2010年12月31日金曜日

杞憂

姉一家4人がやってきた。

年に1度の行事である。

ぼく以外、
みんなが本当に忙しいらしく、
年末の30日、
ピンポイントで予定を調整したらしい。

昼食にステーキを外食し、
オヤジの墓参りをして、
帰宅してケーキを食べ、
記念撮影してわちゃわちゃしゃべり、
夕食に寿司をつまみ、
レコ大を見ながらわちゃわちゃし、
最後は大貧民をやってお開き。

たった1日だからね、
あれこれ考えるより、
肩の力を抜いて、
ただただ笑ってたよ。

たった1日だからこそ、
みんなが互いを大切にして、
気遣って、
笑いあって。

この年齢になると、
いろいろ姪たちに「言い残して」おきたいこともあるけど、
もういいや。

気づいたら二人とも、
立派な成人になってた。

何も心配することはなかった。

親は無くとも子は育つというではないか。
叔父なんか尚更で当然ではないか。

むしろ心配なのは、
ぼくの方だった。

あ~あ(笑)

●というわけで、読者のみなさま、今年も拙ブログにお付き合いありがとうございました。よいお年をお迎えくださ~い♪

2010年12月30日木曜日

見栄

まだ仕事納め前のある日、
大阪駅に臨時の年賀状売り場ができていて、
立ち寄った。

別にかわいいお姉さんがいたから、
というわけではないのだが、
咄嗟に思いついたので、
何枚買うか全然考えてなかった。

思わず口をついたのが「50枚」。

見栄であった。

考えてみれば、
例年その半分も出してないんだよな。

あ~あ。

残りの20数枚のうち、
何枚かは印刷で絶対に失敗するとして、
それでも20枚ぐらいは、
今のところ配達先がない。

このうち数枚は、
2月1日の「もといちの日」に配るとして、
それでも10枚は残るだろう。

そういえば、
今年のも昨年のも、
10枚ほどまだ手元にある。

例年、
同じような経過をたどって、
投函されることなくぼくの手元にとどまっているのだ。

見栄の10枚。

でも、
それも悪くない。

「新作」を作る参考になるし、
何より、
それらを作っていたころの気分を思い出せる。

んなことを考えながらも、
新作の年賀状が一応完成した。

遠方の人の分だけ、
さっきようやく投函できた。

2010年12月29日水曜日

方便

マイ仕事納めだった。

日ごろ、
世間とは全く異なるスケジュールで生きているので、
こんなにピッタリ世間と呼吸が合うと、
気持ち悪くなってくる(笑)

昨年も、
一昨年も、
大晦日まで仕事で、
紅白歌合戦は会社でチラ見だった。

今年は自宅でテレビ鑑賞、
そして近所の神社に初詣と、
滞りなく済ませそうだ。

ところで。

先日、
食事をしていると母が、
「これ、食べるラー油やねんて」と、
小瓶を差し出す。

近所に住む姉の差し入れとのこと。

「ふーん」とぼくは相槌を打ったものの、
それ以上何の興味も沸かなかった。

自他ともに認める「新しい物好き」だけど、
不思議なほどその時は、
味見してみようとさえ思わなかった。

すると翌日、
普段かかってくることのほとんどないぼくの携帯に、
姉から電話だ。

「ちょっとぉ、必死で買ってんから食べてよぉ~」

母経由で僕が無関心だったことが伝わったようだ。

(そんなことで電話してくるかぁ)

内心そう思いつつ、
「あっ、そう。悪い悪い。うん、是非食べてみるわ」
とりあえず当たり障りのない返事をしておく。

翌日の昼食時。

改めて小瓶を見る。

桃屋?

食べるラー油が今年のメガヒットだということは、
さすがに知っていたけど、
まさか桃屋の商品だったのか。

桃屋の商品が、
品薄になるほどのヒットになるのか?

そういえば、
米からパンが焼けるホームベーカリー「ゴパン」も、
店頭から消えて予約も受け付けられないなんてニュースが、
新聞に載ってたっけ。

品薄→購買意欲→ヒット

こんな簡単な図式が、
意図的なものとは思えぬが、
案外、
案外である。

だって、
食べるラー油、
美味しくないとは言わないけれど、
めっちゃ美味しいとも言えなかったんだもの。

勿論、
姉には「美味しかった」とメールしときましたが。。。

平井堅も先日のライブで言ってた。

「食べるラー油って、そんなに美味いか?」

2010年12月28日火曜日

螺旋

インフィニティ・ブレードのことを、
「ボスキャラを倒しちゃったので面白くない」、
みたいに書いたのはぼくの早とちりだった。

確かにボスキャラを倒し、
物語は1度終わった。

エンドロールも流れた。

しかし、
ゲームはそんなことはなかったかのように、
再び振り出しに戻り、
おのおのの敵キャラがさらに強くなって待ち構えていた。

それまでにも、
何回かボスキャラにやられ、
振り出しに戻るたびに、
敵キャラは強くなった。

でも、
ボスキャラを倒してなお、
敵キャラは強くなり、
そしてあろうことか、
ボスキャラまで強くなっていた。

それも、
とんでもなく。

具体的にいうと、
ぼくの強さのレベルが35だとして、
最初に倒したボスキャラは50だったのに、
今度は100になってる、
みたいな。

なるほど、
このボスを倒すには、
まだまだ強力な武器や呪文を入手せねばならん。

そして、
再びボスキャラを倒しても、
ゲームはしらっと振り出しに戻って、
また敵全員が強くなっているのかもしれない。

つまりこのゲームは、
ボスキャラを倒すっていう物語は単なる「演出」で、
本質は、
延々と強くなっていく敵を、
こちらも強くなって倒し続ける、
無限スパイラル構造になっているわけだ。

不毛に思いながらも、
じゃぁ、
その螺旋の果てには何があるのか、
見たくなるのが人情ってもんで、
きっちり相手の思惑にはまっているのであった、、、

●今日も、空き時間はずっとやっていた。そんなことしている場合か?オレ●ペンギン様方、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2010年12月27日月曜日

漫才

インフィニティ・ブレード、
熱中してたらボスキャラ倒しちゃった。

え?

これで終わり?

レベルも全然低いままだし、
まだ入手してないアイテムもいっぱいあるのに、、、

途端にゲームへの意欲が半減した。

続ける意味を無くすと、
結構むなしいもんだな。

ところで、
今年もM-1を録画で見た。

しかし、
何で終わっちゃうんだろう?

こういうものは続けていかないと、
歴代チャンピオンの値打ちがあせるじゃないか。

元来K-1のパクリみたいな企画だから、
どうでもよかったのかなぁ?

そのせいか、
何となく例年より熱気に欠けたように感じたのは、
ぼくの勝手な思い込みだろうか?

最後の最後に「笑い飯」がチャンピオンってのも、
いかにも予定調和的で、
作り手のやる気のなさを与えてしまった。

それはそれとして、
漫才も進化してるんだということを、
この番組には教えられた。

話で「笑い」をとるというのは、
元来とても高度に知的な作業だと思うのだが、
「笑い飯」にしても、
昨年チャンピオンの「パンクブーブー」にしても、
最先端のネタは芸術的にすごい。

でも、
そんな知的な笑いじゃなくて、
他愛ない「どつき漫才」なんかも、
こどものころは大好きだった。

イマドキははやらないけど。

そういえば、
先日正司敏江・玲児の玲児さんが亡くなったな。

面白かったなぁ。










人生幸朗・生恵幸子の「ぼやき漫才」も忘れがたい。










M-1終わらせるとは、
「責任者出て来い!」

2010年12月26日日曜日

内心

出会いは偶然だが、別れは意志だ

昨日読売新聞の夕刊を読んでいたら、
作家・山本一力がそう書いている。

なるほど。

ぼくもこれまで、
多くの人と偶然出会い、
自分の、
あるいは相手の、
または双方の意志で別れを繰り返してきた。

そういう意味で、
この言葉にはひどく納得するのだが、
「果たして本当にそうだろうか?」とも思う。

ある人に「会いたい」と願い続ければ、
いつか本当に会える。

そんな気もする。

一方、
死別を除けば、
確かに別れは意志だろう。

ということは、
偶然である出会いだって、
結局、
過去のだれかの意志による別れの結果だと捉えれば、
出会いもまた、
「自分の」ではないにせよ意志によるものなのかもしれない。

何よりも、
ぼくの意志による別れが、
誰かと誰かの出会いにつながったということを、
ぼくはよく知っているではないか。

クリスマス。

これまで別れた数多の人の幸せを思い、
寒空の中、
会社に向かう。

コンビニの前で、
サンタの扮装をした女の子が、
クリスマスケーキを売っている。

つい買ってしまうオヤジが一人。

「ありがとうございます」

その笑顔に内心、
でへへ。

仕事の合間にみんなで食べる。

「さぁもうひと仕事」っていう時、
うち一人が、
「素敵な時間をありがとうございました」と言ってくれた。

でへへ

オヤジ心も、
たまにはいいもんだ。

●携帯は修理に出すことに。古い携帯で越年となった。

2010年12月25日土曜日

出演

不二家に勤める友人から、
「きょうラジオに出演」するとメール。

そうか、
イブだもんね。

是非聞かねばと思ったのだが、
今日は生憎夕方から仕事だ。

まぁ会社でこっそり聞こうと思ったのだが、
出社してみてラジオがないことに気づいた。

最近はPCでもラジオは聞けるが民放だけ。

友人が出るのはNHKなのである。

仕方ないから、
コンビニに行ってラジオを買うことにする。

イマドキ、
1000円ぐらいであるだろう。

と高をくくったのが甘かった。

会社近くの3軒を回ったが、
どこにもラジオはない。

仕方ないから、
ちょっと足を伸ばして大きめの文具屋にまで行った。

「ラジオっておいてないですか?」

とたずねるぼくに、
店員は「ありません」と即答。

はぁ、、、

そうこうしているうちに、
友人の出演時間は過ぎてしまった。

友人の声は電波となって、
ぼくの体を通過しているはずなのに、
聞けないなんて、、、

冬の夜空にため息ついた。

●次はテレビに出てくれ●帰宅して「明石家サンタ」を録画で見る。録画までして見るものかどうかはしらないけど、ぼくの中では恒例行事になりつつある。そんな自分がちょっと寂しかった。でも面白かった●なんと、突然携帯の電源が入らなくなった!落としたショックで故障かも、、、とりあえず前の機種にカード差し替えて、電話は使えるけど。一難去ってまた、、、である。

