2011年7月31日日曜日

成長

7月も残すところ1日。
出社すると、
今日は作秋うちの部署に来た、
若い部員の補佐をするようにと上司が言う。
ちょっと大きな仕事をさせてみるので、
面倒をみてやれという意味だ。

去年の9月、
ぼくが仕事のイロハのイを教えた、
あの時の新人2人のうちの一人だ。
この11カ月でどれほど成長したか、
楽しみでもあり不安でもあり。
しかし、
いざ仕事を始めてみると、
方向性さえ示すだけで、
ちゃんと自分で考えてやり遂げた。

自分が彼の立場だった時とは雲泥の差。
かなり無理目だと思ったが、
案ずるより産むがやすしということか。
「実地訓練」という名のスパルタ教育が、
11か月という短期間で、
彼を立派な「戦力」に変えた。

あとひと月もすれば、
また新人が来る。
彼は今度は指導係にならねばならない。
近頃の人材育成はまさにドッグイヤーで進められる。
一年たてば立派な「成人」なのである。

ネットで「犬の年齢表」というのを見つけた。
一年で17歳、
五年で36歳、
十年で56歳。
十二年になるぼくは、
すでに64歳。
立派な高齢者。
戦力どころか、
足手まといにならないよう気をつけないといけない。

先日、
仕事に関して「羽が生えた」などと、
自慢気に書いたけれど、
実は単なる老人ボケの初期症状なのかもしれない。
「最近の若いやつらは」などと言ってはいないか。
彼らに憐れみの目で見られぬよう、
せいぜい頑張らねばと自戒した。

●本日も天声人語風に。あくまで風に(笑)

2011年7月30日土曜日

体裁
















思い立ったが吉日。
「天声人語書き写しノート」を買って、
早速試してみた。
右上に切り抜きを貼って下ごしらえはOK。
あとはスラスラと下の升目を鉛筆で埋めていく。
ところがこれが案外難しい。

文字を書くことは簡単なのだが、
写すことに神経が行ってしまい、
内容がちっとも頭に入らないのだ。
字の練習にはなりそうだが、
文章の上達に繋がるのかは、
いささか疑問が残る。
繰り返し音読でもした方が、
効果があるかもしれない。

始めるのが簡単なこととそうでないもの。
終わるのが簡単なこととそうでないもの。
すでべの習慣は、
2×2=4通りの可能性のうち、
どの道かをたどる。

始めるのも終わるのも簡単なことが、
圧倒的に多いだろうと想像はつく。
だけど中には、
始めるのは簡単でも、
自分の意志では終われないこともあるから、
世の中は不思議だ。

1冊につきひと月。
3冊セットなので、
3カ月は続けねばならないのか。
いや、
飽きたら残りは誰かにあげればいい。
そんなことを早くも考えているようでは、
前途が思いやられる。

とりあえず今日の書き写しから学んだのは、
全体は19の文章でできていて、
それが6段落に分かれているということ。
内容はともかく、
その体裁だけは、
このブログで真似てみた。

●当ブログを愛読してくれているお子さんが、「原発のウソ」に挑戦していると伝え聞きました。嬉しい限りです。難しいところはお母さんに尋ねてください。すべて答えてくれるでしょう。

2011年7月29日金曜日

高座

きょう高座に座った。

ざっくり4年ぶりだ。

もちろん、
この日のために用意した、
あの落語扇を持って。

一度は完全に諦めたその場所に座れることが、
2週間ほど前に思いがけず決まり、
そして当日を迎え、
もっと感慨があるものかと想像していたが、
別にフツーに仕事をし終え帰宅した。

自分でも意外なほどの冷静さを分析してみて、
ひとつ気づいたことがある。

仕事に関して、
ぼくの背中には、
いつのまにか羽が生えていたのだ。

かつてのぼくは、
必死の思いでその場所に登りつめたのだが、
その代償として酒で心身を崩壊させ、
会社での地位も信用も、
微々たる財産も、
何もかも失った。

人間としてゼロ、
いやそれ以下まで落ち、
アルバイトでも出来るような仕事しかさせてもらえなくなり、
それでも一日たりとも休むことなく、
ただ働き、
歌い、
途中からは毎日ブログを書き、
人の話を聞き
本を読み、
映画を観て、、、

そんな日々を4年間繰り返しているうちに、
ぼくは仕事に対して無慾になった。

そんな中、
震災は起きた。

前にも書いたように、
その直後にマイベストと断言できる仕事をし、
もう、
それで十分だった。

でも不思議なもので、
そう思ったころから身軽になった。

きっとあの頃から羽が生え出したのだと思う。

だから今回は再び登りつめたのではなく、
全く別の場所から舞い降りたのだ。

逆に言えば、
これまで何度もとん挫した高座復帰がかなったのは、
ぼくに羽が生えたことに、
だれかが気づいたからかもしれない。

これからまた当分、
いつもの仕事に戻るのだけど、
この羽をさらに強靭にして、
もっと高く、
もっと遠くに飛ぶだけだ。

この4年間、
ぼくに関わってくれたすべての人に感謝します。

●歌の羽も生えないかなぁ(笑)●業務連絡。金曜日に元町に参上します。

2011年7月28日木曜日

字数

「天声人語」といえば泣く子も黙る、
朝日新聞の名物コラムであり、
名文の誉れ高い。

新聞各紙には同様に、
編集手帳(読売新聞)、
余録(毎日新聞)、
産経抄(産経新聞)
春秋(日経新聞)と、
同様のコラムがあり、
どれが一番とは決められないのだが、
「知名度」という意味では、
依然「天声人語」が頭一つ抜き出ている。

その「天声人語」書き写しノートが、
結構売れているのだと、
朝日新聞が自画自賛していた。

昔から、
天声人語を原稿用紙に書き写すというのは、
文章上達術のひとつとしてはあったが、
朝日新聞は専用のノートを作ったのだ。

A4判ノートの見開き右上に、
切り抜きを貼るスペースがあり、
下段にそっくり書きうつせるようにマス目が印刷されている。

ただそれだけなのだが、
さすが「天声人語」ブランド力だろうか、
学校などからのまとめ買いが多いのだという。

ということで、
ぼくも試しに近所のASAに1冊買いに行ったら、
「売り切れで次回入荷も未定」だって。

ちなみに、
天声人語の文字数は602字きっかり。
毎日毎日、
句読点も含めきっかり602文字。

他紙のコラムもだいたい原稿用紙1枚半ぐらいだ。

自分でこうして毎日ブログを続けていて思うが、
文字数を決められているというのは、
かなりキツイと思う。

文章を書き慣れない人にとっては、
長く書くことは苦痛かもしれないけど、
多少とも慣れてくれば、
短く、
しかも毎回同じ文字数にまとめることの難しさ気づくだろう。

過不足なく、
簡潔に。

文字数まで厳格に決める、
定型の美学っていうのは、
いかにも日本人的ではある。

んなこと書いても、
このブログは、
これからもダラダラ派で行きます(笑)

