2011年1月31日月曜日

終活

先日新聞をめくってたら、
「終活」という文字が目に飛び込んできた。

「就活」の見間違いかと思ったが、
やっぱり「終活」と書いてある。

自分の老後のことを考えている、
30代や40代が増えている、
という驚くべき記事。

年金とか、
遺言とか
埋葬とか、、、

実は記事をちらっとながめただけで、
反射的にページを閉じてしまった。

それは、
「もっと前向きになれよ」という、
後ろ向きな奴らへの嫌悪感でもあり、
同時に、
「実はオレもなんとなく考えてるよな」という、
自分自身に対する嫌悪感からでもあった。

生活設計とか、
人生設計とか、
不安だらけの世の中で、
そういうことが大切なことであるのは、
ぼくにだって分かる。

でも、
設計してもその通りに行かないのが人生であり、
その想定外こそが生きる醍醐味でもあろう。

「終活」というネーミングには、
そういう不安定要素をできるだけ消去して、
棺桶までの道筋を、
少しでも明るく照らしたいという、
プラス思考の意味合いがあるのかもしれない。

あるいは、
どうせはかないこの身、
できるだけ他人に迷惑をかけず、
ひっそり消えていきたいという、
たしなみなのかもしれない。

しかし、
やっぱりこんなネーミング、
人の不安をあおって一儲けしようとする輩の、
悪だくみを感じるのは、
ひねくれ過ぎだろうか、、、

2011年1月30日日曜日

知将

ザックJのアジア杯優勝を振り返り、
「持ってる」のは本田でもなく、
長友でもなく、
川嶋でもなく、
ザッケローニ監督その人だと確信した。

今大会、
選手交代は3人までが認められた。

3人というと一見少ないようだが、
キーパーを除けばほぼ3割に当たる。

それだけの選手を入れ替えるということが、
どれだけ大きいことかというのを、
ザック監督は示してくれた。

これまでの日本は、
主に中盤にいる一部のスター選手を中心とする、
ほぼ固定された先発と、
控えとの扱いの差が大きく、
怪我をしたとか、
パッとしないとか、
そういう時の「代役」でしかなかったように思う。

つまり、
100あった先発の力が70に落ちたから、
交代して80に少し回復する、
みたいな。

そういう意味で、
サッカーの監督っていうのは、
結局試合が始まったら、
出来ることはあんまりないんだなというのが、
ぼくのこれまでの認識だった。

しかし今大会を通じてザック監督が見せたのは、
交代選手が単なる代役投入ではなく、
「戦術変更」という、
極めて重要な監督の「意志表明」でもあるということだ。

誰かが出場停止や怪我でリタイアしても、
だったらこの選手を使ってこういう戦い方にする、
みたいな懐の深さがあった。

試合が始まってからも、
戦力回復的な意味での選手交代は極力せず、
相手チームの出方を見て、
あるいは、
相手チームの交代選手による戦術変更に対応して、
臨機応変に選手を交代したように思う。

単なる「駒」ではなく、
個性を持ったプレーヤーとして扱われた、
「控え選手」が燃えないはずはない。

決勝戦の延長で、
投入直後に決勝ゴールを決めた李が、
まさにその象徴だった。









ピッチとベンチが一体となって相手を攻略する、
新しい日本代表の在りようを示してくれた。

松井を欠き、
香川を欠き、
それでも優勝。

ザック監督、
本物の知将である。

●写真はasahi.comより。

2011年1月29日土曜日

実機

今日の朝刊に、
待望の携帯電話の発売を知らせる広告が掲載されていた。

これ、
携帯電話っていうより、
携帯付きデジカメ。














docomoL‐03C。

もう一度言っておきますが、
これ本当に携帯電話なんですよ(笑)

さっそく出勤途中にヨドバシに寄って、
実機を触ってみた。

「う~ん」というのが実感。

思っていたより薄くて軽いのはグッドだが、
その分プラスチック感がチープ。

カメラに切り替えると、
レンズ部分がググッとせり出してきて、
シャッターを切る感触はかなり「本物」のデジカメ。

でも、
記録媒体がSDカードではないようで、
何より、
カメラには必須の三脚固定用ネジ穴がない。

これ、
カメラとしてはかなり致命的。

実際ヨドバシでも、
発売ホヤホヤだというのに、
人だかりはスマートフォンに集中。

こりゃかなり苦戦しそうだ。

などとドコモの社員でもないぼくが心配することはないのだが、
人気がないとなると改良型が出る期待も薄く、
やっぱ、
携帯とデジカメを両方持ち歩く状態が続きそうだなぁ。

その代わり、
といっては何だが、
ウェブカメラというヤツを初めて買ってみた。

パソコンに接続して、
テレビ電話とかできるヤツ。

で、
だれとテレビ電話するの?

????????????????????????????????????????????????

へん、
ちゃんと遠大な計画があるんだい、
と強がっておこう(笑)

2011年1月28日金曜日

手腕

会社の同僚に、
「ソーシャルネットワークどう思います?」と尋ねられた。

ゴールデングローブ賞を取った話題の映画だけど、
ぼくはまだ観てなかったので、
感想らしいことが言えなかった(当たり前だけど)。

この映画は、
「フェイスブック」という世界最大のSNSを立ち上げた、
マーク・ザッカーバーグという青年の物語だ。

ほら、
あのTIME誌が2010年の今年の顔に選んだ人。

さて、
ここまでの話がピンとくるか否かが、
この映画を面白いと思うかどうかに直結する、
というのが、
実際に観て感じたところだ。

プログラムの才能がある大学生が、
友達が出資した10万円で始めたサービスが、
わずか数年で巨大企業になる。

その一方、
出資者だった友達とは袂を分かち、
同級生からはアイデアを盗まれたと訴えられる、、、

まぁザックリそんな話だ。

フェイスブックを利用しておらず、
ツイッターにもあまり興味のないぼくとしては、
決して「面白かった」とは言えない。

もちろん感動とかアクションとか、
その手の話はもとより期待してはいけないが。

しかし、
実際に裁判沙汰にまでなった複雑な出来ごとを、
2時間で取りあえず破綻なく描ききっている手腕は見事。

と思って監督を調べると、
デビット・フィンチャー。

ぼくにとっては「セブン」だけど、
最近では「ベンジャミン・バトン」で有名な監督だ。

いつも書くことだけど、
好き嫌いはともかく、
こんな複雑な話を、
「ああそういうことね」と思わせ続け、
最後まで持っていくのは、
卓越した脚本と編集作業のなせる技だと思う。

どんな素材でも取りあえず立派なディナーにしてしまうシェフって感じ。

プロだね。

でも映画としての星は★★★ぐらい(かな?)

