2009年12月31日木曜日

嗜好

会社で後輩に、
「アバター見てんけど」と話しかけると、
「わたしも昨日見たんです」と返事。

「あの眼鏡がちょっと鬱陶しいなぁ」と言ったら、
「スリーディーで見たんですか」と言われた。


「スリーディーでって、ほんなら君は」

「じゃないやつです」

「!」


まぁ人それぞれ好みはありますが、
あの映画を2Dで見ようと思う人がいるとは。

意外過ぎて言葉が続かなかった。


今日一日かけて年賀状を作って、
ようやく今、
プリンターが1年ぶりに働いている。

元日につかない人はごめんなさい。

どの写真にしようか、
文言はどうしようか。

あれこれ考えるだけで一日の大半を費やし、
実際に作業に取り掛かったのは、
すでに日付が変わってからだった。


いくら考えても、
下手の考え。
切羽詰まらぬと動かぬ癖は変わりそうにない。

気に入ってもらえるか否かは、
その人の好み次第だ。

とりあえず自分で納得ができればよしとしよう。


というわけで本年最後のブログと相成りました。

来年も、
いや明日からも、
毎日更新でいきますよ。

よろしくお付き合いください。

2009年12月30日水曜日

極道

会社近くのドトールに入った。

ここんとこご無沙汰だった。

何も考えず奥の席に座ると、
隣に陣取ったおっさん4人の会話が耳に入ってきた。

「組長」
「親分」

マジかよ。

生ゴクセンじゃんか。


開いた本の内容は頭に入らず、
おっさんたちの会話が気になって仕方ない。

ぼくの右手のすぐ先に、
おっさんの黒いセカンドポーチがあった。

中に拳銃入ってたら。。。

勝手な妄想が頭を巡る。


でも、
話を聞いていると、
どうやら本物のヤクザというより、
テキヤ関係の様子。


年末年始の店の縄張りについてもめている、
いや、
話しあっているようだ。

あーだこーだ。

声はデカイし、
携帯は鳴るし、
賑やかなこと。


結局、
どこかの組長さんに一任ということになったようで、
全員慌ただしく店を出て行った。

テーブルの上に、
コップや皿が置きっぱなしにして。


神戸の山口組総本部が、
恒例のもちつき大会を開き、
やってきた近所の子どもに「お年玉」を配ったそうだ。

一律かどうかわからないけど、
中には3万円入っている子もいたらしい。


業界の景気はよいらしい。

来年はぼくも参加しよう(笑)


●プリンターのインクを買った。さぁ年賀状作らなきゃ(泣)

2009年12月29日火曜日

分身

「AVATAR(アバター)」(ジェームズ・キャメロン監督)を観た。

話題の3D映画ということだからか、
「タイタニック」から12年、
キャメロン監督渾身の一作ということだからか、
西宮北口の映画館は、
月曜日の午後だけど7割ぐらの入り。


3Dについては、
テーマパークなどで体験済みの人がほとんどだろうから、
特に驚きの声などはなかった。

むしろ、
目の前に物が飛び出してくるような類を期待していた人には、
肩すかしだったかもしれない。

立体効果はコケオドシではなく、
主に「奥行き感」を出すために使われていた。
途中何回か眼鏡をはずしてみて、
はっと3Dであることに気付く。

それぐらいの感じ。

「観るのではない。そこにいるのだ」

という宣伝効果は明らかに誇大だけど、
それだけ自然なレベルに昇華されているということだ。


映画の内容は、
宮崎駿とマトリックスの世界を一緒にしたような感じ?

タイタニック的感動とは全く異なるけど、
162分という長尺を飽きずに観ることができた。
それは3Dというだけでなく、
脚本が優れているからだろう。


最大の難点は、
やはり眼鏡をかけなければならぬことだろう。
ちょうどサングラスをして観ているようで、
最後まで画面が暗いと感じた。

それさえ解消されれば文句なし。
特に先日観た「2012」なんかは、
すごいことになりそうなんだけど。


さらに技術が洗練され、
眼鏡なしでOKになれば一気に普及すると思う。

「どっちが現実かわからない」

映画のセリフそのままの、
疑似世界が至る所に出現するわけだ。

●5時間ぐらいになってもいいから、完全版が観たいと思った●「タイタニック」で印象的だったセリーヌ・ディオンの主題歌。ちなみに「アバター」ではレオナ・ルイスだった(でも、エンドロールで一度流れただけ)●ちなみに料金は2100円と通常より300円高い(眼鏡代?)●さらにちなみに、前寄りの席の方がいい(3Dが効果的)とあとで知った。

2009年12月28日月曜日

選曲

バンクーバー五輪切符をかけた、
全日本フィギュア女子フリー。

既に決まっている安藤美姫を除く2枠を巡る争い。

といっても事実上「当確」の浅田真央を除いた、
中野友加里と鈴木明子の一騎打ちだった訳だけど、
結果はご承知の通り鈴木が射止めた。

僅差ではあったけど、
鈴木の演技で特に思ったのは、
この人のセンスのよさである。

音楽をかけながらスケートを滑るということを、
一番よく体現しているのは、
安藤や浅田より彼女だと思う。


にしても選曲って大事だな。

思い出されるのは4年前のトリノ五輪。

荒川静香が滑った、
「誰も寝てはならぬ」は抜群だった。

曲そのものが、
聞いているだけで心地よくなる。

「五輪ぽい」格調の高さもある。

これだけ年月がたっても、
あの曲が流れるとイナバウワーを思い出すのだから、
相当ハマってたんだ。


それに引き換え、
浅田の「鐘」という曲は、
ラフマニノフで格調は高いのだけど、
何か聞いていると悲壮感というか、
暗~い気分になってくるのはぼくだけだろうか?

いくら良い演技をされても、
見ている方は気分が沈んでいく。

あの曲をねじ伏せ、
喝采に変える演技は、
相当に至難の業ではなかろうか。

今日はさすがに真央ちゃん、
真剣だったけど。

「今年一番の滑り」があれでは、
「金」はやっぱり金か。

●中野はまたしても涙。可哀そうだけど、たぶん順当●新地「JAZZ ON TOP」で今年の歌いおさめ。ダメだったんだけど、ダメなりに納得した●明日は「アバター」を見てくるのでその報告を!

2009年12月27日日曜日

抵抗

年齢を重ねるにつれ、
一年がどんどん短く感じられる。

30歳を過ぎたころから顕著になり、
40歳を超えた今となっては、
一週間ぐらいはあっという間。

ちょっと油断してると月が変わっていて、
一息ついたころには年末になっている。


五輪が4年に一度なんて、
子どものころは途方もない未来に思えたのに、
最近では、
「ついこのあいだやったばかりなのに」
ってな具合だ。

楽しい時間は早く過ぎるという言い方はあるけど、
別に30歳を過ぎてから、
人生が楽しくなっているわけではない。

この調子だと、
瞬く間に50歳を迎え、
そうなると60歳や70歳ごろには、
一年が今のひと月ぐらい感じになるのではなかろうか。

もちろん生きていたらの話。


昨日紹介した「日本辺境論」の中に、
ちょうどこの不思議について触れた部分があった。

 時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。5歳の子どもにとっては1年は人生の20%の時間です。50歳の大人にとっては2%に過ぎません。だから、子どもにとっての主観的時間はゆっくり流れます。1日がひどく長い。自然現象もゆっくり推移する。子どもたちは雲の流れや、海の波や、蟻の群れや、野草の花弁をじっと見つめていることがあります。あれは対象が意識野一杯に広がってしまっているのです。大人がちらりと一瞥して、そのまま記号的に処理して済ませてしまえる現象が子どもたちにとっては長い物語として経験されている。

これはⅢ「機」の思想に出てくる一文。

なぁるほど。

こんな風に考えたことはなかった。

成長するにつれ、
時の物差しの目盛が変わるわけだ。


忙しいからとか、
集中力がなくなったからとか、
ということではなく、
生物的に避けられないんだ。

安心していいやら、
焦るべきやら。


とりあえず、
これ以上一年が早くなるのは嫌なので、
毎晩寝る時に死んで、
起きたら生まれたと思うようにしよう。


●たはしろ的アンチエイジング(笑)●全日本フィギュア開催中。ぼくは断然鈴木明子を応援する●BSをつけたら、ラルク・アン・シエルがパリでライブをやっていた。日本人より圧倒的に多い欧州人の観客が、すごい熱狂しているのに驚いた●住吉のパフェも今年は食べ納め。

2009年12月26日土曜日

相応

以前誰だったか忘れたけど、
世界地図を90度傾けると、
日本はちょうど、
パチンコ台の玉受けみたいな位置にあると言っていた。

世界中で生まれた文化や文明が、
コロコロと各国を伝わり落ちて、
最後に日本に吸い込まれるのだと。

あはは。

確かにそう見える。

日本はつまり、
世界のおこぼれの受け皿というわけだ。

まぁ、
食いっぱぐれはないけど、
一番美味しいとこにもありつけない。


広島・長崎の五輪共催案が、
JOCによって潰された。

曰く、
五輪憲章には1都市開催と定められている。
仮に日本が推薦してもIOCが絶対認めない。
だから駄目だと。

こういう発想を聞いただけで、
体の力が抜けるようだ。

世界で唯一の被爆都市で平和の祭典を。

これほどの大義があるのだから、
憲章を変えさせるぐらいの勢いで勝負すればいいのにと、
ぼくなどは思うのだが。


「日本辺境論」(内田樹著、新潮社新書)を読んでいる。

「和をもって尊しとなす」。

なるほどこの国は、
その成り立ちからして、
辺りをきょろきょろ見渡して、
空気を読んできたのだなぁ。

誰かにルールを決めてもらわないと、
まともに歩くことさえできない、

たまに自分で決めると、
この間の戦争みたいなことになってしまう。

他国のおこぼれで生きている国。
親のおこぼれで総理になれる国。


おこぼれ国家ならばそれらしく、
今後も国際社会で振る舞えばいいし、
東京でもう一度五輪を開きたいなどと大それたことも、
金輪際言わないことだ。

誰かが「いいよ」と言ってくれるまでは。

それが分相応ということになる。


残念ながらぼくもそういう国に生まれ育ち、
たぶん根っこはそういう分際だ。

なのに分不相応なことを願ってしまう。

それがいけないこととは思わぬが。

●と卑下していたら、広島は単独招致を検討するらしい。いいぞ頑張れ。その意気だ。少し力が戻った。

2009年12月25日金曜日

聖夜

夕方、
住吉のジャンカラに行った。

受付には先客が一人。

背中しか見えないけど、
間違いなく若い男の子で、
よれたジャージにパーカー姿。
手にコンビニの袋だけを持っている。


「30分」

彼はそう言って個室へ向かった。


何か怪し気。

まさか硫化水素を発生させたりしないだろうなぁ、
などとあらぬ想像をしながら後に続く。


部屋は彼の真向かいだった。

すりガラス越しに、
彼がストレッチしているのが分かった。


間もなく彼の歌声が聞こえてきた。

知らない歌だったけど、
たぶんビジュアル系っぽい。
たぶん下手ではない。

感情を込めて熱唱している。
身振りも入っているかもしれない。

きっと今夜、
彼女の前でキメるのだろう。


硫化水素なんて、
馬鹿な妄想だった。

言うまでもなく、
ぼくの方がよっぽど怪しげだ。


帰宅したぼくは、
71歳の母と夕食を食べ、
人の背丈ほどあるツリーを見ながらケーキを食べた。

そして今年も明石家サンタを一人で見た。


みんな不幸を抱えながら、
笑い飛ばして明日を迎える。

そしてぼくはいつかの聖夜に、
必ず歌うと誓う。


●ファンレターを頂戴した。たはしろ初の快挙。2009Xmas。ぼくは十分幸せ者だと思う。ありがとう。

2009年12月24日木曜日

偉大

最近の歌事情に疎いのは、
ラジオを聴かなくなったことが大きい。

車に乗っていたころ、
特に仕事で車を使っていたころは、
FM802をかけっぱなしにしてれば、
流行り歌の情報は大体チェックできた。


さっき帰宅してラジオをつけて、
誰かわからないその歌に耳が反応したのは、
魅力的な歌詞だったか、
独特な節回しだったかわからないけど、
女性ボーカルにもかかわらず、
RCサクセションの歌だとピンと来た。

忌野清志郎はやはり偉大なソングライターだったのだと、
再認識させられた次第。


君が僕を知ってる

今までして来た悪い事だけで
僕が明日有名になっても
どうって事ないぜ
まるで気にしない
君が僕を知ってる

誰かが僕の邪魔をしても
きっと君はいい事思いつく
何でもないことで
僕を笑わせる
君が僕を知ってる

何から何まで君がわかっていてくれる
僕の事すべてわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ

コーヒーを僕に入れておくれよ
二人のこの部屋の中で
僕らはここに居る
灯りを暗くして
君が僕を知ってる

何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
上から下まで全部わかっていてくれる


イブの夜のぼくへの贈り物。

そんな「君」がいてくれたら、
もっと最高だったけど。

●たぶんぼくが聞いたのはLeyonaという歌手のものだったと思う。少しユーミンが入った声。素敵でした●本年最後のご挨拶にペンギンさんを訪ねよう。

2009年12月23日水曜日

試練

神は乗り越えられる試練しか与えない

20日最終話だった毎日放送のドラマ「JINー仁ー」に出てくる台詞だ。

実のところ、
ぼくはその最終回しか見ていないのだけど、
この台詞はどうやら毎回出てくる、
いわばドラマのテーマだったようだ。

最終話だけでも数回出てきたと思う。


いい言葉っぽいけど、
本当にそうだろうか?

出典はどうやら聖書らしい。


コリント人への第一の手紙 10章13節 
 
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

 

なるほどね。

逃げ道もあるんだ。

神様は優しい。


それはさておき、
ドラマはなかなか面白かった。

最終回だけのくせに偉そうだけど。

きっと始めから見ていた人は、
涙涙のエンディングだったんではなかろうか。


内野聖陽は別格として、
若手俳優がとてもよく頑張っていた。
特に中谷美紀は「結構でありんす」。


主題歌はMISIAの「逢いたくていま」。

初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて
あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今はそこで 私を見守っているの? 教えて…



いやはや。
いい曲過ぎ(笑)

●曲の出だしが安全地帯の「Friend」に似ているんだよね。古すぎ?●煙草100円値上げ。民主まあまあ。買いだめすっか。

2009年12月22日火曜日

保証

お気に入りのイヤホンが断線してしまった。

プラグの付け根部分の被膜がはがれ、
金属線が剥き出しになっている。

右の音が出たり出なかったり。

そんなに乱暴に扱ったつもりはなかったのになぁ。


仕方ないので、
買ったヨドバシカメラへ行くことにした。

あそこでくれる保証書代わりの領収書なんて、
ぼくは普通、
わざわざ保管しないのだけど、
探してみたら運よく出てきた。

これで無料で修理してもらえると思ったら、
修理担当の店員の返事は「メーカーの判断次第です」。

基本的に断線を修理することは出来ないのだそうだ。

いや、
正確には出来るけど、
音質の保証が出来ないのでやらないのだそうだ。

じゃあ新品に交換してくれるのかというと、
必ずしもそういう訳ではないらしい。

メーカーが「こりゃ仕方ない」となれば、
新品と交換してくれるし、
ぼくの過失だと判断されれば、
「修理不能」ということになるという。

つまり買い替えろと。


決して安くはない買い物。
しかも買ったのは今年の夏。

それで相手に下駄を預けろなんて、
釈然としない話だ。
何のための「保証書」なんだろう。

これが国内メーカーだったら断固談判するのだけど、
海外だけにお手上げ。


いずれにせよ、
越年する話になってしまった。


●にしてもヨドバシはいつもながら凄い繁盛ぶり。それに比べ地下2階の一番奥にある修理コーナーは、売り場の喧騒とは正反対にひっそりしていた。壊れたらお終いという人が多いのかな?

2009年12月21日月曜日

手柄

松方弘樹が325キロのマグロを釣ったという話は、
ニュースにもなったほどだから本当だろうけど、
一体どんな様子だったのか知りたくて、
今夜のテレビ大阪「巨大マグロ伝説2009」を見た。


釣るポイントを決めるのはベテラン漁師の「大門さん」。
マグロが餌に食いついたあとも、
電動リールがテグスを切らないように力を調節しながら巻き上げ。

確かに松方が竿を握ってはいたけど、
あれで本人が釣ったことになるのかしらん?
松方のやったことは、
「浮き」代わりの風船を膨らませたぐらいじゃないか。


99%「大門さん」の手柄でしょ。


写真を撮るのに、
カメラは自前だけど、
撮影場所から構図から絞りから、
何から何までプロにおぜん立てしてもらって、
最後にシャッターだけ押して、
出来た写真が「自分の作品だ」と主張してるようなものだ。

ていいながら、
325キロのマグロそのものはド迫力。
「大門さん」が「怪獣」と呼んだのもうなずける。

あそこまで成長したのに、
最後に松方の手柄にされるとは。

迂闊だよなぁ。


●同じ時間帯にやっていたM-1は録画で飛ばし視聴。ぼくとしてはV2を狙ったノンスタイルが抜群に面白かった。南海キャンディーズとかハリセンボンとかは素人名人会にしか見えなかった●さらに同じ時間帯に有線大賞もやっていた。氷川きよしが大賞だったが、もはや何の感動もない。

2009年12月20日日曜日

滅私

いやぁメッシ。

すごいなぁメッシ。


今しがたまで、
サッカーのクラブW杯決勝戦を見ていた。

何のことかわからない人もいると思うけど、
世界中のサッカーのクラブチームの№1を決める大会で、
現在世界№1の選手と言われるメッシが、
決勝ゴールを決めたということ。

つまり、
WBCでのイチローみたいな感じ。


こういう場面を見るたびに、
やっぱりスターは何かを持っているみたいに人は言う。

そう言ってしまえば確かに簡単だし、
実際、
人智の及ばぬ何かがあるのかもしれない。

今の決勝戦でもメッシは、
120分間の戦いのほとんどの場面で目立ってなかった。

いるのかいないのかわからないぐらいだった。

それでも最後の最後、
ほんの一瞬だけ、
誰よりも早く、
誰よりも激しく走り、
ゴール前に上がった球に飛び込むようにして、
胸で押し込んでしまった。

その一瞬を逃さないという点が、
誰にも真似のできない、
唯一無二のスターであるということなのだろう。


こう言ってしまうと、
やっぱり彼らは特別な人ということになるが、
そこから凡人が学べることは何だろう。

メッシとて神ではない。
今の試合でも、
何度も「しまった」と思う機会はあったはずだ。

でも最後まで己を信じて諦めず、
自分の能力を爆発させるタイミングを、
ずっと待ち続けたのだと思う。

イチローだって、
最後のヒット以外はずっと苦しみ続けたじゃないか。

身体能力以外で真似ができるとすれば、
その忍耐力ということになる。


凡人のぼくは、
肝心のゴールの瞬間、
テレビの前を離れ、
煙草を吸っていた。

あぁこの忍耐力のなさよ!