2011年7月27日水曜日

隠蔽

中国の高速鉄道事故はひどい。

先頭車両を埋めるは、
客車の撤去もそこそこに運転再開するは、
まぁ、
開いた口がふさがらない。

折しも、
中国では世界水泳が開かれているだけに、
国の面子を大事にしているとしか思いようがない。

当然、
原因究明など二の次だ。

この国は、
国民の命など何とも思っていないのだと、
改めて思う。

でも、
日本だって全然偉そうに言えたもんじゃない。

福島原発について、
国と東電は結託して情報を隠しに隠し、
影響を可能な限り過小評価し、
原発と電力会社の一社独占状態を維持しようと必死だ。

九電の玄海原発は「やらせメール」問題で、
運転再開がとん挫しているが、
新規建設に反対というぼくの立場からみれば、
中電が山口県で進めている上関原発の方が注目される。

建設工事は来年からの予定だが、
今は福島の事故を受けて、
埋め立て工事がストップしている段階。

建設中や計画中の原発はほかにもあるが、
いわゆる「まさにこれから建てます」状態のこの原発の行方は、
この国の将来が脱原発なのか原発推進なのかの、
大きな分かれ目になると考えられている。

「埋立地に建設」という時点で、
今となっては完全にアウトだと、
ぼくには思えるのだが、、、

2011年7月26日火曜日

牽引

会社から帰って風呂に入り、
速攻で録画しておいたビデオを見た。

NHKスペシャル「なでしこジャパン世界一への道」

あの感動をもう一度ということなのだが、
それ以外にも勉強になる言葉が一杯あった。

「苦しくなったら私の背中を見なさい」

北京五輪で4位になった時、
沢が宮間に繰り返しそう言っていたそうだ。

だれよりも走り、
だれよりもボールを蹴り、
だれよりもチャンスを作り、
そうやって沢はなでしこを牽引してきた。

W杯決勝。

延長前半に、
決定的とも思える1点をアメリカに奪われた時、
その沢でさえ「焦った」という。

そりゃそうだろう。

逆の立場のアメリカのワンバク選手は、
自らのこの1点で勝利を確信したという。

しかし、
そこで諦めなかったのが、
沢の背中を見て走り続けてきた、
若い選手たちだった。

理想的リーダーとは。

強い組織とは。

歴史的な120分には、
ぼくらの日常でも大切な教えが、
一杯に秘められていた。

そして言うまでもなく、
最後まであきらめないことの大切さ。

沢の最後の言葉がまた素敵だった。

「夢はかなえるためにある」


心底そう信じれる人が、
本当に夢をかなえるのだ。

PKの時、
両手を合わせ、
一心に祈る沢の姿を見ていたら、
ちょっと泣けてきた。

●国民栄誉賞、大結構。

2011年7月25日月曜日

反響

姉からメールが来た。

《原発のウソ》読みました…そして考えました。
どうして日本は原発路線を選んだのだろう?
どうして私達も原発が安全だと思ってしまったのだろう?
私はこの本を読んで目から鱗………かなりのショックです



先日、
貸したのだ。


ぼくはこう返信した。


原発のウソ、読んでくれてありがとう。そして、覚醒?してくれて感謝します。

原発の危険性について唱える人は、昔からいました。小出裕章氏もそのひとりです。でも、そういう「反体制」な人は、世間では「過激派」的に見られてきたのです。

電力と国による圧倒的な「安全神話宣伝」の効果です。ぼくでも、結局はそれに騙された。何が起きても自動的に安全な方に向かう「フェールセーフ」という設計思想を信用してた。

だから福島の爆発が起きたとき、そのこと自体もさることながら、自分の馬鹿さに驚いた。だから普通の人が何も知らなくても無理はないのです。

今も自然エネルギーなんて夢物語みたいに言うマスコミもあるけど、欧州では着実に切り替えが進んでいるのです。そういう情報がぼくらの耳に入らないのは、マスコミが報道しない(できない)からで、そういう「情報統制」はまるで北朝鮮みたいです。

確かに40年ぐらい前は原子力は夢のエネルギーだった。でもそれからスリーマイルやチェルノブイリがあって、次第に原子力は人間の手に負えないと分かっても、国策として動き出した巨大な力は止まらなかった。

エネルギー資源の乏しい日本の悲しさだったかもしれないし、結局はお上のいう事は正しいと思い込むこの国の中流層のメンタリティーといえるかもしれない。

結局戦争に負けてあれだけ酷いことになっても、日本人の心根は何一つ変わっていないということでしょう。

さて、とどめの一発ともいえる本を母に託しました。ぼくはこれを読んで泣けてきました。そして今も福島では程度の差こそあれ、作業員は大内さんのようになる危険を背負って働いているのです。



ドトールで出勤前にババーっと書いたから、
随分乱雑な文章だけど、
このブログの読者さんには、
十分伝わると思う。


姉は読者じゃないけどね。


それから「とどめの一発」とは、
先日紹介した「朽ちていく命」。


ただの専業主婦だった姉が、
これをきっかけに反原発の闘士になったら、、、


なんてちょっと想像したりして(笑)


と書いていたら、
先日買った地震津波警報装置がけたたましく鳴り、
母が跳び起きてきた。


福島で震度5弱。


エリア設定をしくじったようだ。
でもNHKをつけると、
この地震での福島原発への影響は、
東電にまだ連絡が入っていないと伝えている。


こんな会社ですよ。


東電は。

2011年7月24日日曜日

一席

いつものように昼ごろ起きると、
思いのほか外が暑くなさそう。

で、
思い切って京都に行った。

お目当てはここ。














老舗の扇子屋さんです。

先日、
新聞で紹介されていた扇子が、
どーしても欲しくて、
そのためだけにやってきた。

で、
お目当ての品がこれ。



















これが表で、、、




















これが裏。

「ふざけてんのんか」と、
ヤジが飛んできそうだが、
ぼくは大真面目。

これは裏表真っ白の「落語扇」といいます。

そう。

噺家が高座に上がる時に持っている、
アレです。

キセル、
箸、
筆、
様々なものに見たてられ、
時に叩けば「トントン」と効果音にもなる。

そのために、
あえて表裏真っ白で、
わりと骨太に出来ている。

といって別に、
ぼくが落語を始めたわけじゃありません。

でも、
近々、
ちょっとした「高座」に上がることになってまして、
その時に使いたいな、、、と。

どんな高座かは、
また、
その時の話ということにしておきます。

などと下らぬ話をしているうちに、
どうやらお後がよろしいようで、、、

●しかし、久々の京都滞在は1時間ほどだったけど、やーっぱ、なんかいいね●その後、住吉には行きましたよ。ギリギリでチョコパは食いそびれましたが(笑)。

2011年7月23日土曜日

被曝

格子状に張り巡らされた光線が、
兵隊の体を一瞬で通り抜ける。

直後は、
何の変化もないように見えた兵隊。

が、
その直後、
彼の体はバラバラの細切れ肉になって崩れ落ちる。。。

映画「バイオハザード」の一場面を、
「朽ちていった命ー被爆治療83日間の記録ー」(新潮文庫)を読んで、
思い出した。

1999年に起きた東海村JCO臨界事故といって、
みなさんピンとくるだろうか?