●ということで、同僚が悩んでた理由が少しわかった●今日は元町に行こうと思っております。よろしく~。

2011年1月27日木曜日

所持

過去の入居者2人が、
宝くじで高額当選者になったというアパートが、
それを宣伝文句にしたところ、
入居希望が殺到している、
というような話を、
「ナニコレ珍百景」というテレビ番組でやってた。

一方「不運」でいえば、
広島と長崎で二重被爆した人が、
「世界一不運な男」としてネタにされたって話もあったな。

誰だって幸運でありたいし、
不運はできるだけ避けて通りたい。

そういう意味で気になるのは「持ってる」という言葉。

先日の日韓戦後のインタビューでも、
本田圭が使ってた。

さてこの「持ってる」という表現、
「何を持ってるのか」と考えた時、
単純に「幸運」とは置き換えられないニュアンスがあることに気づく。

たとえば、
大事な試合の大事な場面で、
決定的な仕事をした場合なんかに、
「おれって持ってるな」みたいに使うわけで、
「持ってる」には、
チャンスが巡ってくる+結果を出すことまでが含まれている。

いくらチャンスに恵まれても、
結果が出せないようでは「持ってる」とは言えない。

さらに、
チャンスっていうのは、
基本的に平等にあるというのが、
ぼくの考え方で、
そうなると「持ってる」という表現が力点を置いているのは、
多分に「結果を出す」という方ではなかろうか。

簡単に言えば「チャンスをものにするヤツ」が「持ってるヤツ」なのだ。

当たり前と言えばそれまでだが、
もうちょっと考えてみると、
チャンスをものにするには、
やっぱり、
日ごろの努力で培った技術+自信ってのが必要だろう。

そういう意味で、
「持ってるヤツ」というのは、
結局、
「オレは持ってる」という信念を持ってるヤツではなかろうかと、
しょーもない結論に至る次第。

話しはサッカーに戻るが、
例えばW杯でPKを失敗した駒野と、
日韓戦で失敗した長友。

どちらもPK失敗っていう、
個人としての行為は同じだけど、
駒野はその後何度も何度も外すシーンが放送され、
一方長友の失敗の方は誰も話題にすらしない。

この場合の長友は、
大事な場面で失敗したのに目立たないという、
裏の意味で「持ってるヤツ」と言えるかもしれない。

あなたは持ってますか?

●何、香川骨折‼オーマイガット。

2011年1月26日水曜日

溜飲

アジア杯日韓戦。

期待通りというか、
期待以上というか。

ほとほと疲れたというか、
案の定というか。

これが宿命というか、
日本の詰めの甘さというか、
キムチパワー恐るべしというか。

PK1番目本田かよぉまた外すなよというか、
でもここで志願するアンタは偉いというか。

うぉー川嶋止めちゃったよというか、
ぎょぎょ川嶋また止めたぜアンビリーバボーというか。

いやぁ韓国外したぜ、
これはいただきというか。

長友ボール持つ手が震えてないか?というか、
でしょやっぱり外したよというか。

今野、
君は落ち着いてたなというか。

そもそも土壇場で追い付かれんなよなというか、
そこがやっぱ日韓戦なんだよというか。

韓国もよくやったよというか、
それは勝ったから言えることというか。

終わりよければすべてよしというか。








仕事じゃなくてよかったよというか。

とはいえ一人で盛り上がっててもむなしいというか、
かえって仕事でもよかったかなというか。

でも、
久々に溜飲を下げたよ。

ありがとう、
ザックJ。

●決勝の相手はオーストラリア。6-0かよ。土曜深夜か。仕事だよ。

2011年1月25日火曜日

暗証

自分が働いているレストランに、
有名人がやって来たと匿名でつぶやいたら、
あっという間に「誰」か割り出され、
顔写真までネット上でさらしものにされてしまう。

そんな時代なんだなぁ。

このブログだって、
一応匿名にはしてるけど、
本気で調べられたら、
ぼくが何者なのかなんて、
かーるく分かるんだろう。

このブログを始めた当初に、
読者はいないとはいえ、
書いたことへの責任は持とうと、
心したことを思い出す。

今回の「事件」は、
ネット社会が少しずつだが成熟してきて、
「匿名なら何でもアリ」ということが、
最早許されなくなってきている証左かもしれない。

そんなモードに突入しているのだとしたら、
気をつけなければならないのが、
暗証番号だ。

ぼくがネット関連で使う暗証番号は、
大体が同じなのだが、
これは実は大変に危険なことである。

とはいえ、
いちいち変えていたのでは、
記憶が追いつかず、
さりとて、
それを何かにメモっておいたのでは、
本末転倒になりかねない。

ちなみに、
鈍なぼくでも、
暗証番号はさすがに誕生日とか、
電話番号とか、
ぼくの属性から割り出せるものにはしてない。

複雑で、
でも絶対忘れない。

かなり強力。

しかし、
それを気づく可能性のある人物が、
実はこの世に一人だけいる。

それが誰かは、
本人にも内緒だけど(笑)

それでも、
暗証番号を登録している側から調べられたら、
いくら複雑でも全く意味をなさない。

困ったもんだ。

2011年1月24日月曜日

明細

ぼくが勤める会社の給与明細が、
今年から電子化されたということに、
今月の給料日になって初めて気づいた。

いかにペーパーレス社会とはいえ、
あんな紙きれをやめて、
一体どれほどの経費削減になるのかと、
首をかしげざるを得ない。

実のところ、
ぼくは入社以来の給与明細をすべて保管している。

とはいえ、
きちんと整頓されているわけではなく、
ただ部屋のどこかにはある、
という程度のものなのだが。

これは亡き親父が、
ぼくが入社した時の助言だ。

「こういうものは大事にとっておけ」

当時はその言葉の意味がよく分からなかった。

明細が200枚を超える今になって、
親父がそう言った気持ちが、
なんとなく分かる気がする。

単なる金額の羅列に過ぎない紙片ではあるけれど、
世の多くのサラリーマンにとっては、
悲しいかな給与明細の存在は、
自分が働いてきた「唯一」の物的証拠と言えなくもないのだ。

たとえば、
瀬戸大橋の建設に携わった人なら、
「あの橋を造ったのはオレだ」などと、
少なくとも死ぬまで自慢に思えるだろうが。

電子化された給与明細は、
しようと思えばプリントアウトできるそうだ。

プリントアウトねぇ。

何か違うんだよな。

2011年1月23日日曜日

勲章

さて昨日もチラと触れたのだが、
ぼくの歌の録音を2カ月で2600回も聞いてくれた人がいる。

これは、
ものすごいことである。

ちなみに「2600」という数字は、
itunesで示される再生回数のことなのだが、
普段は気にすることのないこの数を、
ぼくのitunesで調べてみた。

やっぱり多いのは、
覚えるために繰り返し聞いた曲だが、
それでも数百回止まり。

「2600」という数がいかにすごいかは、
このことから、
ぼくには直感でわかる。

だって、
覚えるまでには、
ホント嫌になるほど聞くもの。

しかし一応計算してみる。

2600÷60≒43

1日43回リピートだ。

1曲5分として一日215分=3時間35分。

たった一人であっても、
これほどに僕の歌声を愛してくれ、
頼まれもしないのに繰り返し繰り返し、
昔風に言えば、
「レコードの溝が擦り切れるほど」聞きこんでくれ、
尚且つ飽きないという事実。