●一応画面は見ていたけど、だいぶ遠目だった●今宵の冷え込みは特に激しく、住吉のホームは本当に寒かった。

2009年12月19日土曜日

休刊

学生時代決まって読んでいた雑誌は、
漫画を除けば「朝日ジャーナル」だった。

「硬派」
「左寄り」

様々な捉え方があったけど、
本当に世の中への目を開かしてくれる雑誌だった。


「Forsight」は久々の定期購読雑誌で、
今度は世界に目を開かせてくれると期待していた矢先だったから、
休刊は本当にショックだ。


同誌の創刊は1990年3月。

何とぼくが社会人になった翌年のことだ。
新潮社の文庫本なんかに、
宣伝のチラシが入っていることが多かったので、
ずっと気になっていた。

20年たってようやく踏み切ったところ、
いきなり休刊だもの相当に参った。


「Forsight休刊のお知らせ」というメールが来たのは16日のこと。

その中で理由が3点上げられていた。

(1)厳しい出版状況に直面する中で、全社的な事業の再編、特に雑誌部門の見直しが避けられなくなったこと
(2)二十年間の健闘はあったものの、今後の収支改善の見通しが立たないこと
(3)インターネットの普及で、国際政治経済情報を扱う月刊誌の役割が大きく変化したこと



新聞報道によると、
発行部数は2万2000部余りという。
一冊1000円だから、
2200万円で一号作られている計算になる。

それが採算に合うレベルなのかどうかは、
ぼくにはちっとも分からないけど、
恐らく赤字だったのだろう。

20年まで持ちこたえたのは、
大手出版社だということと、
それなりの矜持があったものと思う。


にしても、
こうした良識ある雑誌がなくなるのは、
なにか取り返しのつかないことではないか。

例えば岩波書店の「世界」が休刊するとしたらどうだろう。
朝日新聞社の「朝日カメラ」が季刊になるとしたらどうだろう。


優れた雑誌は言うまでもなく「文化」だ。
公的資金を投入しても、
とは極論にしても、
何か方策はないものだろうか。

何事にも潮時というものがあって、
紙媒体も本格的に退潮の時が来たのだなと実感させられる。


●両誌に共通するのは広告が少ないという点だ。その視点から見ると、次に読むべき雑誌は「週刊金曜日」しかない。

2009年12月18日金曜日

醜聞

品行方正

完全無欠


そんなタイガー・ウッズの醜聞。

一連の騒動はそれだけで十分に意外だが、
それ以上に、
これまで一切表に出てこなかった女性スキャンダルが、
なぜ今になって堰を切ったかのように報じられるのか。

むしろその点に驚く。


そもそもアメリカ人は有名人の下ネタに意外に寛大だ。

最たるものはクリントン元大統領だろう。
現職大統領とホワイトハウス実習生の不倫。

日本の総理ならそれだけで一発退場だろうが、
クリントンは乗り切ってしまった。

ケネディ元大統領もしかり。

どうやら彼の国には、
人間的欠点と職業的能力を、
はっきり分けて考える習慣があるようだ。


もっとも、
その寛大さも本人が誤りを認め、
悔い改めることが条件のようにも思われる。

その意味でも、
タイガーは出来るだけ早く自分でマスコミに出て、
正直ありのままを告白することが、
復帰への一番の近道といえそうだ。


そんな最中、
マイケル・ジャクソンの少年虐待疑惑のテレビ番組を録画で見た。

彼は一貫して否定したものの、
その一方で25億円も払って和解したものだから、
ずーっと死ぬまで引きずってしまった。


番組はマイケル側に立っているので、
いかにマイケルが「はめられたか」に焦点が当たっていた。

それにしては、
肝心の性的虐待を受けた少年(今は青年)に、
なぜ取材しないのだろうと思った。


それはともかく、
ウッズに対するのと同じぐらいに、
不倫を報じられたら意外な日本人なら誰だろうと、
同僚に尋ねたら、
しばらく悩んで「松岡修造」と返答された。

日本、
スケールちっせー。


●先生でもないのに、なぜか忙しい終末を迎える。ということで、関係各位よろしく。

2009年12月17日木曜日

移籍

松井秀喜のエンゼルス移籍が正式決定した。

日本球界への復帰を秘かに望んでいた、
というより大いにありうると思っていただけに、
ちょっと寂しい。

松井自身は守備もしたいと考えているようだけど、
両膝に爆弾を抱えている以上、
球団はやはり彼をDHとして使う可能性が高い。


巨人からヤンキースに移籍して、
7年がかりで悲願のワールドチャンピオンになり、
しかもMVPにまで選ばれて、
彼はこれ以上メジャーで何を求めようとしているのだろう。

イチローと違い、
松井には今更目指せるような記録はない。

最高の結果を手に凱旋し、
残り数年(であろう)野球人生を、
日本球界への恩返しに使おうという気はなかったのだろうか。

そういうのが松井らしいというのは、
ぼくの勝手な思い込みだろうか。


エンゼルスでの年俸は、
ヤンキース時代の半額の5億7000万円とか。

それぐらいなら日本の球団に払えない額ではない。

巨人とはいわない。
たとえ阪神でも、
いやパ・リーグでも、
何とかならなかったのかなぁ。

返す返す惜しい(泣)

●イチローとの対決は楽しみではあるけど●Forsightが来年4月で休刊になるんだって!いやはや、間の悪い男だよ、ぼくは。。。

2009年12月16日水曜日

伴走

天満・じゃず家で長らくセッションアシストを務めていた、
ピアニストの押領寺さんが今日で最後だった。

「アシスト」であるからには、
ボーカルからインスト、
古今問わず色んな曲を知っているのは当然ながら、
その他様々な苦労がある。

誰でも自由に参加できるのであるから、
びっくりするほど上手い人もいれば、
その逆もある。

ぼくを含め、
不正確な楽譜を持ってくる人もいれば、
自分の好き勝手に「アレンジ」してしまう人もいる。

日によってドラマーがやけに多い日や、
ボーカルが5人もいる日もある。
チェロやタップにピアニカ、
楽器だって様々だ。

そうした様々な状況を把握し、
なおかつ参加者に気分よく帰ってもらえるよう、
組み合わせや順番を考えるわけだ。


最初にじゃず家に行ったのはおととしの12月。
親父が死んでまもなくのことだった。

その時から、
月に何回か彼女の伴奏で歌を歌い、
たまに彼女が出演しているライブに行き、
歌わせてもらったこともあった。

彼女は大きく成長し、
これからは伴奏ではない仕事を増やすのだろう。

2年間、
ぼくの挑戦に伴走してくれたことに勝手に感謝しながら、
いつもの3割増ぐらいの勢いで歌った。

●今日初めて女性のジャズギタリストに出会った。

2009年12月15日火曜日

最悪

イラク戦争を批判した「華氏911」や、
銃社会に異議を唱えた「ボウリング・フォー・コロンバイン」で知られる、
映画監督マイケル・ムーア氏が来日していた。

新作「キャピタリズム」の宣伝のためだ。

彼がNHK「クローズアップ現代」に出演していた時、
「資本主義は悪だ」と言い切っていた。


その昔、
イギリスの首相だったチャーチルは、
「民主主義は最悪」とも言っている。


資本主義は悪

民主主義は最悪


そう悪態をつきながらも、
とりあえず「資本主義」で「民主主義」であるのは、
単にぼくたちがそれよりマシな政治態勢を、
考え出せないということに過ぎない。

ベルリンの壁が崩壊した時、
資本主義の社会主義に対する勝利だと、
ぼくは心底思ったわけではないが、
冷戦という厄介な荷物がようやく降ろせたのだとは感じた。

だって社会主義は窮屈で暗く、
資本主義は自由でハッピー。
そんな教育しか受けてこなかったのだから。


あれから20年たって思うのは、
人間の叡智の最新の到達点が「最悪」ならば、
人間の存在そのものが「最悪」なのかもしれないということだ。

それは言い過ぎだとしても、
これから起きるであろう変化が、
必ずしも良い方向であるという保証はどこにもない。


少なくともそういうことに自覚的になった分、
ぼくは成長したかもしれない。

2009年12月14日月曜日

義賊

ジョニー・デップが主演しているという、
ただそれだけの理由で「パブリック・エネミーズ」(マイケル・マン監督)を観た。

1930年代のアメリカで、
「公共の敵」と呼ばれた実在のギャングと、
FBIとの追いつ追われつを描いた作品だ。


日曜の午後とあって映画館はほぼ満席。
実際かなり期待していたのだけど、
ぼくは途中で腕時計を見てしまった。

それぐらいの出来に思った。

やはり実話に引きずられるというか、
色々なエピソードを詰め込みすぎていて、
どれもが消化不良に陥ってしまったようだ。


それはともかく、
ジョニー・デップ扮するデリンジャーの恋人役が、
最初顔を見てもわからなかったのだけど、
声を聞いているうちに「エディット・ピアフ」でピアフを好演した、
マリオン・コティヤールだと気付いた。

それから劇中、
「BYE BYE BLACKBIRD」がスローバラードで流れる場面があって、
すごいいい声の歌手だなぁと思っていたら、
場面転換の間際、
ダイアナ・クラールが映っていた。


実在のデリンジャーは義賊みたいな存在だったようで、
大衆は彼とその仲間たちの犯罪の鮮やかさに、
喝采を贈っていたらしい。
日本でいえば石川五右衛門みたいなものか。

当時は世界恐慌の真っただ中。
世界中が暗かった。
犯罪といえどデリンジャーらはヒーローで、
彼らに出し抜かれるFBIは間抜けな引き立て役だった。

だからFBIは「公共の敵」なんてあえて名付けて、
威信をかけて彼らを追い詰めた。
ブッシュがイラクを「悪の枢軸」と呼んで、
戦争を正当化したのと少し似ている。


石川五右衛門は釜ゆでにされる時、
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と、
辞世の句を詠んだとか。

デリンジャーも死ぬ間際、
ある言葉を言い残す。

そこは明らかに脚色なのだけど、
それにぼくは少しグッときた。

●キムタクが海パン一丁になって熱湯風呂に入るシーンを目撃した。ちょっと驚いた。

2009年12月13日日曜日

受容

新型インフルエンザやラカンに関する新書を読んでいて、
最近相当に頭が凝ってきているのに気づいた。

衝動的に柔らかい小説を読みたくなって、
元町の海文堂に入る。

とりあえず面白いものをと思い、
まず奥田英明の新刊が浮かんだのだけど、
バッグが重くなるのが嫌でパス。

次いで、
ほとんど思いつきで、
「終末のフール」(伊坂幸太郎著、集英社文庫)を買った。
彼の作品なら面白いという点では、
まずハズレないだろうという読みだ。

果たして思惑通り「当たり」だった。
2日で一気に読み終えた。


8年後に小惑星が地球に衝突することが判明して、
それから5年後の仙台という設定だ。

つまり3年後に人類は滅亡するという訳で、
先日見た「2012」を思い起こさせる。

そんな状況で生きる人の姿を、
仙台のヒルズタウンという住宅街を舞台にして、
「○○の○ール」という短編8つで構成してある。


本当は内容のことに触れようと思っていたのだが、
最後の解説がとても面白かったので紹介する。

末期患者の死に対する心の動きは5段階に分けられるそうだ。

まもなく死ぬことが信じられず(否認)、なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向け(怒り)、次にどうにか生き続けることはできないかと何かにすがろうとした(取り引き)のち、死という現実の前になにもできなくなり(抑鬱)、最後にはそれを受け入れる(受容)、というプロセスである。


小説に即して言えば、
全人類が末期がん患者状態に陥るという状況を、
小惑星が衝突という設定に置き換えているわけだ。
5年の間に人類は「否認」から「受容」へと、
一気に進む。

登場人物たちは、
町を襲った略奪や暴力が収まって、
小惑星の衝突まであと3年という「受容」の状況にあり、
それぞれの残された「生」に向き合う。


「否認」から「受容」へというプロセスは、
末期がん患者や小惑星の衝突という事態でなくても、
ぼくらの人生では起きうる。

ぼくの場合に当てはめてみれば、
3年でこのプロセスは進んだ。

「受容」という今の心境の中で、
ぼくはこれからの余生をどう過ごすだろう。

●ちなみに先の5段階という分類は「死ぬ瞬間ー死とその過程について」(E・キューブラー・ロス著、中公文庫)からの孫引きだそうだ●タイガーの醜聞は目に余るが、どうしてこれまで見過ごされてきたのか、それが最大の不思議だ。

2009年12月12日土曜日

関心

ぼくの今の仕事には残業がない。

決められた時間に出社して、
決められた時間まで仕事をして、
それでおしまい。

報告書や企画書を書く必要もなければ、
その日の仕事が片付かないということもない。

というより、
時間までには必ず片づけなければならない。


ほかの社員と世間話をすることはあるけれど、
仕事を終えて一緒に食事することもないし、
当然互いの家を訪問しあうということもない。

自分の仕事がすべてであり、
それ以外のことには全く無関心だ。

きっと社長が変わっても気付かないだろう。


もちろんそれはぼくに限った話であり、
社員の中には職場外での付き合いをしている人もいるし、
倶楽部活動なんていうのも一応あって、
別の部署同士の人間が仲良しという場合も珍しくない。

あくまでぼくがそのような状況を作り出しているのであり、
決して職場がギスギスしている訳でも、
口をききたくないほど嫌な奴ばかりという訳でもない。

勝手にぼくがバリアを張っているのだ。


そんなぼくのところに先日、
20歳代の後輩がやってきて、
「私もForesifht取り始めたんです」と言う。

Foresightとは新潮社の発行している月刊誌で、
書店では売られていない。
中身は海外ネタ中心で、
値段も一冊1000円する。
年間購読のみで代金は前払いだ。

今時セクハラと言われそうだけど、
少なくとも若い女性が興味を魅かれる雑誌ではない。


そういえば相当前、
会社で読んでいた時に、
彼女に「何を読んでいるんですか」と尋ねられたことがある。

恐らくその時に興味を持ったのだろう。


「セーターの一枚でも買った方がいいのに」と、
咄嗟に思った言葉は胸にしまって、
「好奇心旺盛なのは結構なことだ」と、
木で鼻をくくったような返事をしてしまった。

本当は褒めてあげるべきだった。


そしてお礼を言いたかった。

「関心を持ってくれてありがとう」と。


●その一言が言えないんだよなぁ●片やペンギンさんは残業でお忙しそうだ。ペンギンもペタペタ走る師走かな●来春、ジェフ・ベックが尼崎にやってくる♪珍しくチケットを申し込んだ。

2009年12月11日金曜日

差異

第一話

用事のドタキャンがあったからという訳ではないが、
JR住吉駅前のジャンカラに再び行った。

10歳もサバを読んだあの店だ。

今日受付にいたのは、
この前の黒ぶちメガネ君ではなく、
ぼくは正直に年齢を書こうとしたのだが、
手が勝手にサバを読んでしまった。

この店ではそういうことにしておこう。

そういえば、
元町のジャンカラには、
ドリンクコーナーにこのような張り紙がしてある。











実際には試していないのだけど、
こういう話はよくある。

飽食の時代とはいえ、
人の口はいとも簡単に騙される。
普段口にするもので香料や人工甘味料の入っていないものなんて、
たぶんほとんどない。

ぼくらはフェイクの世界に生きている。



第二話

それに先だって行った歯医者では、
前回撮ったレントゲン写真を見せてくれた。
「ここの黒いところが。。。」と先生は説明してくれるのだが、
ぼくにはどの黒い部分かわからず、
結局丁寧に歯磨きをするようにという部分だけ理解できた。

同じものを見ていても視点が違うと、
全く別のものを見ている、
あるいは何も見えていないことがある。



第三話

家に帰る途中にTUTAYAに立ち寄ると、
「余命一ヶ月の花嫁」(廣木隆一監督)が目にとまり、
借りてさっき見終えた。

実話の感動とフィクションの感動は、
別物なのだと思った。

どちらが上とか下とかいうんじゃなくて、
あくまで質の問題として。


フェイクとフィクションの違い。
それは創造性の有無だろう。



●にしても、なっちゃんオレンジ+ホワイトウォーター=ポプラ味ってどんな味?●住吉のジャンカラは、門口は狭いのだが中が意外に広く感じがいい。特に階段が広いところが気に入った。カラオケと関係ないけど●依然風邪の兆候なし。

2009年12月10日木曜日

引退

阪神・赤星の突然の引退発表には驚いた。

今年9月12日の試合でダイビングキャッチした時、
以前から痛めていた頸椎を悪化させ、
場合によっては命にかかわると診断された上での、
無念の決断だったそうだ。

今や生え抜きのスター選手が少なくなった阪神において、
彼の存在は、
ここしばらく強かった猛虎の1番打者として、
強い存在感を放っていた。


彼はその「致命傷」となったプレーについてこう言っていた。

後悔はしていない。野球人の本能としてやった。ダイブした後、両足がまったく動かなかった。グラウンドで死ねれば本望というが、それが本望とは思えない恐怖心があった。今でも夢にあのシーンが出てくる。