2010年12月24日金曜日

一斉

平井堅デビュー15周年コンサートに行った。

マイ初「京セラドーム」。

夕闇に現れた姿は、
写真で知っていたにもかかわらず、
「でかっ」て感じ。

UFOの母船が地球に着陸したら、
きっとこんな感じなんだろうなって、
妙に感動した。

肝心のコンサートだが、
やっぱり彼は歌上手いわ。

だからというか、
エレキ系のバンドが入って歌うより、
アコギだけとか、
ピアノだけとか、
アンプラグド的な時の方が、
圧倒的によかった。

たぶん、
アカペラでも2時間持つと思う。

裏を返せば、
バンド入れてPAでガシャガシャやれば、
少々下手な歌手でも、
なんとか誤魔化せるんだろうな。

15周年ということで、
山車に乗って会場をグルッと回ったり、
クレーンでグワーンって上がったりする演出は、
特別にショーアップしたらしいが、
38歳の彼としては相当疲れた様子。

「ジャニーズのすごさを実感しました」って持ち上げといて、
「でもぼくは(実際に)歌ってますから」って、
暗にジャニーズは口パクだってからかってた。

そうそう、
途中で、
バーカウンターのセットで椅子に座り、
「伊藤園の、おーいお酒」って、
思いっきり海老蔵をからかってもいた。

意外にシニカルなんだなぁ。

それよりも何よりも、
会場に入る時ペンライトを渡された。

同封の紙には、
「新曲アイシテルのときに振って15周年を祝ってやってください」、
って書かれてる。

コンサートの半ばで、
いきなり「アイシテル~♪」って歌詞が耳に入って、
「あっここか~」って思ったら、
会場の3万5千人が一斉にオレンジのペンライト振り出して、
あまりの一斉さに見とれたよ。

http://www.youtube.com/watch?v=zv57V9_Qw54

しかし何ですな、
あの歌声で3万千人呼んじゃうんだもの。

平井堅、
すごいもんだ。

●ちなみにペンライト、ぼくは振りませんでしたよ。っていうか振れませんでした。スイマセン。

2010年12月23日木曜日

尻目

クリスマスも年末年始も、
あんまり関係のない身ではあるけれど、
この時期、
ひとつだけやらなければならないことがある。

年賀状用の写真撮影だ。

去年と今年は、
あんまりそのことを気にしないでも、
なんとなく気になる景色を撮影したやつを使った。

だけど来年用は、
まだ用意できていない。

残すところ1週間あまりとなり、
少しばかり焦りもある。

でも、
しょうがないんだよね。
撮れないものは撮れない。

たぶん自分の心の問題なんだと思う。

何気ない景色が琴線に触れる、
そんなセンシティブな生活を、
ここのところしていないのだ、
きっと。

いろいろと浮かれすぎなのかもしれない。

この時期ぐらい、
バタつく世間を尻目に、
ひとり心の奥に沈殿して、
心揺らす「何か」を待つことにしよう。

それでも駄目なら、
越年だ(笑)

●でも実際、昨年の写真は元日に撮ったものだった。当初は、毎年元日の景色を撮って、それから賀状を作ろうと決めていたのだ。あぁ、そう考えると、ちょっとホッとしてきた。

2010年12月22日水曜日

石塊

インフィニティブレードは相変わらず飽きない。

RPGにハマルなんて、
バイオハザード以来かも。

そんな具合だから、
ゲームについてどうのこうの言う資格はゼロなんだけど、
今回インフィニティをやっていて改めて気づくのは、
「作り手の親切」ってこと。

ご承知の通り、
RPGはストーリーに沿ってゲームを進める。

途中、
戦闘やら試練があって、
それをくぐりぬける度に経験値がアップしたり、
武器や防具が買えたり、
魔法が使えるようになっていったりする。

ある一定以上の実力にならないと、
絶対に通過できない関門があって、
そこで主人公は死んで、
振り出しに戻る。

しかし、
振り出しといっても、
経験値とかは引き継がれるから、
同じ敵でも今度は前回より簡単に倒せる。

そうして何回か振り出しに戻るうちに、
いやが上にも実力は高まり、
時間の長短こそあれ、
続けてさえいれば、
必ず関門を突破できるようになっている。

このあたり、
実際の人生にも確かに当てはまるところがあって、
ある意味ゲームに教えられるところも多い。

しかし、
ゲームと違って実人生では、
絶対に必要なアイテムも手に入れないまま、
先のレベルに行ってしまったり、
逆に十分な実力があるのに、
先への入り口がわからないまま右往左往したりすることがある。

ゲームのように親切ではないのだ(当たり前だけど)。

自分がどの程度の実力があるのか。

今どのレベルにいて、
この先どこへ進めばいいのか。

実人生は何も教えてくれない。

しかも、
ゲームのように、
振り出しに戻ってやり直すことさえできない。

必要な武器も防具も魔法もないまま、
途方に暮れ、
運の悪さを呪い、
誰かのせいにし、
自己嫌悪に陥る。

そんな日々がかつて、
ぼくにもあったよ。

でもそんな時は自分に言い聞かせる。

きっとゲームと同じだ。

繰り返していればきっと出口がある。

ただ諦めさえしなければ。

ただ投げ出しさえしなければ。

武器や防具はなくても、
経験値だけでも次のステージに行ってやるって。

今、FM802にSIONが出てしゃべってる。
「石塊(いしくれ)のプライド」がどうのこうのとしゃべってる、、、

2010年12月21日火曜日

本当

「無知ノススメ」とは我ながらよく言ったもんだと、
一人悦に入っていたら、
すでに「無知の知」を説いていた御仁がおられた。

しかも数千年も前に。

ソクラテスだ。

真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる


「無知ノススメ」とは微妙にニュアンスが違うけど、
そういうことなのだ。


どんな物事でも、
自分は常に不十分にしか知らないと、
自らを戒めることはとても大事だ。


知った気になる。


わかった気になる。


それは奢りだ。


そこさえ押さえておけば、
好奇心旺盛なのは絶対いいことだと思う。


ところで。



読売新聞の読者による今年の十大ニュースが発表された。

国内部門の第一位は「尖閣ビデオ流出」。

ちょっと驚いた。

猛暑でもなく、
口蹄疫でもなく、
これが国民にとって一番インパクトがあったわけだ。

ちなみに、
流出ビデオのタイトルは「本当の尖閣」だった。

でも、
このビデオで尖閣衝突事件のことが本当にわかったと思うのは、
これまた危険であることは、
言うまでもない。

●ちなみに「海老蔵事件」は30傑にも入ってなかった。








2010年12月20日月曜日

無知

ぼくは常々「好奇心」は大切だと思い、
好奇心のある人が好きだ。

しかし、
なぜ好奇心は大切なのだろう?

何かを「知りたい」というのは、
人間の根本だと思うけど、
それは実は「知らない」物事への恐怖の裏返しだとは言えまいか。

その恐怖から逃れるため、
人はむさぼるように情報を集め、
入門書を読み、
コメンテーターの発言に耳を傾ける。

ネットの時代になって、
その恐怖は減るどころか、
逆に増している感もある。

そろそろ、
その恐怖から脱しようではないか。

「知らない」と堂々と言える自由を取り戻そう。

恐怖に覆われ、
その恐怖を拭うための一生など、
つまらんではないか。

所詮、
どんなにあがいても、
世の中のすべてを知ることなどできはしないのだ。

確かに、
無知は時に災いの種ではある。

しかし同時に、
中途半端に物事を知っていることもまた、
ある意味とても危険なのである。

いやなに、
何事にも無関心で、
「そんなこと知りませ~ん」とか
「私馬鹿だも~ん」と、
開き直れといっているのではない。

まず、
自分は無知だと謙虚になること。

そして、
知らないことは教えを請い、
自分がコレ、
と思ったものは、
トコトン知るよう努力すべきだ。

だれでも知っていることを知っている安心より、
自分しか知らないことへの自信と誇りを選ぼう。

それこそ、
ぼくらが生きている意味。

無知ノススメである。

●こんなことを言うようになったのは、もう自分がアラフィフで、先が見えるようになったからだけど。

2010年12月19日日曜日

作法

遅ればせながらとった夏休みが今日で終わる。

4日間、
どこかに旅行するでもなく、
遊びに行くでもなく、
ダラダラ過ごした。

唯一といえる成果は、
マイPCのOSをアップグレードしたことだ。

その時ついでに、
PCウィルス対策ソフトなるものも導入した。

実は、
ぼくのPCはこれまで、
特別なウィルス対策はしてこなかった。

だって、
別に不具合が起きたことなかったし、
今回も何かがあったわけではない。

しかし、
会社の後輩に言わせると、
ウィルス対策というのは、
自分に被害があるとかないとかじゃなくて、
するのが「マナー」なんだそうだ。

何もしてないぼくのPCを経由して、
誰かのPCがクラッシュした場合、
ぼくは関係ありませんで通るか、
という問題なんだそうだ。

なるほど。

他人の迷惑を考えろということだな。

そう諭されると、
自分がとても無作法なことをしてきた気がして、
しからば早速と、
その後輩ご推奨のGDATAをDL購入した。

何でもこのGDATAは、
刻々と変化するPCウィルスへの対応が早いんだそうだ。

これで1年間はとりあえず安心(らしい)。

ま、
PCの予防接種みたいなもんだね。

●数日前から外出時のマスクも再開した。これも、少しは他人の迷惑を考えてのことである。

2010年12月18日土曜日

指摘

「毎日更新」だけが自慢だった当ブログ。

指摘された今日の今日まで、
12月10日付が抜けていることに気がつかなかった。

前にも同様の指摘があって、
その時は公開を忘れていたという単純ミスだったのだが、
今回は、
保存欄にも記載がない。

ということは、
書くのを忘れたということか?

しばし考えたのだが、
絶対にそんなことはない。

というのは、
ある日の●の後ろに、
「今日(正確には昨日)は親父の命日だった」と書いた確かな記憶があるからだ。

これはすなわち、
10日付を書いたということを(少なくともぼくの中では)証明する。

でも、
ないもんはないんだよねぇ。

っていうか、
肝心の本文に何を書いたのかが思い出せない。

どうせいつものように下らぬ世間話だろう。

そんなどうでもいいような本文の後ろに、
つけたしのような格好で親父の命日の事を書いたから、
親父、
あの世でヘソを曲げたか?