その事実はぼくに、
途方もない勇気をくれる。

というか、
もうそのことだけで、
ぼくがこうして歌をやってきた意味は、
十二分に満たされている。

それは、
これで歌をやめるという事じゃなくて、
昨日の続きで言えば、
地球を一回りしたぐらい、
ぼくにとっての勲章だということだ。

間寛平が地球をもう一周することはないけど、
ぼくは歌という地球をまだ何周もする。

そうやってずっと続けていても、
ぼくの歌声を2600回も繰り返し聞いてくれるという事は、
二度と起きないかもしれない。

それでも、
この地球上に、
ぼくの歌声をそれほど愛してくれる人がいるのだとしたら、
ぼくは続ける。

たぶん、
それはぼくの使命だ。

2011年1月22日土曜日

強靭

サッカーアジア杯準々決勝。

地元カタール相手に先制されながら、
土壇場で3対2と競り勝ったザックJ。

いかに格下とはいえ、
審判さえ半分敵という「完全アウエー」の中でのこの勝ち方。
ちょっと前までの日本代表では考えられなかった。

ちょっと感動。

それから、
スタパの録画を見る。

きょうのゲストにはAKB48のうち、
5年前の「旗揚げ」当初からのメンバー3人が出演してた。

っていっても年齢は19歳二人と24歳一人。

250人入る専用劇場の最初の観客は7人だったとか。

それでも信じて続けて5年で、
「現象」といっていいほどのブレークをしてみせた。

サッカーとアイドル。

全く異なる分野ながら、
若者のたくましさに勇気をもらった。

勇気といえば、、、

順番は前後するけど、
間寛平の地球一周マラソン完走の番組を見た。

これって、
人類が月に立ったのと同じぐらいの偉業ではなかろうか。

確か中国ぐらいまで来てた時点で、
寛平がテレビに出てたのを見て、
その時彼はこう言った。

「地球は小さいとかいうけど、そういうヤツには、ほな走ってみ、って言ってやりたい。地球、でっかいです」

この言葉を彼ほどのリアリティで言える人類はいるまい。

彼らの強靭さに感服する。

日本人、
おっとどっこい元気じゃないか!

●さらに今日、ぼくの歌を録音を、たった2ヶ月間で2600回も聞いたという人と話した。別の意味で、とてつもない勇気をもらった。

2011年1月21日金曜日

味覚

喉が乾燥する季節。

知りあいにもらったのど飴がとっても気に入り、
同じものをコンビニで探したのだけど見つからず、
面倒くさいのでアマゾンでまとめ買いした。














龍角散と味覚糖のコラボ。

いかにも効きそうでしょ。

「EX」だもん(笑)

ちなみに中身はこんな具合。














ちょっと見えにくいんだけど、
一粒ずつ小分けされていない。

これはちょっと予想外だった。

知りあいにもらった時は、
キオスクなんかで売っているような、
スティック状態の包み中に、
さらに一粒ずつ小分けされていたからだ。

外出時には全部持ってでなきゃならないじゃないか。

さらに当てが外れたのは、
最初食べて「これ効く~」と思ったほど、
感動がなかったこと。

例えて言えば、
コーラでも、
缶と2リットルのペットボトル入りでは、
微妙に味が違うような気がする、
あの感じ。

ぼくが味に慣れただけなのか、
本当に違うのか、
確かめてはいないのだけど。

おまけにこれ、
決して美味しいとは言えない。
だから、
会社で配ることもできない。

現に母に試してみたが、
「うえっ」と言ったきり、
2度と手を伸ばそうとしない。

6袋あるんだけど。。。

1袋35粒ほどだから×6で約200粒。

かといって、
あんまり舐めすぎるのも要注意だ。

結構飴ってカロリー高いんだよな。

などと、
舐めながら書いてしまった。

2011年1月20日木曜日

大器

先日発表のあった芥川賞と直木賞の新聞記事を、
会社の後輩の女性社員が切りぬいている。

前にクリスマスケーキの一件で、
印象的なお礼の言葉をくれた彼女だ。

イマドキ新聞の切り抜きなど珍しいを事を、
と理由を尋ねると、
「私の知り合いなんです」と意外な返事。

「え、どの人」

「この人です」と彼女が指さしたのは、、、












右から二人目の、
小太りのおっさん。

「苦役列車」で芥川賞に輝いた西村賢太43歳。

ぼくはたぶん、
右端の朝吹真理子が後輩とかなんとか、
そんなとこを予想していただけに、
一番意表を突かれる回答。

さらに続く彼女の言葉に、
ぼくはひっくり返りそうになった。

「この人と6年間文通してるんです」

はぁ。

ブンツウ‼

死語だろ。

なんでも、
フトしたことで知り合いになり、
以来ずっと手紙のやりとりだけの「付き合い」を続けているらしい。

「授賞した時電報を打とうと思ったんですけど、当日配達は7時までなんですね」

「じゃあ電話すればいいじゃん」

「いや、ホント、住所しか知らないんです。携帯持ってないんじゃないですかねぇ」

彼女の口から発せられる言葉の一つ一つが、
予想外すぎて、
開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。

だって、
ぼくは西村氏の作品は読んだことないけど、
相当に破天荒というか、
破滅的というか、
かなり危険な「異端児」。

酒と女におぼれるスキャンダラスな、
駄目駄目フリーターだということぐらいは、
ニュースで知っていたからだ。

ぼくから見れば、
西村氏とは対極にある可愛らしい雰囲気の彼女が、
このおっさんと文通してるということが、
まったくアンリアル。

「でも、やっぱり文章とか上手いですよ」

相変わらず飄々と続ける彼女。

ぼくは「君も相当おもろいな」というのが精いっぱい。

そして彼女の駄目押しの一言。

「授賞式で、もうちょっとで風俗に行ってしまうところだったなんて、あんな事言わなきゃいいのに。でも私、大器晩成型の人に魅かれるんですかね」

白旗。

無条件降伏です。

人は見かけによりません。

しかし、
この時代、
6年間も文通だけなんて、
ある意味、
友人とか親族より「濃い」関係だと言えやしないか。

文通の内容とかは、
さすがに聞くのがはばかられたけれど。

事実は小説より奇なりとはまさにコレ。

意外なところで人は人に魅かれるようだ。

すごい生々しい人間の不思議を、
教えてもらった。

できうれば、
ぼくも彼女に興味を持ってもらえるような、
「大器晩成人」でありたいと、
切に願った。

●西村氏の著作をアマゾンで即注文したのは、言うまでもない。

2011年1月19日水曜日

正夢

死刑になる夢を見た。

縁起でもないけど。

「何で」なのかは思いだせないが、
とにかくぼくは死刑になることになっていて、
覚えているのは今まさに刑場に連れて行かれようとする場面から。

その時ぼくは、
「あーいよいよか」と思いながら、
「やっぱ怖いよなぁ」と感じ始めるものの、
「いや、でもブログでも死についていろいろ書いたし、心構えは出来てるはずだよな」って、
このブログのことを思いながら考え直す。