33歳。

まだまだこれからという年齢での引退は、
余りにも惜しいけど、
こればっかりは仕方がない。

騙し騙しやっていくという道も、
あるにはあっただろうが、
彼はそれを潔しとしなかった。


人生を戦にたとえるなら、
「勇気ある撤退」と言えるだろう。

プロ野球人生はたった9年間だったけど、
「レッド・スター」は鮮烈な印象を十分ぼくたちに残した。

2009年12月9日水曜日

風邪

月曜日に出社すると、
ぼくの隣に座っている上司が、
マスクをしてひどくせき込んでいる。

新型インフルではないただの風邪だそうで、
医務室でもらった薬を飲んでいた。

ゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホ。。。

仕事の間中、
ずーっと咳をしていた。

辛いだろうけど仕事柄、
上司は途中で帰る訳にはいかない。

元気なぼくは言うまでもない。


インフルの予防注射はしてはいるが、
それでも気になってしょうがない。

出勤時してきたマスクを、
もう一度しようかとも考えたが、
どうにも気が引けた。

しかしただ手をこまねいていたわけではない。
出来るだけ席を空けるようにして、
こまめに手と鼻を洗った。


これでぼくが風邪をひいたら、
十中八九この上司が感染源だけど、
責任は上司とぼくの両方にあるだろう。

一方、
大丈夫だったら、
「予防注射+鼻洗い」の不敗神話は、
より強固なものとなる。

なにせあのせきの嵐は、
かつてない危機的状況だった。


丸一日たった現在異常はなし。

潜伏期間は1~2日が目安というから、
まだ勝利宣言は出せないけど、
ささやかな人体実験の結末は、
かなり楽観的にとらえている。


●「天使と悪魔」(ダン・ブラウン監督)をDVDで。「人は見かけによらぬ」というお話。

2009年12月8日火曜日

間際

「死ぬ前に後悔すること25」(大津秀一著、到知出版社)

こんな題名の本の新聞広告が目に入った。

著者は緩和医療の専門医らしく、
「人は死ぬ間際にこんなことを後悔しています」
とある。

1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと

5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと

11 遺産をどうするか決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと

17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと

22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと


一項目ずつ興味深く読んだ。
これだけで十分いろいろ考えさせられた。

もう実際の本は読まなくていい気がした。

2009年12月7日月曜日

反面

親父の三回忌でわが家に久々の客人というか、
親戚一同が集った(といっても8人なのだが)。

その中の叔母の家に、
ぼくは21歳の時にお邪魔したことがあって、
その時ぼくが覚えたての煙草を吸っているのを見た、
叔母の当時小学生だった息子二人が、
「ぼくはあんなもの吸わない」と、
後日話していたというエピソードが、
歓談の合間に出てきた。

叔母曰くぼくは「良い反面教師」になったという。


こう書くと、
その叔母が意地悪い性格のようにとられるかもしれないが、
実際は非常に教養豊かで理性的でぼくは大好きだ。

この時の話しぶりもユーモワたっぷりだったことを、
叔母の名誉のためあらかじめ付け加えておく。


ところで、
叔母の息子二人は今では立派な成人になり、
ぼくから得た教訓を守って煙草は吸わないそうだ。

だれもがそのように、
子どものころの教訓を大人になっても守り続けられたら、
世の中は大そう平和だろう。

ぼくだって子どものころは、
大人の吸う煙草は不快に感じたものだ。
一体煙草の煙を吸って気持ちよいと感じる子どもなど、
この世にいるわけがない。


にもかかわらず、
子どもにとっての「正しさ」の多くは大人になって守られないことが多い。

どうしてそのような事態が起きるのかと考えてみたとき、
ぼくは言語能力の発達が影響しているのではないかと思う。

つまり思考が複雑になるということだ。

子どもの単純な言語力の中では、
生理的に受け付けないもの=嫌で完結していたものが、
複雑な言語体系を獲得する中で、
「今は不快だけど、続ければ快感に変わるかもしれない」みたいな、
体と頭のかい離が起きてしまうわけだ。


たまたま煙草の例ではあるが、
それは煙草に限らず、
人が大人に成長していく重要な過程であると思う。

つまり好奇心だ。


好奇心は人間の証だと思う。

目も耳もふさいで、
あるいは一方向にしか向けないで、
その他をシャットアウトすれば、
そりゃ誰だって道を踏み外さない。

でもそれじゃ人生面白くないじゃないか。


何もかもが順風満帆に過ぎて行って、
そのまま死んでしまう人生なんて、
どれほどその人が成功しようと、
ぼくには死ぬほど退屈に思える。

だってそれってつまり、
ずっと他人の意に沿う生き方をしてしまうってことじゃないか。


「ぼく的」にはあり得ない。

これだけ人生の失敗を積み重ねても、
なおかつあり得ないと断言する。


こんなことを言っているから、
いつまでも反面教師のままなんだナ。

●そういえば煙草は最低40円値上げになるらしいが、その程度じゃあねぇ。

2009年12月6日日曜日

申告

JR住吉駅前にジャンカラがあると知ったのはつい最近のこと。
今日初めて行ってみた。

受付には黒ぶちのダテ眼鏡をかけた青年がいて、
ぼくが携帯に保存してある会員割引の画面を見せると、
それを確認してからこう言った。


「学生さんですか」


確かにその時のぼくはテキトーな普段着で、
髪はボサボサ、
マスクもしていたとはいうものの、
これほど酷い勘違いをされるのは、
生まれて初めてだ。

もちろんぼくは否定したのだけれど、
申込用紙に年齢を記入する時に迷った。


実年齢を書くと青年を驚かせ過ぎやしまいか。

とはいえ20歳代を書くのも余りに図々しい。

しかも青年はぼくをおちょくっているだけかもしれない。

青年も自分も納得できる年齢はいかほどか?


一瞬のうちにこれらのことを検討した後、
ぼくは10歳サバを読むことにした。

人生最大のサバ読み。
書く手が心なしか震えた。

でもなんかそう書いただけで、
自分が実際にその年齢のような気になったから不思議だ。


そういえばペンギンさんは、
28歳以後歳をとらないのだそうだ。

若さを保つ秘訣として、
サバ読みは有効かもしれない。


癖になるかも(笑)

2009年12月5日土曜日

弔辞

他人の話をうつらうつらと聞いていたら、
不意に名前を呼ばれ、
「次はお前がしゃべれ」と言われた。

100人ぐらいの人がアトランダムに喋っているのだから、
まったく当たることがないと高をくくっていたわけではない。

かといって当たるかもしれないと、
何がしかの心の準備をしていた訳でもない。

つまり完全な不意打ちだった。


パスするという選択肢も、
歌うという裏ワザも思い浮かばず、
条件反射のように前に進み出てマイクを握った。

これほど無防備な状態のぼくが何を喋るのだろう。

自分に対する好奇心だけがあった。


果たして内容はとりとめなく、
声は抑揚を欠き、
さっぱり精彩のない散々な結果となった。

がしかし、
それでもさして混乱することもなく、
この口をついて出た言葉は、
一体ぼくのどこから湧いてきたのだろうか。


遠ざかる、
いくつかの自分の姿が頭に浮かんだ。

笑えるほどに愚かな自分の思惑。

泣けてくるほど哀れな行動。


わずか数分のスピーチは、
そんな在りし日のぼくへの、
現在のぼくからの弔辞だったのだ。


●ペンギンさんは「THIS IS IT」を予約したというではないか。先を越された!●W杯組み合わせ抽選。日本の初戦はカメルーン。オランダ、デンマークと一緒のE組だ。これで文句を言ったら罰が当たるだろう。

2009年12月4日金曜日

落胆

煙草が一本あたり1円値上げになりそうだと聞いて、
心底がっかりした。

一箱1000円になればやめられたのにとか、
500円だったら減らせたのにという、
私ごとで言っているのでは絶対になーい。

民主党にがっかりしているのだ。


「戦後政治の大掃除」とか大上段に構えておいて、
出てくる話がみみっちすぎる。

冗談じゃない。

もし一箱1000円にしていたら、
猛反発もあっただろうが、
煙草を吸わない人はもちろん、
喫煙者の中にだって、
「民主やるな」と思う人がいたはずだ。


痛みを蒙ろうと、
自民党ではできないことに手をつける。
そう期待していた人は多いはずだが、
今のところ全くの肩すかし。

特に長妻厚労相がいただけない。

会社の労働組合で頑張っていた人が、
幹部になって手のひらを返されたような、
「あっち」の人になっちゃった感がある。


「君子豹変、小人革面」(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ)という。

君子は時に応じて、豹の毛が生え変わるように、鮮やかに変化する。
これに反して、小人は上の人に従う顔つきだけはする。

真に、ひとかどの人物であれば、変化、変革を恐れない。
必要であれば、あるいは過ちとわかれば、
がらりとやり方、態度を変えたりもする。

ところが小人は、表面上、それを受け入れる素振りをしつつも、
旧来のやり方やメンツにとらわれ、古いやり方や、
いったん口にした自説にこだわってしまう。
(ブログ「中国古典の名言名句1000選」より)



たぶんみんな、
自分は君子になったつもりなんだろうけど、
結局たいてい小人なんだよな。

自戒を込めてそう思う。

2009年12月3日木曜日

節目

もう一週間ほど前のことになるけど、
職場で来年の手帳とカレンダーが配られた。

例年なら「もう一年たったのかぁ」と思いながら持ち帰るところだが、
今年はそれに加え、
「うちの会社にもまだそれぐらいの余力はあるのだ」という感慨もあり、
そう考えると何やら有難く思えてきた。


仕事柄、
今日が何日で何曜日かということに気が回らない。
それでなくても夜か昼か曖昧な生活。
いつの間にか月が替わっていたなんてこともしょっちゅうだ。

そういう句読点のない文章のような日常を送る身にとって、
一年の終わりだけは、
かろうじて節目らしさを保っている。


それには元日が誕生日だという個人的事情も大きく絡んでいる。

元日の誕生日なんて、
迎春ムードとともにドサクサ紛れに過ぎていくので、
子どものころはちっとも有難くなかったが、
今となっては、
そうでもなければ自分の誕生日さえ気がついたら過ぎていた、
なんてことも十分ありえる。


この時期、
恒例の十大ニュースなんていうのが、
新聞で取り上げられだした。
流行語大賞は「政権交代」だった。
今年一番の国内ニュースだったことは間違いない。

しかしその流行語の生みの親鳩山首相は、
故人献金に続いて母親からの不可思議な9億円で揺れる。

週刊誌の見出しに、

「非課税 9億円の子ども手当て」とあって、

思わず「上手い」と手をたたいた。


政権交代が流行語のレベルなら、
飽きられるのも案外早いかもしれない。

●ちなみに親父の誕生日も元日だった。日本中でこんなお目出度い父子は何組ぐらいいるのだろう。

2009年12月2日水曜日

中華

Nスペの「チャイナパワー」を見ていると、
中国の勢いはとどまるところを知らないようだ。

中国が今最も接近しているのがアフリカ諸国で、
その狙いは、
この大陸に住む7億人の人々と、
地下に眠る資源なのだという。

何せ10億人の国である。
経済発展を続けるには、
内需だけでは全然足りないのだ。

「世界の台所」から「世界の工場」になり、
今や地球上の資源を食いつくそうとしている。

携帯電話会社がエチオピア全土に通信網を張り巡らしたり、
不動産会社がなぜかザンビアの銅山開発に乗り出したり、
民間会社が国家財政の後ろ盾を得て、
遮二無二触手を伸ばしている。


その様はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いなのであるが、
しかしNスペではついこの間「ドバイが熱い」と持ち上げ、
その舌のねも乾かぬうちに、
今はドバイはバブル崩壊でテンヤワンヤになってしまった。

世間で「中国、中国」と言われるようになったということは、
逆にもう下り坂に差し掛かった証拠なのかもしれない。

大体、
マスコミが「ブーム」と取り上げるころには、
本当のブームは下火になっていることが多い。
知っている人はずーっと前から知っているのだが、
感度の悪い記者は相当遅れて気がつく。

「新聞」も確かに前日あった出来事は載っているが、
トレンドとか先読み情報になると、
実は全くの「旧聞」であることは、
ほとんど常識でもある。


ちゅうか、
五輪の時にも書いたのだけど、
一体いつから「中国4千年の歴史」は「中国5千年の歴史」に変わったの?
一気に千年もサバを読むとは大した度胸だけど、
ちょっとインフレに過ぎないか?

王将のCMも作り変えなきゃ。


●天満「じゃず家」セッション。久し振りの顔に再会できただけで心が和んだ。

2009年12月1日火曜日

味方

大学生の時にバイトしてい東京のステーキ屋さんで、
当時高校生だった男の子と親しくなった。

彼はバイクが大好きで中型を乗り回していた。

決して暴走族ではなく、
峠を攻めるとか、
昔の漫画「バリバリ伝説」のような世界の男だった。


その彼のバイクの後ろに乗せてもらったことがあった。
ぼくも若かったけど、
彼はもっと若かった。

深夜とはいえ車が普通に走っている青梅街道を、
ヤツは時速140キロぐらいで車を追い抜きながら平気で突っ走る。
後ろに乗っていたぼくは、
マジで「コイツはアホか。こりゃ死ぬ」と思い、
ヘルメットの中で「やめろー」と絶叫していた。

中年になった今でもその時の加速感や恐怖感は覚えていて、
そんなに長いこと記憶に刻まれる感覚って、
そうはないと思うと貴重な体験ではある。


NHKの「スポーツ大陸」でレーサーの伊藤真一氏を取り上げていた。

現在42歳の彼は現役最年長だそうで、
2年前には大たい骨の粉砕骨折という大けがを負った。

270キロでカーブに突っ込んだのだそうだ。

九死に一生を得た彼は、
それでも現役に復帰したのだから、
もう筋金入りの「スピード狂」だ。


彼は番組で、
「こんな生活をしている人間が家族を持っちゃいけないんだと思うんですけど、味方が欲しいんですね」
みたいなことを話していた。


亀田と内藤の一戦の後、
勝利した亀田が、
バッシング中にも応援してくれたファンに感謝していた。


我が身を振り返ると、
亀田家のことをあれこれ言えたもんじゃない。
どーしようもない人生を送ってきた。

多くの人がぼくの元から去って行った。
それはそれで仕方ないことだった。
でも、
そんな冬の時代でも、
味方になってくれる人はいた。

味方がいるということがどれほど有難いか、
試練の時こそ知るのだとつくづく思うし、
そういう人こそ本当の味方なのだと痛感する。


●「キャンディ」(ニーム・アームフィールド監督)をDVDで。ヒース・レジャーが出ているというだけで借りたのだが、「高相夫婦物語」みたいだった●「THIS IS IT」の予約が始まったのだが、DVDにするかブルーレイにするかで悩み、結局ブカレストライブを申し込んだ。

2009年11月30日月曜日

鼻血

JR元町駅前にはJRAのウィンズ、
つまり場外馬券場がある。

大きな建物で週末はおっさん連中で混雑するのだが、
ぼくは一度も入ったことがない。

そもそも競馬に興味がないので、
馬券は生まれて一度しか買ったことがない。


それでも、
天皇賞とか有馬記念とか、
G1レースになると嫌でも情報が入ってくるし、
今日のジャパンカップも、
ゴルフ中継の合間に見てしまった。

ウォッカという素敵な名前の馬が、
牝馬で初めて勝ったのだが、
このウォッカ嬢、
レース中に鼻血を出したらしい。


興奮すると馬でもそうなんだ、
ぐらいに思っていたら、
それは引退確実の一大事だった。

馬は鼻呼吸しかできないそうで、
競走馬にとって鼻は文字通り生命線。
鼻血といっても実際は肺が出血していることが多いのだそうだ。

また、
競馬に詳しい後輩によると、
馬は元来血圧が高いので、
一度でも鼻血が出ると、
なかなか止められないとか。


へぇー知らなかったと感心しているうちに、
亀田興と内藤の一戦が始まった。

予想以上に亀田の一方的な展開。
内藤の顔は鼻血で染まり、
みるみる腫れて痛々しかった。


同じように鼻血を出しながら、
ウォッカは勝ち内藤は敗れた。

でも、
どちらもこれで本当に引退なのだろうか。

●正直、亀田一家に良い印象はないのだけれど、興毅だけは好感が持てる。一家の負債を一人で返している頑張り屋の長男といった風●横峯さくら逆転賞金女王。彼女のファンの母はお喜び。遼も2位となり、史上最年少賞金王を確実にした。

