「リアル・スティール」を観るため、
阪急ガーデンズに行くと、
人があふれていた。
いつものように、
自転車でギリギリに滑り込み、
ポップコーンセットを買って席につく。
映画はねぇ、
ロボットボクシングってのが流行っている、
近未来のヒューマンストーリー。
捨てられていた旧型が、
最新最強の王者に勝つという、
ロボ版ロッキーって感じ。
しっかし、
もうCGがあればなんでもありですね。
だから、
これまで、
実写だからスゴイとか、
CGならたいしたことないとか、
そういう分け方、
判断基準そのものが、
もはや成り立たないように思う。
名作っていうのには、
時代を超えて通じる普遍性ってのが必要なんだろうけど、
50年前に作られた名作を、
当時の人と同じ心性で観るのは不可能だ。
ぼくたちは、
9・11や3・11、
つまり50年前の人にとっての未来を体験してしまっている。
最近、
ちょっと前のテレビ映像がとっても汚いと思うことはないだろうか?
ぼくらはすでに高画質テレビを基準に、
昔の映像を見ている。
何かをクリエイトする時の理想は、
同時代に評価され、
将来もそうであり続けることだろうけど、
それはだからかなり難しい。
今の人を喜ばせるだけなら、
それはエンタメではあったとしても、
芸術とは言えないだろう。
では逆に、
50年後を見据えて創作して、
同時代にはまったく評価されなかったら?
それは単なる独りよがりの恐れがある。
唯一確かなのは、
自分に嘘をつかないこと、
なんて綺麗すぎる。
この言い方は、
確かな自分というものが前提になっている。
映画の帰りに本屋に寄って、
川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」を買う。
2年ぶりの長編だとか。
作家が2年間考え続け、
世に問う作品というのが、
どれほどのものなのか、
そういう姿勢で読んでみようと思う。
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