いやいや、
「命日」うんぬんを書いた記憶がそもそも夢なのかもしれない。

もしやぼくの意識は、
すでに現実と仮想の間を行き来しているのかも?

今日会って話したはずのあの人もこの人も、
実は夢の中の出来事で、
本当は会ってなかったかもしれない。

あるいは会ってもいないはずの人に、
会っていたかもしれない。

、、、

なんて言い訳をつらつら書いてるのは、
つまり書き忘れた事を信じたくないからだ。

このブログを書き忘れるというのは、
ぼくにとっては「風呂に入り忘れた」というのに等しいほど、
「ありえない」。

でも「ありえない」事が起きるのがこの世の習いというもの。

だからきっと何かの拍子で忘れたのだ。

何かの拍子だ。

●ご指摘ありがとう。

2010年12月17日金曜日

劇的

覚悟しておいたような問題も発生せず、
ウィンドウズ「ビスタ」から「7」へのアップグレードは終わった。

時間はかかったけど、
すんなり行ったと自分を褒めてやりたい。

で、
肝心の使い心地がどうかというと、
う~む、
確かにアイコンの表示なんかが少し変わって、
速度も少し速くなったような、、、
っていうぐらいのグレードアップ。

「劇的」進化を期待していたわけではないが、
やや肩透かしの感。

ま、
問題が起きていないことをまずは喜ぶべきかもね。

それより「劇的」といえば、
会社の後輩に教えられて、
ipadにインストールしたゲームがすごい。














「インフィニティブレード」

中世の騎士の戦闘ものなんだけど、
特筆すべきなのが、
このグラフィック。

普通、
このように美しい映像は、
ゲームの幕間に見ることはできるけど、
このゲームでは、
この状態のままゲームが始まるのだ。

ゲームに詳しいわけじゃ全然ないけど、
確かにこの進歩は劇的だ。

そういえば、
世界規模でゲーム業界の売り上げが、
映画を抜いたらしい。

3Dや体感型のゲームがもっと進化して、
もう、
現実との境目がつかなくなる日も近いのかもしれない。

そうなると、
リアルな意味で、
ゲームの中の自分と、
実社会での自分が等価になって、
ゲームでの体験が、
その人の人生を揺るがすほどの重みを持つこともあるかもしれない。

それは、
映画や本を読んで感動するとか、
人生が変わったというレベルじゃなく、
実際に恋人に振られるとか、
会社をクビになるとか、
人格が変わるようなほどという意味で。

それはつまり、
まったく違う二つの人生を生きることができる、
ととらえることもできる。

てなことを考えさせられる、
劇的な進化だった。

●そうそう、昨日は書けなかったけど、渡辺竜王、ついに7連覇。羽生名人の天敵健在なり。

2010年12月16日木曜日

待機

いやぁ、
おはようございます。

只今ウインドウズのアップデート中にて、
やむなく携帯電話で更新します。

もう8割は済んだと思うんだけど、
まだまだ山場もありそうな、、、

全部済んでからでも良かったんだけど、
朝イチでチェックしてくれる、
奇特な読者様もおられますからねo(^-^)o

ということで、
とりあえず御報告まで。

えっ、
そんなんいらんって?

それは失礼しましたぁ(*_*)

追記

6時過ぎて、
ようやく取り敢えずアップグレード完了!

まだコチョコチョいじらないといけないけど、
とりあえず、
すごい安心した。

これで、
ぼくもアップグレードできれば最高なんだけど、、、

んな訳ないか(笑)

とにかく、
ひとつ大仕事が済んで気分は爽快。

でも、
さすがに眠いzzz

2010年12月15日水曜日

逃避

やっと夏休み♪

今ごろ間抜けな夏休み♪

世間は師走で慌ただしいいのに、
ぼくは今月は結構休みがある。

何をしよう?

というか、
オレ、
何をしなければならないのか?

そういう風に考えると、
課題は山ほどあって、
頭の中が収拾不可能。

で、
とりあえずパソコンの手入れをしてやろうと思い立った。

買ってからもうじき丸4年。

そもそも、
パソコンなんて大っ嫌いだったんだけど、
あの時はまさしく衝動買いだったなぁ。

だから買ってはみたものの、
しばらくの間、
ほったらかしにしてた。

でも、
ネットの便利さに気付き、
ブログなんぞ始め、
今ではかなりな必需品だ。

手入れといっても様々だけど、
2010年の目玉として、
ウィンドウズ7にアップグレードすることにした。

悪名高きビスタとお別れだぃ。

実のところ、
PCごと買い替えようかとも思ったのだが、
今年は何かと物入りだったので、
さすがに自重しました。

しかし、
ソフトは入手したものの、
インストールまでにしなければならない「下ごしらえ」が随分ある。

取りかかって数時間たつけど、
まだ下ごしらえの下ごしらえぐらいの段階。

夏休み中に終わるかどうか。

ま、
ちょうどよい暇つぶし。

別名「現実逃避」ともいうが、、、

2010年12月14日火曜日

隣人

今日のNHK「プロフェッショナル」は秀逸だった。

東京・山谷のホスピス「きぼうのいえ」を紹介してた。

ここは、
映画「おとうと」で鶴瓶演じる弟が、
最後を看撮られる場所のモデルになった施設だ。

身寄りがなく、
末期の病気になっているお年寄りがやってくる。

それぞれに過酷な人生を歩み、
ここにたどり着いた。

彼らが自ら言うように、
ここにがなければ、
「野垂れ死んでいた」ような人たちだ。

ひと癖もふた癖もある彼らに、
この施設の職員らは、
「隣人」として接するのだという。

家族ではないけど、
赤の他人でもない。

「隣人」

そして、
ここでは当然のことながら「死」は日常だ。

亡くなった人が横たわるベッドの横にひざまずき、
看護主任が手を合わせて言う。

「お疲れ様でした。しんどい、ちょっと大変な人生を生ききりましたね。大切な時間をどうもありがとうございました」

その目には涙。

うぉー、
映画と同じだぁ、、、

じゃなくて、
映画がそのまま使ったのである。

映画で観た時は、
少し嘘くさく感じたのだが、
本当にこんなことをしている人がいるとは、、、

まったく頭が下がる。

しかし、
この施設、
恒常的に赤字だそうだ。

そりゃそうだ。

「きぼうのいえ」のHPを見ると、
運営資金の多くを寄付に頼っているという。

が、
この放送の直後から、
寄付の申し出が殺到していると、
これもHPに書かれていた。

そんなもんなんだよなぁ。

●ちょっとここでは書きつくせないな。是非とも見ることをおすすめする。20日(月)午前11時からBS2で再放送があるようだ●頭が下がる人って、いろんなところにいるもんですね。

2010年12月13日月曜日

否定

何ものにもおもねないこと。

権力は言うに及ばず、
自分自身にさえも。

そういう態度で行われる創作活動の中には、
鑑賞する人の中に眠る創作精神をかきたてる、
何かが宿るんだと思う。

人の心をかきたてる、
触媒のような何かを、
人は「芸術」と呼ぶのだ。

ここで、
権力におもねないのは、
まぁ簡単というか、
基本と言うか、
そういう人だからこそ創作活動をするのだと思う。

が、
自分自身におもねないというのは、
並大抵ではない。

それはある意味、
今ある自分を全否定するということであり、
一歩間違えれば「死」とすれすれの行為であるからだ。

肉体的にはともかく、
少なくとも精神的には一度己を全否定(=死)して、
そこから再生する覚悟が必要だろう。

そんな一見不可能のようなことが、
出来る人には出来るのであり、
それこそが真の芸術家という人たちだろう。

話しは全く飛ぶけど、
先日テレビで「世界一美しいミイラ」っていうのを紹介していた。


















びっくりしたなぁ。

今日の話題とは何の関係もないけど。

いやいや関係なくもないか。

ここまで美しく保存しても、
所詮生前の彼女と比べれば月とスッポン。

ライブと録音の違いも、
それぐらいある、
ということで、、、

●しかし「ミイラ」っていうのはちょっと語弊があるようで、死蝋っていうのが正確らしい。「しろう」だって●イタリア・シチリア島の教会に安置されているとか。

2010年12月12日日曜日

浪費

「生キムタクに会ってみたかった」なんて、
昨日書いてしまったが、
そんな受け身な態度では、
何も始まらないと思い知らされた。

「デート・ウィズ・ドリュー」(ブライアン・ハーズリンガー監督)。

4年前の映画だけど、
見た人いますかねぇ?

30日間限定
予算はたったの$1,100
憧れのハリウッドスター
“ドリュー・バリモア”と
デート出来るか!?



って映画サイトの宣伝文句だが、
まさにその通りのドキュメントだ。

この主人公(=監督)、
金はないけど友達は多いようで、
みんなと智恵を出し合って、
何とかドリューとの接点を探ろうとする。

知りあいの知りあい作戦や、
ビデオレター作戦など、
あの手この手で挑戦しては次々に失敗するんだけど、
その時は落ち込んでも、
すぐに立ち直る。

実にパワフルだ。

結末を言うようなもんだけど、
映画の最後の方で、
ドリューがこんなことを言う。

夢は誰でも抱くけど、
たとえ一歩でも踏み出す人は少ない。

確かにそうだ。

で、
ふと思った。

ぼくは夢に向かって、
踏み出していると言えるのだろうか?

夢は、、、ある。

きわめて現実的なものだ。

そこに向けて踏み出してもいるつもりだけど、
本当のところどうなんでしょうねぇ?

なんかこの映画みたら、
自分はただの、
夢見る夢男クンみたく思えてきた。

「リスクを冒さないのは、人生の浪費だ」

これもバリモアの言葉だ。

●この映画を教えてくれた方に感謝します●本当に久々のチョコパは美味しかった(笑)

2010年12月11日土曜日

実写

キムタクが11日、
西宮北口に来ると知ったのは、
今日のこと。

しかも情報源は母。

実写版映画「宇宙戦艦ヤマト」の舞台あいさつだという。















当たり前のことながら、
チケットはとっくに売り切れ。

今やプレミア付きで取り引きされているらしい。

しかしまぁ、
西北も出世したものだ。

何といってもキムタクである。

これまでにやって来た、
ベッキーや黒木メイサとは、
次元が違うのである。

ちなみに映画の正式名は、
「SPACE BATTLESHIPヤマト」ね。

「宇宙戦艦」でいいじゃねぇかって思うけど。

子どものころ、
アニメに夢中になったぼくとしては、
見ておくべきなのかもしれないけど、
今のところ予定はなし。

ほぼ間違いなくガッカリしそうだし。

アニメを実写化して成功した作品って、
何かあったっけ?