2009年11月29日日曜日

一口

15回目となる神戸ルミナリエの試験点灯があって、
その新聞記事で27歳の男性が、

「小学校6年生から今までいろいろあった」

みたいなコメントをしていて、
胸にズキンと来るものがあった。


当時仕事の関係もあって、
被災地の小学校にはよく行った。

あのころ校庭を駆け回っていた男の子が、
今や30歳を目前にしたおっさんになっているのだ。

一口に15回といっても、
年代の切り取り方で随分印象は変わる。


震災のあった1995年の年末、
第一回の時点ですでに大人になっていたぼくとしては、
毎年大して代わり映えしないように思えるルミナリエ。

一時は風前の灯かと思われたけど、
ここまで続いたら、
ひょっとしたら風物として定着したのかもしれない。

子どものころに親に連れてきてもらい、
思春期に恋人と訪れ、
大人になってわが子に見せる。

15回という数字には、
それほどの重みがあるのだナ。


ところで、
亀田興と内藤のボクシング世界戦が今夜行われる。

世間では、
「辰吉VS薬師寺以来の盛り上がり」
なんて宣伝している。

ちなみにあの一戦が行われたのは1994年12月4日。

そう、
15年前の出来事だ。

●そのひと月後に震災は起きたわけだ。

2009年11月28日土曜日

単独

ペンギンさんが走ってきた。

手に「THIS IS IT」の半券を握りしめて。

先週ぼくが勧めたら、
その翌日一人で観に行ったのだそうだ。

「よかったー」と感激の様子で、
紹介者としてぼくも嬉しかった。


ところが、
ペンギンさんの喜びは映画だけではなかった。

映画館に一人で行ったのは、
生まれて初めてなのだとか。



世は「お一人さま」の時代である。

数多ある娯楽の中で、
映画鑑賞ほど一人に向いているものはないと、
そう言っていいと思うのだが、
世間では喫茶店にさえ一人で行けないという人が、
今でもいる。

特に女性に多い。

ペンギンさんもどうやらそのクチだったようだ。


何事も「初」とか、
「単独」がつく行為は特筆される。

ペンギンさんにとっては「初」でしかも「単独」。

画期的な事件だったのだ。


初めての一人旅。

初めての一人暮らし。

初めての一人舞台。。。


一人や孤独が平気なぼくではあるが、
初めての時のことは、
どれも鮮烈な記憶として残っている。

嬉々として喜ぶペンギンさんを見ながら、
人生に一度きりの、
そうした「単独」の初体験を、
ぼくはあと幾つ残してあるだろうと、
少し羨ましく思った。


●毎日新聞が共同通信と業務提携。単独では生き残れないようだ。新聞業界大再編時代の幕開けだ。

2009年11月27日金曜日

主導

ぼくが通っていた中学校には毎年秋、
各クラスや部活動単位で日ごろの活動の成果を見せる、
「学習発表会」というのがあった。

3年生の時に文化委員長だったぼくは、
「学習発表会」というのは堅苦しいから、
何とか「文化祭」に変えようとしたのだが、
教師の猛反対に合った。

いろいろやりあった記憶はもうなくなったけど、
結局「文化発表会」とすることで落ち着いた。

結局看板の掛け替えに過ぎなかったかもしれない。

ぼくは対等に交渉していたつもりだったけど、
結局教師が主導権を握っていたのかもしれないと、
今になってみて思う。


ところで「必殺仕分け人」の活躍が連日続いているが、
結局これって財務省の言いなりじゃないの?
とみなが気付き始めている。

これまでだって、
各省庁からの予算要求がまずあって、
それを積み上げたらすごい金額になるから、
財務省で査定してきた。

「仕分け」ってつまりこの「査定」のことで、
役人がやっていたことを、
シナリオ付きで公開しているようなものだ。

これを役人主導ではなく政治主導だというのは、
まったく馬鹿げている。


本当に政治主導にしていなら、
今回の90兆円の概算要求を(仮に)60兆円に減らしなさいと、
そう財務省に指示すればいいのである。

減らす算段は財務省の賢い人がすればいい。
もし出来ないというのなら、
その人は「無能」あるいは「不適格」ということで、
別の人に代わってもらう。

と、
本来ならこうあるべきだろう。
本来役人の仕事にまで政治家が首を突っ込んで、
こまごましたことに振り回されていては、
肝心の国にかじ取りがおろそかになる。


鳩山首相の故人献金問題も少し炎が見え始めた。
マニフェストも額面通りとはいかぬようだ。



鳩山政権に早くも正念場が訪れようとしている。


●歯の詰め物がとれ、久し振りに歯医者さんに行った●昼ごろ、わが家の前の線路でまた人がはねられた。母が警察の聞き込みを受けていた。

2009年11月26日木曜日

耳栓

最近街中で音楽を聴くときに愛用しているのは、
Ultimate Ears 700というイヤホンだ。






これより高価で、
かつ良い音がするイヤホンはあるけど、
とにかく抜群に小さい。

ちょっと見ただの耳栓にしか見えない。
実際耳栓のように遮音性は高く、
音楽をかけてなくても、
周囲の音がほとんど聞こえなくなる。

だから喧騒の中にいても、
驚くような音質が鼓膜にじかに手渡されるようで、
それは従来にない感覚だ。


ところで、
今日の読売新聞夕刊で、
作家の藤原智美氏のコラム「SPICE」で、
「THIS IS IT」に触れていた。

この映画を見た感想として、
とても共感できる内容だった。

中でも印象に残るのは、耳にはめた音声モニターについての発言だ。
 「自分の生の声を聞きながら歌うように育てられてきたから、慣れてないんだ。まるで拳を耳に突っ込まれたような気になる」


そうそう、
マイケルはそう言っていた。
「拳を耳に突っ込まれた」というのは言い得て妙。

最近はたいていの歌手があのイヤホンを耳にしているけど、
マイケルは初体験だったのか。


それにしても氏が観た時、
映画が終わると会場に拍手が起きたといい、
この映画を紹介してくれた同僚の時も同じだったというが、
ぼくが観たときにはそんなことはなかった。

そんな「お約束」があるなんてちっとも知らなかった。

気配もなかったのだが。

いつの間にか、

世間に対しても耳栓をしているのだろうか?

でも、
もしぼくがその「お約束」を知っていて、
あの状況で一人拍手する勇気があっただろうか。


勇気の問題じゃないけど。

2009年11月25日水曜日

偏狂

昨夜のマイケル追悼番組を見て知ったことなのだが、
マドンナが自分のライブで行った、
マイケル追悼コーナーでマイケル役をやったダンサーは、
日本人の「ケント・モリ」という24歳の人だそうだ。

それだけならいざしらず、
実は彼はマイケルのコンサートのバックダンサーに応募して、
1番で合格していたというのだ。

ところがその時点で彼は既にマドンナと契約しており、
マドンナ側が契約解除をどうしても認めず、
彼の夢はかなわなかったのだという。

彼がマイケル役で踊ったというのも、
そういった経緯があったれば
で、
当然彼の略歴を知ろうとしたのだけれど、
ネットではよく分からない。
ひょっとしたら業こそだった。


一人の日本人ダンサーをマイケルとマドンナが取り合った、
という格好だったわけだ。
界では有名なのかもしれないが。

ともあれ、
彼はこの一件で一躍ぼくなんかでも知る有名人になった。


先日スポーツ報知に秋元康のインタビューが載っていて、
スターになるかならないかは究極「運」だと言っていた。

もしマドンナとの契約解除がうまくいっていたら、
彼は「THIS IS IT」には出れただろうが、
あくまでバックダンサーの一人。

結果的に彼が有名になったのは、
マドンナが彼を手放さなかったからであり、
マイケルが死んでしまったからである。

そう考えれば秋元氏の言うことももっともだと思う。


しかしそれはあくまで「スター」のレベルの話。

「大スター」や「スーパースター」となると、
桁外れの才能と努力が必要だということもまた、
マイケルの映画や番組を見ていて思う。

マイケルは15分のレコーディングのために、
発声練習を3時間したという。

踊りにしても、
世界の一流ダンサーの中で、
ただ一人別次元にいることは、
素人であってもだれでもひと目見てわかる。

そこに「完璧主義」と一言で片付けられない、
何か恐ろしいほどのものを感じる。


「妥協を一切も許さない」という言い方も違う。

運もねじ伏せるようとするかのような、
ある種偏執狂的な何か。


数学の難題に取り組んだ天才たちが、
何人も精神的に病んでいったという話を先日書いた。

そういうのに近いかもしれない。

2009年11月24日火曜日

克服

立花隆氏がガンだったと、
今日のNスペを見るまで知らなかった。

多発性の膀胱がんがわかったのが2年前だという。

以来、
立花氏らしく文献を読みあさり、
最先端の研究者に直接会い、
ガンという病の謎に迫ろうとした。

番組はその2年間の軌跡であった。


その結果、
立花氏が出した結論は、
自分が生きている間にガンが医学的に克服されることはない、
という、
衝撃的なものだった。

それは、
ガンというものの発生原理が、
人間という生物がここまで進化できたことと、
ほとんど不可分であるという認識からきている。

人間の細胞の根幹をなす幹細胞とがん細胞が酷似している、
その一点だけでも、
ガン細胞だけを根絶することが、
原理的にいかに困難かということが分かる。

ガンの生命力は人間の生命力と同じなのだ。
ガンの生命力を断つことは、
人間の生命力を断つことに等しいのである。


で、
ここからが立花氏の真骨頂だと思うのだが、
そのように根治不能なガンであるなら、
抗がん剤治療で苦しみながら長生きしてもしょうがないと、
そう割り切ってしまったのだ。

だから、
再発しても抗がん剤治療は受けないと、
そのように宣言していた。


ある意味、
現在治療中の患者さんには残酷な内容だ。

いわば「その治療は無意味です」と言われたようなもの。
自ら患者である立花氏でなければ、
NHKは抗議の嵐だっただろう。

立花氏自身、
そう決断するまでは、
藁にもすがる思いで調べたはずだ。

最後は末期ガン患者のいるホスピスまで取材していた。

ガンで死ぬ人という、
そこまで取材を極めて立花氏は言う。

ジタバタしないことがガンを克服するということ

ズシンと重い言葉だ。

●調べたら昨年4月の文芸春秋で告白していたそうだ。我ながら情けない●SMAP特別編でマイケルの特集。ライオネル・リッチーがマイケルの地声は低いと話していたのが興味深かった。

2009年11月23日月曜日

滅亡

絶叫マシンが好きだ。

長島スパーランドや富士急ハイランド。

国内のジェットコースターのめぼしい奴は、
たいてい一度は乗っていると思う。

でも、
一番怖いと思ったのは、
今はもうないけど、
阪神パークの「ジェットスターⅡ」だ。


それはともかく、
「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)を観てきた。

休日とあって、
シネコンの中でも広いほうの437席はほぼ埋まっていた。

この監督の作品に、
感動とか物語の巧みさなんて、
始めから求めていない。

「インディペンデンス・デイ」
「デイ・アフター・トゥモロー」

この人は、
何を撮りたいかではなく、
何が撮れるのかという思考回路で映画を作っている。


そういう意味で「2012」は、
期待通り、
いや期待以上の出来だった。

要するに現代版「ノアの方舟」話であるが、
地球が崩壊する様子を、
VFX(特撮を最近ではこういうらしい)で、
これほどリアルに見せることができるとは。

茫然自失の158分。

現実は想像を超えるのが世の常だけど、
これほどの映像を見てしまうと、
今後どんな災害が起きても「既視感」を抱くかもしれない。


帰り際、
一緒に行った母が「主人公は何があっても助かるな」と、
妙に納得した様子。

そうだ。

ぼくらはご都合主義で助かる主人公ではない。

それを考えると、
爽快感が少し減った。

●見るなら映画館で。どうせなら3Dで作ればよかったのに●にしても人間って、どうしてこんなに滅亡話が好きなのかな●帰宅してBShiを見ていたら、月に基地を作る計画のドキュメントになり、いつか本当に月に移住する日がくるのではないかと思った。

2009年11月22日日曜日

歌姫

BS2でちあきなおみの特集を2時間もやっていたので、
ついつい見てしまったが大正解だった。

次々流れるライブ映像を見ながら、
「あぁ、歌がうまい」としみじみ感じ入った。


番組中、
NHKらしく茂木健一郎が出てきた。

「喝采」が流行ったのが小学校高学年の時で、
それ以来全然聞かなかったのだけど、
数年前たまたまラジオで聞いて驚いた。
年を取らないとわからないよさってあるんですね。


さすが茂木先生。
同年代だけに全く同感だ。


歌謡曲だけでなく、
演歌やシャンソン、
ポルトガル民謡「ファド」まで歌いこなす抜群のセンス。

他人の曲でも彼女が歌うと、
まるで最初から彼女の歌だったように聞こえる。

ある意味、
美空ひばりを超えているかもしれない。


その数時間後、
同じBS2に中森明菜が登場。
カバー曲ばかり歌うライブをやっていた。

彼女も彼女なりに凄い人ではあるが、
ちあきなおみの後番組というのは、
ちと具合が悪かった。


1978年に俳優の郷鍈治と結婚したが、1992年に死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。

ウィキペディアの記述であるが、
こういう情念こそ、
ちあきなおみの歌を支えているものだったのだろう。

すでに還暦を過ぎている。

歌姫の再降臨は、
残念ながらありえないだろう。


●「喝采」は1972年のレコード大賞受賞曲。前年は尾崎紀世彦「また逢う日まで」、翌年が五木ひろし「夜空」。歌謡曲絶頂期だな。

2009年11月21日土曜日

眠目

阪神が今年のドラフト1位指名した、
法政大学の二神一人投手のモットーは、
「年中夢求」だそうだ。

「年中無休」に引っ掛けた駄洒落だが、
なかなかうまいこと言うもんだ。


夢という言葉は「眠目(いめ)」、
つまり寝ている時に見る夢から来ているらしくて、
「将来の希望」という意味で使われるようになったのは、
比較的新しいという。


最近よく夢を見る。

というか、
見た夢を覚えていることが多い。

それはいつも眠りの覚めぎわ、
つまり最後に見ていた夢だ。


夢の中で、
自分は結構ヤバイ状況におかれているのだけど、
「でもこれって夢じゃないの?」と考え始める自分がいて、
次第に夢の中で起きていることが、
論理的におかしいことを検討しだす。

最後には「だってここはぼくのベッドの上じゃないか」と思い、
そのころにはほとんど覚醒していて、
最後に目を開けて「ほらやっぱり夢だろ」となる。

焦っている自分と、
冷静に「まてよ」と思う自分が、
同じ頭の中で同居している事態は、
我ながら興味深い。


夢中の人は我を忘れているが、
夢の覚め際って、
自分を客観的に眺める究極の状態ではないか。

スポーツ選手が「ソーン」と呼ぶ状態や、
ステージ上の歌手や役者が、
自分自身を上から眺めているような状態というのは、
そういうことなのかもしれない。

臨死体験にも似たような話があったな。


そういう風に、
いつも夢の覚め際のような感じをもてたら、
それは人生の極意かもしれない。

2009年11月20日金曜日

覚書

小学生や中学生の時に書いた自分の文書を読んで、
「こいついいこと言ってるなぁ」と感心することがある。

子供じみた空想や夢物語がほとんどなのだけど、
中には大人になった今の自分をチクリと刺すような、
そんな言葉にドキリとする。

もちろん、
書いた当時の自分は大して深く考えずに書いたわけだし、
大人には大人の思考回路や世界観というものがあって、
子どものころのように世の中は割り切れるものではないと、
今では知っているのだが、
子どもだった自分の文章には、
何も知らない分、
ある種「竹を割った」ような部分があって、
妙に「潔さ」を感じるのだ。


みたいな話をペンギンさんとしてから、
元町界隈をうろつき、
さらにジャンカラと天満じゃず家へ行った。


にしても、
何か思いついたら記録しておくということは、
結構重要なことで、
今日も歌うことに関する数週間前の思いつきというか、
覚書みたいなものを読んで、
かなり救われた。

ぼくはある一年を除いて、
日記というものをつけたことがないけど、
もし子どものころから日記の習慣があって、
しかもそれを定期的に読み返していたら、
人生大幅に違っていただろうと、
それは確かに言える。


そういえば今日は、
自分で読んだことのある本の朗読を聞いた。
もちろん抜粋だったのだけど、
今年読んだにもかかわらず、
ずいぶん(というかほどんど)忘れていて、
あらためて読み聞かされて、
「なるほど」と思うことがいくつかあった。

何よりも、
自分が何でもすぐに忘れるアホだということを、
しっかり思い出した(笑)。

●じゃず家のライブは、吉竹祐子(Vo)押領司由紀(Pf)佐々木善暁(B)水上ダンヒル洋(Dr)の面々。ライブに行くのは久々だったし、元気なパフォーマンスを楽しめた。

2009年11月19日木曜日

特撮

「THIS IS IT」を見に行ったら、
「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)の予告編をやっていた。

地球が崩壊するという、
もうこれ以上ないというような、
大スペクタクル映像。

最近の特撮ここまで来たかと感心はしたものの、
いまどきはこんなのばっかりで、
いささか食傷気味。

もう不感症になってきて、
いまさら何見ても驚かないななんて思っていたら、
そのリーダーが日本人の若者だったと、
今日の「クローズアップ現代」で知って、
そっちの方には驚いた。


坂口亮という人で、
1978年生まれというから、
まぁ若者は言い過ぎかもしれないが、
大学在学中の1999年に渡米。
徒手空拳努力し、
今はロスアンゼルスのデジタルドメインという、
特撮(最近はVFXというらしいが)の名門に所属している。

昨年、
日本人では初めてアカデミー賞の科学技術賞を受賞したというが、
そんなことちっとも知らなかった。


大学在学中に渡米という点に魅かれた。

後先考えず日本を飛び出し、
世界で頑張る若者。

たまたま彼はクローズアップされているけど、
きっと今現在も彼のように世界で頑張る若者が沢山いて、
これからも続々と生まれるだろう。

別に海外に行かなくたっていい。
要は自分のやりたいことがあれば、
突っ走れということだ。

中途半端が一番いかん。
中年男が若者に贈る最大の助言だ。


一度きりの人生だから好きなように生きろ。

物分かりよさそうに言う人に限って、
その人のキャパを超えたことをしようとすると、
意外なほどに保守的になる。

そういう大人をぼくは知っているし、
ひょっとしたらぼく自身そうなりかけているかもしれない。

それでも飛び出す若者のエネルギーに憧れるし、
無条件で拍手喝さいしてしまう。


いやなに、
保守的がいかんとは思わない。
世の中の大半の人は保守的であるべきだし、
そんなに世の中が激動ばかりされても困る。

しかし、
坂口氏のような人間を知ると、
胸がスカッとすると同時に、
そういうことが果たせなかった自分の夢を託したくなる。


迷っていたけど「2012」を観に行こうと思った。

2009年11月18日水曜日

怪力

大相撲の魁皇が幕内800勝を飾った。

「史上3人目の快挙」と言われてもピンとこないが、
「毎場所全勝しても9年かかる」といわれれば、
なるほど強いだけでなく、
丈夫でなければなし得ない偉業だとわかる。

ちなみに上の二人は、
千代の富士(807勝)と北の海(804勝)。

言わずと知れた大横綱だ。
今場所か遅くとも来場所には、
大関の彼がこの二人も抜くことだろう。


「怪力」で鳴らす魁皇だが、
意外にも得意技は「小手投げ」。
相手のひじをキメるこの技は危険極まりなく、
これまで何人もの力士を病院送りにしてきた。

今日の把瑠都戦も怪力対決が楽しみだったが、
あっけなくこの技で終わった。


800勝はすごいことだけど、
小手投げは引き技と同じで、
癖になると力士として大成しない。

魁皇にはなまじ怪力があっただけに、
力任せのこの技に頼るようになってしまった。

魁皇がもし小手投げを若いうちに封印していれば、
間違いなく横綱になっただろうと思うと、
金字塔にも素直に喜べない。


せめて今場所は優勝して、
大記録に大きな花を添えて欲しいものだ。

2009年11月17日火曜日

難問

「リーマン」と聞いて今どき思い浮かぶのは、
経済危機の元凶である米証券会社。

あるいはぼくらサラリーマン。


くだらない。

実にくだらない。


しかしながら、
数学の世界で「リーマン」といえば、
泣く子も黙る「リーマン予想」のことらしい。

Nスペ「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」は、
この超難問に取り組む数学者の歴史を、
かなり分かりやすく紹介していた。


ぼくなりに理解したところでは、
リーマンという数学者が150年ほど前、
素数の並びには規則性があると予想したんだとか。

一見ランダムに見える素数の並びが、
実は円周率と密接な関係にあって、
その規則性を見つけることが、
宇宙の成り立ちを解明するカギになるんだそうだ。

何で宇宙が突然出てくるかというと、
最近の原子核の研究で、
原子核エネルギーと素数についても、
密接な関係があることがわかったからだ。

ということで、
素数は「創造主の暗号」っていうらしい。

素数の謎を解けば、
万物の根源が見えるというわけだ。

これほど魅力的な難問もないでしょ。
だから数学者は躍起になるのだナ。

でも、
頑張り過ぎて精神を壊した人もいるようで、
人が創造主を理解するのは容易ではない。


にしても、
リーマンさんは、
勝手に予想だけして死んでしまったのだから、
随分と罪つくりなお人だ。

2009年11月16日月曜日

未完

「本編の存在しないメイキング」

「THIS IS IT」を観てきた率直な感想だ。


50歳のマイケルがライブなんて、
ありえないと思っていた。

だって今世紀に入ってから彼はライブを行っていない。
出来っこないと。

しかし、
これを観る限り、
本当の本当に実現間近だったようだ。


リハーサルで歌い踊るマイケルは、
「50歳にしては」というカッコ付きの次元ではなく、
往年の切れと歌唱力を保っていた。

50歳になったボルトが、
100メートルを9秒代で走れるか?