核燃料を作る作業中に、
原料のウラン溶液が誤って臨界反応を起こし、
作業員2人が死亡した事故だ。

そのうちの一人、
大内久さん(当時35歳」の、
壮絶な記録である。

臨界現場の最も近くにいた大内さんは、
猛烈な中性子線を浴びたのだが、
病院に搬送された当初は、
外見は手に日焼けをした程度の赤みが見られたほかは、
特に大きな変化はなく、
会話も普通にできて、
とても致死量の被曝をしたようには見えなかったという。

でもこの時すでに、
大内さんの染色体は中性子線でズタズタに切り裂かれていた。

染色体が崩壊しているということは、
体の「設計図」がなくなっているということで、
つまり、
細胞が死んでも新しい細胞が作り出せない、
簡単にいえばそういう状態だったのである。

83日間にもわたって彼が延命できたのは、
当時として考えられ得る最高の対処療法をしたためであり、
彼の運命は、
臨界で中性子線を浴びた瞬間に決まっていたといっていい。

福島原発事故と同列に並べて考えることはできないが、
「被曝する」ということが一体どういうことなのか知るうえで、
一読に値すると思う。

この本の著者は、
『NHK「東海村臨界事故」取材班』。

元々はテレビドキュメントで、
YouTubeでも見ることが可能だ。

制作者と、
取材を許可した大内さんの家族に敬意を表する。

http://www.youtube.com/watch?v=pYB58P3t_Hs&playnext=1&list=PL3D78CD7FC6C57CA8

●先日紹介した「原発のウソ」著者の小出裕章氏の講演はこれ。http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk&feature=related

2011年7月22日金曜日

帳尻

先日、
会社帰りのタクシー内で、
後輩(女性)と話をしていると、
ひょんなことから彼女が携帯電話を持っていないとわかった。

今時、
地震があったら連絡も取れないし困らないかと尋ねると、
彼女は一笑して、
そんなの生きていれば家に帰るし、
生きていなければ帰らないだけじゃないですかと言う。

彼女は結婚もして家も建て、
まぁ堅実な暮らしぶりをしており、
車もないし、
洗濯機は2槽式。
テレビはBSも映らないのだという。

共働きでそんなに金使わないと、
貯まる一方じゃないかと、
余計な心配を伝えると、
彼女は、
でも着物は買いますからと、
これもあっさりと言ってのけた。

また、
別の同僚(女性)にお掃除ロボを買ったと話すと、
彼女は何年も前に初代を買っていて、
さらにぼくが買うのを躊躇しているダイソンの掃除機も、
何年も前に買ったと言う。

掃除マニアなのだ。

でもその彼女は、
テレビは昔のテレビデオのままだという。

結局みんな、
何がしかのこだわりがあって、
帳尻は合うようになっているのだと、
妙に納得した次第。

確かにぼくも通販であれこれ買い物はするが、
基本服装には無頓着であり、
車も手放したもんな。

怠慢で自堕落な若いころを思えば、
中年を過ぎて手痛いしっぺ返しを食らったのも、
まぁ言ってみれば人生の帳尻合わせだったのだろう。

勝ちまくりの人生を送る人もいれば、
負債たっぷりのまま亡くなる人もいるだろう。

死ぬまでに帳尻が合えば、
御の字と言えるかもしれない。

これまでの人生を振り返り、
人生が終わるまでに、
どうすれば帳尻が合うのか、
そんなことを考えてみる、
宿直勤務の夜。

●業務連絡、土曜日にチョコパを食べに行こうと思っております。

2011年7月21日木曜日

少数

原発問題について考えるよすがにと、
「福島原発メルトダウン」(広瀬隆著、朝日新書)、
「原発のウソ」(小出裕昭著、扶桑社新書)を読んでみた。

著者はいずれも、
筋金入りの「反原発」論者だ。

昔っから、
言っていることは変わらない。

ただただ、
彼らの言っていた事は本当だったのだという思いが募る。

民主主義の要諦は、
少数意見を尊重することであり、
それは多数派といえども間違えるからである。

このブログで何度も繰り返してきた。

反体制的な人の言説は、
時に過激になりやすく、
よって温厚な多数派からは、
胡散臭い人らと敬遠されがちだ。

それに、
反体制的意見は、
体制側による大量の情報によってかき消される。

これまで原発反対を唱えてきた人たちは、
第二次世界大戦中に反戦を唱えてきた人と同じだ。

それでも、
こうした本が出版される世の中になっただけ、
まだマシだとも言える。

そして今読んでいるのが、
「原発社会からの離脱」(宮台真司×飯田哲也著、講談社現代新書)だ。

この本の前書きのタイトルがグッド。

「原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」へ。

宮台氏らしい表現だと思うけど、
その通りだ。

原発はクリーンでもなく、
その生み出す電気は安くもなく、
何よりも、
原発や放射性廃棄物がどれほど危険か。

そういうことをぼくらは少し知った。

にもかかわらず、
「じゃ原発を無くしていこう」という当たり前の方向に、
なぜならないのか。

「日本人病」ともいえるこの現象を、
ぼくたちは克服しなきゃならない。

ここからはぼくの妄想なのであるが、
先の戦争で日本に勝った米軍は、
日本を占領してみて、
そこに住む民のあまりの従順さに、
心底驚いたに違いない。

そして悟ったことだろう。

「これなら十分飼いならせる」と。

実際のところ、
ぼくは戦後の日本は独立国家のフリはしていても、
実態はアメリカの51番目の州ではなかろうかと思っている。

と、
こんな風にちょっと書いただけで、
「過激だ」と思う人もいるかもしれない。

民主主義は時に衆愚的になると言われる。

確かにそういう面はあるだろう。

でも、
事実をありのままに知って下した決断が衆愚的であるならば、
その結果を受け入れようもあるけれど、
事実を隠され捻じ曲げられ、
墨塗りばかりだということにも気付かず、
「自分が下した」と思っている判断は、
果たして本当に「自分で下した判断」と言えるのだろうか?

あれほど無能呼ばわりされている菅首相が、
それでも国民の1割以上から支持されているのは、
一体なぜなのか。

今こそ、
少数意見に耳をすませる時である。

●YOMIURIONLINEが「東電OL事件、再審の可能性」と報じている。

2011年7月20日水曜日

亡者

原田芳雄が死んだと知ったのは、
午後1時30分過ぎだった。

ちょうど仕事の最中で、
最初の印象は「えっ」という驚きだった。

その驚きは、
昨年のテレビドラマ「不毛地帯」での、
「大門」という社長役を演じていた、
見事な演技っぷりが強烈に残っていたからだが、
実際は当時から大腸がんに侵されていたのだ。