さらに、
「だから、ここでじたばたしたら格好悪いしなぁ」と一度は冷静になる。

でも、
死刑になって「ぼく」という意識がなくなるんだともう一度思ったら、
心の中にある恐ろしさメーターの針が振り切れた。

その時だ。

「これって夢だよな」、
という思いが急速にもたげてきて、
その思いにすがってたら、
一気に目が覚めた。

「あー夢でよかった」っていうより、
「またか」っていう感じ。

「死刑」は記憶にないけど、
それに近いことはこれまでにも何度かある。

「これって夢」って思い始める、
その辺の頭の構造って、
本当に不思議だ。

もしあのまま死刑になったとしたら、
実際のぼくは一体どうなるんだろう。

映画「マトリックス」みたいに、
リアルのぼくも死んでしまうのかしらん?

まさに正夢。

いかんいかん。

こんなこと書いてたら、
またそんな夢を見ちゃう(笑)

2011年1月18日火曜日

親心

アジア杯で岡崎が何とハットトリック。

ついでに前田も2得点。

日本は理想的すぎるほどの展開で、
サウジを完膚無きまでに叩いて、
8強入りを決めた。

はっきり言って、
日本のサッカーが面白くなってきた。

それは単に勝ったからではなく、
点の入らない場面でも、
プレーに「意図」が感じられるようになってきたからではなかろうか。

いや、
昔から選手もそれなりの意図を持っていただろうから、
正確には、
「意図をプレーで表現できるようになってきた」ということか。

さらに言い換えるなら、
日本のサッカー選手はようやく、
サッカーという「言語」を使ってしゃべりだした。

これまでは、
数少ない単語を意味なく繰り返すだけだったのが、
「ちゃんと文章になってるやんか!」みたいな。

そしてぼくにも、
サッカーという言語がほんの少し分かってきた。

そんな中、
一番印象的だったのは前田の2点目。

パンチングでかわそうとするキーパーの両手の数センチ前で、
前田が頭で球をとらえゴールしたシーン。

解説者が「あの数センチのためにみんなが努力してるんです」と言ってて、
「あーなるほどなー」と思った。

大げさに言えば、
日本サッカーは、
50年ぐらいかけてその数センチを埋めたのだ。

日本という国は、
経済的にはすでに成熟してしまったけど、
サッカーに関しては、
今がちょうど「高度成長時代」ではなかろうか?

一大会、
一試合ごとに右肩上がりで強くなっているような、
そんな感じがある。

松井や本田圭をけがで欠いていたにも関わらず、
全然その不在を感じさせぬ戦いぶり。

対戦相手が違うからかもしれないけれど、
この前のW杯の時とは明らかにレベルが違うような、、、

W杯で男を上げた本田圭でさえ、
もうウカウカしてられないような状況。

子どもって、
しゃべりだすと可愛いとかって言うけど、
嬉しそうな岡崎を見てると、
そんな「親心」が湧いた。

よしよしって。

●先日のスティングライブのベルリン版がYouTubeに(http://www.youtube.com/watch?v=fA18yi2UyIU&feature=related)。この日はあきらかに鼻づまりだけどネ。でも、カッコよすぎ~‼

2011年1月17日月曜日

新興

紙の本を自分でスキャナーで電子化することを、
「自炊」って呼んで、
それを無料代行するサービスがあるって前に書いたけど、
どうやらそのサービスは行き詰ってしまったようだ。

そりゃそうだろうな。
電子スキャンっていっても、
裁断とかスキャン機にかけるとか、
結局は人手がいるんだもの。

ボランティアでは限界がある。

ところが、
「1冊100円」を売り物にしている「BOOKSCAN」っていう会社は、
怒涛の勢いで事業を拡大しているようだ。
マンションの一室で手探りで始めた会社が、
わずか半年余りで急成長していく様子が、
これ↓を見ればよくわかる。

http://gigazine.net/news/20101124_bookscan_inside/

最後のほうにインタビューもあって興味深い。

半年余りとはいえ、
蓄えたノウハウは大きいだろうし、
同業他社へのアドバンテージは大きい。

しっかし、
大勢のバイトを雇って、
収益構造がどうなっているのか、
イマイチ不明なのだけれど。

そういう胡散臭い感じがないわけでもない。

でも、
リクルートとか、
楽天とか、
ヤフーとか、
新興のサービスがでかくなる過程って、
きっとこんな感じだったのではあるまいか?

ということは、
これから当局からの圧力とか、
多方面からのバッシングとか、
様々な苦難にさらされるに違いない。

ただ間違いなく言えるのは、
これを見ている限り、
電子本へのニーズは間違いなくあるということ。
これからは新刊のみならず、
既存の本にも、
瞬く間に広がりそうな気配がする。

こうなれば、
一度お試しするしかないっしょ(笑)

2011年1月16日日曜日

休止

NHKで「宇多田ヒカル~今のわたし」を見る。

そうそう、
彼女「人間活動宣言」して、
今年から頑張って人間活動するんだった。

番組では、
昨年末にあったライブの映像が流れて、
最後の最後に彼女、
無造作にマイクを床に「ゴトッ」って置いて、
それから花道を歩いて幕の向こうに消えてった。

ぼくがそれを見て、
山口百恵のラストライブを思い出したのは、
言うまでもない。

しかし彼女は百恵と違い、
「引退」ではなく「休止」なんだから、
いずれまた人前で歌うこともあるだろう。

特別彼女のファンでもないぼくが、
これほど気になってしまうのは、
彼女がデビューした12年前、
それは、
ぼくが会社の今の部署に来たころだからだと思う。

たとえばドリカムとかB'Zなんかは、
会社に入ったころとデビューが重なってて、
いつもなんとなく気になるけど、
それと似たような感じが彼女にはある。

12年の間の曲が、
ぼくの人生と分かち難いのだ。

「AUTOMATIC」は本当に衝撃的なデビューで、
そのころのぼくは、
12年後に今のような自分でいるなど、
当時の想像の片隅にもなく、
それは「予想外の人生」という意味では、
「予想通りの人生」よりは遥かにいいとは思う。

ただ、
楽しいことより辛かったことの方がはるかに多かった、、、
本人はフツーに生きるつもりが、
結果的に波乱万丈な12年であった。

だから、
これから12年後もきっと、
今の想像の範囲を超えたところに、
ぼくはいるだろう。

でなきゃやっぱり、
人生面白くない。

辛いのはもう、
ほどほどでいいけど、、、

そのころ、
宇多田ヒカルよあなたは、
どこで何をしているんでしょうね?