それほど驚くべきことだ。


彼の歌を子どものころに聞いて衝撃を受けた、
という世界一流のダンサーやコーラスの若者らと、
そん色ないどころか、
その中央で圧倒的オーラを放っている。

その鮮やかさは、
彼の回りだけ時間が止まっていたのでは、
と思ってしまうほどで、
長年一線を離れていながら、
どうやってあのクオリティを保っていられたのだろうかと、
不思議でならない。

いつやるかわからないコンサートのために、
毎日毎日、
トレーニングを重ねていたのだろうか。

だとしたら、
何で死んじゃったんだろう。


リハで彼が強調していたのは、
徹底してオリジナルを忠実にということ。
ファンが望むのはそれだと。

リハでここまで来ていたのなら、
何としても実現させてあげたかったなぁ。

つくづくそう思わせる、
あっと言う間の111分だった。


●ジョン・レノンが「愛と平和」のメッセージをぼくらに残したとするなら、マイケルの残したメッセージは「愛と環境」だ。CD買いました●Nスペ「魔性の難問」が面白かった。リーマン予想かぁ。感想はまた後日。

2009年11月15日日曜日

呪文

子どものころ、
新聞の名文コラムといえば、
朝日新聞「天声人語」と相場は決まっていた。

今でもその評価に変わりはないのだけど、
最近では読売新聞「編集手帳」もなかなか健闘している、
というのが最近の評判だ。

筆者が交代すれば、
文章の質も変わる。

匿名コラムとて同じだ。


大学生の時、
入社試験の作文用にと人に一読を勧められたのが、
「カンカラ作文術」(山崎宗次著、光文社)だ。


カンカラコモデケア


合格作文の極意として、
筆者が掲げた呪文である。

ちなみに著者は元毎日新聞記者だ。

カン=感動
カラ=カラフル
コ=今日性
モ=物語性
デ=データ
ケ=決意
ア=明るさ

呪文の方だけなぜか覚えていたのだけど、
その一つ一つの意味はすっかり忘れていた。

でも当時はこの呪文を唱え、
入社試験に合格できたのだから、
少しは効き目はあったのだろう。


その本が今でも手元にあって、
パラパラめくってみた。

昭和59年初版。

定価650円。


本の値段って、
意外に安定していることに感心した。

●ところが驚いたことにアマゾンで調べてみると、何とこの本、今や中古で4380円で売られている!「お宝」になっていたとは●このブログにあてはめると「カラ」と「ア」に欠けていることに気づいた。明日から少し注意しよう●ようやく休みだ。「THIS IS IT」を観にいこう。

2009年11月14日土曜日

隔世

24時間、戦えますか

そんな栄養ドリンクのコピーがあった。

「企業戦士」という言葉も、
もはや死語かもしれない。


「不毛地帯」(フジテレビ系)を見ていると、
昭和30年代から50年代にかけて企業の上層部だった人は、
大抵が戦争の生き残りだったのだと、
つくづく思い知らされる。

戦場で死の淵をさまよった。
仲間を目の前で失った、
部下を死なせてしまった。

そういう壮絶な思いを背負った人が数多くいたはずだ。
彼らにとって企業活動は、
舞台を替えた戦場にほかならなかっただろう。

彼らは栄養ドリンク飲んで嫌々残業する、
軟弱サラリーマンとは違う、
正真正銘の「企業戦士」だったのだ。


敗戦後64年の今この日本で、
命がけで会社につくすなんて、
冗談にもなりゃしない。

かつての戦士からすれば、
「隔世の世」であろう。


彼らが土台を作った今の日本がいいかどうかは別として、
ドラマを見ていると、
ある種の「畏敬の念」がこみあげる。

平和は結構だけど、
平和ボケでは格好つかないなと、
そんな風に思う。

2009年11月13日金曜日

洋画

会社の後輩の女性が、
「映画は吹き替えで見る」という。

「字幕を追うのが疲れる」というので、
ぼくは少しばかり驚いたが、
すぐに「なるほどな」と思った。

シネコンの時代になって、
字幕と吹き替えの両方が楽しめる時代だ。

レンタルにしても、
DVDの時代になってからは、
両方が当たり前だ。

生の俳優の声をありがたがるより、
映像そのものをじっくり鑑賞するなら、
確かに字幕より吹き替えの方がいいかもしれない。

そういえば、
アメリカでは洋画は吹き替えが当然なのだと、
以前聞いたことがある。

もっともアメリカにおける洋画とは、
フランス映画や日本映画なわけで、
数は少ないだろうが。


その少し前、
同僚の女性が「THIS IS IT」を絶賛していた。

彼女は特別マイケルファンというわけではないそうだが、
50歳のマイケルのダンスや歌があまりに素晴らしく、
続けて2度観たそうだ。

そして感激の余り、
サントラCDまで買ってしまったという。

シネコンの時代に2度観たということは、
2倍の金を払ったということ。
さらにCDまで。

そこまでさせたマイケルは、
やはり凄いのだ。

ぼくはこの手の口コミに圧倒的に弱い。

是非観たいと思うが、
こればかりは吹き替えはなしだナ。

●明日にでも見に行きたいのだが、あいにくと今週は忙しい。

2009年11月12日木曜日

逸品

こんな商品があったらいいなと長年思っていて、
たまたま巡り合った時って、
頭の中に「!」が灯ったような感じで、
それはもう「感激」といっていいほどの喜びだ。














これは「TWINBIRD LEDベッドライト」といって、
枕元用の読書灯だ。

ベッドサイドボードに挟んで使う。


何でこれしきのものに感激などするのかと、
不思議に思われるかもしれないけど、
この商品でぼくが一番評価しているのは、
挟む板の幅にゆとりがある点だ。

ぼくのサイドボードは幅が5センチと厚めで、
これまで随分探したけど、
通常のクリップタイプのやつでは、
うまく挟むことができなかった。

ところがこの商品は最大5.5センチまでOK。

ありそうでなかった。

だから画期的なのだ。


付け加えると、
光源は流行りのLED。
熱くならないから夏場でも便利だ。
照らす方向はかなり自由に変えられ、
照度は2段階で1時間で消灯するタイマーもついている。

デザインもシンプルで、
必要かつ十分。

これで4000円もしないのだから、
まさに、
ぼくにとっては至れり尽くせりの逸品である。


かくして秋の夜長はさらに延長。。。

●市橋容疑者で世間は大騒ぎしている。外国人女性が殺され、容疑者が整形しながら逃亡と、ニュース性があることは認めるが、30男の犯罪で、何で親が引っ張り出されなきゃならんのか、さっぱりわからない。

2009年11月11日水曜日

印度

アメリカ一周旅行をしたのは、
もう四半世紀も前のことになる。

グレイハウンドという長距離バスを使った旅の途中、
ぼくより年上の、
それでも30歳にはまだなっていなかっただろう、
旅慣れた日本人男性と相席になった。

その人の名前も、
住所も聞かなかったのだけど、

「インドはいいよ」

という一言だけが印象に残り、
次に旅をするならインドだと決めたものの、
今だ実現していない。


「スラムドッグ$ミリオネア」(ダニー・ボイル監督)をDVDで見て、
もしあのころにインドに言っていたら、
確かにぼくの人生観は変わっただろうと思った。

アカデミー賞を獲ったということしか知らず、
内容については特に語ることはないけど、
とにかく子役の生き生きした演技、
そしてインドのスラム街の発するエネルギーは凄かった。

人間も所詮、
言葉を持った動物に過ぎないという、
当たり前のことに気づかされる。


「インフルエンザパンでミック」(河岡義裕、堀本研子著、講談社ブルーバックス)。

ウィルスが強い毒性を持つようになるのって、
何かウィルスに意志があるかのように錯覚するけど、
結局それも偶然性の問題で、
感染力が猛烈だから、
突然変異の起きる確率も飛躍的に高まるという、
単純に言えばそういうことなのだと納得する。


ある意味、
人間もウィルスも、
その存在を次代につないでいくいく、
そのことだけが存在理由のような気がしてくる。

人生の意味とか、
人間の存在価値とか、
そんな大それたことは、
あまり考えまい。


NHK「プロフェッショナル」にユニクロを再生させた男が出ていて、
いいことを言っていた。

成功しても失敗しても成長する

続けること。

つなぐこと。

そういうことしかぼくにはできないし、
個人としてはそれで十分なのだ。


●天満「じゃず家」セッション。我ながら笑えるぐらい進歩が遅いと思うのだけど、それでもあきらめず、
続ける。それしかできない●森重久弥死去。号外が出たと聞いて驚いた。享年96歳。余りに大往生で、往年の活躍ぶりをあまり知らないからかもしれない。

2009年11月10日火曜日

初志

このブログは毎日更新するという、
自分なりの絶対的取り決めがある。

500回を超えたということは、
当たり前のことだが、
500日欠かさず何かを考え、
一応文章にするという作業を繰り返してきたわけだ。


それなりに感心するのだけれど、
読み返してみてもほとんどが、
本や映画やテレビや新聞でその日印象に残ったことから、
連想を膨らませているに過ぎない。

一応最低限の落ちをつけようとか、
考えていた時期もあるけど、
今はあまり考え過ぎないようにしている。


それでも時に、
どーしようもなく何も思い浮かばない日もある。

昼間、
「このネタでOK」と思っていたはずが、
深夜PCの前に座った時点で頭が空っぽ、
昼間のことさえ思い出せないような時が。

それでも続けているのは、
「いい歌手になりたい」という初志を忘れないためであり、
歌とは全く関係ないことばかり書いていても、
このブログが続いている限り、
ぼくの努力も続いている。


ところで。


ヤンキース優勝の試合の録画を見返してみた。

MVPに選ばれた松井が、
7年間を振り返り、
「苦しかったけど辛くはなかった」
みたいなことをしゃべってた。

「苦しい」は体の問題。
「辛い」は気持ちの問題。

そんな風に捉えてみると、
度重なる故障に見舞われながらも、
松井の中で「ワールドシリーズ優勝」という、
初志は折れなかったということだろう。


年齢に関係なく、
この男をぼくは心底尊敬するなぁ。


●というわけで、実は今日が何も思い浮かばない日でした(笑)

2009年11月9日月曜日

飽和

巨人は7年ぶりに日本一になり、
松井秀喜はヤンキース移籍7年目で頂点に立った。

だからというわけではないが、
7年というのは、
生物のひとつの単位なのではないかと思うことがある。

セミの寿命は7年という説があるし、
ゲーテは7年周期で躁状態が訪れたという。

「ラッキー7」の語源は、
キリスト教に由来すると言う説や、
野球で7回に逆転することが多いなど、
さまざまだけど、
「7」という数字に何かしらの感情を抱く人は多いはずだ。


そうそう、
ドラマの主要な登場人物は7人までという定説がある。

8人以上になると、
途端にストーリーが把握しにくくなるんだそうだ。
「男女7人夏物語」
「7人の侍」。。。
例を挙げるまでもない。

電話番号など、
簡単に暗記できる数字も7桁までだという。

人間はとりあえず7で何かが飽和状態になるのかもしれない。
「7年目の浮気」っていうのも、
案外そのあたりに原因はあるのかもしれない。


ぼくの個人史を振り返っても、
7歳
14歳
21歳
28歳
35歳
42歳と、
ピタリとではないけど、
それぞれ転機となるような出来事が起きた。

先の考え方を当てはめるならば、
それはぼくの身に何かが降りかかったというよりは、
ぼく自身の中で何かが飽和して、
一時に吐き出された結果かもしれない。

そうすると次は50歳前後ということになるが、
今ぼくの中で着々と何かがたまっているのだろうか?

孔子を信用するなら、
天命を知るはずなのだが。


延命を願ってたりして(笑)

2009年11月8日日曜日

探訪

実家が震災で半壊し、
建て直さねばならなくなった時、
ぼくは親父に設計士に頼むようアドバイスしたのだが、
親父はさっさと大手住宅メーカーに依頼してしまった。

可もなく不可もなく。

これまた親父らしい選択だったのだと、
今では思うけど、
当時は歯がゆくて仕方なかった。


TV朝日系列の番組「渡辺篤史の建もの探訪」が、
放送20周年なのだそうだ。

以前はよく見ていたのだけど、
いつのころからか遠ざかっていた。

ここ数週間、
再び見るようになって、
色んな人がこだわりを持って建てた家を、
拝見させていただいている。


最近は窓の少ない家が多いようだ。
プライバシー重視というか、
外見はそっけないのに中は広いとか、
思った以上に明るいとか、
様々な工夫に感心する。


ぼくはといえば、
買ったマンションも売り払い、
今は親父の残した家に母と二人で住む。

PCを置いたデスクも親父のお下がりだ。

親父は一人で2度家を建てたが、
ぼくは恐らく1度も建てることはないだろう。


でも住めば都。

ここでの暮らしは悪くない。
家は結局のところ器でしかない。


要は住まい方だ。

個性的な家は、
探訪だけで我慢しよう。


●巨人日本一奪回。そして原監督は名将となった●このブログが500回を超えたことに今日気づいた。

2009年11月7日土曜日

語呂

「アラカン」と聞いて、
まず嵐勘十郎が浮かぶ人は相当の御年輩。

ひょっとすると、
そう思う人がまさに「アラカン」かもしれない。


「アラサー」

「アラフォー」

なかなか上手いこと言うと思うのだけど、
50歳前後を指すこの手の呼び名がない。

「アラフィフ」じゃ確かに語呂が悪い。


「シー・オブ・ラブ」(ハロルド・ベッカー監督、1989年)をDVDで。
人に薦められたのだけど、
主演のアル・パチーノがいい。

彼は1940年生まれだから、
この映画のころは50歳前だということになる。


まったくの偶然なのだが、
先日の「恐怖のメロディー」と並んで、
この映画も一種のストーカーもので怖かった。

彼は離婚歴ありの中年デカ役。
酒をあおって別れた女房に電話してしまう情けない男。

目に浮かようぶでしょ(笑)


アル・パチーノといえば「ゴッド・ファーザー」シリーズ。

1970年代、
彼はこのシリーズで一躍世界的スターになったのだけど、
略歴を見ると、
その後しばらく映画では役柄に恵まれず、
主に舞台で活躍していたとか。

今回の「シー・オブ・ラブ」は、
映画では久々のヒット作だったらしい。


身長167センチ。

高いとは思ってなかったけど、
ぼくより低いとは少々驚き。


老境の域に達してもなお、
男の悲哀フェロモン全開である。


●やぁペンギンさん久し振りって感じの元町はとっても爽やかいい天気だった。

2009年11月6日金曜日

安堵










この誇らしげな松井秀の表情はどうだろう。

Wシリーズ第6戦、
DHで出場した彼は2ランホームランを含む6打点をたたき出し、
ヤンキースを9年ぶりの優勝に導くとともに、
日本人で初めてMVPに輝いた。


苦節何年という言葉があるが、
巨人からヤンキースに移籍して以来の7年は、
彼にとってまさに苦節の日々だったと思う。

甲子園での5打席連続敬遠に始まって、
ミスターがクジを引き当て巨人入り。
順風満帆、
不動の4番に成長しての大リーグ行きは、
本人にとって夢への一歩であると同時に、
日本球界に背を向けることに対して断腸の思いで一杯だったはずだ。

だから彼はWBCも辞退し、
ただひたすらWシリーズ優勝だけにかけてきたのだと思う。

それだけが、
日本の野球ファンに対して、
彼が出来る感謝の表し方だったはずだ。


そしてヤンキースは、
その最短距離にあるはずのチームだった。

なのに皮肉なことに彼が入団して以来、
チームは優勝を逃し続ける。

その間、
彼は選手生命の終わりともいえる手首の骨折があり、
今や満身創痍で守備にもつかせてもらえず、
DHとして黙々とバットを振り続けた。


契約最終年の今年、
チームはやっとの思いで2度目のWシリーズ切符を手に入れ、
そしてその大舞台で松井は、
これ以上ないという活躍で悲願を達成した。

イチローの偉業には「スゲエ」と天才ぶりに驚かされるが、
今回の松井は「よかった」としみじみ安堵させられるものがある。


そしてこの言葉を再び思いだすのだ。

夢をもつかぎり 努力するかぎり 夢は遠くない

まさに松井のためにあるような言葉だし、
こういう言葉や松井の姿が日本人にこだまして、
また新たな夢が紡ぎだされるに違いない。


ありがとう松井。

君は日本人の誇りだ。


●これで晴れて日本球界に復帰して、まさか阪神に入ったりしないだろうな‼●巨人は終盤の奇跡的追い上げでついに王手●いろんな意味で今日は良いことが続いた。

2009年11月5日木曜日

読書

インフルエンザ予防に効果的なのは、
うがいよりも圧倒的に手洗いなのだそうだ。

マスクにしても、
風邪にかかっている人がするのは有効だけど、
かかってない人は人ゴミではまぁ役立つかな、
というくらいなのだそうだ。

先日ちらっと見たNHKの「爆笑学問」で、
東大医科学研の河岡義裕教授が言ってたから、
たぶんそうなのだろう。


となるとついつい出不精になる日々。


「地図にない道」(須賀敦子著、新潮文庫)をパラパラめくる。

この人の名前は福岡伸一氏の本で初めて知って、
闇雲にアマゾンで何冊か注文したものの、
全然読んでなかった。

戦後間もなくヨーロッパに留学、
イタリア人と結婚した芦屋のお嬢様の随筆だ。

書き始めたのが60歳ごろからと、
「アラカン」のはしりのような方で、
文章は一言で「端正」。

穢れた世界を描いても、
上品に感じられるのは生まれのせい?
と思うのは先入観だろうか。

でも行間に陰鬱な精神世界が漂うのを感じるのは、
若くして夫と死に別れ、
自身も70歳を前にガンでなくなった、
決して幸せとはいえない人生を知っているが故の、
深読みだろうか?


