


だから人生は際限のないゴルフなのである。


●興味がない方も、このコースは必見ですよ●にしても石川遼のたたずまいはどうだろう。もはや風格すら感じる●皮膚科の先生から「甘い物禁止令」が出された。ちぇっ。チョコパもコーラもしばらくお預けだ。

2010年7月16日金曜日

公平

全英オープンゴルフが始まった。

今しがたまでテレビで生中継していた。

石川遼君は4アンダーの好成績。
予選通過が大いに期待できる。


それはいいのだけど、
つくづくゴルフって不公平なスポーツだ。

だって、
最初の方にスタートを始めた人は、
ずっと無風の中をプレーしたのに、
最後の方の人は、
途中から風が出てきて、
ついにはひどい雨。

こんなに条件が違うのに、
1打は1打としか勘定されない。


素人には不公平極まりなく思えるが、
プレーヤーは案外、
「ゴルフってそういうもんだ」って言うだろう。

W杯の誤審騒ぎでも、
大騒ぎするマスコミをよそに、
プレーヤーたちは、
「それも含めサッカーだ」と納得する。

そういえば、
バスケットの審判をした経験のある、
ぼくの姪は、
その誤審騒動について何で大騒ぎするのか、
ピンとこなかったらしい。

審判に誤審はつきものだと。

なるほど。


「そういうもんだ」っていう考え方は、
一見諦めを連想させるけど、
実はすごいポジティブな発想かもしれない。

人生だって、
不公平に満ち満ちている。

それは改善の余地はあるかもしれないけれど、
今を生きるぼくたちは、
とりあえず、
「人生はそういうもんだ」って納得して、
とにかく一歩進むしかない。

もしそれがどうしても許せないなら、
人生というゲームを降りるしかないのだから。


そういうもんだと言いながら、
歩みは止めない。

それが肝心なんだナ。

●業務連絡。今週、元町には残念ながら行けません。アシカラズ。

2010年7月15日木曜日

親子

自宅のPCがたまにフリーズする。

PCに慣れていないころは、
何かとんでもない異常が起きているような気がして、
不安になってマウスやらキーボードやら、
いろいろ触っても埒が明かず、
しまいに電源を強制的にオフしてしまうことがよくあった。


でも、
案外ほっておけばPC自身で解決することに気付き、
それからはフリーズしても何もせず、
ただ待つことにする。

そういう時
左の手元を見るとハードディスクのマークが、
チカチカ点滅していて、
かすかにPC内部でカシャカシャと、
ディスクが回転している音が聞こえる。

フリーズしてるのは外観だけで、
中ではPCなりに、
一生懸命に問題解決しようとしているのだ。


子どものころ、
自分では分かっているのに親から注意され、
「もう、そんなんわかってるって!」なんて、
怒鳴ってしまったことがよくあった。

フリーズしているPCも、
きっと切れる寸前の子どもみたいなもんなんだろう。

ここで余計な手出しをすると、
かえって本当にブチ切れてしまうかも。


そう考えられるようになると、
不思議なことに、
以前に比べてフリーズする回数が減った。

親子の関係も、
こんなものなのだろうか?

●芥川賞が15日発表される。柴崎友香がノミネートされている。取って欲しいけど、彼女って新人?