そうそう、
「21世紀少年」はなかなかだったな。

古代進役にキムタクは、
まぁ悪くないとは思うけどね。

ただ、
生キムタクには、
かなり会ってみたかったなぁ。

●海老蔵を殴った「R」が逮捕された。東京湾の底だと思ってたのに。写真を見た瞬間「小錦の息子?」って思った●

2010年12月10日金曜日

改竄

というわけで、
どこかの検事のように日時を改竄して、
12月10日付を埋めることにする。

あの検事と同じように、
PCならタイムワープすることはいとも容易い。

とはいえ、
一応何がしか意味がある事を書こうと思う。

「ユナイテッド93」(ポール・グリーングラス監督)をDVDで。

9.11テロで墜落した4機の旅客機のうち、
唯一目標に命中しなかったのが、
映画の題名でもある便だった。

この映画は、
残されたデータから、
機内で何が起きたのかを、
できる限り忠実に「再現」している。

テロリストに乗っ取られた機内の乗客は、
携帯電話などで自爆テロがあちこちで起きていることを知り、
体当たりでコックピットを奪還しようとしたのだ!

実際に成功したのかどうかはわからないが、
結果的に機は目標手前で森に墜落、
テロリストの目論見は失敗したわけだ。

しかし、
今でこそ「同時多発テロ」ってくくって考えられるけど、
ハイジャックされた時点では、
いくらワールドトレードセンターに突っ込んだ飛行機があるからといって、
自分の乗った飛行機もまた何かに突っ込むという確信なんて、
なかなか持てるものじゃないだろう。

おとなしくしていれば、
この飛行機だけは助かるのではないかと思うのが普通だ。

ましてや相手はプラスチック爆弾を体に巻きつけ、
変なことしたら爆破するって脅しているのだ。

その相手に体当たりしていく勇気というか、
決断はすごい。

ただし、
重要なのは、
この映画のラストだ。

「米軍が撃墜したのでは?」という疑念を残す形になっている。

もはや米国民の英雄譚としてだけ語り継がれるのだと思うけど、
ひょっとしてウィキリークスあたりが、
何か決定的な証拠を出してくるのではないかと、
ひそかに期待しているのである。

●でもその前に、「アサンジは悪者」のイメージつくりが着々と進んでいるが、、、

2010年12月9日木曜日

意外


















ぼくの部屋で怪しげに光る壺?

ではなくアロマポットである。

アロマオイルを溶かした水が、
超音波で水蒸気になり、
先端からゆらゆら出しながら、
七色に色が変わる。

またぼくの新しい物好きの虫が騒いだ、
のではない。

実はコレ、
母からのクリスマス&バースデープレゼントなのである。

おー、
どうしちゃったのマイ母!

ぼくは半世紀ほど彼女のことを知っているが、
このよーな、
こじゃれた流行りものを買うような人では、
絶対になかったはず。

嬉しいを通り越して、
どっか壊れたのかと心配になる。

それほど意表を突く展開だ。

聞くと、
前々から気にはなっていたらしいが、
先日、
テレビの情報番組で紹介していたそうで、
それで、
これが何物か分かったらしい。

つまり、
ぼくの新しい物病が伝染したということらしい。

そして今ぼくの部屋は、
ラベンダーのほのかな香りに包まれている。

なんとも、
不似合いな、
いや、
良い気分である。

●絶対に73年間で最高にこじゃれた買い物だと思う。

2010年12月8日水曜日

覚書

ある事物が「古びる」というのは、
どういうことなのかって考えさせられる。
何かが「古びて」見えるのは、
あくまでそれを見ている人が、
その存在する時代とか場所においてそう思うことであって、
いずれ別の時代に別の場所の人が見れば、
全然「古びて」ないかもしれない。

いわゆる「古びない」ということは、
普遍的という言われ方をするけれど、
それは人類における共通項ということだろうか?
何度聞いても飽きないとか、
見るたびに新しい発見があるとか、
それってたぶん、
受け取る方が変化しているということの裏返しなのじゃないかとも思う。

もちろん、
何度も見られるためには、
その作品が一定程度の質を持っている必要はあるけれど、
見るたびに発見するものがあるほど、
奥深いものなんて作れるのかなぁ。

やはりそれは見る側が変化している結果なのか。

いや、
あるいは、
作品そのものに人を変化させる何かを宿しているということかもしれない。

それは、
作品の主題とか技法とか、
そういうものを超越した何かで、
それこそが作品の「質」なのだな。

………………………………………………………………………………

でも真の創造って、
やっぱり刹那的なんだろうな。

踊る大捜査線じゃないけど、
「創造は現場で起きている!」

でも、
その刹那に触れた人は、
新たな創造を信じられるし、
そういう人たちのリレーによって、
創造は生み出され続けていくってことなんだろう。
だから、
創造は一回限りの「現場」にしかないのだな。

演劇しかり、
音楽しかり、
文学しかり。

だから映画やレコードや写真など、
再生産可能な作品は、
真の創造それ自体は宿らないのだろうか?

一方、
絵画や彫刻はどうだろう。
画家が絵筆を走らせるその瞬間こそが、
絵画の現場だという言い方もできるだろうが、
作品そのものが現場だと考えれば、
絵画こそ作品と現場が一体であるという、
稀有な芸術だとも言えるのではないか。

●尊敬する人のブログへの感想なので、意味不明だと思うけど、覚書までに●海老蔵、謝罪姿もはさすがに絵になる。千両役者。

2010年12月7日火曜日

夕食

うぉ、
ほとんど書き終えていたのに、
別の用事しているうちに、
パソコンが強制終了してしまったぁ!

書きなおすのは簡単なのだが、
ちょっと、
もうさっきの気分じゃないので、
一から書き直す。

夕方出かけ、
夜、
最寄り駅で母と待ち合わせ、
定食屋で夕飯を食べた。

ささやかなバースデーパーティー。

73歳。

特に喜寿とか米寿とか、
一般的には節目ではないけど、
母にとっては特別な感慨があるはずだ。

ついに父の年齢を超えたのだから。

そう、
父は73歳を待たず、
3年前の12月9日に死んだ。

父が迎えられなかった73歳に、
ついに母が到達したのだ。

女性の方が長寿とはいえ、
母は母なりに感じるところがあるだろう。

互いにヒレカツ定食を食いながら、
そんな話題には一切触れなかったけど。

母には常々「ぼくより先に死ぬな」と言い渡してある。

それぐらいの意気込みで、
これから80歳、
90歳、
100歳と、
長生きしてもらいたいし、
ぼくが願わなくてもそうなると信じる。

2010年12月6日月曜日

幸運

定刻より3時間も遅れて忘年会場に着くと、
すでに宴たけなわで、
ビンゴゲームが行われていた。

ぼくが席に着くと、
親切にもぼくの分もビンゴカードをチェックしてくれている人がいて、
手渡されたそれを見ると何とすでにリーチ状態だった。

まだビンゴの人は出ていないみたいだ。

それから10回もしないうちに、
ぼくはビンゴになってしまった。

あまりにもあっけなく「第一ビンゴ」者となり、
商品をもらった。

たぶん、
これが今年の幸運納めだろう。

その幸運とて、
9割以上はぼくの前の人のだろうけど。

いやいや、
この小さな幸運が呼び水となって、
年末ジャンボどかーんと、
なんて、
考える事が毎年一緒じゃん。

進歩ないな。

●ピアニストの友達が結婚するとメールをもらった。彼女のブログでおおよそ分かってたけど、本当にオメデタイ話だ。幸運あれ!

2010年12月5日日曜日

愛猫

もう死語かもしれないけれど、
ネットサーフィンをしていると、
いろんな人がブログで愛猫を紹介しているのを見るが、
愛犬を紹介しているのは見たことがない。

いや、
絶対にあるはずなのだけど、
少なくともぼくの経験では、
動画でも写真でも、
圧倒的に猫だ。

これは一体どういうことだろう?

第一に考えられるのは、
ぼくが興味を抱く人には猫好きが多いということ。

第二に考えられるのは、
ネットの世界には愛猫家が多いということ。

どちらかと言えば、
第一の原因の方があり得そうだ。

でも第二の方も捨てがたいな。

犬好きの人って、
なんかアウトドアっぽい。

だから、
PCに向き合うより、
どんどん外へ行きそう。

偏見だと思うが。

ちなみに、
ぼくは子どものころから、
犬も猫も飼ったことがあって、
どちらも好きだけど。

でも、
今飼うとするなら、
やっぱ猫かな。

だって、
犬って単純でしょ。

従順と言い換えてもいいけど。

本当は頼り切ってるくせに、
どこか我が道を行く猫の方が、
飼っていて面白そうだ。

そうそう。

ペットといえば思い出した。

昔立ち飲み屋で知り合った、
土木作業のおじさんは星亀を飼ってるって行ってた。

「アメリカは悪だ」が口癖で、
一度も結婚したことのないおじさんは、
亀の話になると相好を崩してたっけ。

一年東京に単身赴任して戻ったら、
孤独死してた。

あっけないものだ。

いや、
孤独死は厳密じゃなかったな。
星亀は見てたはずだ。

たとえ亀とはいえ、
みとってくれたのなら、
おじさん、
少しは寂しくなかったかなぁ。

あの亀はどうしてるんだろう。

●今日はぼくの唯一の忘年会である。早く寝なきゃzzz。

2010年12月4日土曜日

全貌

「アルマゲドン」って映画を御存じだろうか?