楽しみだよ。
本当に。

12年後‼

ぼくは「アラ還」じゃないか‼

あらら(笑)

●彼女のマイベストは、やっぱり「First Love」だ●甲子園口→元町→甲子園口→住吉→甲子園口。

2011年1月15日土曜日

至言

FM802でしきりに「早く寝ろ」って言ってる。

そうか土日はセンター試験なんだ。
どうりで、
ろくなテレビ番組がないはずだ。

と思いながらザッピングしていると、
谷村新司と「三大テノール」の一人、
ホセ・カレーラスが対談するという、
一風変わった番組をやってて、
これが案外面白かった。

40歳代で白血病になって、
そこからカムバックしたホセがこんなことを言っている。

「完治が難しい病を経験することで人生の見方が変わると思います。突然、人間的に成長するというか、人生に対してより謙虚になる。基本的には同じ自分なのですが、物事の見方が変わるのです。善人になるという意味ではなく、物事を深く考えるようになる」

フムフムな~るほどであるが、
面白いのはここから。

「でもまた元の生活に戻り歌い始めると、機械的な日々に戻り、また昔と同じ間違いを犯し始めるのです。全く同じとはいいませんがね」

なかなか人間的ではないか、
ホセ・カレーラス。

でも、
そう言えるということは、
彼はもう間違うことはないんだろうな。

最後に、
子どものころの自分に言いたいこととして、
こんな事を。

「自分が何をすべきか、何をしたいか確信したら、全力で挑戦しなさい。きっと報われます」

おーホセ、
最後までいい事言うじゃないか。

確信すること、
全力を尽くすこと。

実はそれが難しいんだけど、、、

●サイエンスゼロで「宇宙の膨張が加速しているということが最近わかってきました」って言ってて、それを聞いていた母が「一体どうなるんかなぁ」って真顔で尋ねてきたから「どうにもなりません」と答えておいた。

2011年1月14日金曜日

感激














じゃーん♪

行ってきましたスティング。

ポリスのころから憧れ続けん十年、
ついに初ライブ。

東京ニューシティー管弦楽団との共演は、
もう大感激の一言。

あの顔、
あの姿、
そしてあの声。

広ーいホールの一番後ろだったけど、
オペラグラス片手に、
一挙手一投足を見逃すまい、
聞き逃すまいと必死。

何もかも理想通り過ぎて、
夢みたいだった。

でも、
スティングと同じ空間にいれた。
それは絶対現実だ。

しっかし、
いやぁ、
あれで59歳か。

年齢の割りに頑張っているという、
上げ底評価じゃなくて、
心底すごい。

で、
頭の写真はパンフレットなんだけど、
下の方のサインは直筆なんだって。

でも値段はサインなしの2倍‼

ホンマかいな?

いぶかしく思いながら、
感激ついでに「サインあり」を買ってしまった。

ジェフベックの時でも買わなかったのに。

んでその時、
一緒に行った人に、
ぼくの夢について少し話した。

するとその人は、

「夢を空に浮かべたままでは駄目だ。地面に下ろして、手でつかむんだ」

と言ったと思う。

「と思う」というのは、
一緒に行った人が外人だったから。

たぶんそんな内容だったと、
たはしろ流超訳なのだが、
なるほどなぁって感激した。

一度感激モードに入ると、
何にでも感激してしまう(笑)。

そういえば、
スティングも若いころ、
学校の先生をしながら、
夜な夜なジャズセッションに参加してたんだよなぁ。。。

帰宅してスタパの録画を見ると、
今日のゲストうつみ宮土里も、
似たようなこと言ってた。

思い立ったら即行動だって。

やっぱ動かなきゃね。

●サッカーアジア杯。キーパー川嶋が退場になっちゃって、どーなんのって思ったが、何とか勝った。岡崎の泥臭さが初めてすごいと思った●ということで、金曜日はちょっといろいろ動きたいので、元町は土曜日に。よろしくー(笑)

2011年1月13日木曜日

気障

突然の嵐のように巻き起こった、
「タイガーマスク」ブーム。

伊達直人とはまた、
懐かしい響きだ。

アニメが有名だけど、
ぼくはこどものころ、
原作漫画を全巻持っていた。

アニメでは、
ちびっこハウスの子らに、
「キザにいちゃん」って呼ばれてた伊達直人。

今回のブームは、
キザなことをしてみたいっていう、
多くの市井の人たち、
恐らくはぼくと同じぐらいの世代の心を、
見事に刺激したんだろう。

ぼくも昔、
こどものころに世話になった病院に、
全快してから本を寄付したことがある。

わざわざ病棟まで持って行って、、、

今思えば最悪。

「いいことした」って誰かに認めてもらいたい、
下心見え見えだった。

漫画では伊達直人、
最後に子どもの身代わりになって、
交通事故で死ぬ。

死ぬ間際、
マスクを川に投げ捨てて、
最後まで自分の正体を知られなかった、、、

キザも、
やるならここまでいけば、
カッコいいんである。

2011年1月12日水曜日

注文

NHKのお昼の対談番組、
「スタジオパークからこんにちは」のゲストは、
十中八九NHKがらみ、
つまり何かの番組に出ている人で、
いうなれば「番宣」だ。

でもごくたまに、
とりあえず番組とは関係なさそうな人が出ることがある。

「関係ない」というだけでも貴重だけど、
今日の町田康は、
貴重中の貴重人物。

パンクロッカーかつ作家。

芥川賞はおろか、
出す作品がことごとく重要な賞に輝く、
日本文壇の重要人物である。

生放送のトーク番組出演は、
本人曰く「10年ぶり」とのことで、
よほどの理由があるのか。

年齢もぼくと近く、
非常に興味深く録画を見たのだけれど、
やっぱり出演した理由がよくわからない。

早寝早起きで、
毎日2時間ほど執筆して、
猫を9匹飼っていて、、、

個性的な風貌とは裏腹に、
トークの中身はごく普通なトーンに終始。

時速300㌔で走れる車が、
10㌔ぐらいで徐行してる感じだった。

もしや自作の宣伝か?