2010年7月14日水曜日

微笑










ぼくの机の目の前で「女神」がほほ笑む。

今年1月、
石井一男氏の個展に行った時、
購入したものだ。

氏のいわゆる「女神」像には珍しく、
目を開けている。

絵画など買ったのは、
生まれて初めてだった。
決して安くはなかったけど、
その時は清水の舞台から飛び降りた。


最初は物珍しく、
じろじろ眺めていたが、
最近ではあるのが当たり前で、
あんまり気にとめてなかった。

ところが今日、
PCの前に座って書くことに煮詰まり、
ふと壁を見やると、
女神が微笑みかけてくれた。

そうやっていつも、
ここでこうやって書きこんでいるぼくを、
優しい眼差しで見つめていてくれてるんだなぁ。

ちょっとホッとした。

やっぱり頑張って買ってよかったかも。


最近、
デジカメを白黒モードにしているので、
そのまま撮って加工してみた。

なかなか渋い仕上がりだと、
自画自賛。

●天満「じゃず家」セッションに。今日は参加者の数が多くびっくり。

2010年7月13日火曜日

通風

最近、
ちょっと困ったことがあると、
すぐに他人に相談することにしている。

仕事でも、
私生活でも。


昔は全然違った。
「自己責任」という言葉を強く意識して、
自分のまいた種は自分で刈った。

でもそんなことをしているうちに、
ぼくの心の中は雑草だらけになってしまった。

自分の器の小ささを思い知った。


下手な考え休むに似たり。

たとえ明確な回答が得られなくても、
だれかに相談を聞いてもらうだけで、
心が軽くなることに気付いた。


すると不思議なことに、
ぼくに相談する人が増えてきた。

それも、
ぼくが相談した相手じゃない人から。


ぼくの中の片方の窓から相談を出したら、
もう一方の窓から相談が入ってきた、
そんな感じ。

それがどういうことになるのか、
まだよく分からないけど、
心の風通しがよくなったことだけは、
確かなようだ。

窓は二つ開いてないと、
風は通らない。

当たり前のことだった。

●仕事してW杯見て2時間寝て仕事して、、、サプライズもあって、さすがにクタクタだぁ。でもいい試合だったなぁ。この夜のことは忘れないな。

2010年7月12日月曜日

球際

最近の選挙報道は、
投票締め切りと同時に予想議席をドーンと出す。

「出口調査」という、
かなり精度の高い手法を使っているだけに、
最終結果と大きく狂うことは、
まずない。

こうなると、
そのあとの開票状況なんて、
結果が分かっている試合のリプレーを見ているようなもの。

つまり、
まったく面白くない。


どのチャンネル見ても、
万歳万歳のオンパレード。
こんな日こそ、
K-1とか漫才とかやる民放があってもよさそうなものなのに。

一応開票状況はテロップで流して。


さ、
そんなことよりこれからW杯決勝を見なくちゃ。

この1ヶ月、
本当にいろんなことをW杯から学ばせてもらった。

最後にもうひとつ、
W杯から得た教訓を挙げよう。

「球際に強くあれ」

99%まで同じでも、
最後の1%で結果がガラリと変わる。

そんなシーンをいくつも見た。

勝敗のアヤは、
その1%がすべてだといってもいいぐらいだ。


何事も同じなんだなぁと思う。

詰めの執念というのかなぁ。


なんだかんだ言って、
ぼくのライブまであと2週間あまり。

ぼくも球際に強いライブをやりたいと思い、
悪戦苦闘中である。

ぼくの場合は単なる悪あがきとも言うが。


それはともかく、
この決勝戦も、
オランダとスペイン、
タイプの違いこそあれ、
球際により強い方が勝つ。

2010年7月11日日曜日

重責













阪神ファンのとある目上の方が、
ぼくに会う度に、
「新井どう思う?」と聞いてくる。

そう言われても、
巨人ファンのぼくとしては、
新井になぞ基本的に関心がない。

とはいえ、
相手は目上の方。
要するに新井の4番としての仕事ぶりが気に入らないようなので、
とりあえず、
「人気チームの4番は、ちょっと打てないと目立ちますからねぇ」
とかなんとか、
当たり障りなく答えておく。


しかし会う度に同じことを聞かれるので、
次第に適当な返事では間に合わなくなった。

阪神の試合でも、
新井の打席だけが妙に気になる。

今シーズのここまでの打率は2割8分1厘。
得点圏打率はそれを上回る2割9分4厘。
本塁打10。
打点55。

プロ野球のバッターとして、
決して悪い数字じゃない。
きっと阪神でも6番とか7番とかなら、
この成績で何の文句もないはずだ。
阪神以外、
たとえば元いた広島なら、
4番でも十分いけるだろう。


それでも、
阪神の4番だと、
「ここぞ」という場面で、
ファンの胸がすくような結果を出さないと、
なかなか評価されない。

実際、
どーでもいい場面ではよく打つけど、
試合を左右するような場面では、
併殺打とか空振り三振とか、
パッとしない結果が目につく。

ファンなら怒りたくもなるな。

巨人の4番だった原がまさしくそういう選手だった。


しかし、
王とかバースなんかと比べられるのも辛いだろうねぇ。

数字プラスα。
そのα=ファンの夢だ。
年俸2億円の意味だ。

頑張れ新井!
目上の方を喜ばせてくれ!