こんなストーリーだ。

ある日、
地球に向かってくる彗星が発見されて、
このままだと地球にぶつかってしまう。

そうすれば人類は恐竜のように絶滅してしまう。

そこで人類は彗星を破壊しようと考えるのだが、
地球から原爆を積んだロケットをぶつけるぐらいでは、
どうにもならないことがわかる。

彗星を破壊するには、
彗星に穴を掘って、
中から爆破しなければならない。

で、
宇宙船の乗組員に選ばれたのが、
海底油田の掘削のプロ。

イマドキの話になぞらえれば、
ハヤブサが着陸した小惑星イトカワに、
チリの鉱山で閉じ込められた33人が、
スペースシャトルに乗って行く、
そんな話だ。

で映画の方だが、
彼らは難関を突破して、
ついに爆弾の設置に成功するが、
リモート装置が故障して、
だれかが手動でやらねばならなくなる。

その「だれか」になったのが、
ブルース・ウィリス演じるハリーだ。

最後、
NASAにいる娘と対話する場面、
泣けるんだなぁ、、、

ベタな話に弱くってねぇ、、、

ってなことはどうでもよく、
この映画で印象に残る場面がある。

冒頭、
地球にぶつかる彗星が見つかったと、
NASAの職員が大統領に報告した時、
大統領が何でもっと早く見つけられなかったんだ」
と当然の疑問を投げかけるのだが、
この職員は「今の予算じゃ、宇宙の3%しか監視できません」と答える。


それがすっごく意外だったことを覚えている。

もっとちゃんと観測してんじゃないのかって思ってた。

事実はともあれ、
地球という一点から宇宙全体をくまなく観測するのは、
確かに難しそうだ。

何が言いたいかっていうと、
他人を知るって、
たぶん望遠鏡で宇宙観測するようなものなのかなぁって。

あるいは、
鍵穴から部屋を覗くようなものか。

結局、
人の全貌はわからん。

想像するしかない。

でも、
想像する余地があるからこそ、
愛も含めた人間関係ってものが成り立つのかもしれない、
って思ったりして。

●ちなみに5分でわかるアルマゲドンはこちら→http://www.youtube.com/watch?v=sDltJM1tYWk

2010年12月3日金曜日

初物

2018年のW杯がロシア、
2022年はカタールで開かれることが決まった。

どちらも初開催。

W杯のお偉いさんは「初物」がお好きなようだ。

というか、
南アでも開けたことが、
随分自信になったに違いない。

あそこで出来るなら、
南極ででも大丈夫みたいな(笑)

一方、
「えっ、立候補してたの」っていう人も、
結構いるんじゃないかと思えるぐらい、
地味だった日本。

オーストラリアの次に落選した。

この前の東京五輪と同じで、
開催する意義が乏しいんだよ。

3D中継ってたって、
その技術があれば、
どこで開催されても使えるわけだから。

ところで、
カタールって中東だけど、
W杯的にはアジア枠なので、
日本はこの時点で、
2026年の開催資格も失ったわけだ。

ということは、
日本W杯が開かれるのは、
直近でも2030年ということになる。

20年後。

ぼくアラカン。

そんな先の事は想像しようもない。

そう思う一方、
グズグズしてたらすぐに来そうな(生きてれば)、
そんな気もする。

子どもだった時は、
4年先のオリンピックでも、
気が遠くなる未来だったのに、、、

●渡辺竜王、7連覇王手。あと一息●さすが師走。ぼくなんかでも、ちょっと忙しいような。元町にもしばし行けそうにないなぁ。。。

2010年12月2日木曜日

帰還

ara

doushiteka

ro-majideshika

uchikomiga

dekinakunatta!

komatta

komatta

demo

omoshiroi

yonndekurete

arigatou

korekaramo

koredeikoukana(warai)

ってPC再起動して、
なんとかローマ字の星から帰還しました。

いろいろ細かいトラブルが発生する師走なり。

●でも、ローマ字の星、なかなかよかったなぁ(笑)●ウィキリークスの暴露が大問題になっているが、何といっても北朝鮮が数年以内に韓国と統一されるだろうという、米中が基本認識を持っているという分析は、かなり衝撃的だった。これに比べたら尖閣ビデオの問題など、取るに足らない出来ごとといって過言ではない。これはもう、立派なテロ、というか国家転覆を狙った確信犯である。暴露や漏えいが日常茶飯事になる今の世界は、非常に危険な状態にあるといえる。

2010年12月1日水曜日

大河

1年通して大河ドラマを見たのは、
「龍馬伝」が初めてだ。

1回も欠かさなかった。

つまり、
とっても面白かった、
で終わってもいいのだけれど、
やっぱり一言二言残しておきたくなるのが人情、
というか「オレ流」。

一言、
主役は坂本龍馬=福山雅治だけど、
主演は岩崎弥太郎=香川照之だった。

香川がいたからこそ、
後半失速気味のドラマが、
何とか最終回まで持ったのだと思う。

香川の演ずる岩崎弥太郎の造型は見事で、
他の出演者の演技の方向(テンション)を決定づけるほどだった。

にもかかわらず、
ドラマの失速度は、
目を覆いたくなるほどだった。

終盤なんかは、
それまでの「付き合い」がなければ、
とても見ていられなかった。

龍馬の実人生が盛り上がりを見せるほどに、
ドラマが失速したということは、
たぶん関係がある。

前にも書いたけど、
本来は史実に虚構を加え、
ドラマチックにしたかったはずが、
いつのころからか、
史実に引きずられ、
ついには史実に寄りかかってしまった。

あるいは寄りかからざるを得なかった。

全くの推測なのだが、
近代モノの難しさがこの辺にあるのでは?

つまり、
事実がはっきりしていることが多いが故に、
あるいは解釈が多岐にわたっているが故に、
色々外野の声が入ってきて、
フリーハンドが縛られちゃったみたいな。

視聴者(プラス会社内部)の声が、
糧(かて)ではなく枷(かせ)になってしまったのではあるまいか。

このあたりが、
全部作ってから公開する映画や、
単発ドラマと違うところだろう。

それとも、
大河ドラマって毎回こうなの?

初めて通して見たくらいで、
いっちょ前の事言うなってか、、、

要は、
「奔放」ってのは、
それほどにムツカシイのである。

2010年11月30日火曜日

増長

携帯電話は元町にも自宅にもない。

仕方ない。

近所のドコモショップに連絡すると、
「ケータイ補償お届けサービス」とやらに、
ぼくは加入しているので、
5000円ほどで新品を手に入れられるという。

ラッキー。

ならばすぐにでもと、
前に使っていた携帯を持って(その分だけでもデータを移せると思って)、
ショップに向かう。

すると、
まず警察に盗難届を出してほしいという。

仕方ない。

近くの交番に向かった。

そこで盗難届の受理番号というのを控えて、
再びショップに戻る。

「も、もらって来ました受理番号」

そういうぼくに、
案内の女性がこう言った。

「携帯、ありましたよ」

「は?」

「お客様が交番に行かれた後、確認しましたら、警察からドコモの方にすでに連絡が入っておりました」

「は?」

そんなシステムになってるなんて、
ちっとも知らなかった。

「どこの警察ですか」

「西宮署です」

「は!」

頭の中に「?」が渦巻くが、
とりあえず西宮署に向かった。

署で「かくかくしかじか」説明すると、
おまわりさんは奥へ行き、
しばらくして手に何か持って戻ってきた。

「携帯電話とぉ、煙草とライターも落としませんでした?」

「!」

そ、
そういえばジッポーのライターが、
ここ数日見当たらなかったけど、、、

おまわりさんの手には、
確かに三点セットがそろっていた。

「一体これは、どこで拾われたんですか?」

と尋ねて告げられた場所は、
もろ、
自転車通勤の経路。

なんでそんなところに携帯と煙草とライターを落とすの?

受け取ったあとも、
しばらく考えて、
ようやく思い出した。

あの日朝、
自転車で駅に向かってたら、
道路工事の現場があって、
5センチぐらいの路上の段差にタイヤをとられ、
転びそうになったっけ。

「なんじゃこりゃ、危ないなぁ」と思いながら、
先を急いだあの時の衝撃で、
前カゴのバックから三点セットが飛び出したのだ。

それ以外考えられない。

ひょっとしたら、
後ろの人が声でもかけてくれたのかもしれないけど、
ぼくは音楽で聞こえなかった(のかもしれない)。

「いやはや」というべきか、
「やれやれ」というべきか、、、

携帯は落下の衝撃か、
少し傷ついていたけど、
そんなの問題じゃない。

帰宅してすぐ、
「ケータイデータお預かりサービス」に加入し、
携帯の「位置情報提供」をONにした。

泊まり明けでヘロヘロなところ、
予想外の展開で走りまくり、
しばし放心状態。

少し落ち着いて考えた。

こうやって人生がぼくを甘やかすと、
自分自身が増長しそうでコワイ、、、

●拾って下さった方はもとより、その他関係各位、ご心配をおかけしました。他山の石として、自衛してください●龍馬伝最終回ようやく見れた。かなり期待していた分、かなり落胆した。その件はまたいずれ。

2010年11月29日月曜日

紛失

いつのまにか無くなって、
そのうち出てくるわと高をくくっていたら、
一向に見つからず、
仕方なくスペアを作った自転車のカギ。

これで一安心と思った途端、
本当にその途端、
発見した。

それもぼくの部屋で。

脱いだジーンズを置いておく椅子があって、
先日それを何気に見ていたら、
椅子の背もたれと座面のところにポロン。

座布団が目隠しになっていたので分からなかったのだが、
その日はたまたまいつもとは違う角度から椅子を眺めて、
それで気づいた。

本当に笑っちゃうぐらいに、
シラーッとそこにあった。

紛失して数ヶ月になるのに、
何で気づかなかったのだろう。

でも、
それはそれで「探し物ってこんなもんだ」なんて思っていたら、
今度は携帯電話が行方不明になった。

昨日、
バックからいつの間にかなくなっているのに気づいて、
あぁどうせ会社に忘れたのだろうと思って、
今日出社しても、
どこにも見当たらず、
警備への届出もない。

携帯に電話してみると、
応答はあるんだけど、、、

docomoのホームページから、
携帯電話の居場所を探れることに気づいて、
やってみたのだが、
携帯の方の設定をしていないために使えず。

ゲゲゲッ!

こうなると土曜日の行動を洗い直してみる必要がある。
えーっと、
元町に行って、
健康診断受けて、
仕事して、、、

となると元町か?