そなんなこともないと思うけど。

といいながら、
新作「人間小唄」を注文してしまったのだから、
まんまと乗せられたのか何なのか、、、

だって、


















猿の絵が素敵だったんだもの。

はい、
本年の衝動買い第1号。

2011年1月11日火曜日

動的

久し振りに映画館へ行こうと思い立ったのが昨夜。

近所の映画館のHPを調べて、
評判が良さそうな「アンストッパブル」(トニー・スコット監督)を予約した。

暴走する貨物列車を止めるという、
実話を下敷きにしたサスペンス。

上映開始午後3時30分。
座席はど真ん中。

「よしよし」と朝方眠りについて、
目覚めたら午後3時5分だった。

「!」

「諦める」という選択肢は一瞬浮かんだけど、
すぐに消し去った。

今年は「MOVE」である。

近年ないほどの勢いで支度をして、
家を飛び出したのが3時25分。

お約束のポップコーンセットを買って、
映画館の座席についたのが40分。

まだ予告編の最中で、
本編には間に合った。

諦めないでよかった(笑)

で、
映画の方はというと、
面白かった。

ストーリーの焦点は、
列車を「どう止める」かの1点。

父娘、
夫婦、
上司と部下といった、
人間関係の部分もあったけど、
そのあたりは「ご想像にお任せします」で、
思いっきりそぎ落とした。

実に単純なんだけど、
その分、
映像の撮り方とか、
編集が凝りに凝っていて、
99分、
文字通り「アンストッパブル」な仕上がりだった。

難しいことを考えず、
ただハラハラしたい人にはお薦めだ。

上映終了とともに家にとんぼ帰り。

ぼくもアンストッパブル(笑)。

●助けられといて言うのもなんだけど、99分の本編に対して予告編やなんやが10分以上って、長すぎない?●「江」第1回を録画で。芦田愛菜ちゃん、かわいい~。豊川の信長はよい。

2011年1月10日月曜日

書評

日曜日の新聞の楽しみの一つは「書評」だ。

国内外、
世界史から漫画まで、
硬軟織り交ぜ、
との時々の旬な本を紹介してくれていて、
本選びの参考になるばかりか、
自分が既に読んだ本だと、
嬉しくなる。

今日の読売と朝日が、
ともに「KAGEROU」を取り上げていて興味深かった。

どちらの書評も、
論旨は似ていた。

つまり、
「世間で言われているほど酷くはない。次回作に期待」だ。

けなしはしないが、
ほめもしない。

そして結論は先送り。

軽くいなされた感じだ。

ぼくは先日本屋で立ち読みして、
3行でアウトだった。

内容ではなく、
文章としてアウト。
この本を真剣に読むのは、
何かの悪い冗談のように思えた。

同時に「ゴーストライターが書いたのでは」というのは、
杞憂に過ぎないこともわかった。

ゴーストライターにあの文章は書けない。

しかしだからといって、
「KAGEROU」が駄作だと決めつけるわけにはいかない。

文章なんて、
続けていれば上手くはなる。

肝心なのは何が書かれているかであって、
その点は今のぼくには何とも言えない。

あの文章を頑張って読み続けている同僚によると、
中盤以降はまぁまぁなのだそうだが、、、

それからぼくは誤解していたのだが、
ポプラ社小説大賞って、
選考はプロの小説家がするんじゃなくて、
ポプラ社の営業マンらが行うそうだ。

「営業」目線からすれば、
すでに100万部を超えた「KAGEROU」に授賞したのは、
実に大正解だったのだ。

●このブログの文章は一向に上手くならないが(泣)

2011年1月9日日曜日

小耳

見るとはなしに見た映画や、
聞くとはなしに聞いた音楽が、
意外に印象深いことが多い。

きっと期待や興奮もなく、
心がニュートラルだからだろう。

今もFM802から流れてきた歌に、
ぼくの小耳が反応し、
心魅かれた。

フラワーカンパニーズ「深夜高速」(http://www.youtube.com/watch?v=qAh8Z5pH7aI&NR=1)。

たとえばこんな一節が、
今のぼくには強く響く。


僕が今までやってきた たくさんのひどい事
僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終われない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ


生きててよかった 
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる














今年の年賀状である。

この写真に、
あるいは「MOVE」という単語に、
何の意味があるのか、
あるいは、
どんなメッセージを込めたのか。

そうたずねられてもも、
「何もありません」としか答えられない。

今の、
というか、
この賀状を作った時のぼくが、
最近撮った写真の中から直感的に選んで加工し、
単語もその時の思いつきだ。

これを見た人が感じてくれたこと、
それがこの写真のすべてで、
言い換えれば、
それが、
その人にとってのぼくである。

「深夜高速」の歌詞は、
こう続く。

いこうぜ いこうぜ 全開の胸で
いこうぜ いこうぜ 震わせていこうぜ
もっともっと もっともっと見たことない場所へ
ずっとずっと ずっとずっと種をまいていく
全開の胸 全開の声 全開の素手で
感じることだけが全て 感じたことだけが全て



●ちなみに「深夜高速」、斉藤和義がカバーしてますな。

2011年1月8日土曜日

初物

年が明けてから初めてすることは、
何でも「初物」なのだが、
今日は大きな「初物」が続いた。

ひとつは「初元町」。

ペンギンさんと久し振りに存分に語り合う。

もうひとつは「初ライブ鑑賞」。

夕方ひどく寒くて、
行こうかどうしようかと迷ったのだが、
行って大正解。

天満「じゃず家」で、
出演者は以下の面々。

小柳淳子(Vo)
竹下清志(Pf)
萬恭隆(B)
佐藤英宜(Dr)

小柳さんの歌を拝聴するのは、
昨年のGWの高槻ジャズストリート以来。

相変わらず激しく上手い。

演奏もまた激しく最高。

この組み合わせで損するはずがないと思ったら、
案の定だった。

一体どう鍛錬すれば、
このようなステージができるのか、、、

呆気にとられた。

帰宅すると、
母が郷ひろみのドキュメントを見ていた。

ぼくは実のところ、
郷ひろみが好きだ。

歌が、
というより、
その生き方に。

番組をちらっと見ると、
彼は42歳から3年間、
NYでボイストレーニングに励んだという。

それで歌が良くなったのかどうかは、
ぼくにとってはどうでもいいことで、
不惑を過ぎて、
尚且つ浮き沈みの激しい芸能界において、
彼が取り続けているチャレンジングな姿勢には、
本当に敬服する。

彼は今55歳。

迷わず「郷ひろみ」を極め続けている。

番組が終わった後、
母がぼくを見ながら言った。

「いい歌を歌うなら節制せなあかんねんな」

一言多いっちゅうねん。

●ちなみに郷をウィキると、いつのまにか彼、2度目の離婚をしていた。Oh Brother!you don't know the heart of a woman too.