でも巨人戦では打つな(笑)

●昨年のライブでピアノを弾いてくれた赤松真理さんのライブを聞きに逆瀬川「バック・ステージ」へ。サックスとのデュオ。クリアで安定感のある、上質な音楽を久し振りに堪能した。彼女の新作CD「風の彫刻」もゲット●ウルグアイとドイツのW杯3位決定戦を見ようと張り切っていたら、中継はスカパーだけだった(泣)。

2010年7月10日土曜日

始動

W杯から得た教訓として、
「シュートで終わらせる」
のほかにもう一つ、
「動き出しを早く」
というのがある。

生活全般にわたって言えることだけど、
ぼくは動き出しが鈍い。

起きる時から寝る時まで、
何かにつけグズグズグズグズ。

「あと1分病」と名付けてもいいかも。


特に問題だと思えるのが煙草だ。

いや、
煙草が悪いというのではない。

喫煙者には分かってもらえるだろうけど、
あれは生活の重要な句読点だ。

ところが困った事に、
ぼくは句読点どころか改行になって、
しかも、
改行、
改行、
改行、、、

と続いてしまうことがままある。

「あと1本病」だな。


分煙や禁煙ブームで、
喫煙場所が減っていることも理由だろう。

いわゆる「吸いだめ」っていうヤツ。


そこで、
一服が文字通り句読点でとどまるよう、
すなわち一回に吸うのは一本と決めることにした。

家の換気扇の下でも1回1本。
会社の喫煙室でも1回1本。

そしたらすぐに次の行動に移る。
これだけで、
心の切り返しが早くなった気がする。

喫茶店ではさすがに1本とはいかないけど、
少なくとも続けて2本は吸わない。


こんな些細な約束事でも効果はあるもんで、
生活の動き出しは確実に早くなった。

頭の回転は早くはなりませんけど。


●改行だらけの拙ブログではあるが、タイトルの「夜と朝のあいだに」をグーグルで検索すると、何と上から2番目にヒットすることが判明した。それって結構すごくない?

2010年7月9日金曜日

意義

W杯を見ていると、
攻撃をシュートで終わることの大切さを、
解説者がしきりに言う事に気づく。

シュートまで持っていく、
すなわち攻撃をやり終える意義は何だろう?