お気づきの方、
連絡ください。

といっても、
携帯ありませんが。

こんな感じで、
ぼくはあんまり焦っていない。

でも自転車のカギの一件もある。

もう少し焦って、
真剣に探したほうがいいのかもしれない。

●と書きながら、面倒くさいなぁ、もう新しいのに変えようかななんて、思ってたりなんかして。

2010年11月28日日曜日

健診

会社の健康診断を受けた。

週初めからやっていたのだけど、
何だか面倒くさくてズルズルしているうちに、
最終日になってしまった。

我が社は年2回と決まっているので、
これで40回以上目になる。

夕方会場に到着する。

広い会議室にブースがいくつか設けられていて、
順番に回っていけば終了だ。

しかし何ですな、
健康診断もどんどん機械化されていくのに驚く。

身長体重はもちろん、
視力や聴力、
心電図に血圧、
レントゲン、、、

前回までは尿検査は当日会場のトイレで、
「現地調達」だったのが、
今回からは事前に容器を渡された。

問診票もバーコード化されて、
学校のテストみたいにいろんな項目ごとに、
升目に「1」とか「2」とか記入するだけ。

一応、
医師の診察もあるのだけれど、
今回からは胸の呼吸音を聞くだけになった。

前回までは背中にも聴診器を当てたけどな。

ほかに「手作業」といえるのは採血だけ。

注射針が腕に刺さって、
ぼくの血液が注射器に吸いこまれていく時でけが、
唯一人間らしく感じがして、
じっと見つめてた。

●砂浜に映った二人の影を撮った写真を見せてもらった。二人が一体何をしているのかが気になった。

2010年11月27日土曜日

対応

にしても、
海老蔵やってくれました。

結婚を機に回心したかに見せかけ、
返す刀で大立ち回りである。












先日のプロフェッショナル見たけど、
菜食主義になって、
酒も控えめになったんだと思ってたぼくは、
まんまと一杯食ったわけだ。

団十郎は「息子を叱った」というが、
手を見ただけで、
「息子は殴ってない」って信じているとすれば、
充分な親ばかぶりだ。

対応が一番まともなのは新妻。

血まみれになって帰宅した旦那を見て、
とりあえず実家に相談するとか、
119番するとかしないで、
即110番通報だもの。

さすが現役アナだと感心した。
こういう時、
隠しだては絶対によくないと、
彼女は知っているのだ。

まぁ実際はただ怖かったんだろうけど。

でも即110番って、
梨園の常識と一致してるかな?

成田屋の方では、
「何でうちに先に連絡してくれなかったの」なんて、
変な具合になってないか、
ちょっとだけ気がかりだ。

ぼくが気にしても仕方ないけど。

結婚当初のボタンの掛け違いって、
あとあと尾を引くって聞くけど。

しかしなんで世間は、
梨園にはこうも寛大なのかね。

海老蔵のCM降板なんて話には全然ならない。

同じ泥酔でも、
一人公園で全裸になった草薙君の方が、
よっぽど可愛らしいと思うのだが、、、

今回の事件で初めて知ったのだが、
海老蔵には隠し子がいたんだそうな。

問題児は何かある度に、
昔のことを蒸し返される。

これは有名無名には関係のないことだ。

事の顛末はこれからはっきりしてくるのだろうが、
すでに明白なのは、
海老蔵は、
結婚してもやっぱり海老蔵だったという、
至極当たり前の事だった。

あと、
海老蔵を殴ったヤツ。

無事なんだろうか。

そっちもちょっと心配である。

●ぼくも血まみれになって寝てたこと、あったなぁ●竜王戦第3戦。羽生名人が勝って2勝2敗に●長谷川2階級制覇。素晴らしい。本当はこっちを話題にするべきだった?

2010年11月26日金曜日

入院

小学校2年生の時、
やっかいな病気になって、
須磨の高台にある病院に4ヶ月間入院した。

「こども病院」っていう名前の通り、
入院患者は子どもばかり。

一部屋四つのベッドがあって、
ぼくは(たぶん)南西の角だった。

完全看護で、
親との面会は週に2回。

そのベッドはぼくだけの「城」だった。

枕元にラジオをセットして、
ベッドのパイプにイヤホンのコードを巻きつけて、
横になるとちょうど左耳のところにイヤホンの先端がくるように、
場所を調節した。

足元には背もたれの角度を調節できるハンドルがついていて、
ぼくはそれを使ってほんの少し、
たぶん三度ぐらい傾けて寝るのが好きだった。

毛布とシーツをピンと張って、
ちょうどホテルのベッドのように、
マットレスの下に織り込んで、
そのままの状態で隙間に体を滑りこませて、
圧迫感を感じながら寝るのが好きだった。

ナースステーションは「遊び場」。
カルテを空気圧で送る「エアシューター」が好きだった。

カルテを入れたカプセルに、
ダイヤルをカチカチ回して行き先をセットし、
ボタンを押すとシューターの奥の方から、
空気がシューってやってくるのが聞こえて、
タイミングを見計らってパイプにカプセルを投げ入れると、
シュッと吸いこまれていった。

悪戯が大好きで、
車いすに入院している別の子どもを載せて、
病棟中を駆け回り、
看護婦さんに怒られた。

罰として、
注射をされた。

子ども心に、
一体何の注射だと思ってアンプルを見ると、
「蒸留水」と書かれていた、、、

いやいや、
長々と。

SIONの「12号室」(http://www.youtube.com/watch?v=XthvTgblizU)を聞いてたら、
思い出しちゃってね。

彼女と話したその日から ほんの少しづつだけど
誰かの問いに答えたり 誰かに話しかけれるようになった
何人かの友達もできて やっとそこの暮らしに
やっとそこの暮らしに慣れてきた 3か月目の朝突然言われた
ここにいても君の場合はなんにもならない 君も家に帰りたいだろう

みんなとは違うと言われ ここに入ってきて
そして やっとやっとここに慣れたのに ここも違うらしい
4時間電車に乗って 元いた教室に戻った
懐かしいはずのクラスの顔、顔 みんなよその国の人に見えた
今日からまた仲間ですと 先生は俺を紹介した

なんか気持ち、
わかるんだよなぁ。。。

●しかし、たとえ蒸留水とはいえ、今だったら大問題になるだろう。もちろん、看護婦さんは大問題ではなく、そういう世の中が大問題なのであるが。

2010年11月25日木曜日

尊敬

今日は一日、
「通報されるくらいに」をipodでリピートしていた。

はまりました。

しゃがれた声で紡ぎだされる言葉が、
とっても心にしみる。

こういうのを声の説得力っていうんだろう。

詞を何度も読み返して思うのは、
「慌てる」と「急ぐ」って違うんだなってことだ。

「慌てずに急ぐ」って、
矛盾してるようで全然矛盾してない。

そういえば、
大好きな作家開高健の言葉に、
「悠々と急げ」ってのがあった。

まさしくそういうことだよなぁ。

ところで、
SIONってシンガー、
全然知らなかった。

ぼくより年上で、
福山雅治が「リスペクト」してるんだそうな。

ついでに言えば、
龍馬伝最終回で、
龍馬を襲う3人のうち一人が彼だという。

ぼくも彼をリスペクトして、
あらてめて歌詞を全文転載しよう。

通報されるくらいに
あわてんなよ 雨があがったからって いきなり晴れるわけないさ
俺はまだ やっと今 始まったばかりだろ
早くはない 遅くはない 始めたら始まりさ
何度でも 何度目でも 始めたら始まりさ

褒められたくて 気にして欲しくて わかって欲しいことが
見返したくて カッコつけたいことが 全部力をくれる
同じ景色に 蹴躓いて また無様にコケたとしても
笑われても 相手にされなくても それがどうした

ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ

時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ
時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ

枕元を 警笛を鳴らして 急行電車が走り抜ける
向かいのビルは 今日も工事中 悪くない朝だ
足元では 5つになる猫が すっとんきょうな顔して寝てる
もうしばらく こうしていたいけど やることがあるんだ

ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ

時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ
時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ

もれなく当たる 臆病風は 何とでも言って叩き返してしまえ
カラくじでいい 当ててくれなくても 俺が当たるから

ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ
ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ

あわてんなよ 雨があがったからって いきなり晴れるわけもないさ
俺はまだ やっと今 始まったばかりだろ
早くはない 遅くはない 始めたら始まりさ
何度でも 何度目でも 始めたら始まりさ

ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ
ほら 通報されるくらいに ぶっとばすぜ

時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ
時間がまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ
時間がまだあるからって 
●すんごいついでに、SIONは山口県豊北町の出身。

2010年11月24日水曜日

激励

今年も「冬」を実感できる気候になってきた。

フィギュアスケートの季節である。

といっても、
もうとっくにシーズンは始まっているのだけど。

女子は村上佳菜子がキュートな笑顔で話題を一人占めしている。

それに反比例するように、
浅田真央は調子が最悪で、
はや限界説まで出ているようで、
つくづく残酷な世界だよなぁと思う。

まだ20歳だぜ。

とはいえ、
あれだけジャンプが跳べないんじゃ、
そういう声が出ても仕方がないかも。

彼女、
今シーズンからコーチを変えたんだったな。

新しいコーチがどうこう言う気はさらさらないけど、
今となっては懐かしいタラソワコーチ。

彼女ですごい印象的なのは、
同じく彼女がコーチを務めた荒川静香が語ったエピソードだ。

練習中の荒川に、
タラソワは何度も「マーキシマム」って叫んだそうだ。









荒川にしてみれば、
目いっぱいやっているつもりなわけで、
それでも「もっと」って叫ばれて、
その時は意味がわからなかった、
みたいな内容だった。

練習以上のものが本番でできる、
「火事場の馬鹿力」的なものって、
確かにあるかもしれないけど、
そんなんじゃ駄目なんだな。

練習で出来ないものは、
本番では絶対出来ない。

そんなことは荒川だって百も承知だったはずだけど、
その荒川に「マーキシマム」ってタラソワが叫び続けた、
その心は、
タラソワには見えていたということだ。

あなたはそんなものじゃない。

頑張らせるためのはったりなんかじゃなく、
経験に裏打ちされた確実な「像」として、
タラソワの頭には荒川の潜在能力が見えていた、
そう考えるべきだろう。

タラソワの「マーキシマム」を、
ぼくはぼく自身に言う。

おれはこんなもんじゃない。

おれはこのままでは死ねない。

てなことを書いていたら、
素敵な曲がラジオから流れてきた(http://www.youtube.com/watch?v=pSk10VW8Mpw)。

慌てんなよ 雨が上がったからって いきなり晴れるわけもないさ
俺はまだ やっと今 始まったばかりだろ
早くはない 遅くはない 始めたら始まりさ 
何度でも 何度目でも 始めたら始まりさ 



ナイス♪

2010年11月23日火曜日

補正

ここ数年お世話になっている物の中で、
こいつはたぶん5本の指に入ると思う。










ZOOM社の「H2」というレコーダーだ。

セッションの時や練習で、
いつも使っている。

こいつ、
本体はプラスチックで出来ていて、
先端のマイク部分も、
本物のマイクのような金属のメッシュで覆われていて、
一見オモチャちっく。

にもかかわらず、
CD以上の音質で録音できる上、
全く丈夫なヤツで、
少々落としたぐらいではびくともしない。

実に「当たり」だった。

それはそうと、
自分の声を初めて聞いた記憶って、
若い人はあんまりない、
というか生まれた時から家庭用ビデオがある時代だから、
記憶にないだろうけど、
ぼくぐらいの年齢だと、
子どものころにようやく、
オープンリールのテープレコーダーが普及したころなので、
鮮明に覚えている人が多いのではなかろうか?