2011年1月7日金曜日

比較

おそらく多くの人に共通する感覚だと思うけど、
小さいころって、
「自分はひょっとして天才かもしれない」って、
無根拠な自信を持っていた。

それは本当に無根拠で、
何を努力しているわけでもなんでもなく、
ただ、
伝記小説なんかを読んで、
自分もそういう「星の下」に生まれているんじゃないか、
なんて、
ただの空想をしていたわけだ。

空想以外なにもしないんだから、
当然の帰結として、
何の才能も発揮されることはなく、
誰かに認められるわけでもなく、
気が付けば人生を優に折り返してしまった。

今になってみれば、
天賦の才などぼくには何もないことがよくわかる。

その悔し紛れというわけでもないが、
ぼくは天才というものに、
もはや憧れを抱かない。

モーツアルトは凄いけど、
モーツアルトになりたいわけじゃない。

イチローを見ていると飽きないけれど、
自分がイチローになりたいとは思わない。

彼らは「鑑賞」の対象であって、
ぼくがなりたいのは、
ただただ、
「ぼくがなりたい」ぼくだけだ。

「自分以外のだれかになりたい。けどなれない」、
というのと、
「自分以外のだれにもなりたくない」というのは、
決定的に違う。

嫉妬は醜い。

ぼくは何歳になってもぼくでしかあり得ない。

だから才能があろうがなかろうが、
他人から見たらみっともない人生を歩もうが、
唯一無二のこの自分を生きることが、
やっぱり一番楽しいと思う昨今である。

●とはいえ、だれかを尊敬したり、真似をしたりするのがアリなのは言うまでもない。

2011年1月6日木曜日

脚色

ほとんど期待しないで観たドラマ「トイレの神様」がよかった。

筋書きは歌のほとんど歌の歌詞をなぞるような形で、
おばあちゃんと住むに至った幼少期から、
プロの歌手を目指して上京し、
おばあちゃんが亡くなるまでが描かれる。

五目並べ、
鴨南蛮、
吉本新喜劇、、、

歌詞のキーワードをしっかり押さえていた。

何よりいいと思ったのは女優陣。

植村花菜役は、
幼少期を芦田愛菜、
高校生以降が北野きい。

愛菜ちゃん可愛さ爆発。

北野きいも歌がなかなか上手くて適役だった。

おばあちゃん役は岩下志麻で、
カッコよすぎる感じもしたけど、
存在感はさすがに圧倒的で、
彼女一人でドラマの重みが増すというか、
多少無理目の展開でも、
納得させられてしまった。

これは重要。

ドラマや映画って、
ストーリーの整合性が結構問われるのだが、
本来それはあまり重要ではない。

というか、
むしろ現実の方が理不尽の連続で、
だから、
役者の説得力っていうのは、
整合性のないストーリーを、
いかにして観る者の腑に落ちさせられるかということなのだ。

そういう意味で岩下志麻はさすが。

そんなことよりも何よりも、
予想外に素晴らしかったのが、
植村の母親役だった夏川結衣。

かなり自分勝手なオカン役を見事に演じていた。

この人のことは、
実はあんまり良く知らないのだけど、
どちらかというと「いい育ち系」、
つまり安田成美とか鈴木保奈美とか(どっちもとんねるずの嫁だが)、
そんな系統の人だと勝手に思っていたが、
いやいや、
あのアッケラカンとした弾けた演技は、
これから凄いことになりそうな予感がした。

総じて、
たかが一曲をネタにして作ったにしては、
よく仕上がっていたと思う。

ただ終盤、
病床のおばあさんの枕元で、
北野が「自分らしい歌が出来た」といって、
トイレの神様を歌った場面、

あれは絶対駄目でしょ。

だって歌のなかでおばあちゃん死んじゃうんだもの。

いろいろと都合はあったんだと察するけど、
あの脚色は反則だよ。

●あと、小学生の植村が実の父に会いに、一人で川西から和歌山に行くくだりがあったのだけど、あれは事実なんだろうか?

2011年1月5日水曜日

裁断

紙の本を電子化できないかと、
ipadを持った人ならだれでも考える。

何百ページもある単行本だって、
電子化してしまえば重量はゼロ。

本で散らかった部屋も、
すっきりして母も満足するはずだ。

しかしそのためには、
スキャナーで読みこめるように、
本を解体しなければならない。

しかも、
カッターと定規で切るようなやり方では、
断面が不揃いになって、
スキャナーでちゃんと読めない。

やっぱ「裁断機」が必要だよなと、
アマゾンを見てみると、
同じことを考えている人が、
わんさといることを知った。

3万円ほどで、
かなり本格的な裁断機が売っているのだ。

と思っていたら、
何と本の電子データ化を無料で代行してくれる、
信じられないようなサービスがあることを知った。

本を郵送して、
電子化されたデータを受け取る。

ただし本は返却されない。

うーん。
それもちょっとなぁ。

この悩ましさの根源のひとつには、
本を解体するという行為に対する、
「罪悪感」にも似た気持ちがある。

装丁も含めた「本」という品物を毀損して、
単なる「データ」にしてしまうことへの抵抗感。

本を電子化するということは、
映画を映画館ではなく家のテレビで見るとか、
音楽をライブではなくCDで聞くとか、
そういうのに似た、
質的変化があると思うのだ。

読書というのは単なるデータのインプットではなく、
ひとつの「体験」であるはずなのだ。

とはいえ、
電子データにせよ紙の本にせよ、
「読まなくなる」ことが一番の問題であることは言うまでもない。

以前にも似たようなことを書いたけど、
きっとこれからは、
本屋に並ぶ本と、
それより安価な電子版が同時に発売される、
そんな時代が来るのだろう。

特に、
装丁にあんまりこだわりのない、
文庫本や新書本では、
その流れが速いのではないだろうか。

いずれにせよ、
この悩ましさは、
簡単には裁断できない。

●数学者の藤原正彦が読売新聞の夕刊で『そもそもパソコンで「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という文章が書けるとは思えないのだ。』と書いている。そういうことなんだよなぁ。

2011年1月4日火曜日

健気

年末に故障した携帯の修理が終わり、
今日、
会社から帰宅する途中に受け取った。

内部の部品と同時に、
ケースも交換されていて、
まるで新品になったようだ。














この携帯は、
買い替えてまだ1年に満たないのだけど、
すでに紛失と故障を1度ずつ経験した。

実のところ、
間もなく発売される新機種に魅力を感じていたのだが、
立て続けの災難にもめげず、
ぼくのもとに戻ってくるこの携帯が、
何だか健気に思えてきた。

やっぱ、
買いかえるのはよそうかなぁ?