成功すれば得点になることは、
言わずもがなだけど、
たとえ失敗しても、
とても大きなメリットがある。

それはプレーを切るということだ。


例えば攻撃の途中で敵に球を奪われると、
守備体形が乱れたままで対処しなければならず、
極めてリスクが高い。

たとえ放ったシュートが外れても、
それで一度ゲームが途切れ、
見かたの陣形を立て直すことができる。

仕切り直し。
リセット。


これは普段の生活でも有効な教えだと思う。

仕事でも趣味でも、
とりあえずフィニッシュまで持って行く。

それが上手く行けばOKだし、
たとえNO GOODでも、
一度冷静にそれまでの自分を振り返って、
自分自身をリセットできる。


日本のサッカーによく見られるように、
パスをつないでつないで、
ゴール前まで行くのはいいが、
なかなかシュートせず、
しまいに敵に奪われ逆襲にあたふた対処する。

披露だけが蓄積していく。

そんな歯がゆいパターンは、
ぼくの私生活でも案外多い。

もうちょっと準備して、
あとこれだけはクリアして、、、

そんなことを考えて、
何一つシュートという結果を残さない。

まさしく、
ぼくのこれまでの人生のパターンでもある。


W杯を機に、
ひとつ入ろうと外れようと、
シュートを打つ。

それも思いっ切り。

今度のライブの意義の一つだ。

2010年7月8日木曜日

名前

シュバインシュタイガー


W杯ドイツの選手の名前。

鋼鉄ロボみたい。

今スペインと準決勝を戦っている。

どちらが勝つか分からないし、
顔もよく知らないのだけれど、
この名前は当分忘れないだろう。


ファンデンホーヘンバンド。

オランダの水泳選手の名前。

こちらもかなり忘れがたい。


エンゲルベルトフンパーディンク。

イギリス人のポップ歌手。

これはこどものころに覚えたから、
多分死ぬまで忘れないだろう。


ぼくの場合、
名前の覚えやすさと長短は関係ない。
語呂というか、
リズム感というか、
一度聞いたら忘れられない名前ってのは、
確かにある。


逆の例もある。

ある超有名なハリウッドの俳優で、
こちらは顔はよく知っているのに、
名前が出てこない時があった。

スター・ウォーズに出てて、
インディ・ジョーンズにも出てて、、、

ハリソンフォード。

この名前にたどり着くまでに、
喉に何かが引っ掛かったような、
とても苦しい思いをしたことがある。

たとえじゃなく、
ああいう時は実際に苦しい。

あのウウウウウッッていう、
喉元まで出かかってるのに出てこない感覚は、
人類共通だろうか。

あの時、
脳みそは一体どんな状態になっているのだろう。

喉元でせき止めている何かと、
それをこじ開けて思いだそうとする自分の意志の格闘。

ファンデンホーヘンバンドには優しく、
ハリソンフォードには冷たいものの正体は何か。


くだらないことを、
ハーフタイム中に書いてしまった。


そろそろ後半が始まる。

2010年7月7日水曜日

目的

何のために生まれてきたのか。

何のために生きているのか。

こんな問いを、
誰しも一度や二度は考えたことがあると思う。

それは悶々とした若い日のことかもしれないし、
あるいは大人になって、
人生を揺るがすような出来事があった時かもしれない。


ある人は家族のためと答えるかもしれない。
仕事のためかもしれない。

有名になるため。
金持ちになるため。
この世の不思議を解き明かすため。
世界平和のため、、、

人はそれぞれ、
何かしら人生の目的を掲げて生きているだろう。

それは大事なことかもしれない。

でもきっと人生って、
何か目的をかなえるための手段ではなく、
それ自体が目的なんだと思う。

偉業を成し遂げたり、