最近の映画の舞台挨拶では、
やせこけた姿を見せ、
そんなに長くはないと人々に思わせていたらしいのだが、
ぼくはそれを見ていなかった。

彼の代表作が「ツィゴイネルワイゼン」とか「田園に死す」とか、
そんな雑学は頭にあったけど、
実際にはそのどちらも観てはいなかった。

ぼくにとって原田芳雄は、
無頼派とかアウトローのイメージはあったものの、
実際の演技といえば、
さっき言った「不毛地帯」ぐらいしか知らなかったのだ。

にもかかわらず、
彼の死はやはり驚きであり、
そういう得体の知れない存在感こそが、
原田芳雄なのだとも思えた。

人は死んだ時初めて、
その人生に一定の評価が与えられるのだが、
その形は千差万別である。

単に有名人といっても、
かつて大活躍した人もいれば、
現役バリバリの人もいる。

失礼ながら、
死んだと聞いて初めて、
まだ生きてたのかと驚く人もいる。

80歳を超えているような人の場合は、
死んだと聞いてもさほど驚かないが、
50歳台ぐらいだと、
自分と近いから驚きは増す。

死後どんどん評価が高まる人もいれば、
その逆の人もいる。

時代によって評価が分かれる人や、
周期的に再評価される人もいる。

そういう意味で、
故人の評価は、
本当に難しい。

話は飛ぶが、
有名人でかつ、
その死が衝撃的だったのは、
ぼくにとっては日本人では三島由紀夫だ。

彼が割腹死して、
その後介錯された頭部がごろりと転がる、
朝日新聞の写真を覚えている。

調べてみると、
その写真はすぐに別カットに差し替えられたといい、
どいうことは、
ぼくが見たのは差し替えられる前のものだったのだろう。

その写真と思われるものを、
ネットで見つけた。
ここに載せるにはやっぱり衝撃キツイな。

話がどこまでも飛んでいくが、
三島にしたってぼくは、
彼の作品はほとんど読んでいない。

よく知らないで、
イメージだけで知った気になるのは、
実に情けなく、
危険なことだ。














原田芳雄、
享年71歳。

合掌。

●外国人では間違いなくジョン・レノンだな●ツィゴイネルワイゼンを早速観ようと思う。

2011年7月19日火曜日

脱帽

なでしこの花言葉には
「純愛」のほかに「大胆」や「勇敢」があると知ったのは、
比較的最近のことだ。

世界一になった決勝でなでしこジャパンが見せてくれたのは、
まさしくどんな強い相手にもひるまず立ち向かう勇敢さだった。

後半アメリカに先制され、
延長前半にも決定的ともいえる点を入れられた時、
正直ぼくは「よくやったけど、もはやここまで」と思った。

だがそのたびに、
宮間が、
沢が、
起死回生となる同点ゴールを決めた。

実況するアナウンサーや解説者でさえ、
延長に勝ちこされた時は、
負けを覚悟したような口ぶりだった。

世界中のだれもがそう思っていても、
ピッチの彼女らだけは、
負けるとは全く思っておらず、
むしろ勝てると思っていたに違いない。

でなければ、
沢のあんな神がかり的ゴールは生まれない。

サッカーというスポーツは、
よほどの力の差がない限り、
必ずチャンスは訪れるという。

90分ボールを持ち続けることが不可能である限り、
言い換ええば、
ボールを持てる時間がある限り、
ゴールの可能性は常にある。

攻める気持ちがあれば、
得点の扉は開かれている。

体格的に圧倒的に不利ななでしこは、
試合開始早々からアメリカに怒涛の攻撃を受け、
激しい当たりを受け、
つぶされ、
振り回され、
それでも最後まで気持ちが折れることなく、
大番狂わせを見せてくれた。

PK戦で敗れたアメリカの選手の、
放心した顔を見れば、
いかに本気で戦い合っていたかがわかる。

三浦カズが「サッカーで一番大事なものを教わった」と脱帽していた。

日本スポーツ史上、
最高の部類に入る金字塔だ。

2011年7月18日月曜日

中継

本日は、
w杯決勝を見ながらの実況中継であります。

時刻は3時40分、
会社から帰って大急ぎで風呂に入り、
ようやく自室のテレビ前にスタンバイしました。

膝にラッップトップpcを置き、
ヘッドホンをしての、
やや寂しい観戦であります。

もうまもなく選手入場です。

なでしこに、
ここまで感動させられるとは、
夢にも思いませんでした。

ドイツ戦、
スウェーデン戦、
そして今日のアメリカ戦。

さすがに会場の雰囲気が、
決勝戦は全く違います。

興奮値マックス。

キックオフです。

。。。。。。。

いやー、
前半終了。

とても実況できません。

最初はどーなることかと思うほど、
アメリカの猛攻にさらされたけど、
ラッキーも手伝って、
なんとかしのいでいる間に、
次第になでしこが適応しだした。

何度か決定的なチャンスもあった。

大野いいね。
スウェーデン戦に続いて、
体が切れている。

熊谷はあのでっかいウォンバックを、
必死で防いでいる。

安藤に得点して欲しいのはやまやまだけど、
ちょっと最後のスピードが欠けるような。。。

いい線までいくんだけど、
詰めが甘いな。

でも後半、
相手の足が止まれば、
勝機が見えるような、
見えないような、、、

うおー宮間〜

と後半終了。

こりゃ勝てるかもよよよ、、、

沢あああああああああああああ

pk戦

かいほりりりりりりりりりりりり

みやままままままままままままま

かいほりりりりりりりりりりりいりりりりりり

さかぐちちちちちちちちちちちちちち

くまがいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい

やったーーーーーーーーーーーーーーーー

奇跡が起きた。

これは、
これは、
本当に奇跡、
人間が努力と献身と勇気と忍耐と執念や、
そんなすべてのもので、
つかみとった奇跡だ。

なでしこ世界一おめでとー

●でも、pkだから、やっぱりアメリカには勝てなかったんだよなあ。それだけが悔しいけど、まあいいや。ということで表彰式を見ながら、中継はお別れします(笑)

2011年7月17日日曜日

団結

16日付の読売新聞に、
こんな記事が載っていた。

集団準強姦容疑の京都教育大生「停学は無効」・・・地裁判決

女子大生への集団準強姦(ごうかん)容疑で逮捕され、不起訴(起訴猶予)となった京都教育大の男子学生6人のうち4人が、大学側を相手取り、無期限停学処分の無効確認などを求めた訴訟の判決が15日、京都地裁であった。杉江佳治裁判長は「女子大生には同意があり、集団準強姦事件とは言えない」として無効と認めたうえで、それぞれに10万円の慰謝料の支払いなどを命じた。
判決では、2009年2月25日夜、学生らは京都市内の居酒屋であったコンパに参加。後日、女子学生が「店内で性的暴行を受けた」と訴え、大学は男子学生らを無期限停学や卒業保留などとした。
女子大生は「深酔い状態だった」としたが、杉江裁判長は他の学生の証言などから、「酩酊(めいてい)とまでは言えない。大学が学生らの言い分を考慮せず、不利益な処分を科したことに客観的な合理性がない」とした。
判決後、原告側が市内で記者会見。当時、3年だった男性(23)は「ようやく止まっていた時間が動き出すと思う」と声を詰まらせ、代理人の弁護士は「ある意味、刑事事件での無罪にあたる」と判決を評価した。

覚えている人はいないかもしれないけど、
この事件については、
2009年6月2日付の「真相」などで取り上げたことがある。

事件は不起訴になったのだが、
この判決で性的行為に女子大生の「同意」があったと認定したことは、
とっても大きい。

当時男性らを「擁護」したぼくとしては、
ホッとするばかりだ。

しかし、
この真相が公になるまでに、
大変な量の労力と、
2年以上の月日がかかった。

原告男性の「ようやく時間が動き出す」という言葉が、
とっても重く感じられる。

さて。

FM802でかかっていた曲を、
耳が捉えた。

いい歌なので紹介します。

I-RabBits「ユニオン」(http://www.youtube.com/watch?v=1VfVnw-jpR4


どれだけ自分で自分のこと抱きしめたって
どんどん小さく 小さくうずくまっていた

迷って見えない そんな夜は頼ってもいいじゃん
心がサイレン鳴らす時は声聞かせて

あぁ 人は何のために生きてるんだろう
あぁ 自問自答のループの中で

ただあなたが いつもあなたが
居てくれたらそれでがんばれた
ディアーマイエンジェル いつもありがとう
心はずっと側に

何気ないこの時だって たった今この時だって
おんなじ空仰いで 必死で生きて
イッツアワーユニオン

もらった優しさ厳しさ笑顔泣き顔だって
全部心に並べたら涙あふれた

あぁ 人は何のために生きてるんだろう
あぁ 自問自答のループの中で

ただあなたが いつもあなたが
居てくれたらそれでがんばれた
ディアーマイエンジェル いつもありがとう
心はずっと側に

何気ないこの時だって たった今この時だって
おんなじ空仰いで もがき続けてくんだ
繋がってるよ いつだって
広がってるよ いつだって
おんなじ空仰いで 必死で生きて
イッツアワーユニオン

