2011年7月16日土曜日

暴挙

水戸黄門が終わる!

許しがたい暴挙だ。

昭和44年放送開始の、
この国宝的時代劇を、
打ち切るなんて許せない。

かなりなショックである。

視聴率が低いというのが理由だそうだ。

21世紀に時代劇が受けない。

何となく納得しそうなところであるが、
おっとどっこい、
それは大変な勘違いだと思う。

製作者は、
自分たちの犯している愚を、
時代のせいにしている。

そこまで思うのは、
ぼくは最近結構「水戸黄門」を見ているからである。

つまりこういうことだ。

今放送している43部、
つまらないのである。

「水戸黄門」というブランドを、
みすみす台無しにしているのである。

製作者は一生懸命、
知恵を絞ってシナリオやキャストや演出を工夫している。

だけど、
それこそが余計な努力なのだ。

「水戸黄門」のよさは、
ストーリーは単純な勧善懲悪、
終盤に大立ち回りがあって、
「ひかえおろー」と印籠出して、
その場の皆が「ははぁ~」となる、
その偉大なるワンパターンがいいのである。

つまり「サザエさん」。

だれも磯野家にパソコンや携帯電話を期待していない。

そういうことなのだ。

具体的に指摘すると、
最近の作品はストーリーを複雑にしたが為に、
説明的で大詰めまでの時間が長く、
その結果、
立ち回りがおざなりになっている。

とても大立ち回りとは呼べない。

早い話が、
ストーリーなんてどーでもいいから、
立ち回りを5分ぐらいやって、
それから印籠であるべきなのだ。

だからこそ、
子どもからお年寄りまでが、
前半風呂に入って立って大丈夫な、
そんな安心感があったのである。

もっと具体的に指摘すると、
今週月曜日の回では、
池上希実子扮する大工の妻が、
黄門様ご一行の世話をするのだが、
最後まで黄門の正体に気付かないまま、
物語がお終いだったのである。

そりゃもう、
根本的に駄目でしょ。

惜しい。

作り手が努力しているのがわかるだけに、
余計に惜しい。

そもそも、
確かに「男はつらいよ」で、
渥美清以外の寅さんが考えられないように、
初代黄門だった東野英二郎が死んだ時点で、
終わるべきだったのだという、
蒸し返し論もあろう。

そこは一理あるけれど、
もう5代目まで来ているのだ。
ここで辞めてはいけない。

それは紅白歌合戦を辞めようなもの。

もっと言えば、
祇園祭を辞めますといっているのに等しい。

日本文化の破壊だ。

保護に値する文化なのだ。

●「辞めない」と言っていたはずの九電社長が一転、辞めるそうだ。こういうのは、さっさと辞めてよろしい。許可します。

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