世の中に貢献をしたり、
そういう生き方が出来たら素敵だけれど、
それは人それぞれの人生の、
あくまで結果であって、
決して目的ではない。

畳の上でゴロ寝していても、
世界中を旅していても、
一生懸命仕事をしていても、
すごい落ち込んでも、
だれかと大喧嘩しても、
生きてさえいれば、
それでOKだ。


そういう意味で、
自分が何をしたかとか、
何をしたいかなんて、
ホント、
オマケみたいなもんだ。

●天満「じゃず家」セッション。懐かしい顔に会えて、かなり満足。歌?それは、それなりに(笑)●ということでW杯ウルグアイ対オランダ見よっと。

2010年7月6日火曜日

洗濯

菅直人が一生懸命シーツを洗って干し、
「日本を洗濯」っていうCM。

どっかで聞いたような台詞だと思ったら、
坂本龍馬のパクリなんだね。

龍馬伝で思い出した。


「政権交代。」で味をしめ、
広告会社と考えたんだろうけど、
そういうアバウトさは飽き飽きだ。

案の定、
内閣支持率は日に日に落ちている。

民主党はとにかく1秒でも早く、
7月11日が来てほしいことだろう。


支持率低下の要因は、
消費税10%発言だという人もいるが、
きっとそれは違う。

国民受けが悪いと見るや、
たちまち「年収400万円以下の人は全額還付」だと、
思いつきでとりつくろうとした、
その腰の定まらなさこそが問題なのだ。

年収400万円というと、
全世帯のほぼ半分が対象になるらしく、
それでは消費税アップの意味がない。

これぞ甘言ならぬ菅言。


自分たちは日本を洗濯する存在ではなく、
国民から選択される存在なのだという意識がない。

これは勘違いならぬ菅違い。

はぁ、
もうちょっとマシな政治家はおらんのか。

そんなことを嘆いていると、
最後まで「ベスト4」と言い続けた岡ちゃんが、
フト立派に思えてくるから不思議だ。

いやいや、
あれは勝てば官軍。

でも勝てば菅軍とはいくまい。


そういえば、
先日のソングライターズで桜井和寿が、
一番やりたくない職業は?と問われ、
「総理大臣」と即答していた。

わかるような、
わかりたくないような、、、



●自民党の「いちばん。」も同様にヤバい。20世紀少年の友民党じゃないか。パクり合戦だな。

2010年7月5日月曜日

発見














じっと見つめていると、
立体像が見えてくる「マジカルアイ」

こんなパソコン画面でも、
ちゃんと見えるんだねぇ。


物事が分かるって、
こういう風な感じだと思う。

最初は何が何だか皆目見当がつかなくて、
ただ言われるままにやってみる。

何度か挑戦して、
「あっ、分かるかも」って思った瞬間に、
フッと視界から消えてしまう。

また何度か挑戦して、
やっと見える時が来る人もいれば、
見えないままの人もいる。

一度見えるコツをつかむと、
何度でも大丈夫だ。


マジカルアイの「見方」には、
交差方と平行法があるそうだが、
それはあくまで見やすくするための、
言語的アドバイスに過ぎない。

結局、
見えるコツは、
その人が自分なりに体でつかむしかない。

答えは眼前にあるのに、
わからない時はわからないってところがミソ。

仮に「○○が見える」って教えられても、
見えない人は永久に見えない。

見える時には一瞬にして見える。

きっと世界のすべての謎も、
実はぼくたちの眼前に開かれている。

ただ、
ぼくたちがまだ発見していないだけだ。


ところで、
あなたには、
何が見えましたか?


●来月ぼくが出演させてもらう、武庫之荘「Mクアトロ」のサンディライブに行ってきた。仕事があるので前半しか見れなかったのだが、バックのピアノ、ベース、ドラムの3人さんにご挨拶できた。