立花隆氏は10万円。

佐藤優氏は20万円。


ひと月にかける本の購入代だそうだ。

ぼくは読書を趣味だとは認めないけど、
彼らは空気を吸うように本を読んでいる。

先日も紹介した、
「ぼくらの頭脳の鍛え方」では、
必読書として計400冊の本が紹介されているのだけど、
読んだことのある本は「バカの壁」ぐらいだ。


ぼくと彼らとの間にあるのが、
「バカの壁」だナ(泣)

●ということで、先日の誓いはあっさり破り、アマゾンで本を注文してしまった●日本シリーズ2勝2敗同士に。これでハムは札幌に戻れることになった。日本シリーズの過去の戦績をみると、○●○●ときたチームは必ず次も負けている。

2009年11月4日水曜日

興亡

細川政権の誕生から自民党の政権奪還、
そして民主党政権の誕生までの16年間を、
関係者の証言で追ったNスペ「永田町・権力の興亡①~③」が、
滅茶苦茶面白い。

まだ②の途中までを録画で見ただけなのだけど、
掛け値なしの面白さだ。

NHKの底力、
NHKでなければ作れない番組だ。


主役はもちろん小沢一郎。

この人は田中角栄の「弟子」、
つまり自民党のDNAを最も強く受け継いだはずなのだけど、
なぜか自民を飛び出し、
自由党やら新進党やら、
新党を作っては壊すことを繰り返してきた。

でもその根っこにあったのは、
55年体制の打破、
つまり政権交代可能な政治システムへの変革であったことに、
今更ながら気付かされる。


与野党含めた慣れ合いの構図を打破しようという、
その道のりは平たんではなく、
本人も認めているように、
時には失敗もあった。

そのあたり、
将棋の対局に似ている。
第三者の目には悪手に映っても、
渦中にいる人間には、
その時々「それしかない」と判断しているわけだ。

時に明らかな悪手を放ちながらも、
小沢氏は16年がかりで宿願を果たした。


しかしながら以前にも指摘したように、
民主党政権が誕生したことは、
政権交代の半分が実現したに過ぎない。

本当に政権交代可能なシステムが日本に根付くには、
民主党の成長とともに自民党が体質改善し、
健全なる対抗政党にならなければならない。

残念ながら、
それは小沢氏の手には余る仕事だ。


4年かせいぜい8年に一度、
政権交代する国になるには、
まだまだ長い年月がかかる。

●細川護煕や武村正義に野中広務。。。なかなか懐かしい顔ぶれじゃないか。早朝のラジオ体操をする村山富市など、どこにでもいる爺さんっぽくて笑えた●いきなりわが家にファンヒーター復活。

2009年11月3日火曜日

五感

五感を失った人からは意識もなくなるはず。

そういう文を書いた覚えがあって、
ブログを「五感」で検索してみたのだけど、
どうにも見当たらない。


というのも、
「ぼくらの頭脳の鍛え方」(立花隆、佐藤優著、文春新書)に、
こんな立花隆の記述(正確には対談なので言葉)があったからだ。


人間から視覚を奪い、聴覚を奪い、あらゆる皮膚感覚を奪っていくと、自分と自分を取りまく世界とのつながりが失われていき、自分がある客観世界に属した存在であるという一切の感覚が失われ、世界が崩壊します。それとともに自己の存在感が失われ、自己が失われ、幻覚世界の中に自己が溶けだしていくような感覚におそわれます。それと同時に、いつのまにか意識が失われ、眠りに入ってしまいます。


どうしてそんなことが分かるのかというと、
認知科学に感覚遮断実験というのがちゃんとあるそうだ。

立花氏はこの実験をもって、
カントのいう「純粋理性」は存在しないと言う。


想像でしかないけど、
たぶんそうだと思う。

仮に脳だけを取り出して保存する方法があったとしても、
その人の自我は保存できないだろう。

同様に、
仮にぼくの脳を誰かの体に移植したとして、
その体は「ぼく」だろうか。

SFに出てきそうな話だけど、
きっとそれは「ぼく」ではない。


そういうことを突きつめると、
現在ある「ぼく」という意識の根源みたいなものが、
いかに薄弱なものかがわかる。

「ぼく」の同一性は、
生物としての体の連続性によってのみ、
担保されているわけだ。


●塩分濃度の高い水に浮かんで、音や光を遮断する「アイソレーションタンク」というのが、その実験に近い状況を与えてくれるらしい●クリント・イーストウッド初監督作品「恐怖のメロディ」をDVDで。非常に面白いというか、怖かった●それにしても寒い。みなさん体調に気をつけましょうネ。

2009年11月2日月曜日

納骨

親父の納骨をした。

母の心配をよそに午前中は青空が見え、
気温も暖かかった。

伊丹の寺にある墓石は、
亡くなった親父が建てたもので、
大きからず小さからず。

いかにも親父らしい。

震災の時に倒れて、
2か所欠けた部分は今もそのままだ。


骨壺の中の親父の骨は、
「山盛り」と表現するのがピッタリなほど一杯で、
それを麻袋に移し替えたのだが、
用意した袋は大きいサイズだったのに、
それでもパンパン状態になってしまった。

花や線香を供える部分をゴリゴリ動かすと、
納骨するための穴があらわれて、
そこから入れるのだが、
袋に対して穴が小さすぎて、
無理やり押し込むように入れた。


その袋も、
中の骨も、
いずれ雨水が溶かし、
きれいさっぱり土に還るのだという。

そういえば、
震災の時亡くなった祖母の骨は、
影も形もなくなっていた。


●天気予報通り、午後には空は一変、嵐のような雨が降った●日本シリーズ、ダルビッシュ快投。故障していてなお強力G打線を2点に抑えたこの男は、間違いなく日本のエースだ●「翼のない天使」(M・ナイト・シャマラン監督、1998年)をDVDで。

2009年11月1日日曜日

散骨

藤沢秀行名誉棋聖の遺骨が先日、
故人の生前の希望通り周防灘に散骨された。

「磊磊(らいらい)」や「一期一会」などの文字が記された紙に包み、
弟子らの手で海に投げ入れられたという。

「無明居士」と自ら戒名をつけた藤沢さんらしいと思った。


その記事に触発されて、
間もなく3回忌を迎える父の納骨にあたり、
その一部を手元に残すことにした。

父も生前、
「骨はゴールデンゲートブリッジからまいてくれ」と言っていたのを、
思い出したからだ。

この橋があるサンフランシスコは、
亡き父が海外赴任していた思い出の場所なのだ。


いつの日か必ず、
この手で希望をかなえてあげようと思う。

それにしても、
「巨人、大鵬、卵焼き」的な生き方をしてきた父が、
そういう考えを持っていたことに、
いまでも意外感が拭えない。

思いのほかロマンチストだったのだ。


実はぼくも死んだら、
骨はどこかの海にばらまいて欲しいと思っている。

やっぱり父の子なのだと、
改めて思う。

●日本シリーズ巨人先勝。もし連勝すれば、データ的にシリーズを制する確率は約8割だ。

2009年10月31日土曜日

米粒

年賀状の発売が始まると、
「今年も終わりかぁ」と思ってしまう。

とはいえ、
まだ2か月残っているのだが、
思ってしまった以上、
この気分は消すことはできない。

ということは、
1年のうち六分の一は、
「もう終わり」気分でいるわけだ。

人生60年だとすれば、
10年にもなる。


思えばぼいう人間は、
穴の空いた米袋みたいなものだ。

せっせと蓄えながら歩いてきたつもりが、
実はポロポロと、
その大半をこぼしてきた。


だからここらで、
落した米粒を拾い集めるという考えは、
決して悪いことではない。

例えば、
読みかけの本、
たいして聞いていないCD、
あまり使わなかった品、
着れなかった服。
途中で投げ出した考え。。。


少なくともこの一年分、
落してきた米粒を拾い集めてみよう。

定期購読の雑誌とTUTAYA以外は、
新しい本や映画はやめよう。

落した米粒はぼくの歩いた道筋でもある。
拾っていれば、
少なくとも出発点には帰り着くだろう。

チルチルミチルみたいに。

●きっとみんなもすでに忙しいのだ。元町に行ったが、だれにも相手にされなかった●「不毛地帯」を始めて見た。若い人には時代劇だろうな。

2009年10月30日金曜日

器用













「ロッキー」(ジョン・G・アヴィルドセン監督)をDVDで。

1976年の作品だから、
今30歳の人でも「生まれる前」の作品ということになる。

大学生の時に、
新宿の映画館で「1」と「2」を2本立てで観て以来だったけど、
あらためて本当に素晴らしい作品だと思った。

紛れもない名作だ。


記憶では、
有名なテーマ音楽の流れるトレーニングシーンや、
ラストの壮絶な試合の場面が強かったのだけど、
意外にロッキーという不器用な青年と、
内気なエイドリアンとのラブストーリーという側面が強いことに気づいた。


何をやっても上手くいかないということと、
これしか出来ないということは、
紙一重だけど決定的に違う。

子どものころは器用な人間に憧れた。
何をやらせても上手い「十特ナイフ」みたいな。

でも、
中年になった今魅かれるのは、
明らかに不器用な人の方だ。


確か映画では、

「I'm Nobody」っていう科白を「オレはろくでなし」って訳してた。

終わりのゴングが鳴ってもまだ立っていられたら、
ろくでなしじゃないって事を証明できるんだ


ロッキーは対戦前夜、
エイドリアンに言う。


中年になってもしびれる科白。
いや、
中年だからこそ余計にしびれるのかもしれない。

●チャンピオンのアポロやトレーナーのミッキーの科白が記憶より少ないのも意外。それだけ存在感のある演技だったということだろう●菊地雄星君、西武入り●竜王戦、渡辺竜王が2連勝●会う約束の人が風邪にかかって予定キャンセル。

2009年10月29日木曜日

同時

宿直勤務から夕方帰宅して、
母に「ロコモ」のことを教えてやろうとしたら、
母も同じ「クローズアップ現代」を見ていたらしく、
すでに知っていた。

なのに「ロコモ」という言葉が思い出せないらしい。


体より頭が先か。。。


母が釈明するには、
「ロコモ」の「ロ」が「くち」に見えて、
よく読み方が分からなかったとか。

「司会者が読んでいたやんか」と突っ込んだら、

「体操真似るのに精一杯やってん」と切り返された。


画面に映るロコモ防止体操を見ながら、
手足を上げたり下げてりしていたそうだ。

きっと全国多くの高齢者が、
昨晩のあの時間、
慌てて体を動かしていたのだろう。

画面を見ながら体を動かして、
なおかつ話の内容まで理解するのは、
そりゃ無理だっただろう。

御苦労さん。


今日の食卓には、
キウイとブドウとカキが並んでいた。

「果物を同時に三種類とると体にええねんで」

「テレビでやってた」

「これで長生きできるわ」


満足気な母。


この人、
100歳はかたいな。


●確かにこのパソコンでもロは「口」に見える●かくいうぼくも母の年齢を72と勘違いしていた。本当は71だって。あとひと月ほどのことだけど。まぁ女性の年齢のことだけに、しっかり訂正しておきます。

2009年10月28日水曜日

命名

「メタボ」は今や誰もが知っているけど、
「ロコモ」というのは、
今日のNHK「クローズアップ現代」で初めて聞いた。

「ロコモティブシンドローム」(運動器機能低下症候群)の略だそうで、
日本整形外科学会が2007年に提唱したのだという。

高齢化して運動機能が衰え、
将来的に寝たきりになる危険性が高い状態を指すらしい。

メタボが成人病予備軍なら、
ロコモは寝たきり予備軍というわけだ。


・片脚立ちで靴下がはけない
・家の中でつまずいたり滑ったりする
・階段を上るのに手すりが必要である
・横断歩道を青信号で渡りきれない
・15分くらい続けて歩けない


このうち1つでも当てはまれば、
ロコモの疑いがあるのだという。


ある程度の高齢者なら、
これ全員引っかかるんじゃないだろうか?

靴下なんかぼくでも怪しい。


普通に年齢を重ねて、
普通に弱っただけなのに、
「ロコモ」なんて命名されて、
まるでもう半分寝たきりになったかのように脅されているみたいだ。

子どもや孫に苦労はかけまいと、
必死に運動したり医者通いしたりする善良なお年寄りが、
これでまた増えるのだろう。

メタボに注意して、
ロコモに怯え、
そういうことを馬鹿にするつもりはないんだけど、
人間、
ポックリ死ぬために生まれてきたわけじゃないだろと、
思わず反論したくもなる。


何でもかんでも予備軍って、
そもそも人間は皆、
死人予備軍じゃあないか。

●城島が阪神入り。結構なことだけど、阪神ファンとうまくやっていけるのか、ジョー。

2009年10月27日火曜日

怪我

前十字靭帯断裂で昨季を棒に振った、
フィギュアスケートの高橋大輔。

選手生命にも関わりかねない大怪我から、
先のフィンランディア杯で復活優勝するまでの軌跡を、
NHK「スポーツ大陸」で見た。


リハビリに根を上げてコーチにも内緒で行方をくらましたそうで、
そのあたりが彼の人間臭さというか、
子どもっぽさというか、
いわゆる優等生ではない一面が垣間見えた。

何より、
リハビリを通して体の柔軟性が増し、
ジャンプやステップやスピン、
スケートの全ての質が向上したそうだ。

これぞ怪我の功名。

転んでもタダでは起きない。


人生の大怪我なら何度か経験があるぼくだけど、
さて、
功名はあったのかな?


彼の母校である中学校に石碑があって、
そこにはこう彫られていた。

夢をもつかぎり
努力するかぎり
夢は遠くない


なるほど。

●「許されざる者」(クリント・イーストウッド監督)をDVDで●のりピー初公判。介護の仕事に就きたいそうだ。ほー。

2009年10月26日月曜日

爆弾

ブルーレイで「スピード」(ヤン・デ・ボン監督)を観た。

言わずと知れた、
キアヌ・リーブスの出世作で、
冒頭のエレベーターのシーンは、
久し振りに見てもワクワクさせられる。

ただ改めて思うに、
この映画、
「SPEED」より「BOMB(爆弾)」の方が相応しいのではなかろうか?

それほど「爆弾」が映画のカギになっている。


今朝(25日)の読売新聞一面の「地球を読む」で、
ポール・ケネディは次のように書いている。

ノーベル平和賞には、大きな皮肉がつきまとっている。創設者アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトの発明と製造で富を築いた人物だからである。これは例えば、水爆の発明者が、環境保護の推進に賞を出すようなものである。


まさにその通り。

そういう意味で、
オバマ大統領は、
この皮肉な賞という「ダイナマイト」を、
体に巻きつけられてしまった。

最近、
米国内での人気にかげりが見えているそうだが、
早く解体しないと、
木端微塵になってしまいそうで、
心配だ。

2009年10月25日日曜日

終戦













楽天と日ハム双方の選手に胴上げされる野村監督。

実にいいシーンだ。

74歳にして現役。
輝ける高齢者の星を、
楽天はあろうことか見限った。

いろいろと事情はあるのだろうが、
この場面には、
選手たちの自発的な思いがこもっている。


野村監督は常々、
「胴上げで失敗して落ちて死んだら本望」
みたいに言ってるけど、
たぶんそれは本音だ。

勝って胴上げされるに越したことはないが、
負けてのこの胴上げに、
野村監督は感無量だったに違いない。

どんな組織でも、
ボンクラ幹部には、
現場の真実は分からないのだ。


これほど野球を愛し、
奥深さを知り、
生涯を捧げた人をぼくは知らない。

時に悪態をつく、
憎たらしいジジイなのだけど、
根底にある野球への衰えぬ情熱が、
若い選手を引きつけるのだろう。


いつかどこかで、
また監督をやって欲しいと、
切に思う。

●ということで日本シリーズはG対ハムに。様々な話題に彩られた今季のプロ野球も大詰めだ。

2009年10月24日土曜日

時計

 寺山修司の詩文集「思いださないで」のなかに、時計の一節がある。<時計の針が/前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります…>。思えば人は、前後どちらにも針の動く時計を携えて人生を歩いている。

 つらい出来事は「後ろにすすむ」針に託し、身は「前にすすむ」針に託す。振り向けば、耐えられそうになかった悲しみもいつしか歳月の彼方に霞んでいる。針の動かない、壊れた時計をもつ人はどうすればいいのだろう。



今朝(22日)の読売新聞「編集手帳」の冒頭だ。


この後、
27年前に娘を殺されたとして容疑者を誘拐したフランス人の父親の話になり、
最後をこう締めくくる。


 誘拐も犯罪であり、父親の執念を称揚するつもりはない。ないが、47歳の人が74歳になるまで胸に抱いてきた「壊れた時計」には切ないものがある。


「壊れた時計」はつらいけど、
「壊したい時計」ってのもある。


ゲット・バック・イン・ラブ
(作詞・作曲:山下達郎)

誰もいない風の道を見つめていた朝のことを思い出して
僕らはまた、ここで出会った
薄明かりのガラス窓にいつか落ちた雨のひとすじが浮かんでいる
全てがみな、移り変わって行っても

Get back in love again もう一度僕を信じて
思い出にしたくない、あなたを……

止まらないで、過ぎた日々に残してきた悲しみの数を数えないで
あなたはまだひとりきりじゃないから

Get back in love again もう一度僕を愛して
思い出は欲しくない、あなたを取り戻したい

遠ざかる記憶でさえ奪えないものがある

Get back in love again もう一度僕を信じて
思い出にしたくない、あなたを取り戻したい
Get back in love again もう一度僕を愛して
思い出は欲しくない、あなたを…取り戻したい



1988年のこの曲が大好きだった。
当時ぼくは就職試験の勉強真っ最中。

にしても、
未練アリアリのこの歌詞。
大人の今なら「少しは前向けよ!」って突っ込みたくなる(笑)

でも「遠ざかる記憶でさえ奪えないもの」って部分は、
今でも共感する。

時間や形の具体性は薄れても、
その時感じた「想い」の手触りみたいなものは、
胸の奥にずっと残る。

2009年10月23日金曜日

存続

建設中の「「第二東京タワー」(スカイツリー)が610メートルの高さになるという。

現在の東京タワーの2倍近い高さだ。

その建設中の模様はネットで見られるのだが、
見ているうちに、
これが完成した暁には、
東京タワーはどうなるのだろうかと、
ふと心配になった。

もっと早くに気づくべきだったのだけど、
あまりにもあの塔がある景色、
いや日本に慣れていて、
なくなる可能性なんて考えられなかったのだ。


東京タワーは言うまでもなく電波塔であり、
スカイツリーが完成すれば、
その役目は終える。

収入の大半が失われるわけで、
観光名所というだけで存続させることが可能とは思えない。


第一、
あそこは東京の超一等地である。
経済的な側面から言えば、
取り壊して再開発するのが流れだろう。

パリのエッフェル塔のように、
東京の象徴、
文化遺産として残す可能性はある。

もち取り壊すことになれば、
大反対運動が起きるだろう。
もちろんぼくも反対だ。

何といっても、
あれはぼくが生まれた時からあり、
紛れもなく東京の象徴であった。

しかし果たしてそれがうまくいくだろうか。

経済成長一辺倒の時代。
高度成長の証としての郷愁が、
その波を押し戻せるだろうか。


実に不安になった。


●楽天2敗目。ハムに王手がかかった。野村監督の悲痛な表情が痛々しい。奇跡の4連勝は起きるだろうか。

2009年10月22日木曜日

気味












「クララー」

「ペーター」


日産「ノート」のCMが流れるたびに、
72歳になる母が笑う。

確かに何か笑えるんだナ。


クリエイターの文原聡という人が手掛けてるらしいけど、
このおかしみは何だろう。

母は「可愛い」という。


可愛いというより、
ちょっと不気味が入った、
「ブキカワ」って感じか。

口の表現が特徴的だ。
腹話術人形を連想させる。

そういえば、
あの腹話術人形もどこか「不気味」が入ってる。


でも何でそう感じるのだろう?