自分のイメージとあんまり違うので、
大抵の人は驚いたことと思う。

ぼくもそうだった。

でも今は録音された声を聞いても、
違和感がない。

これって、
イメージと現実との間のズレを補正する回路が、
頭の中にできたということなのだろうか、、、

昔々、
録音機なんかがないころの名歌手たちは、
自分の本当の声を知らぬままだったのだろうか?

一方ぼくは、
容姿に関しては依然として全く補正ができてない。
ヨドバシなんか歩いていると、
ビデオカメラに映った自分の姿が、
いきなり50型ぐらいのモニターに映し出されていたりして、
そういう時はギョッとする。

だれだこのおっさんは、、、

まるで醜い物から目をそむけるように、
今見たものが現実ではないことを祈るように、
足早にカメラの視界から立ち去る。

美容院や洋服の試着に気が進まないのも、
たぶんそのせいだろう。

「撮られ慣れ」してる若い人には、
考えられないことかもね。

●柳田法務大臣更迭。世論と永田町の声の補正が遅すぎた。

2010年11月22日月曜日

寿司

「法務大臣っていうのはいいですね。2つ覚えておけばいいんですから。『個別事案についてはお答えを差し控えます』あとは『「法と証拠に基づき適切にやっております』。この2つなんです。まぁ何回使ったことか」


http://www.youtube.com/watch?v=iiGuf5vNVb8

柳田法務大臣の「国会軽視発言」。


彼が辞めるか否かはとりあえず置いておいて、
ぼくは彼の経歴にとても興味を抱いた。


東大に一度入学するものの、
手に職をつけたいと退学し、
なんと寿司職人になったというのだ。


その後東大に再入学して、
民間会社に就職するのだけれど、
相当なチャレンジャーであることは確かだ。


ぼくなんかこの経歴知った途端、
彼の味方になっちゃたもん。


冒頭の発言だって、
実際のところ彼の言う通りなんだろう。


でもいくら元寿司職人でも、
本来、
苦し紛れのときに使う「答弁」を、
「ネタ」にしちゃったセンスは悪過ぎた。


こうなった以上、
彼は辞めざるを得ないと思うのだが、
それより問題なのは、
今後、
彼がネタにしちゃった二つの答弁が、
実質上使えなくなったことではないか?


ぼくらの仕事でもそうなのだが、
とりあえず何とかなる「逃げの手」というのは重宝だ。


むろん、
それ以上の「手」があればいいけれど、
時間もなくてどうしようもないとき、
頼れる逃げの一手が頭にあるのとないのとでは、
精神的に随分違う。


これからの法相は、
マグロとサーモンなしで寿司を作らなきゃならないわけだ。

2010年11月21日日曜日

優勝

ジュネーブ国際音楽コンクールで、
日本人ピアニストが初優勝したというニュースが、
大きく報じられた。

この萩原麻未さんという女性、
報道されるところによると、
逸話に事欠かないようだ。

なんせ恩師自ら、

「野性児、不思議ちゃん」

と言うぐらいなのだから。

確かぼくが見たNHKニュースでも、
この恩師は「ピアノだけはきっちりしてる」って、
「だけ」のところをやけに強調してたっけ。

マスコミの取材に、
これだけ断言するということは、
よっぽど変わった人、
いわゆる「天然」な人なのだろう。

日本人ピアニストは世界中で活躍しているけど、
正確に弾きすぎて「ロボットみたい」と揶揄する声もあるやに聞く。

そういう中で、
彼女のような「規格外」もいるのだということが、
一番のニュースかもしれないナ。

演奏している映像を見たけど、
時に椅子から腰を浮かし、
鍵盤に顔をすりつけんばかりにして弾く姿は、
どこかジャズピアニストの上原ひろみを連想した。

この「不思議ちゃん」、
NHKの取材に、
「コンクールで自分の未熟さに気づいたので、また勉強したい」
って答えている。

そう、
このコンクールは若手の登竜門。

「今後に期待」って言葉、
こういう人に対してこそ使いたい。

2010年11月20日土曜日

足跡

「365歩のマーチ」など作詞した、
星野哲郎氏が先日亡くなり、
きょう告別式があった。

幸せは歩いてこない
だから歩いてゆくんだね
一日一歩三日で三歩 
三歩進んで二歩さがる
人生はワン・ツー・パンチ 
汗かきべそかき歩こうよ
あなたのつけた足跡にゃ 
きれいな花が咲くでしょう


素晴らしい。

ちなみに氏の本名は有近哲郎という。
「星野」はペンネームである。

なぜこんなことを書くかというと、
さっき探偵ナイトスクープを見ていたら、
定年退職後に作詞を習い始めたという、
元教師の人が出ていて、
その人のペンネームが、

「五川実」

と書いて「いつかわみのる」っていうので、
大笑いしたからなのだ。

いいねぇ。

字面だけ見てたら、
作詞家らしいというか、
いかにももっともな名前に感じるところが、
ベリーナイス。

3歩進んで2歩下がり、
それでもいつかは実る、
歩きつづければ、
きっといつかは実る。

ぼくの足跡には、
どんな花が咲くんでしょうねぇ。

●ペンギンさんの誕生日にささやかな贈り物をしておいたのだが、それが思いのほかサプライズであったようで、心底喜んでくれた。ぼくも嬉しかった。

2010年11月19日金曜日

武力

母とカラスの攻防は、
ついにカラス側の「武力行使」という事態に発展した。

母によると、
今朝、
「ドスン」という音がして外に出てみると、
駐車場のそばに、
赤ん坊の拳大の石が落ちていたという。

母が見せてくれたその石は、
赤茶けていて、
わが家の目の前を通る阪急電車の敷石であることは、
一目瞭然だった。

「カラスがくわえて駐車場の屋根に落としよった」

石を握りしめ、
悔しがる母。

確かに、
石には傷もなく、
電車がはね飛ばしたような形跡はない。

子どもの悪戯とも考えにくい。

カラスの仕業と考える母の推理も、
うなずけるのである。

執拗に追い払う母に対する嫌がらせ?

あるいは、
単にからかわれているだけか。

いずれにせよ、
もし頭の上からこの石が落ちてきて当たったら、
怪我では済まないかもしれない、、、

この緊迫の事態に、
まもなく73歳の母、
さぁどうする?

●石の写真を撮っておかなかったのが悔やまれる●法相の「答弁二つでいい」発言。官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言。どちらも本当のことなのにね(笑)

2010年11月18日木曜日

宝物

うちの部署に来たばかりの若い人が、
仕事を覚えるのに悪戦苦闘している。

ぼくと、
その若い人とのやり取りである。

「今日もいろいろ覚えなきゃならない事があったなぁ」

「はぁ」

「毎日掘ればザクザク宝物が出てくるみたいで楽しいやろ」

「はぁ」

「掘っても掘っても何にも出てこなくなったら辛いで」

「はぁ」

こんな会話をしながら(会話になってないが)、
「そうだな」と我ながら自分に感心した。

新しく覚えなければならないことや、
解決しなきゃならない課題や、
そういう物事を、
自分を苦しめる「厄介」ととらえるか、
自分を楽しませてくれる「宝物」ととらえるか。

たったそれだけのイメージの持ちようだけで、
鬱陶しい仕事やクリアできない課題も、
楽しい「宝探し」になる。

人生の出来事のたぶん9割は、
考え方次第ではなかろうか?

本当は鉛でも、
その人が「金」だと思えば「金」なんだ。

苦しいことや辛いことも、
楽しいと思うのは、
流行りの言葉で言えば「精神衛生的エコ」だ。

そういえばぼくは二度寝が大好きなのだが、
その時布団の中で、
「あぁ今おれって地球で一番幸せ」って心で唱える。

そうすれば、
同じ二度寝でも、
うんと心地よく感じられるのだ。

自分の中の、
秘かな宝探しに。

●ちなみに、若い人の「はぁ」は3つともニュアンスが違います。その辺も御想像下さい。

2010年11月17日水曜日

杞憂

先日テレビで、
「ジェイソンvsフレディ」って映画をやってた。

ホラー映画ってあんまり得意分野じゃないけど、
こういうの好きな人って、
きっとまともに怖がって見てるんじゃないと思う。

子どもだったら泣きだしそうな映像を、
大人なら「楽しめ」ちゃうのは、
「こんなことは映画の中だけ」って知っているからに違いない。

ところで。

裁判員裁判で初の「死刑」判決が出された。

2人を殺害し、
そのうち一人は生きたまま電動のこぎりで首を切断するという残忍さ。

初犯でなおかつ改悛の情が見えるものの、
極刑致し方なしとなったという。

ぼくは死刑反対の立場なので、
当然のことながらこの判決にも反対なんだけれど、
裁判員が悩みぬいた結論であろうことは理解できる。

自分たちの出した判決で、
人が一人殺される。

この重荷を彼ら裁判員は一生負わねばならないのだ。
裁判官が被告に控訴を勧めたというのも、
裁判員の重荷を少しでも軽くしようとしてのものだったと思われる。

ぼくが死刑に反対なのは、
あらためて書くけれど、
人が自由にできる命は自分のものだけだ、
という考え方による。

だからたとえ何人の合議であろうと、
0×0=0であるように、
人が他人を殺すことはあってはならない。

しかし、
ぼくの立場だと、
被告を精神的苦痛にさらし、
自殺に追い込む行為は許されることになる。

それはかえって非人間的なのかもしれない。

そう、
「死刑反対」っていうと、
すぐに「人道的」と思われがちだけど、
あながちそうでもない、
ということだ。

再び、
ところで。

この判決のニュースを見た母が、
ぼくに真顔でこう言う。

「あんた、夜、出かける時はちゃんと鍵かてな」

「は?」

「電動のこぎりで首切られるやなんて、、、怖い」

鍵は注意しますけど、
あなたはそんな心配はしなくていいような、
そんな気もするんですけど、、、

どうでしょう?