あなたは私の中で
私はあなたの中で
人は人の中で

ただあなたが いつもあなたが
居てくれるよだからがんばれる
ディアーマイエンジェル いつもありがとう
心はずっと側に

何気ないこの時だって たった今この時だって
おんなじ空仰いで もがき続けてくんだ
繋がってるよ いつだって
広がってるよ いつだって
おんなじ空仰いで 必死で生きて
イッツアワーユニオン

ぼくらも、
「卒原発」で心を団結しようではないか!

2011年7月16日土曜日

暴挙

水戸黄門が終わる!

許しがたい暴挙だ。

昭和44年放送開始の、
この国宝的時代劇を、
打ち切るなんて許せない。

かなりなショックである。

視聴率が低いというのが理由だそうだ。

21世紀に時代劇が受けない。

何となく納得しそうなところであるが、
おっとどっこい、
それは大変な勘違いだと思う。

製作者は、
自分たちの犯している愚を、
時代のせいにしている。

そこまで思うのは、
ぼくは最近結構「水戸黄門」を見ているからである。

つまりこういうことだ。

今放送している43部、
つまらないのである。

「水戸黄門」というブランドを、
みすみす台無しにしているのである。

製作者は一生懸命、
知恵を絞ってシナリオやキャストや演出を工夫している。

だけど、
それこそが余計な努力なのだ。

「水戸黄門」のよさは、
ストーリーは単純な勧善懲悪、
終盤に大立ち回りがあって、
「ひかえおろー」と印籠出して、
その場の皆が「ははぁ~」となる、
その偉大なるワンパターンがいいのである。

つまり「サザエさん」。

だれも磯野家にパソコンや携帯電話を期待していない。

そういうことなのだ。

具体的に指摘すると、
最近の作品はストーリーを複雑にしたが為に、
説明的で大詰めまでの時間が長く、
その結果、
立ち回りがおざなりになっている。

とても大立ち回りとは呼べない。

早い話が、
ストーリーなんてどーでもいいから、
立ち回りを5分ぐらいやって、
それから印籠であるべきなのだ。

だからこそ、
子どもからお年寄りまでが、
前半風呂に入って立って大丈夫な、
そんな安心感があったのである。

もっと具体的に指摘すると、
今週月曜日の回では、
池上希実子扮する大工の妻が、
黄門様ご一行の世話をするのだが、
最後まで黄門の正体に気付かないまま、
物語がお終いだったのである。

そりゃもう、
根本的に駄目でしょ。

惜しい。

作り手が努力しているのがわかるだけに、
余計に惜しい。

そもそも、
確かに「男はつらいよ」で、
渥美清以外の寅さんが考えられないように、
初代黄門だった東野英二郎が死んだ時点で、
終わるべきだったのだという、
蒸し返し論もあろう。

そこは一理あるけれど、
もう5代目まで来ているのだ。
ここで辞めてはいけない。

それは紅白歌合戦を辞めようなもの。

もっと言えば、
祇園祭を辞めますといっているのに等しい。

日本文化の破壊だ。

保護に値する文化なのだ。

●「辞めない」と言っていたはずの九電社長が一転、辞めるそうだ。こういうのは、さっさと辞めてよろしい。許可します。

2011年7月15日金曜日

自衛

昨日このブログを書き終えてから、
会社でなでしこ観戦。

ドイツ戦の時とは違い、
「格下」スウェーデン相手のこの試合は、
案外苦戦するのではないか、
というのがぼくの戦前の予想だった。

でも杞憂だった。

ミスから1点を先制されて心配したが、
試合は完全になでしこが支配していたし、
3点とり返して逆転勝ちしたのだから、
彼女たちの強さはいよいよ本物だ。

日替わりでヒロインが生まれるというのも、
こういう大会で勝ち進むチームのパターンだ。

それは実に爽快だったのだが、
結局寝たのは6時ごろだった。

で9時前に起きて、
仕事して、
いつも以上にフラフラになって、
午後3時の外を見ると猛暑感満点。

首に巻く保冷剤を、
会社の冷蔵庫から取り出す時、
冷凍庫に放置されていた、
手のひらサイズの保冷剤もちょっと失敬。

それをどーしたか。

帽子の中に入れたのである(笑)

ほとんどアホなことは分かっているけど、
背に腹は代えられない。

アンド、
これは結構効き目あった。

それでも炎天下の梅田を歩いていると、
だんだんとクラクラしてきて、
商店街もこんな風に見えた。
























例年ならそろそろ梅雨明けかという時期に、
すでに夏バテである。

さらなる猛暑自衛策にご期待あれ。

●業務連絡。金曜日に元町にうかがいたいと存じます。

2011年7月14日木曜日

表明

ついに菅首相が「脱原発」を表明した。

彼が「居座り」と非難され続けても辞めないのは、
ひとえにこの「脱原発」の道筋をつけたいからであり、
当然の成り行きである。

そしてその方向性にはぼくも賛成するのだけど、
ただ問題なのは、
「脱原発」という言葉が極めて曖昧で、
「今すぐ全部停止」から「数十年かけて段階的に」まで、
思想的に「右」から「左」までを、
全部ひっくるめてしまっているからややこしい。

今後の問題は、
辞任後もその方向が変わらないような、
仕組みを作ることだと思うが、
これはなかなか一筋縄ではいかないと思う。

つまり総論賛成、
各論反対状態に必ず陥ると危惧するのである。

そういう意味で、
先日新聞で見た「卒原発」という造語は、
一番ぼくの心情に近い。

原発のようなハイリスクハイリターンな電力ではなく、
ローリスクハイリターンな、
より高次元の社会を、
ぼくらは目指さなければならない。

朝日新聞が13日の朝刊で、
20年ぐらいをメドとしていたが、
ぼくの感じではちょっと短いかな。

完全に「卒原発」するには、
たぶん30年~50年ぐらいはかかると思う。

ここで話は全く個人的なことになるのだが、
「卒業」という言葉を、
ぼくは最初の妻との離婚の時に使った。

「二人は嫌いになったのではなく結婚という学校を卒業するのだ」

当時幼かった姪に、
ぼくはこう説明した。

もちろんその時は、
本気でそういう風に思っていたのだが、
「卒業」という単語の、
どことなく柔らかで一抹の寂しさを伴った感じに、
一人(二人?)酔っていたのかもしれない。

もう10年以上も前の話だが、
今さらながら、
あの離婚は「卒業」なんかではなかったと思う。

卒業どころか、
入学以前の「ままごと」だったのだ。

ここで話はまた飛躍するけど、
ぼくは長らく結婚というものは、
欠陥を抱えた者同士が、
互いにくっつくことで相互補完するものだと思っていた。

でも最近はそれは間違いであると気づいた。

一人の人間としてまず自立していること、
それが結婚をする者の条件なのだ。

ここでいう「自立」というのは、
経済的な意味ではなく人間性として。

人間性に欠けたところのある者同士はくっつきたがる。

だが、
その吸着力は相手から自分の欠けたところを奪おうとする、
所有欲求であり、
それは「愛」ではない。

「愛」などと書いて少し照れるけれど。

そんな簒奪的な愛は、
時間とともに冷め、
やがて単なる相手の支配欲求へと変質する。

ぼく自身がそうだった。

本当の「愛」っていうのは、
それぞれが人間的に自立した「球体」が持つ引力で、
自然に惹かれあう状態を指すように思う。

人間的に自立した状態がどういう状態なのか、
それはぼく自身が模索中なのだから、
うまくは言えないのだけど、
穏やかで、
慎み深く、
他人を尊重し、
身の程をわきまえる、
といった感じだろうか?