低燃費少女「ハイジ」って、
別にひねってないし。。。

どうにも不思議なのだが、
でもやっぱり笑ってしまうからには、
どこかのツボを突かれているのだろう。

ちなみに、
声優はハイジが友近だって。


CMは笑えるけど、
それでこの車の売れ行きが上がるとは、
ちょっと考えられん。

君はどう思う?

●セ、パCS第2ステージ開幕。いやぁ、ハム凄い。サヨナラ満塁ホームランとはね。たぶん楽天はこの敗戦から立ち直れまい。パは終わった気がする。

2009年10月21日水曜日

本能

梅田の阪急百貨店の近くに、
通勤途中にたまに利用する通路があって、
その入り口には天井からビラが吊り下げられている。

その先が、
ちょうど頭に当たるかどうかという、
実に微妙な高さに垂れ下がっていて、
ぼくはいつも咄嗟に頭を屈めて通ってしまう。


でも本当は普通に背を伸ばして通っても、
十分余裕があるのではあるまいか?

もしそうなら他人に、

「あの人、自分がそんなに背が高いと思っているのかしら」

などと思われていやしないかと、
少し気になっていた。


そこで今日は普通に背筋を伸ばして通ってみた。

すると、
ビラの紙先がフッと、
刷毛で掃いたように頭をかすめた。

ほんとに微妙に頭に「当たった」わけだ。


ぼくは、
「やっぱりな」と思うより、
その微妙な高さを自動的に「当たる」と判断している、
ぼくの本能に感心してしまった。


ぼくの体は、
ぼくなんかよりよほど注意深く、
ぼくのことを危険から守ってくれているようだ。

なんか安心した(笑)

2009年10月20日火曜日

鏡像

鏡に映った自分を見て、
人は「これはぼくだ」と思う。

人は自分を常に省みて、
次の自分の行いを決めていくのだけれど、
鏡で自分の背中を見ることはできない。













ルネ・マグリットの「不許複製」を見て、
そんな当たり前なことを改めて思う。

自分を省みているだけでは、
人はきっと自分を客観視できないのだ。


だから人が本や映画や、
あるいは助言や忠告や、
診断や採点や、
その他「自分以外」のあらゆるものを欲するのは、
「自分は何者か」を知るためだ。

他者はすべて、
自分を映す鏡だ。


先日、
他人の愚かな失敗談を聞く会に参加した。

次々に披露される、
笑えるほど悲しい話を、
ただ黙って真摯に聞いた。

あなたがたの話はぼくを写す鏡だ。

そうだ。
あなたはぼくだ。

そう思いながら、
静かに聞いた。

2009年10月19日月曜日

大輝

所用で岡山市へ行ったついでに、
20年前、
社会人になりたてのぼくが、
初めて住んだ場所を訪ねた。

タクシーに乗って「清輝橋まで」とだけ告げ、
見覚えのある交差点で降りて、
あとは歩いた。

確かこのあたりと思ったら、
案の定、
3階建てのマンションがあった。

想像以上に古びているが、
まだちゃんと建っている。


と思ったら、
マンション名が違うではないか。

近くにあった備前焼のお店で、
「コーポ大輝ってあります?」
と尋ねると、
「まだもう少し南じゃが」と、
懐かしい岡山弁で教えてくれた。

清輝橋にあるから「大輝」

言われた通り200メートルほど歩くと、
さっきのよりさらに古びた「コーポ大輝」が、
なんとかあった。











ぼくが住んだのは、
2階の左のベランダの方の202号室。
たった1年だったけど。

でも今は、
ポストに表札は全然ないし、
なんか人の気配がしない。

202号室の前まで行ってみたが、
古くなったという以上に、
こんなに小さかったっけと、
建物の低さや階段の狭さに驚いた。


学生下宿から移ったぼくには、
それは名前通り大きく輝いて見えたのだが。

良い記憶は、
どんどん美化されていくものらしい。


どうせなら、
自画像を持って来ればよかったと、
その時になって思った。

中学生のぼくの自画像が、
社会人になって住んだマンションの前にある写真を撮れたのに。

自画像の『ぼく』は、
マンションに住む「ぼく」も今のぼくも知らない。
マンションにいた「ぼく」は、
自画像に描かれた『ぼく』のことは知っているが、
今のぼくは知らない。

ましてや自画像を描いていたころの(『ぼく』)は、
そんな写真を将来のぼくが撮ろうと考えるなど、
知るはずもない。


過去はどんどん消去されるのか。

「今」に上塗りされて、
隠れて見えなくなっていくだけなのか。


20年の間にはいろんなことがあった。

ぼくにも、
コーポ大輝にも。

ぼくもコーポ大輝のように、
輝きはすっかり薄れてしまったのだろうか。


元々輝いてなどいなかったのか!

●吉備津彦神社でおみくじを引いたら「凶」。「待ち人来たらず」(泣)●それから大阪に戻って堀江のカフェでライブをワンステージ。「こんにちは」と美人に声をかけられ、誰かわからずにいたら、ピアノの弾き語りをしている浅利見有さんだった。一度しかお会いしたことがないのに、よく覚えていてくれたものだとびっくり●そのカフェの場所を忘れ、交番で尋ねたら「住所がわからないと無理」と言われた。「交番にもパソコンがあればいいですね」と言うと苦笑いされた。

2009年10月18日日曜日

意外

加藤和彦が死んだと聞いて咄嗟に頭に浮かんだのは、

「帰ってきたヨッパライ」

「あの素晴らしい愛をもう一度」

「サディスティック・ミカ・バンド」

坂崎幸之助とのデュオ「和幸」

ぐらいか。


「自殺」というイメージとは程遠い人だった。

戦後の貧しい日本で、
いち早く洋楽に接してエッセンスを紹介。

ボンボン育ちの品の良さ。
お洒落で才知に富み、
おしゃれで隙がなく悠々自適。
人生を如才なく楽しむ。

そんなイメージだった。

というか、
そんなイメージしかなかった。

亡くなった場所が軽井沢のホテルというのが、
唯一イメージと合致した。


「帰ってきたヨッパライ」は子どものころの大ヒットだ。

酔っ払って車にはねられた男が、
天国で浮かれて、
怒った神様にこの世に送り返されるというコミカルソング。

「オラは死んじまっただ~」

何度歌っただろう。


ぼくの人生はまさしくこの歌のような感じで、
でも何とか生きている。

でも、
加藤和彦はもう帰ってこない。

享年62歳。

あの素晴らしい愛をもう一度
(北山修作詞、加藤和彦作曲)

命かけてと 誓った日から
素敵な思い出 残して来たのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度

赤とんぼの歌を 歌った空は
何にも変わって いないけれど
あの時 ずっと夕焼けを
追いかけて行った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度

広い荒野に ポツンと居るよで
涙が知らずに 溢れてくるのさ
あの時 風が流れても
変わらないと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素晴しい 愛をもう一度


何か強烈な喪失感が襲ったのだろうか。

人生まで先取りしてしまったのか。

●今日は早寝をすることにした。

2009年10月17日土曜日

週刊

新聞を開くと「週刊松本清張創刊」と大きな広告。

毎号一作品を取り上げ、あらゆる角度から徹底検証!

とある。

こんなものを出版するのは、
もちろんデアゴスティーニ。

ちょっと調べてみたら、
すでに50タイトルほどが出版されていて、
大きく2つに分類できる。

ひとつは、
「週刊安土城をつくる」とか「週刊蒸気機関車C62をつくる」とか、
毎号部品を少しずつ添付して、
全部買うと模型が完成するというパターン。

もうひとつは、
「週刊ウルトラマン」や「週刊刑事コロンボ」など、
シリーズものの百科事典パターンがある。

どちらも創刊号は定価の半額ぐらいと、
極端に安いのが特徴だ。


もちろんこういう売り方が悪いわけではなく、
むしろ「よく考え付く」と感心している。

でも、
創刊号はよく見かけるけど、
最終号は見たことがない。

日本中のあちこちに、
作りかけの安土城やC62や、
フェラーリや零戦があるのではないかと、
余計な想像をしてしまう。


にしても「松本清張」ときたか。

「パチンコ加山雄三」並みに面白い。

生誕100年と、
一応理由はあるのだが、
最初「週刊新潮」の駄洒落かと思った。

多作な作家だから、
売れ行きさえ良ければネタには困るまい。


次は誰が「週刊」されるのだろう。

「週刊男はつらいよ」なんていかがだろう。


●デアゴスティーニの本社はイタリアにあって、1959年にかの「東方見聞録」を分冊にして売り出したという歴史があるそうだ。驚いた。

2009年10月16日金曜日

加齢

サザエさん一家は年をとらない。

ぼくが20歳の時もカツオは小学5年生だったし、
いまでも5年生のままだ。

時代の移り変わりに合わせて、
社会情勢や風俗の描写は微妙に変化しているが、
磯野家の電話はいまだに黒電話で車はなく、
当然パソコンもない。


読売新聞朝刊の4コマ漫画「コボちゃん」(植田まさし作)も、
基本的にはそういうはそういうものだと思っていた。

ところが先日、
連載27年目にして大変化が起きた。

コボちゃんの母が妊娠したのだ。

つまり遠からずコボちゃんには弟か妹ができ、
兄になるわけだ。


妊娠して生まれるまでには、
確実に10か月ほどの「時間」が流れる。

そうなると、
5歳児の設定のコボちゃんは、
生まれるころには6歳になって小学生になるのだろうか。

5歳児のまま弟や妹が生まれることになれば、
それも一大事だ。

子どもに突っ込まれても説明できない。

2005年にも、
コボちゃんの叔父が結婚するという変化があったけど、
それは登場人物が一人増えるという意味だけともいえた。

今回のはその比ではない。
止まっていた時計が27年目にして動きだすのだ。


島耕作は課長からついに社長に上り詰めたけど、
コボちゃんもこれを機に、
小学生から社会人まで、
実際の年月に合わせて成長していけば、
それはそれで画期的かもしれないけれど。。。


●ところで「コボ」の由来は、ウィキペディアによると、香川の方言「こぼさん(末っ子)」からきているという。

2009年10月15日木曜日

試食

昼間はとても暖かかったのに、
夕方突然、
冷たい雨が降り出した。

ぼくはその時JR甲子園口駅前にいて、
雨宿りを兼ねて近くのモスバーガーに飛び込んだ。











ちょうどいい機会だ。

今日こそは綺麗に食べてやる。


早速上のパンをはずして食べ始めた。

なるほどパンがない分、
全体の厚みが減っているので、
意外に食べやすい。

歯に直接当たるトマトのヒンヤリ感も、
いい感じかも。


とはいえ、
やはりバーガーが減っていくにつれ、
紙袋の奥の方まで口を突っ込まねばならないことに変わりはなく、
鼻のてっぺんにまでソースがついた。

でも、
「ベチャベチャ」の元凶だった残りのソースは、
最初にどけたパンでお行儀よくいただけ、
確かに、
紙ナプキンの使用量は格段に減った。

何と3枚で済んだではないか‼

完璧とはいかなかったが、
我ながら見事な試食。


最後に袋を折りたたみ、
「どうだ」と言わんばかりに、
颯爽と店を出た。


●ぼくの直前に並んだ、とっても太った男性が、2060円分のバーガーやら飲み物をテイクアウトした。何の根拠もないのに、絶対一人で食べるんだと思った●その後、TUTAYAに何気に寄ると「グラン・トリノ」がもう並んでいたので、つい借りた。改めて見直してみて、ラストの方で、時間の辻褄がちょっと合わないような気がしたが、やっぱり牧師の説教のあたりで泣いた●久しぶりにペンギンさんにお会いした。この前していたマスクもとれ、一段と元気そうだった。

2009年10月14日水曜日

咄嗟

百円ライターのガスがほとんどなくなると、
何度カチカチやっても火がつかなくなる。

それでも他に代わりを持っていないと、
未練がましくカチカチカチカチやるのだが、
するとたまに「ポッ」とほのかに炎がつくことがある。

ところが、
カチカチカチカチ繰り返しているうちに、
条件反射的に次のカチに行ってしまい、
折角ついた炎が消えてしまうことがある。

せこい話だけど、
咄嗟のチャンスを逃したこういう時は、
地団太踏むほど悔しい。


若い時は何も考えなくても毎回「シュボッ」とつく炎だが、
この年になると、
チャンスとは、
そういう風に咄嗟にしか訪れない。

それに対応するには、
カチカチの惰性の中にも、
常に細心の注意を払っている必要がある。

年を重ねると、
確かに根気は続くのだが、
咄嗟の事態に対処しそこねる。


ところで、
百円ライターは日本では使い捨てだけど、
以前見たテレビでは、
フィリピンだったかどこかでは、
ちょっとした細工をしてガスを補充できるようにする商売があるとか。

日本では見たことはないけど、
着火石よりガスが早くなくなることがほとんどだから、
これはいいアイデアだと思った。


既にガスの補充を終え、
そのガスも残り少ないこの身。

石もすり減ってなくなれば、
もうお手上げの瀬戸際だ。

だからこそ、
チャンスは逃せない切実さは日ごとに増しているはずなのだが、
相変わらず咄嗟の炎を見逃してしまう。


それでも懲りず、
今日もガスが空になりかけのライターを、
カチカチやっている。


●天満「じゃず家」セッションに。今日もまた、惰性に流されてしまったようだ。バックの演奏が素晴らしかっただけに、よけいに情けない●そのセッションで、ベーシストであり、セッションのMCでもある渡辺春雄さんが、ぼくが歌い終わったあと、「たはしろさんでした」と咄嗟に言い、動揺したぼくは、躓いて前のテーブルの飲み物をこかしてしまった。セッションでは本名でエントリーしているからだ。でも何か嬉しかった●明日は久しぶりに元町に行こう。

2009年10月13日火曜日

還暦

矢沢永吉60歳。

ビリー・ジョエル60歳。

還暦二人の東京ドームライブを観た。

もちろんテレビで。


YAZAWAのステージは豪華絢爛。
ズラッと並んだハーレーや、
何百人いるの?というダンサー。

その中央でYAZAWAは歌ってマイクスタンドを振りまわし、
ドームを支配していた。

それにしても、
彼が年下に対しても敬語でしゃべるようになったのは、
いつのころからだろう。

実るほど首を垂れる稲穂かな

ビッグになるほど敬語でしゃべられると、
なんかコワイんだな。


対するビリーは一言で言えば自然体。

というかこの人、
主な活躍は1970年代後半から80年代前半にかけてで、
ステージでもこのころに発表した曲がほとんどだった。

調べてみると、
やっぱり彼は成功のあと公私ともに災難続きで、
最近では半引退状態だったようだ。

YAZAWAとは対照的に少数精鋭というか、
それでも10人ぐらいはステージにいたけど、
その面々がいくつもの楽器を使い分ける達者揃いで、
とても分厚いサウンドになっていた。


10年ほどの間にメガヒットを連発して、
それで今でも大御所感漂うビリー。

40年近く突っ走ってきて、
でも大ヒット曲はと言われれば、
ほとんどない(?)YAZAWA。

そもそも比べることに意味はない二人なのだが、
つい同じ日に見ただけに、
気持ちが還暦つながりに向いてしまった。


還暦のころにぼくは何をしているかな。

そんな空想が現実味を帯びる年齢になってしまった(泣)。


●「殺人の追憶」(ボン・ジュノ監督)。まぁ面白かった。韓国の軍政時代の庶民の暮らしぶりや警察って日本も韓国も似てるな(無理やり自白させる場面とか)と思った●今日は体育の日だったのか。ひどくよい天気らしかったが、ほとんど寝ていたので気付かなかった(泣)

2009年10月12日月曜日

大義

広島・長崎が2020年五輪招致に乗り出すそうだ。

大賛成だ。

財政や施設の面で大きな不安が指摘されるが、
何よりも彼らには「大義」がある。

核なき世界の実現に向けて、
唯一であり最後の被爆地で開催することは、
平和の祭典に相応しい。

半信半疑ではなく、
完全に信じて邁進してほしい。


東京資本の大マスコミは、
今のところ平静を装っているが、
「田舎都市に出来るもんか」と、
影で冷笑している様が透けて見えるようだ。

しかし、
能力も資金もあったのに、
唯一「大義」がなかった東京が、
2016年招致で惨敗したのは、
つい先日のことである。


地元が沸けば全国が沸き、
世界を動かせる。

どれほどの難題があっても、
その情熱が嘘でなければ、
必ず実現できる。


まずは国の後押しが不可欠だ。

「鳩」を「キャン」と鳴かせられるか。

それが第一関門だ。

2009年10月11日日曜日

欠点

バレリーナを目指していたけど、
背が高くなり過ぎたから断念した。

こういう話はよく聞くけど、
今日のNHKトップランナーに出ていた、
中村祥子さんの身長は175センチだという。

しかも彼女は、
ベルリン国立バレエ団のプリンシパル。
超一流である。












このバレエ団の芸術監督は、
ウラディミール・マラーホフという有名なバレエダンサーで、
彼曰く彼女は「プリンシパルになるために生まれてきた」そうだ。

彼女の優れている点を聞かれた彼は、
「彼女は自分の欠点を知っていて、プロにさえ見抜かせない」
と答えていた。

それをビデオで見た彼女は、
「ちゃんと分かっていてくれた」と感激の面持ち。
プロでも見抜けぬ欠点をマラーホフは見抜いていた訳だ。

雲の上の話。

一体彼女のどこが欠点なのかなど、
わかろうはずもないが、
他人に認められたいという「承認欲求」は人間の原点であり、
それは一流であっても変わらないのだと思った。

たとえそれが今でなくても、
いつかだれかが認めてくれる。

その希望がなければ、
誰も創作のために血や汗は流せないだろう。

●番組で身長のことを尋ねてくれると期待していたのに「いじめられないですか」などと聞く箭内道彦に少々がっかり。

2009年10月10日土曜日

画餅

リオ五輪で7人制ラグビーが正式競技になるそうだ。

「ラグビーといえば15人だろ」と突っ込みたくなる。

なんか11人制サッカーよりフットサルが先に選ばれたみたいだ。

何かを選べば同時に何かを除外しなければならない。

定員は決まってる。

それは分かるのだが、
やはりラグビーは「15人」だろ?