それから、
帰宅してテレビを見ていたら、
誰とはいわないけれど、
てっきり亡くなっていたと思っていた人が出ていて、
再放送かと思ったらそうではなく、
調べてみたら、
しっかり御存命だった。


単なる勘違いというのではなく、
ぼくの中では新聞で死亡記事を読んだ記憶があっただけに、
軽い目まいを覚えた。


あれは夢だったのか、、、


先に死ぬのは、
こっちかもしれない。


新聞には絶対載らないけど。

2011年1月3日月曜日

若造

年末は世間並みに休んだが、
仕事始めは一足早く今日から。

普段でも、
休日に出勤するときは、
梅田界隈の雰囲気がノンビリムードで、
何よりも人の歩く速度が遅くて、
出勤モードのぼくは少しイラつく。

3が日ともなると尚更の休日モードだったのだが、
意外にも何とも思わなかったのは、
きっとぼくがまだドップリ休日モードだからだろう。

職場についても、
どことなく正月ムードが漂っていて、
ぼくも新しい手帳に名前などを書き込んでみる。

そこでふと目に入ったのが、
手帳の後ろの方にある「干支入年齢早見表」。

たとえば明治元年の人は、
今年何歳なのか(なるのか)が、
ひと目でわかるよくあある一覧表だ。

それを見てちょとショックを受けた。

表は縦に三分割されていて、
左上から横書きで書かれているのだが、
ぼくの生まれた年は、
すでに表の真ん中の欄の、
中央付近に来ているではないか!

ちなみに先頭(左上)は、
明治44年生まれで、
最後尾(右下)は平成23年になっている。

つまり、
0歳から100歳までをカバーしているわけだ。

だから中央の欄の真ん中辺にぼくの生まれ年があるのは、
当たり前といえば当たり前なのだが、
長年こんな表を見てなかったので、
なんとなく、
自分の生まれ年は一番右側の欄にあると思い込んでいた。

もはや一番右側の欄の一番上は、
昭和56年生まれ(30歳)になっている。

いや、
いかんいかん。

ぼくは、
自分の年齢を45歳でストップさせたはずではなかったか!

そうそう。

だからぼくは昭和45年生まれの馬年なんだな。

などと思い直す。

しかしながら、
100歳以上の人が3万人を超える今、
表の上限が100歳っていうのは、
ちょっといかがなもんだろう?

例えば明治40年生まれの人が、
「わし何歳だったかいな」と思って表を見ても、
「わしの生まれ年がな、ない!」ってショックを受けやしまいか。

むしろ表にないほど長生きしていることを誇らしく思うのか。

というか、
その年齢になれば、
自分の年齢のことなんか気にしないだろって、
一人で突っ込む。

結局、
自分の年齢についてごちゃごちゃ書いているぼくは、
まだまだ若造だと悟った次第。

2011年1月2日日曜日

直視

2011年元日は何事もなく、
というか何事もせず、
思いっきりダラダラ過ごした。

なんか、
この正月休み、
ダラダラ以外なにもしなかったような、
というか、
しなかった。

とはいうものの、
生きている以上、
こんな一日でも感情の起伏は当然ある。

朝、
届いた賀状に目を通す。

たかが賀状なれど、
人となりとか、
生活の変化とかが、
何となく伝わってくるから面白い。

昼、
おせち料理を母とつつきながら、
互いに健康でこの日を迎えられたことを、
素直によかったと思う。

午後、
姉一家が再び短時間ではあるが来てくれ、
カウントダウンなどで姪が見れなかったという紅白を、
録画でささっと流して見る。

下の姪にお年玉をあげるのも、
今回を入れてあと2回だ。

別に社会人になってからもあげたって、
全然構わないんだけど、
一応線引きということで。

でも、
彼女にあげなくなったら、
もう当分あげる子どもは周囲にいないんだよなぁ。

ま、
すぐに彼女らが子どもを連れて来る日が来るだろうが。

夜はイチローのロングインタビューを見た。

37歳にして「語録」が出版される彼の話は、
いつも刺激的だ。

今回印象的だったのは、
「死に顔は他人に見られたくない」ということだった。

唐突だからわかりにくと思うけど、
要するに彼は、
心身ともに自分で自分をコントロールできないことが、
我慢ならないんだと思う。

インタビュー相手の糸井重里が、
「一流のダンサーは鏡を見ない」とも言っていた。

イチローも鏡を見てフォームをチェックなんてしないんだって。

ダンサーにせよイチローにせよ、
鏡で見なくても、
自分がどう動いているかわかるし、
第一鏡像は左右反対だから、
かえって混乱のもとになるようだ。

そりゃ死に顔は、
自分じゃどうしようもないもんな。
しかし37歳でそこ考えるか。

さらに興味深かったのは、
イチローが以前ドラマに出演するのを決心したのは、
そういうこと、
つまり、
演技はともかく、
動きに関して、
自分が思っている「以下」に、
自分なることはないという自信があったからなんだって!

世の中のほとんどの人は、
自分は「こんな感じ」だと錯覚して、
それを糧に生きている。

ぼくは街中で、
お洒落をしているんだけど「イマイチ」だと思う人を見て、
あーこの人はきっと自分はこんな感じだと思っているんだろうなって、
時々想像してみる。

想像と現実のズレを直視するのは、
それこそ想像以上に困難で、
時に残酷だ。

でも、
そこを乗り越えて、
自分という「他人」を自分の思い通りに動かすことの出来る人が、
イチローのような超一流になる条件なのだろう。

なりたい自分を想像すること。

遅まきながら、
そこから始めようかなぁ。。。

●ダラダラしながら、結構考えてんじゃん、オレ(笑)

2011年1月1日土曜日

王道

久し振りに大晦日が休みとなり、
予定通りだらだら過ごした。

夕飯も風呂も早めにすませ、
紅白を最初から最後まで、
ソファでごろ寝鑑賞。

こんなにじっくり見るのは数年ぶり。

だからかもしれないけど、
なんか紅白の緊迫感が薄れた、
というか、
段取り悪い感じな場面がいくつかあった。
(倖田來未の衣装早変わりの場面や、
さかなクンの扱いetc)

民放ならなんとも思わないのだけど、
この番組は、
「天下のNHK」が総力を挙げる番組だと認識しているので、
細かいタイミングの悪さでも気になる。

この番組が今後も生き残るとすれば、
完璧な進行がもたらす緊迫感が、
必要不可欠だと思うのだが。。。

内容はそれなり。

でも、
SMAPが大トリっていうのはいかがか?

どんな曲でも最後むりやり「じゃーん」って終わるんが、
紅白らしいと思うのであるが。。。

4時間、
ノーミスの緊迫感があるから、
最後の「じゃーん」に感動があって、
その感動があるから、
「ゆく年くる年」の静寂が染み入る。

それこそ、
ぼく的には大晦日の夜の王道なのであるが、、、

そんなことを思いながら、
近所の神社へ初詣。














昨年、
一昨年は残り火だった焚火が、
今年は煌々としてて嬉しい。

それからこの神社、
今年本殿が建て替えられた。

新しい本殿に向かい、
パンパンとお参り。

また少し、
いい歌が歌えるようにと、
お願いしといた。

●桑田はただのゲストだと思っていたら、ちゃんと2曲も歌ってた。感激。特に最初の「それ行けベイビー‼」は歌詞がまんま彼の心境かな?●ということで、本年もよろしくお願いします。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...