「脱原発」から、
とんでもないところに話が来てしまったが、
要は、
ぼくには結婚する資格などかつて一度もなかったし、
それは現在進行形であるということだ。

●さぁなでしこ準決勝キックオフまであと1時間ほど。少し休憩しよう。

2011年7月13日水曜日

席巻

昨日FM802を聞いていたら、
レディー・ガガが「徹子の部屋」に出たというのでビックリ。

慌ててテレビ欄を見ると夜にはSMAPSMAPに出るようなので、
それは録画して見た。

ついでに徹子の部屋はYouTubeでチェックした。

ビデオクリップや音楽そのものはある程度知っていたけど、
素顔の(?)ガガは初めてだ。

にしても、
徹子の部屋を見るのは何年ぶりだろう?

徹子の部屋の前身が「13時ショー」って言ったの知っている?

40年ほど前の話だけど、、、

ガガの衣装にもビックリだけど、
ぼくにしてみれば、
徹子のしゃべりかたの老け方とても驚いた。

たまに見る「世界ふしぎ発見」の方は、
もう少しハリがあるんだけどなぁ。

ま、
それは余談として、
本題のガガであるが、
彼女は基本、
カトリック系のお嬢様で、
たぶん、
そのことへのコンプレックスが、
今の彼女の原動力になっている気がする。

というか、
そういう方向性でプロモーションされている。

規制の概念や偏見や秩序、
そういうものに対する強い抵抗感。

皆が右というなら私は左。
常に少数派の味方。

「ガガ」という名前とも相まって、
そんなイメージが自然に浮かび上がってくる。

身長155センチ。

日本人でも今や小柄に入るであろう身長で、
たぶん本当の素顔は、
25歳の華奢なステファニーお嬢様なのだろう。

それが、
レディー・ガガという名前をまとい、
奇抜なメークとファッションで武装し、
世界を席巻したのだから、
いや~大したもんですねぇ。

スマスマのパフォーマンスは、
早朝から入念なリハをして臨んだといい、
見る限りでは口パクでもなく、
手抜きは一切ないように思われた。

しかしこの「小林幸子路線」というか、
過激さ派手さの拡大傾向は、
いつか行き詰まりが来るようにも思え、
先行きを勝手に心配してしまうのであった。

2011年7月12日火曜日

掃除

















どーも。

お掃除ロボ「ルンバ」です。

お初にお目にかかります。

最近テレビCMもやっているから、
知っている人もいるんじゃないかな。

このたび、
たはしろ家にやってきました。

母の日も誕生日も何のプレゼントもせず、
罪の意識にかられたドラ息子に衝動買いされました。

というのは建前で、
単にドラ息子の好奇心だと思いますが。。。

それはともかく、
ここの母上は大変な綺麗好きで、
わたしに対する眼差しは最初、
ヒジョーに疑わし気でしたが、
ひと働きした後、
ケースにたまった埃を見て、
少しは信用してくれたようです。

今のところ主に、
障害物の少ない1階と2階の和室を担当しています。

ドアが開いていると、
つい廊下や隣の部屋まで足を伸ばしてしまうのですが、
その度に、
「そっちは行かんでええの」と、
母上に連れ戻されます。

吸引力は低いものの、
労を惜しまず、
何度も何度も、
なでしこジャパンのように献身的に、
部屋をくまなく掃除しまくるのが取り柄です。

仕事を終えると、
自分で充電器に戻ります。

「役立たず」と捨てられないように、
暑さにメゲズ頑張ります。


2011年7月11日月曜日

撫子

なでしこジャパン対ドイツの一戦は、
日本サッカー史に残る名勝負だった。

W杯3連覇を目指す世界ランク2位のドイツ。
しかも開催地はドイツ。

いわゆる完全アウェーの中で、
戦前の予想は圧倒的にドイツ優勢だった。

ぼくも全くそう思っていた。

会社から帰って風呂に入って、
ちょうどキックオフタイムだったので、
とりあえず見始めたものの、
内心は「絶対に負ける」と思っていた。

だから、
前半0-0の時「おぉやるなぁ」と思い、
後半も0-0で進んだ時も、
「延長になればやられる」と思った。

必死になって戦っている彼女らに申し訳ないほどの冷静さで、
試合の進捗を見守っていた。

だから、
延長後半3分に丸山がゴールを決めた時には、
「うそ」って思った。

http://www.youtube.com/watch?v=ygoZp_pdY-Q

しっかし凄いゴールだった。
あの角度からゴールの遠い方に蹴り込むなんて、
男子のストライカーでもなかなか出来ないと思う。

歴史を塗り替えた素晴らしいゴールを、
生中継で見れたことは、
本当に人生のいい記念になった。

小よく大を制すというか、
小粒でも一丸になれば、
たとえ格上の相手でも倒すことができる。

このすごいミッションを貫徹した彼女らに、
本当に脱帽した。

丸山を始め本当に全員がすごかったけど、
沢と坂口の働きは別格だった。

とりわけ沢。

「攻守に献身的」という言葉を、
サッカーではよく使うけど、
この試合の彼女はまさしくそれだった。

決勝ゴールのアシストパスもそうだけど、
危ない場面をことごとく彼女が防いでた。

獅子奮迅。

恐るべき運動量。

男子も見習うところ大である。

試合後、
どの選手も「いい色のメダルを」ではなく、
「優勝目指して頑張ります」とキラキラした目で言っているのが、
とっても印象的。

彼女らは本気だ。

この試合のようなプレーができたなら、
本当にしちゃうかもね。

スウェーデンとの準決勝は、
14日午前3時45分キックオフ。

絶対見逃せない。

●ひっさしぶりに武庫之荘・Mクアトロのセッションに。2曲だけだったけど、そして失敗もしたけど大満足。

2011年7月10日日曜日

警報














この、
どこから見てもラジオにしか見えない物体。

確かにこれはFMラジオである。

しかし、
単なるラジオではない、
非常に特殊な使い方をする。

緊急地震速報を受信すると、
大きな音と光で知らせてくれる、
「地震津波警報機」なのだ。

緊急地震速報。

震災の時にうるさいほどテレビやラジオで鳴った、
あれである。

それを受信して教える、
それだけのために、
この機械は存在する。

先日和歌山で震度5強があって、
思い切って導入した。

普段は何も鳴らないラジオだが、
365日24時間、
人間が寝ていてもちゃんと動いていて、
震度5弱より強い地震があれば
速報してくれる(はず)。

たとえ数秒でも、
きっと役に立つに違いない。

もちろん、
鳴らないにこしたことはないのだが、
買った以上は、
鳴って欲しいような、
欲しくないような、、、

複雑心中である。

●なでしこ、ドイツ相手に大善戦中●追記。6時24分。なでしこ勝利。素晴らしい試合。感激した!