ノーベル平和賞にオバマ大統領。

これも釈然としない。

カーターやゴアなど、
最近、
アメリカ民主党の政治家が受賞することはあるけど、
にしても早すぎないか?

「画餅」(がべい)という言葉がある。

絵に描いた餅。


核なき世界の到来への期待を込めて、
ということなんだろうが、
ノーベル賞に世界政治を動かす力など、
ありはしない。

例えばスー・チーさんが受賞したからって、
ミャンマーがどうにかなったか?

アラファトに与えてパレスチナ問題が進展したか?

いずれも「NO」だ。

オバマは餅の絵は描いたけど、
まだだれも本物の餅は食べていない。


五輪開催地にしても、
ノーベル賞にしても、
その選択に意図を含ませるのが流行だ。

けど、
先取りし過ぎは、
はずれた時に格好悪い。

●肌寒いので、ちょっと厚めのベストを着て出勤したら、ちょっと暑過ぎた。先取りし過ぎは、はずれた時に格好悪い。

2009年10月9日金曜日

原液













最近愛聴している「花と水」。
サックスの菊地成孔とピアノの南博の即興演奏に、
かつてなく心癒される。

菊地成孔といえば、
彼と大谷能生の講義を収めた「東京大学のアルバートアイラー」は、
ぼくにとっての瞠目の書。

だけど彼のCDはこれが初めてだ。


その菊地氏が、
NHK「わたしが子どもだったころ」に出ていた。

この番組、
前に藤原紀香の分を見たことがあったけど、
今回は全然趣が違った。

実家の食堂の配達で、
界隈のストリップ劇場やサパークラブに行き、
そこで体験した大人の甘美で猥雑な世界が、
まるで映画のように再現されていた。

それも、
生まれてから大学までといった感じではなく、
小学校低学年のころの、
ほんの一時期をじっくり描いていて、
かなり異色。

よほど彼にとって決定的な原体験なのだろう。
彼は「香水を濃縮したような」と表現していた。

そして今の自分のサックスの音は、
その濃縮された体験を、
希釈して希釈して振りまいているようなものだと。

香水は希釈してあるからこそ良い香りで、
原液は決してそうではなく、
むしろ不快だという意味で。


音楽というか、
音というのは、
確かにそういうものかもしれない。

原液がよい香りなら、
そりゃ薄めてもよい香りはするだろう。
でも、
不快な原液を薄めて、
しかも人間と反応した時に、
とてつもなく官能的に化けることもある。


彼とぼくは同学年なのだけど、
当然のことながら住んでいた場所も環境も違う。

人間に原液というべき体験があるとして、
ぼくのそれは一体どんなもので、
それを希釈したぼくの歌は、
いかなる香りを放っているのだろう。

それよりも先に、
ぼくは人間として現役だろうか。

●ちなみに彼のお兄さんは作家の菊地秀行氏●台風一過。思った通り、関西は夜の間に駆け足で通りぬけて行ってくれた。用心して休みにした人はさぞ喜んだことだろうが、おかげ様で元町に行き損ねた●短パンにTシャツじゃ寒い。風邪にご用心。

2009年10月8日木曜日

台風

さっき外に出てみたら、
雨は降っていないけど、
確かに風は強かった。

まっすぐ歩けない、
というほどではなかったけど、
少しは体重を預けられそうなほどの強さはあって、
童心に返ってなんか嬉しくなった。


でも、
もしこんな時間にこんなところにいて、
看板やら何やらが飛んできて当たったら、
かなり恥ずかしいことになると思い、
すぐに家に入った。

家いる限り、
風の音と風圧を少し感じる程度で、
たぶんこれから寝てさめれば、
もう既に台風は通り過ぎた後ということになるだろう。


台風の気圧はかつては「ミリバール」と表現していたのだが、
いつから「ヘクトパスカル」になったのか調べたら、
平成4年からのことらしい。

ヘクトパスカルはミリバールの単なる言い換えに過ぎないのに、
国際基準に合わせるということで変更されたようだ。


どっちにしても肝心なのは数値であって、
子どものころは、
980ミリバールぐらいだと「まあまあだな」、
950ミリバールを下回ると「おっ、大きいのが来たな」と、
ワクワクの度合が変わった。

発生当初は920ミリバールぐらいあって、
「こりゃすごいや」と喜んでいても、
みるみる勢力が衰えて日本に上陸するころには、
たいがい980ミリバールぐらいになっていたように思う。

だから今回の台風18号は、
当時のぼくだったらかなり興奮するレベルだ。


そんな風にデッカイ台風を期待していたのは、
学校が休みになるということもさることながら、
大人が「伊勢湾台風は凄かった」とか、
「ジェーン台風の時は吹っ飛ばされた」などと話しているのを見聞きして、
なんかそういう「凄い体験」をしてみたかったからだと思う。

今ぼくが阪神大震災の話を子どもにしたら、
その子どもは同じように思うのではなかろうか。


●風はもうおさまってきた●絢香がNHK「SONNGS」に出ていた。バセドー病で今年から無期限活動停止していたらしいけど、この時期にテレビに出るぐらいなら「無期限」は少し大袈裟だったかも。ま、病状がよくなったのならそれに越したことはないのだが。少し雰囲気が変わったなと思った。歌は相変わらず上手いと思う。

2009年10月7日水曜日

一本

柔道は五輪種目なのになぜ剣道は違うのかと、
昔から不思議に思っていたが、
意外なことに、
当の全日本剣道連盟が反対しているのだそうだ。

諸説あるかもしれないが、
どうやら柔道のように、
日本の「お家芸」でなくなることを嫌っているようだ。


礼儀とか型とかを重んじる日本の「芸事」と、
ルールの範囲内で勝てばいいのだという「スポーツ」。

二つの概念が両立しないのは、
柔道をみれば確かに明らかだ。

柔道は東京五輪から正式種目になり、
注目度は剣道の比ではなくなったが、
「柔よく剛を制す」どころか、
世界の「パワー柔道」の前にひれ伏す格好になっている。


無論、
日本剣道連盟は国際化を否定しているわけではなく、
ちゃんと3年おきに世界剣道は開かれている。

その世界剣道の前回大会で、
日本は初めて団体で敗れ、
13連覇を逃した。

今年開かれた大会で、
何とか奪還したのだけれど、
韓国を筆頭とする「パワー剣道」は、
すでに日本の足元を脅かしている。


ところで、
全日本剣道連盟の「一本」の定義が面白い。

充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの

「残心」とはつまり、
「余韻」のようなものらしいけど、
ここらあたりがすでに、
剣道がスポーツではなく、
やはり「芸事」なのだと教えている。

●情熱大陸とスポーツ大陸を見て思った次第●ハムがパ優勝。

2009年10月6日火曜日

統計

生活楽しむ男性は脳卒中や心筋症のリスクが低い

こんな記事が今日の読売新聞夕刊に載っていた。
しかも1面に。

厚労省の研究班が12万人を、
12年がかりで追跡調査したのだというけど、
そんなの、
常識的に考えて当たり前ではなかろうか?

逆ならニュースだけど。


もしこの記事にポイントがあるとすれば、
それは「男性」という部分。

女性は生活を楽しんでいようがいまいが、
これらの病気にかかるリスクに差はなかったそうだ。

これを「女性は強い」と読むかどうかは、
人それぞれだろう。


そういえば先日、
少し太めの人の方が長生きするなんて統計も見たような。

ぼくは「メタボの逆襲」と呼んでいるのだけど、
最近「太めがいい」的な統計記事が多い。

ぼくなりの解釈では、
成人病にかかるリスクは適正な体型の人の方が低いのだけど、
いざかかってしまえば、
体力に余裕のある人の方が耐えられるという、
そいういうことではなかろうか。


統計記事というのは読み流すには面白いが、
解釈次第で結論を捻じ曲げやすいから、
結論を鵜呑みにするのは要注意だ。

ぼくが印象に残っているのは、
「寝室に豆電球をつけて寝させて育てた子どもは近眼になりやすい」という話。

確かに統計上は、
そういう状況で寝ていた子どもの近眼の割合は高かった。

でも実は、
そうやって寝させる「親」に近眼が多かったことがわかった。

つまり、
親がよく見えないから、
子どもの寝室にも明かりをつけていただけで、
近眼の子供が多かったのは、
単なる遺伝だったという話。


簡単なトリックに引っ掛からぬよう、
用心、
用心。

2009年10月5日月曜日

荒波

ゴルフは人生にたとえられる。

スコアを伸ばすのは一歩ずつだけど、
崩すのはいとも簡単だ。

人生もまた、
得るは難く、
失うは易い。


日本女子オープンを見ようとテレビをつけたら、
横峯さくらが18番ホールでパットを打つところだった。

それを入れてバーディーを奪わないと、
優勝はまず無理という状況。
カップまでの距離は4メートルほどだったか。

フックかスライスか。
慎重にラインを読んでから彼女が打った球は、
カップ目掛けて勢いよく転がり、
右へも左へも曲がらず、
真っ直ぐにカップを直撃した。


結果的に彼女は韓国の選手にプレーオフで敗れたのだが、
フックだろうがスライスだろうが関係ないといわんばかりのあのパットは、
彼女が「並」ではないことを如実に示している。

男子では石川遼が激戦を制して、
獲得賞金額を2年連続1億円の大台に乗せた。

確かにゴルフは人生に似ている。

荒波に耐えなければ、
失うは易く、
得るは難い。



「酩酊大臣」として有名になった中川昭一氏が、
自宅で急死した。

このスキャンダルで彼は財務大臣を引責辞任し、
先の総選挙では議席も失った。

死の理由は定かではないが、
荒波の中で人生を立て直す前に、
命まで失ってしまった。

彼の父親の中川一郎元農相が首吊り自殺したときのことは覚えている。

地盤ばかりか、
「非業の死」まで引き継いでしまった。

2009年10月4日日曜日

抽選

会社近くの「天下一品」で、
いつものチャーハン定食を食べて勘定をしに行くと、
福引抽選で「ピカピカバッジ」が当たった。













直径4センチの丸いバッジの周囲に、
赤色LEDが6個配置してある。

写真では全部灯っているように映っているけど、
実際には円を描くように、
素早く順番に点滅する。

光はかなり強力で、
数百メートル先からでもわかるだろう。


しばらく前から告知のビラが店内に貼ってあって、
実はすごく欲しいと思っていた。

だから当たったときは「ラッキー」と内心小躍りしたのだが、
副店長の可愛らしいおねえさんの前だけに、
「ありがとう」と何気ない風を装ってしまった。


昨年も同じ時期に抽選が当たって、
小さなハンドルを回すとLEDが灯る、
ミニ懐中電灯をもらった。

これもすごく欲しかったから嬉しくて、
暗いジャズ喫茶で本を読むのに重宝したのだけれど、
すぐに壊れてしまった。


今度のは、
電池交換もできる優れものだから、
長持ちするよう期待している。

胸の辺りにつければ、
まるでウルトラマンだ。

今度着けて歌ってみようかナ(笑)


●楽天CS進出決定。

2009年10月3日土曜日

熱狂

「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)を観終え、
テレビに切り替えたら、
2016年五輪で、
日米が早々と落選してことを伝えていた。

マドリードとリオの一騎打ちになったけど、
日米に投票した人が最終的にどこを選ぶかといえば、
リオだと思う。

マドリードはたぶん、
サマランチ前IOC会長に華を持たせているだけで、
最終的には南米初の「リオ」で決まりだろ。


だって見たいじゃないか「リオ五輪」

サンバの熱狂のリズムの中で、
中南米やアフリカ大陸の選手が躍動する。
そんな様を。


五輪やサッカーW杯などの巨大イベントは、
開催国はもちろん世界史的な意味をもつ。

日米で開催すれば、
そりゃ「ちゃんと」やれると思う。

でも気分としては、
両国とももう近代史的には成長を終え、
すでに「高齢化」に差し掛かっている。

いまさら五輪って、
もういいや。

「お爺ちゃんはうちでテレビで見てるから、お前たちでやってくれ」

という感じ。


1964年に東京開催が決まった約半世紀前は、
世界は「日本なんかで大丈夫かいな」といぶかったに違いない。

でもそれを成功させようと国が一丸になり、
新幹線を走らせ、
高速道路を開通し、
街の整備も飛躍的に進んだ。

その意味でもリオは「南米初」という「大義名分」があり、
BRICsの時代を象徴する意味でもいいのではないか。


だいたい、
オバマ大統領がいくら素敵な演説をしても、
2016年に彼が大統領である保障は何もない。
鳩山総理が二酸化炭素の削減を言ってたけど、
それは五輪とは本質的な関係ではない。

逆に言えば、
アメリカには「オバマ」、
日本は「クリーン」という以外、
特に「売り」がなかった。


BRICsにネクスト11。

五輪が開かれるべき国はいくらでもある。

南米初、
アフリカ初、
中東初。。。

そういう国々で平和裏に開催されてこそ、
五輪の理念にかなう。




果たしてリオに決まった。


●ブラジルは2014年W杯とあわせ、世紀のお祭り騒ぎだ。こりゃ楽しみだ●先日お貸ししたCDが返却された。大変な好評で、すごい自信になった。でも、あっさりコピーできたそうで、そちらの方の自信は喪失した●「硫黄島…」は初めてブルー・レイディスクで観たけど、やっぱり画質はDVDを相当に上回る。

2009年10月2日金曜日

自作










斉藤和義のニューアルバム「月が昇れば」。

ぼくにしては珍しく、
レンタルではなく買ってしまったのは、
半分以上、
このジャケットに惚れたからだ。
巨大な月を背景にギターを抱える姿。
この色調子も構図も、
ぼくの心を一瞬でつかんだ。

タイトルがそうであるように、
12曲中、
歌詞に「月」が出てくる曲が4曲ある。


生意気だけど第一印象、
とっても完成度の高いアルバムだと思った。
歌詞はよく伝わるし、
サウンドもぼく好み。

曲調のバランスもとれていて、
「やぁ 無常」などヒット曲も入っている割に、
トータルアルバムとして成立している。

ジャケもそうだけど、
新趣向みたいなものは感じられない。
どちらかと言えば「ベタ」感じ。
けど、
彼の等身大がリアルが伝わる。

この人、
作詞作曲と歌はもとより、
大半の楽器を自分で演奏している。
先日見た情熱大陸で制作中だった「映画監督」もいいけど、
一番のお気に入りはこれだ。

ハローグッバイ

月が昇れば 君に会いたい
浮かれた時だけ やさしい世の中

上げて落して 飽きたら次へ
散らかしっぱなしで ホントが闇の中

ハローグッバイ ハローグッバイ
いつになったら 大人と呼べるの?

月が昇れば 君に会いたい
さびしい時だけ やさしいこの男

やぶれかぶれで たくさんのウソ
消えない記憶が こころの真ん中

ハローグッバイ ハローグッバイ
ひとつ選べず 大人と呼べるの?

敵や味方や 昔の傷や
君ならどうする 言葉が聞きたい
君ならどうする 顔見て聞きたい


「歌うたいのバラッド」のように、
じわんと来るナンバー。


スガシカオもそうだけど、
自分の作りたい歌を、
作りたいように作って、
それが支持されるなんて、
アーティスト冥利に尽きると思う。

なのにテレビで見ると、
どことなくつまんなそうな、
そんな飄々として媚びないところが、
この人の持ち味なのだろう。

2009年10月1日木曜日

無料

「タダより高いものはない」とはいうけれど、
高速道路無料化に反対する人が結構いるのには驚く。

「渋滞がひどくなる」という人。
「他の輸送業界が困る」という人。

どれも当事者にとっては切実かもしれないが、
きっとそのほかにも、
「タダは胡散臭い」と直感している人も多いのではないか。

車を手放した身としては、
宅配便の値段が安くなるぐらいしか影響はないので、
正直どっちでもいい。

たぶんその代わりに何かの税金が上がるだろうから、
そういう意味では反対だけど、
車を持っていた時にさんざん無料化を願っていただけに、
さすがにそれは言いにくい。


海外ではほとんどの高速道路がタダなのだから、
日本もそうすべきだという意見は昔からあった。

第一、
日本最初の東名高速が出来たときから、
通行料で建設費が償還できたら無料にするという、
そういう建前だったはずである。


それなのに今なぜ無料化が実現しようとしているのかといえば、
恐らく車の売れ行きが加速度的に悪くなっているからではないか。

若者の車離れは著しいし、
高齢化で免許を手放す人も増えるだろう。

車メーカーにとって、
先行き国内需要が増える見込みは全くないのである。

だからせめて高速無料化で歯止めをかけたい、
そのあたりが本音のように思える。

でなきゃ、
右手で二酸化炭素削減を掲げ、
左手で高速道路無料化を掲げることが矛盾しているくらい、
子どもでも分かる。


面白いことに、
車社会の典型であるアメリカで高速鉄道網計画が進んでいる。
ほかにも中国やインドやブラジルなど、
世界中で鉄道が見直されているのである。

自動車が馬車並みに古臭い移動手段になる日は、
もうそこまで迫っている。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...