●NHK「スタパ」に脚本家の大石静が出ていた。とっても「潔い」人だということを知った。「これ見て人生の得をした」って思うほど、最近出色のスタパだった。

2010年11月16日火曜日

解決

去年まで自由に受けられた会社のインフルエンザ予防接種が、
何と今年から予約制になり、
面倒くさいなぁとグズグズしていたら、
もう11月も半ばじゃないか。

今日たまたま時間があったので、
医務室に電話してみると、
「ちょうど一人分空いているからすぐ来てください」と、
ラッキーな返事。

これで今年も大丈夫!

んで、
帰宅の途について自転車置き場に行くと、
後輪の空気が完全に抜けている(泣)。

馴染みの自転車屋に持っていくと、
明らかにパンクしていて、
「もう寿命だからタイヤとチューブを一緒に交換した方がいい」とのこと。

見ると確かに随分すりへって溝もなくなっている。
言われるままに交換を終える。

そこでたまたま、
自転車の鍵のスペアを注文できることを知る。

計3本あった鍵が、
いつの間にか紛失して、
今最後の1本で鍵ごとかえるしかないと思っていたのだ。

安上がりで済むことになり、
大ラッキー(笑)

些細な事ながら、
いくつかの予期せぬことが判明し、
それがまた歯車がかみ合うように解決して、
とてもハッピーな気持ち。

こんな日は年に1度ぐらいじゃなかろうか?

で、
家に帰って相撲中継を見ていると、
まさかの白鵬連勝ストップ!

心技体のうち、
「心」に一番自身があるそうなのに、
なんであんな感情的な相撲とっちゃったんだろう?

白鵬自身「スキがあった」って言ってたけど、
見ているぼくにも「絶対勝つ」って、
スキだらけだったような気もする。

いい教訓だ。

ハッピーに浮かれることなく、
風邪で寝込まない記録の更新を続けようっと♪

2010年11月15日月曜日

到来

itunesで映画のレンタルが始まった。

「新し物好き」として、
これは見逃せない。

早速試してみた。

始まったばかりでラインアップは少ないものの、
これまで、
DVDレンタルしてた映画が、
音楽をダウンロードする感覚で見られるなんて、
しかも、
ipadで持ち運び自由だなんて、
ちょっと夢のよう。

記念すべき最初に借りたのはこれ(↓)














山田洋次監督の「おとうと」。

吉永小百合と笑福亭鶴瓶の競演だ。

映画館で見たかったのだけど、
何となく見逃していた。

吉永小百合は、
若くして夫を亡くし、
女手ひとつで娘を育て上げるという、
優等生役。

一方、
鶴瓶演じるおとうとは、
出来損ないのアル中。

吉永小百合の娘(蒼井優)、
つまり「めい」の結婚式に出て酒を飲み、
披露宴を滅茶苦茶にしちゃうという出だしである。

いやぁ、
冷や汗ものの展開、、、

時代の最新をいくipadで、
最初に観るには不似合いかもしれないけど、
「ぼく的」には、
非常にタイムリーというか、
象徴的というか、
我ながら出来過ぎ。。。

それはともかく、
ipadでの初視聴、
画質はきれいし、
これは使えると思う。

ただ、
ダウンロードに時間がかかりすぎ。

4ギガの映画一本で、
4時間ぐらいだろうか。

とても気軽にダウンロードして、
というわけにはいかない。
前の晩ぐらいからの準備が必要だ。

ただ何よりも、
「貸し出し中」がないというメリットは大きい。

映画もDLする時代。
それがついにやってきた感がある。

●一生忘れないと思う●ペンギンさん、ハッピーバースデー!

2010年11月14日日曜日

対談

「響きあう脳と身体」で、
古武術家の甲野善紀氏は、
武術というものを言葉で教えることのナンセンスさを、
繰り返し繰り返し述べる。

たとえば昔の武術書に、

「雲にしるしのごとく」
あるいは、
「剣去りて舷を刻むに似たり」
という言葉があるそうだ。

前者は、
流れゆ雲に印をつけることで、
後者は、
動く船から剣を落とした時、
「ここで落とした」と、
船べりを刻んで印をつけることなんだとか。

要するに、
武術を言葉で説明するのは、
それと同じほど馬鹿げているということらしい。

なるほどな譬えだ。

とはいえ、
そういう武術書があるぐらいだから、
人は昔からやはり、
何かを知りたいから、
手っ取り早く言葉で説明して欲しいわけである。

だから、
昔の武術家も嫌々ながら、
そういう「入門書」みたいなものを書いたのだろうが、
そのうちに、
言葉で説明できないものは「非科学的」みたい冷遇される、
本末転倒のような状況が起きてくる。

その流れの端に現代がある。

武術に限らず、
言葉で説明できることなど、
森羅万象のほんの一粒の砂程度である。

そういう言葉の限界をわきまえないと、
逆に危険でさえある。

ところで最近気付いたのだが、
ぼくは対談本が好きだ。

できるだけ編集なしの、
「えー」とか、
「だから、あのぉ」とか、
そういうところまできっちり拾った、
取材テープの書き起こしみたいなのがいい。

話者の息遣いまで伝わるような。

それとは反対に、
ぼくは翻訳本が苦手だ。

作者の息遣い(筆遣い)が感じられないからだと思う。

といっても、
原語で読めないんだから、
ぼくの責任なのだけど、、、

●高校時代の同級生のピアニストが、来春からイタリアに渡るそうだ。かなり驚き、とてもさみしく、ひどくうらやましい。

2010年11月13日土曜日

本題

尖閣ビデオ流出について、
相変わらず報道合戦が続いている。

非常に皮肉だと思うのは、
「○○であることが捜査関係者への取材で明らかになりました」って類の報道。

これって、
その捜査関係者もまた、
守秘義務違反を犯しているということなのだから。

だから、
件の海上保安官を逮捕するなら、
捜査情報をマスコミにリークした奴らも、
全員逮捕しなければならなくなる。

不毛だ。

以上は本日の余談。

夜帰宅すると、
母がテレビを見ていて、
いきなり「渡辺陽一」と画面を指差す。

流行りの戦場カメラマンだ。

驚いた。

名前を間違えずに言えたことに。

こういうケースで、
母はほぼ100%の確率で、
「わたなべそういち」とか、
「わたなべこういち」とか、
微妙に一文字だけ間違えるのだ。

ゆーっくーりーとー話すー彼のことー、
母はー好感をー抱いたよーですー(笑)。

ところで、
先日元町を徘徊した時、
海文堂にも久し振りに立ち寄り、
文庫本を一冊買った。

















「響き合う脳と身体」(新潮文庫)。

古武術家の甲野善紀氏と、
脳科学者の茂木健一郎氏の対談本だ。

これがめちゃくちゃ面白い。

「型」についての甲野氏の発言。

何でも言葉で整理できるレベルでマニュアル化して教えてしまうと、どうしてもマニュアルで説明せきるようなレベルまでしか技術は高まらないんじゃないでしょうか。最初はぎこちなかったけどスムーズにやれるようになった、という次元での成長はあっても、その殻を破って、質的に違う世界に成長することはできない。

その後でこう言いきる。

小さな成功を完全に否定しないと見えてこない世界がある。  

ほんの一部分だけど、
ここだけでも十分に価値はある。

400円。

以上が本代、
いや本題。  

●もちろん、ここだけ読んだんじゃわかんないだろうから、興味があったら、本を読んでみてくださいネ。







2010年11月12日金曜日

初心

AKB48の新曲「Biginner」の売り上げが、
100万枚突破したという。

秋川雅史「千の風になって」以来3年2カ月ぶりの快挙なんだとか。

「ミリオン」連発だった時代は、
すっかり過去の出来事らしい。

にしても、
AKB48って、
いつの間にかビッグになったよなぁ、、、

あんまり見たことないけど。

ところで今日の話題は、
同じ「Biginner」でも、
スピッツの方。

最近ずーっと聞いているアルバム「とげまる」の、
冒頭を飾るこの曲は、
先日のNHK「SONGS」に出てた彼らの弁によると、
「いつまでも初心を忘れないように」との思いを込めたという。

ビギナー(詞、曲 草野正宗)


未来からの 無邪気なメッセージ 少なくなったなあ
あいまいじゃない 優しさも 記憶に遠く


だけど追いかける 君に届くまで
慣れないフォームで走りつづけるよ
霞む視界に目を凝らせ


存在さえも 忘れられて 夕闇みたいな
暗い街に 火をともす ロウソクがあったよ


だから追いかける 君に届くまで
ビギナーのまま 動きつづけるよ
冷たい風を吸いこんで今日も


同じこと叫ぶ 理想家の覚悟
つまずいた後のすり傷の痛み
懲りずに憧れ 練り上げた嘘が
いつかは形を持つと信じている


幼い頃の魔法 心で唱えたら
安らげることもあるけど


だけど追いかける 君に届くまで
慣れないフォームで走りつづけるよ
霞む視界に目を凝らせ

そうだ、
30歳は30代の初心者で、
40歳になったらまた40代の初心者。
そうやって、
ずっと人はそれぞれの年代で、
人生の初心者であり続ける。

そこんとこ間違えないようにしないとね。

「練り上げた嘘」はいただけないけど、
「嘘からでたまこと」とも言うし。

40代が「不惑」というのも、
ぼくが「歌手」だというのも、
「練り上げた嘘」みたいなもんだ(笑)

●ところで、年内でアーティスト活動停止する宇多田ヒカルが自分のPV26曲をYouTubeで公開してる。作成者はhikki。こちらは流出じゃないですよ●ひっさしぶりに元町を徘徊。jamjam、やっぱいい感じ♪

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...