2011年7月9日土曜日

針路

例年よりうんと早く梅雨が明けた。

その2011年7月8日は、
ぼくにとっても画期的な一日だった。

ここ数年取り組んできた二つの課題が、
ようやく実を結んだ、
というか、
少なくとも、
やってきたことが間違いではなかったことを実感できたのだ。

それが何かはさておき、
両方に共通するキーワードは「自然体」。

これほど、
使うのは簡単だけど、
実践するのが難しい言葉はあんまりない。

例えば、
自然体で立つとしたって、
立っている以上は体のどこかに力は入っているわけで、
単に力を抜けばいいというものではない。

適切に力を入れることが必要なのだが、
それこそが難しい。

振り返ってみて、
どれだけぼくは無駄な力を入れて、
いや、
無駄な力ばかり入れて生きてきたか。

力を入れ続けているのだから、
当然疲れるわけで、
だから本人は頑張っているんだけど、
入れなきゃいけない力は入っていないもんだから、
進む方向は間違ってばかり。

でも先日も書いたように、
どうすれば適切に力が入れられるのかは、
結局自分で悟るしかないのだ。

真に賢い人はそれが生まれながらにできるし、
ぼくみたいに50年近く生きてようやく、
わかりかけるボンクラもいる。

まぁ早ければいいってもんでもないとは思うけど。

ただ言えるのは、
適切な力とかいう考え方にも至らず死なずにすんで、
よかったなということだ。

このボンクラを導いてくれたすべての人に感謝します。

でも、
二つの自然体を実感できて、
ぼくは飛びあがるほど嬉しかったのかというと、
案外そうでもない。

あぁ、
そういうことかと、
それこそ自然に納得できたのだ。

ジグソーパズルの最後のワンピースをはめる時って、
きっとこんな気分なのだろうと思った。

そして、
これはスタートラインなのだと思った。

あとはただ、
この方向で進むのみだ。

●今回の映画週間は無事終了できた。とりあえず、観た作品だけ記録しておく。デス・レース(ポール・W・Sアンダーソン監督)、ゲーマー(ネヴェルダイン・テイラー監督)グラディエーター(リドリー・スコット監督)サブウェー123(トニー・スコット監督)KISS&KILL(ロバート・ルケティック監督)

2011年7月8日金曜日

暴走

菅首相が暴走している。

海江田も、
岡田も、
暴走する彼の後をオロオロ追うだけだ。

与野党が束になっても、
彼を首相から引きずりおろすことができない。

彼が暴走する理由。

それは脱原発の道筋、
それも、
後戻りできない道筋をつけたいのだと思う。

菅首相がここまでやるとは、
正直想像もできなかったし、
今や一種の敬意をもって彼の暴走ぶりを見ている。

突然ストレステストを持ち出して、
玄海原発の再稼働に事実上待ったをかけたのも、
とにかく秋まで持ちこたえて、
エネルギー政策を問う総選挙をやりたいという、
その一念に尽きるのではないか。

かつてこれほどの熱意をもって、
首相の座にしがみついている人を、
ぼくは知らない。

小泉以後、
一体何人のボンクラ宰相が、
何の気概も持たないで辞めて行ったことか。

震災直前、
外国人からの献金問題で、
彼は辞任寸前だった。

まさに「菅一髪」生き延びたといっていい。

たぶん、
彼自身、
一度死んだ身だと自覚し、
天命を悟ったのだろう。

失うもののない人間の本気は、
危ういけど力がある。

そしてその本気は、
永田町を飛び越えて、
少しずつ国民に届き始めているのではないか。

「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、力の及ぶ限りやるべきことをやっていきたい」(7月6日、衆院予算委)

この答弁は鬼気迫る。

彼以上の本気を持つ人間でない限り、
彼を辞めさせることはできまい。

秋までに、
世論がどう動くか。

それまでに菅が引きずり降ろされるか、
持ちこたえるか。

日本の進路の重大な分かれ目だと思う。

●業務連絡。金曜日に元町に参上いたします。

2011年7月7日木曜日

帰結

がん、
脳卒中、
心臓病、
糖尿病。

いわゆる四大疾病に、
精神疾患が加えられることになった。

五大疾患。

ついにそういう時代が来たんだなぁ。

ぼくは、
精神疾患の患者が増えているのは、
いわゆる近代合理主義の帰結だと考えている。

測定できるものだけを対象にした、
科学万能時代は、
測定できない「人の心」をないがしろにしすぎたのだ。

割り切れないものを、
割り切れないまま大切にすること。

そしてまた、
精神疾患をも医学という科学で、
どうにかしようという傲慢さ。

科学技術の結晶のような原発が、
こんなことになった今だからこそ、
ぼくたちはそこんとこを考え直すときなのだと思う。

割り切れぬ心を直すのは、
医学ではなく、
やはり割り切れぬ心でしかないと、
心底思う。

診察、
投薬、
心のケア、、、

それも大事には違いないが、
あくまで補助的な役割しか果たせまい。

繰り返すけど、
人の心は人の心でしか治せない。

そして結局は、
他人の心を頼りに、
自分の心で心を治すしかないのだ。

ぼくが言うのだから、
間違いない。

●玄海原発の説明会で九電が、原発稼動賛成の「やらせメール」を社員らに送らせていた。電力会社の体質がもたらす当然の帰結だ。

2011年7月6日水曜日

前兆

夜仕事をしていたら、
一瞬グラリ。

和歌山で震度5強。

こりゃ東南海地震の前兆か?

また水の買いだめが始まるんだろうな。

もしこの真夏に直撃されて、
ライフラインが止まったら、、、

おぉ怖い。

でも、
いよいよ覚悟だけはしといた方がよさそうだ。


そんな火曜日、
松本復興大臣あっさり辞任。

就任9日。

こりゃ最短大臣かと思いきや、
一週間ももたなかった人もいたそうだ。

覚える間もないほど短い。

この電光石火の辞任劇には、
いささかの擁護論があるところが面白い。

それは大きく2種類あるようだ。

一つ目は、
有能なのだから、
きちんと謝罪してから仕事を頑張ればいいという、
個人の資質からの観点。

二つ目は、
一度の失言でコロコロ代えていたのでは、
肝心の復興が進まないという、
現状認識からの観点。

どちらにも一理ある。

報道によると、
松本元大臣、
昨年のCOP10の議長としては、
なかなかな手腕を発揮したようだ。

ひょっとすると、
失言はしないけど仕事もしない、
無能大臣よりは、
まだマシだったのかもしれない。

確かにどんな組織にもいるよな。

得点は挙げないけど、
失点もしないから、
何となく偉くなっていく人。

毒にも薬にもならんというか、
組織的には安牌というか。

現状維持でいい時には、
そういう人も重宝されよう。

でも今は完全な有事。

そういう意味では、
ちょっと惜しかったかな。

でもやっぱり松本元大臣は、
裏舞台でごり押しする「毒」タイプで、
被災者を癒す「薬」ではなかったと思う。

つまりは、
活かし方を間違ったということか。

Кожен в Україні, вона завжди має мене читати цей блог ви, я така щаслива.