2010年7月4日日曜日

曲先

NHK「佐野元春のザ・ソングライターズ」が再開した。

最近では第2部のことを、
「セカンドシーズン」というのが流行りだ。

「season」といえば「季節」としか理解してなかったぼくには、
どうも馴染まないのだけど、
アメリカのドラマの影響なのだろう。


何はともあれ、
セカンドシーズンの最初のゲストは、
ミスチルの桜井和寿。

この番組でいつも話題になるのは、
歌を作る時に詞が先か曲が先かっていうことで、
桜井は、
ほとんど曲だと言っていた。

曲が頭に浮かんで、
とりあえず出鱈目に歌ってみて、
その感じが何を表現しているのかってなことを考えるところから、
言葉を紡いでいくそうだ。

桜井に限らず、
いわゆるJ-POPの恐らく99%は、
曲が先、
いわゆる曲先だと思う。


作詞家のからすれば、
「邪道だ」ってなるかもしれない。
ひょっとすると、
作曲家にしても「邪道だ」って言うかも。

でも、
一人で詞も曲も書く「ソングライター」にとっては、
曲先だろうが詞先だろうが、
ほとんど関係ないと思う。

出来た歌がよければ、
それでいい。


そんな風にして出来たミスチルの曲の中で、
佐野元春が「同じソングライターとしてキラーライン」と絶賛したのが、
名もなき詩のこの部分。

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにあるもの


1996年2月発売のこのシングル。

ぼくも愛車スカイラインの中で散々歌いました。

でもキーが高過ぎ(G)て、
カラオケでは歌わなかった。

ぼくはカラオケでも原曲のキーじゃないと嫌という、
妙なこだわりを持っていのだ。


いやいや。

それはともかく。

ぼくは佐野元春とは違って、
この部分より、
出だしに感心した。

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる


「汚れ物を食べる」って、
妙にインパクトあったな。

2010年7月3日土曜日

心膿

子どものころの1年は長かったって、
大抵の人は思うだろう。

でも、
振り返ってみれば、
子どものころだって、
夏休みの40日間はあっという間だったし、
放課後遊んでいる時の1時間や2時間は、
ほんの一瞬だった。

子どもだって、
楽しい時間は短く感じるのである。

すると子どもの方が大人に比べて、
嫌な時間が多いということだろうか。

いや、
「嫌な」というより、
「不慣れ」といった方が正確かもしれない。

嫌な時間の過ごし方に不慣れ。


すると、
大人になって時間の経過が早く感じるというのは、
楽しい時にしても嫌な時にしても、
対応の仕方に慣れたということになる。

確かに大人になってからでも、
社会人になりたてのころは、
一日が長く感じた気がする。

社内で部署が変わった時もそうだった。


一方で、
大人になると、
1秒が長いということも知る。

仕事で本当に忙しい時には、
妙に冷静になるもんで、
そんな「ゾーン」状態になると、
「まだ30秒あるじゃん、余裕余裕」
なんて、
まじめに思うことがある。

実際にその30秒は十分に長い。


つくづく思うのは、
あんなに長く感じた子どものころの年月なのに、
今振り返ってみて、
記憶に残っているのは、
ほんのわずかな断片でしかないという事実。

「長かった」という記憶だけ残して、
具体的な事柄のほとんどは忘却の彼方である。


いろいろ考えるが結局、
大人になるということは、
時間の処し方を覚えるということなのかも。

子どものころの時間が長く感じられたのは、
別に特別充実していたわけではなく、
時間とうまく付き合えていなかっただけではなかろうか。

今がうまく付き合えているとは、
必ずしもは思えないけど、
子どものころよりはマシかもしれないナ。

だって自分が老いて死ぬ時のことまで、
一応頭の中でシミュレーションできるのだから。


こんなことを考えたのも、
ぼくの若いころについて、
ペンギンさんに質問されたからなのだが、
案外思い出せないんだよなぁ。

というか、
思い出すことができるのは、
ちょっと他人に話すのがためらわれるような事ばかりでねぇ、、、

だから行き場なく体内に留まったままなのかもしれない。

心の膿として。

●そうそう、最近内省的なことをあんまり書かなくなったって話をペンギンさんにしたから、あえてあんな質問をされたのかしらん。術中にはまったか。

2010年7月2日金曜日

反映







ヱヴァンゲリオン新劇場版で、
久々に碇シンジ君を見た。

最初の「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ放送が1995年10月。

阪神大震災の年だったんだ。

リアルタイムで見た記憶がなかったんだけど、
そりゃそうだよな。

あの年は、
アニメを見ている気分じゃなかった。


でも、
今あらためて見てみると、
あの年の雰囲気を伝えているような気もする。

何気ない日常と、
終末的な出来事が同居しているような、
独特の匂い。

その匂いの中でこそ、
あの破綻したストーリーは許容されたのかもしれない。


2010年に見る碇シンジ君が、
どうもしっくりこないのは、
あの頃日本が受けたPTSDが、
曲がりなりにも癒えつつあるということかもしれない。

シンジ君と同じ14歳だった少年少女も、
今や立派な社会の戦力。

エヴァが社会現象になれた時代の匂いは、
もはや今の日本にはもう残っていないのかもしれない。

もはやノスタルジックな領域に入っているのだろう。


新劇場版っていうやつは、
破綻して終わったストーリーを再構築して、
今に通用する作品に仕立てなおそうという試みのようだけど、
それが今を生きる少年少女の心に届くのかどうかは、
心もとない。


ちなみに「序」「破」の次は「Q」だって。

世の中何でも「Q」なんだなぁと、
ちょっと驚く。

●元町行きます。でも長いは出来そうにないです。

2010年7月1日木曜日

危険

W杯は8強が出そろって、
準々決勝まで数日試合がない。

テレビではこれまでの再放送なんかもやっているけど、
やっぱり日本が負けちゃった今、
W杯そのものへの国民の関心は、
一気に引いた感がある。

W杯で8強に行くことが、
どれぐらいすごいのか、
改めて考えてみたんだけど、
きっと、
オリンピックの100メートルで、
決勝の8人に入るぐらいではないかな。

であるなら、
優勝となると、、、

夢は長ーく待ちましょう。


今回のW杯に限らず、
最近「リスクを取る」っていう表現をよく耳にする。

危険を冒さないと、
人並み以上の果実にはありつけない。

そんな意味で使われるようだ。


ぼく個人的にはそういう考え方は嫌いじゃないし、
どっちかというとこれまでの人生、
リスクばっかり取ってきたかもしれない(笑)。

これからもきっとそうだろう。

でも、
それはあくまで自分の人生だから出来ること。

国政でそれをやられると困る。


W杯の熱狂の影で、
ひそかに進む参院選。

「消費税10%」と威勢よかった菅首相。

年収300万~400万円以下の人にかかる税金分は全額還付する方式を話し合う。普通に生活している人には過大にかからないようにする

んなことを言いだした。


「普通に生活している人」とか、
「過大にかからないように」とか、
解釈のしかたではどーとでもとれる内容。

この人にとって目下のリスクとは、
そして果実とは一体何なのか。

よく考えてみよう。

●遅まきながらヱヴァンゲリオン新劇場版:序と破(庵野秀明総監督)を見た。テレビ版のよさが損なわれていると思った。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...