2011年7月5日火曜日

何様

「知恵を出さないやつは助けない」松本復興大臣。

この人、
一体何のために大臣になったんでしょうねぇ。

最初新聞でこの「暴言」を読んだ時は、
勇み足なのか本音なのか、
はっぱをかけるためなのか、
要するに真意が計りかねたのだけど、
テレビでその時の模様を見て、
全く考えが変わった。

これほどの、
いわゆる「上から目線」な人、
久し振りに見たような、
でも、
どの会社にもいそうな、
そんな感じ。

例えば親戚のおじさんにこういう人がいたとして、
それはそれで「口はキツイけど、根はいい人だから」とか、
何とか心の整理をつけられそうな気もするが、
未曾有の大震災からの復興大臣がいきなりこれでは、、、

絶対この人とはうまくいかないと、
相手に思わせるのに十二分な第一印象である。

当然、
任命した菅首相の責任が問われることになるし、
支持率がまた下がるのは必至だ。

複雑なバックボーンをお持ちのようで、
なんでまたこの人じゃなきゃいけなかったのかねぇ。

矢継ぎ早の失言に、
ひょっとして菅下ろしの「刺客」なのではと、
勘ぐりたくなるほどだ。

いずれにせよ、
他人に「長幼の序」を説く前に、
政治家として、
大臣として、
どういう言動がふさわしいのか、
よっく反省した方がいいな。

でもきっと、
この人は死ぬまでこういう人だと思う。

口をひらけば問題発言を繰り返し、
あっという間にクビになった森首相を思い出した(笑)

駄目なんだよ、
こういう人を表に出しちゃ。

にしても、
こんなんしかおらんのか。

この国は。

●映画週間再び。今宵は「サブウェイ123」(トニー・スコット監督)。悪くはないんだけど、大金をせしめた犯人がラスト、殺してくれとたのむ心理がよくわからんかった。というか、逃走手段があまりに稚拙●そうそう、早起きの仕事は何とか無事済みました。当たり前だけど。

2011年7月4日月曜日

朝一

う~ん困った。

明日、
というか今日は、
朝一で出社せねばならんのだ。

これ、
ぼくには最も「ハード」な勤務。

通常より8時間ぐらい早く出社することになる。

つまり、
普通の9時5時の人に換算すれば、
午後6時に寝て、
午前1時に出社するという感じ。

ちょっとは「無理感」が伝わっただろうか。

たとえ3時間しか寝れなくても、
そりゃ起きて出社は出来る。

でも今日の仕事は、
スタート即アクセル全開のような内容なので、
寝ぼけた頭では絶対に失敗する。

ちょっとした勝負の勤務だ。

当然、
もうそろそろ寝なければならない。

でもウィンブルドン男子決勝をやっている。

観たいビデオもある。

普段なら、
これから朝まで、
マイベスト活動時間なのだが、、、

それよりも何よりも、
眠りにつけるのか?

ややや、
決勝は2セット連取されたナダルが、
怒涛の反撃を始めており、
試合の行方は予断を許さない。

あぁ、
悩ましい(笑)

2011年7月3日日曜日

奇遇

夜勤明けで少々眠かったけど、
観たっかたので頑張った。














「ETと未知との遭遇を足して割ったような作品」

だれかがそう言ってたが、
それは当たってた。

でも、
どちらほどでもなかった。

「まぁこんなもんか」と席を立って、
映画館を出ようとすると、
後ろから「どんっ」と方をたたかれた。

振り返ると、
高校時代の友人。

最近、
「一緒に映画でも観ようや」と連絡していたのだが、
互いに不規則な仕事をしているので、
なかなか段取りがまとまらなかった相手だ。

互いに空いた時間に駆け付け、
偶然同じ映画館にいたわけだ。

席は別々だが、
「一緒に映画を観た」ことにはなる(笑)。

それから小一時間、
喫茶店で近況などを語り合う。

奇遇といえば、
先日紹介した高村薫の「寸草便り」。

教えようと思っていた矢先に、
姉から「読んだ」とメールが来た。

こういう奇遇が続くと、
「おっ来てるな」と思う。

逆に考えてみれば、
そもそも生きているというのは、
基本偶然の連続で、
そこに日々のスケジュールやら、
果ては人生設計まで、
人生を「思い通り」にしようとしているのが人間なのだろう。

つまり偶然の方が自然で、
予定や計画は不自然ってこと。

何にせよ、
嬉しい奇遇の連鎖は大歓迎。

「奇遇よもっと来い」って感じだ。

●夜はチョコパを食べに住吉に行った。4年になるそうだ。

2011年7月2日土曜日

融通

電力使用制限初日、
って、
それ関東と東北の話でしょ。

でも、
なぜか関西も「便乗」しちゃって。

今日は夏日でもないのに、
大阪駅は暗いし、
何より会社が暑い!

確か数年前まで、
うちの会社の冷房設定温度は26度だった。

それが28度に変更された時も、
「暑~」って思ったけど、
今日なんかは、
外より社内の方が温度が高いだもん。

聞くところによると、
設定温度はついに30度になったそうな。

当然社内では扇子があちこちで舞う。

当然ぼくもその一人。

マイ扇子














ふと前の席を見ると、
なんと卓上扇風機を用意している人がいる!

おみそれしました。

でも、
それじゃあ節電になんないんですけど(笑)

巷ではサンダル通勤OKの会社もあるとか。

やっぱ、
それぐらいの「融通」がないとね。

「我慢しろ」の一点張りでは、
あんまりよくないことが起こりそうな、、、

●なでしこW杯連勝。こういう熱気は大歓迎なんだけどなぁ。

2011年7月1日金曜日

実証

暑い。

6月だというのに猛暑日な関西。

でも、
それに負けずホットなのが、
関電の15%節電論議だ。

「原発動かさないなら15%」と脅す関電社長。

「それじゃ霊感商法だ」と橋下・大阪知事。

熱いねぇ。

しかしなんだな。

こう連日暑くて、
それでも大規模停電なんて起きる気配もないのだから、
こりゃ、
すでに大丈夫ということが、
実証されているようなものでは?

原発の定期検査の都合もあるらしいが。

ぼくは前から言っているように、
動かせる原発は動かして、
代わりに火力発電所を止めるべきだと思う。

脱原発は何年もかけて進めればいい。

いわゆる原発反対派ではない。

でも、
新設計画はすべて中止。

ここは譲れぬ。


さて。

読売新聞夕刊に高村薫が隔月一回連載している「寸草便り」

今回のタイトルはずばり「怒りを忘れた日本人」だった。

怒らないということは、承認したということなのだ。情報は隠すべしというのが社是らしい電力会社や、国民そっちのけで政局に明け暮れる政治家たちを、私たちは承認したということなのである。

沈黙は承認。

我田引水かもしれないけど、
言うべき時には言わないと。

暑いけど(笑)

●6月の総閲覧数は結局1512でした。読んでくれた方々、ありがとうございました●業務連絡。土曜日にチョコパを食べに行きます(笑)

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...